漫画は知識を描くもの
しばらくして、俺はアイラに漫画を差し入れてみた。
「……」
しかし、彼女はその本に手を付けようとしない。この本を開けば、毒が噴射されるとでも思っているのだろうか。
暇なので、俺はアイラを監視しながら漫画を読み進めていた。
と言っても、一巻はアイラの独房の中にあり、俺の手元には二巻からしかないのだが。
「…………」
「…………」
アイラがこちらを見る。何を読んでいるのか気にしているのだろう。
俺は自分の手元にある漫画の表紙を見せた。
「これか? これは異世界召喚された主人公が色んな能力を駆使して無双する話だ。勧善懲悪が大好きなお前にピッタリな話だと思うぜ」
内容はかなりチープ、主人公に都合の良すぎる世界観、明らかに駄作なのはわかっているのだがなんか癖になる。
しかしアイラはその漫画を手に取らなかった。
「……そういう話は嫌いだ。以前は喜んで手に取っていたのだが、今はどうも自分と重ねてしまう」
そう言ってアイラは自分の手を見つめる。
おそらく、過去の自分と物語の主人公が同じに見えてくるのだろう。
都合のいい、そんな人物に。
「そうだな。そう考えると、お前はこの作品を読まない方がいいかもしれないな。……んじゃあ、こんな作品はどうだ?」
俺はすぐそばにあった目の大きい女が主人公の漫画を手に取る。
「魔法も剣も必要ない世界で、一人の女がイケメンに恋をするって話だ。これならお前と縁が無い話、物語としては十分楽しめると思うんだが、どう思う?」
「だが、今の私には恋愛というものがよくわからない。だからこの漫画もきっと……」
「いや、お前は絶対ハマると確信がある。根拠はないが」
事実、ヒルダもミルダもこの手の物語が好きだ。やはり恋は種族を超えて持つ感情ということなのか。
「なぜそう言い切れる?」
「大丈夫だって。まずは一度読んでみろよ」
アイラは一瞬ためらうような仕草をして、表紙を見てからページを開く。
最初の数ページを読んだところでアイラの顔に変化があった。
眉間にしわが寄り、目つきが変わる。
そしてさらに読み進めるうちに彼女の顔はさらに険しくなっていった。
「…………」
「お、おい。どうした」
さすがに声をかけずにはいられないほど、彼女は険しい顔をしていたからだ。
「すまん……。ちょっと待ってくれないか? 集中したい」
「ああ……。別に構わないけどよ」
アイラは再び漫画を開き、続きを読む。
な、なんだあの目は。私の領域に近づくなって言っているように聞こえたぞ。
「……っ!」
「どした!?」
いきなり、アイラが口を押える……いや、正確には鼻だ。
彼女は手で口を押さえたまま、肩で息をしている。
アイラの異変に気付いた俺はガンガンとガラスを叩いた。
「おい! どうしたんだよ! 何かあったのか!?」
するとアイラは震えている右手を少し上げて親指を立てた。
「……大丈夫だ。問題無い」
「本当か?」
「うむ。心配をかけたようだ。申し訳ない。……だが、鼻を一回かませてくれ。気づいたら血が出てきてな」
「……」
アイラの手から赤い血が垂れる。確かに鼻血が出ていた。
……こいつ、まさか────
「お前、一回も恋愛をしたことが無いな?」
「い、いや、違う! いきなり破廉恥なものを見せられるとは思わなくてだな……。ほらこれ! これほど破廉恥な描写を大々的に描くなどありえんぞ!」
「……この場面のどこが?」
アイラのが見せるページを見て、俺は首を体ごと傾ける。
別に男が倒れそうになった主人公を支えているだけだろ。どこに鼻血を出す要素がある。
「お、男に触れられるなど破廉恥ではないか! それも家族でもない男に!」
「いや、それくらい普通だろ。そんなこと気にしたら買い物で釣り銭も貰えないぞ」
そう反論するも、アイラは納得していない様子。顔を押えて赤面している。
そうか、コイツに恋愛モノを読ませるのには早すぎたのかもしれん。
「きついなら無理して読まなくていいぞ。体調を壊してもらっては困る」
「い、いいや、せっかくのご厚意だ! 最後まで読む!」
「お、おう。なんでそんなに意固地になっているんだ」
アイラの勢いに押され、俺は引き下がる。
純粋な興味というよりも、アイラは怖いもの見たさでこの本を読んでいる気がする。
「やめとけよ」
「いいや、これは私自身が読みたいのだ。それに私はもう子供ではない、成人もしている。これしきの物語など……ぶっ!?」
