グレイ、また拉致られる
「ん……」
どこからか、波の音が聞こえる。
地面が適度揺れ、ゆりかごやハンモックで寝ているようで気持ちよかった。
強いて悪い点を言えば、少しばかり寒いことだろうか。
────おい待て。なんで俺は毛布をかぶってないんだ。
「ああ、起きましたか。殿下」
「……誰だお前」
目を開けると、そこは俺の自室じゃない天井。横では船の一室と思わしき場所で優男が俺の見張りをしていた。
優男と言っても、魔族ではない。人間だ。
短剣を腰に差しているが、完全武装ではない。明らかに勇者とは気配が違う男だった。
男は目を覚ました俺の様子を見て安堵の息を漏らす。
「本当に心配したんですよ。お父様もお母様も心労で暗い毎日を……」
「落ち着け帽子野郎。俺を誰かと勘違いしてやしないか? 俺は殿下とか呼ばれるような大層な身分じゃねぇし、そもそも俺の親は戦争で死んでいる。きっとお前の探し人はもっと別のところにいるぞ」
「ああ、魔王にそう教えられてきたのですね。おいたわしや……」
「勝手に納得して勝手に憐れむんじゃねぇ。しばくぞ」
ハンカチで目元を覆う帽子野郎。
何者なんだお前、そしてどうして俺は船に乗っているんだ。
「早く俺を魔王城に返せ。さもなくば俺はこの船を沈めるぞ」
「そんなに気をおたてならないで下さい殿下。話せば長くなるのですが、あなたは十九年前に魔族から攫われた王子なのです」
「十九年前にさらわれたのはお義母さんと先代から嫌というほど聞いた。俺はそれを受け入れているし、そもそもo俺の両親を殺したのは人間が起こした戦争だろうが。今更両親うんぬんの話を言われようが信じる根拠がない、それに王子だとか言われるんじゃ現実味がねぇな。そんな戯言を吐く口があるなら船が沈む三十後のために全力で息を吸え」
起床早々過去のことを掘り返されて眉間にしわが寄る。
どうやら、なぜか俺の素性がバレてしまっているらしい。
俺の過去は人間の悪しき面の総集編のようなものだ。人間のエゴで俺という勇者が生まれ、人間の傲慢でお父さんとお母さんが死んだ。
ここまで滅茶苦茶にしておいて、まだ口出しするのか。そっとしておいてくれ。
「全ては人間のせいだ。残念ながらな」
「……殿下。それは本当に正しい事実なのでしょうか?」
「は?」
俺の言い分をひとしきり聞いた後、帽子男がそう言った。
「どういうことだ?」
「魔族が殿下に両親が死んだということを吹き込んでいるようですが……その証拠はあるのでしょうか?」
「はぁ? そりゃあみんなそう言ってるし……」
「……もしかすると、殿下が信じてきた過去が『魔族がいい様に吹き込んだ嘘』だと仮定した場合でも、辻褄があってしまうのでは────」
「黙れ」
帽子男の首を掴んで壁へと叩きつける。
鈍い音が鳴り、男が嗚咽を吐いた。
悲鳴を上げる帽子男の姿にも躊躇せず、締めあげながら俺は言う。
「俺はグレイだ、魔族に育てられた勇者のグレイだ。いまさら嘘なはずがねぇ。今までみんなが俺を騙してきたって言うのか? 俺は十九年間、騙され続けてきたって言うのか? ……ふざけるのも大概にしろよ。どれだけ俺をおちょくれば気が済むんだ」
ミシミシと骨が軋む音がする。
しかし、帽子頭は俺の腕を掴みながら訴えた。
「殿下……自分でもよく考えてください……。魔族側にどのような理由があるは知りませんが、魔族はあなたを陛下と王妃様から『奪った』のですよ。信じてください。」
「……」
男の言葉が頭の中で反芻される。
俺を奪う理由────ある。俺が選ばれし勇者だから。
嘘をつく理由────ある。俺を人間大陸に逃がさないようにするため。
俺を殺さない理由────ある。このまま俺を殺さないでいれば、いずれ利用できるから。
俺とヒルダを一緒に育てた理由────あってしまう。俺にヒルダに対しての愛情を抱かせるため。
信じたくない。でも、それを否定するにはあまりにも証拠が少なかった。
胸に広がる動揺と共に自然と腕に力が弱まってしまい、俺は帽子男を床に落としてしまう。
「けほけほッ……」
「分からねぇ……分からねぇよ……」
これは悪い夢だ。目を閉じればまた城の天井が見えるはずだ。
……しかし、そんな俺の願望を、波の音と船の揺れが強引に拒絶する。
現実に戻れ、現実から逃げるなと。
俺の両親は……生きているのか?
俺がお義母さんから教えてもらった愛は嘘で、俺が先代から貰った自由も嘘で、ヒルダとミルダが俺に見せてくれた笑顔も虚構だというのか?
俺は……何者なんだ?
思い出が、記憶が、俺の中で渦巻き絡まっていく。
「俺が山に埋めたお母さんの骨も、俺の思い込み……」
「私だって、殿下にすぐに受け入れられてもらおうとは思っていません。ですが、とりあえずお父様とお母様に会ってみてください。特に髪の色は母親そっくりですよ」
「……」
「私は、殿下が攫われる前から殿下のことを存じておりました。殿下がこの船に乗っている経緯を説明しますので、まずは私の話を聞いてください……」
帽子男は俺に向かって深々と頭を下げた後、ゆっくりと語り出した。
「十九年前──殿下はカンナ王国という小さな国に王子として生まれました。しかし、それから三日目の夜、魔王の手先によって殿下は攫われたのです」
「へぇ」
「その時、城は火災にあいハチの巣をつついたような状況、王妃様が気づいた時には既に殿下はいませんでした」
「……待て、それは焼死したんじゃないのか? 赤子なんて泣くだけで逃げれないんだから、すぐに焼き焦げるだろ」
「いえ、殿下が眠っていた場所は出火元とは離れた場所。焼死なんてあり得ません」
「だから、攫われたと」
「そうです」
話を聞いている感じ、怪しいところは何もなかった。
俺は……本当に?
「私はこの殿下が攫われたその日から王の命令に従い殿下を探し求めてきました。そして今、その命令が果たされようとしているのです」
「……これは、人間大陸行きの船なのか」
「ええ」
帽子男が強くうなずく。
「いい加減目を覚ましてください殿下。殿下は騙されているのです。殿下がいるべき場所は魔族大陸ではなく両親のところなのです」
「……しばらく考えさせてくれ。今の俺は何も信じられそうにない」
「……おおせのままに」
俺の感情をくみ取った帽子頭がそっと目を伏せ、座り込む。
分からない……謎が多すぎる。
どっちが正しいんだ? 帽子男が嘘を言っているようにも見えないし、だからといってヒルダ達が嘘を演じてきたとも思いたくない。
ただ確実なことは、どちらかが嘘をついているということだ。
考えろ、俺。生まれを信用するのか。それとも育ちを信用するのか。
……だが、その決断をするにはあまりにも時間がなかった。
頭がパンク寸前になり、熱を冷ますために横になる。
「……俺って、何者なんだろうな」
俺は選ばれし勇者で、魔族に育てられた勇者で、魔王直属近衛勇者。
昨日まで胸を張って言えたものが口から出ない。それが恐ろしい。
『グレイ』の正体とは?
天井の木目を数えつつその命題を延々と思案し、苦悶し────それでも答えが出ず、ついに俺は人間大陸に着くまで思考を続けてしまった。