「アイラさーん!?」
「だ、大丈夫だ……。まだいける……」
「いや、全然ダメじゃねえか」
アイラは鼻から少量の血を流しながら、必死に堪えようとしている。
目が明らかに動揺し、焦点がブレブレだ。
「くそ、なんて破廉恥な……。か、関節キスだなんて……」
「確かに誇張されてはいるが、イマドキの少年少女は普通にこんなことしてるぞ」
「嘘だ、そんなはずはない……。こんなことをするのは、獣のような連中だ。決してこんな純真な心を持つ者がすることじゃない。……そうだ、きっとこれは創作物に違いない。そうだ、そうでなければおかしい。こんなものが現実に起こるわけがない」
「その創作物は現実を基準に作られていることを忘れんなよー」
「……ぐっ」
アイラが鼻を抑えながらさらにページをめくる。
まさかアイラの恋愛知識がクソ雑魚ナメクジだとは思わなんだ。ヒルダ以上の恋愛弱者を始めて見た。
「……なあ、この主人公の女はなぜこうも男に対して無防備なのだ? 少しは警戒しろ」
「いや、そういうのを楽しむのが物語ってものだし……というか、お前が過敏すぎるんだよ。ちょっと手を握るとか、肩に触れる程度で大げさに反応すんじゃねえよ」
俺の言葉を聞いたアイラがギロリと睨みつけてくる。
しかしすぐに目を逸らす。どう見ても強がりにしか見えない。
アイラは自分の顔を隠すように漫画を読み続ける。
そして、終盤のページをめくった瞬間
「……ぶっ!」
「今度はどうした……」
「事故とはいえ、男が主人公とき……き……キスをしているのだが……」
「お、おう。展開が早いな」
ネタバレをいちいちかましてくるなよ。がっかりする。
アイラは顔を真っ赤にして、漫画を強くつかむ。
確かに、これは破廉恥だな。だが、そんなに震えるほどのものか?
「お、お前これがどういう意味なのか分かっているのか……?」
「あ? たんなる事故だろ」
「違うッ! 私は知ってるぞ! 異性が唇を重ねると……子供ができるんだッ!」
「……は?」
なに言ってんだこいつ。
俺は呆れてため息を吐いた。
「そんな簡単に子供ができるわけないだろ。それはアレだ、お前がからかわれているだけだよ」
「嘘だッ! 唇を重ねて十月十日後に夢の中で青い鳥さんがゆりかごをくわえて現れて、赤ちゃんをお腹に入れるんだっ!」
「俺たちがそんなメルヘンな理由で生まれてきてたまるかッ!」
……コイツ、本当にそこらへんの事柄についての知識が無いらしい。人を殺しているくせにピュアな成人がいたものだ。
アイラをさとし、ゆっくりと語り掛ける。
「いいか、よく聞け。まず第一に男女がキスをして子供ができる確率は0だ。次に、子供は鳥さんが運んできてくれるものじゃない。もっと現実的な方法で子供はできるんだ」
「む……そうなのか」
「ああ、そうだとも。鳥さんは自分の子供を養うので精一杯なんだ」
俺はアイラを安心させるよう微笑んで見せる。
アイラは納得してくれたらしく、胸を撫で下ろした。
まったく、こいつはどれだけモノを知らないんだ……。
「それで、具体的な方法とはどんな方法なのだ」
「え?」
「では、子供はどうやってできる? もっと現実的な方法なのだろう?」
「…………」
アイラの質問に思わず言葉を失う。まさかここでその禁忌とも言える話を掘り返してくるとは。
アイラは純粋で、無垢で、無知。
だからこそ、知らないことがあると知りたがるのだ。
俺はうろたえ、このピンチに言葉が詰まってしまう
これはアイラにとって必要なことだと理解しているが、それでも答えにくい。
「教えてくれ」
アイラの子供のような目が俺を覗く。
それは、純情と言う名のナイフ。邪気のない声が、俺の心を切り刻んでいった。
や、やめろ! 俺をそんな目で見るな!
確かに、気になるのは分かる。誰しもが不思議に思うことだ。
俺も小さな頃にお義母さんに聞いたことがあるし、今思えばなんて恥ずかしいことをしていたのだろうと後悔している。
でも、それを年の近い、しかも女に伝えるだなんて……!
アイラは真剣な眼差しでこちらを見つめていた。
まるで、早く言ってくれと言わんばかりである。そこに人のタブーがあると知らずに。
くそっ……こうなったらヤケクソだ。どうなっても知らんぞ!
俺は覚悟を決め、唾を飲み、アイラに言う。
……お義母さん、力、お借りします。
「……お星さまから降ってくるんだ。流れ星ってあるだろ、流れ星の中に一人ずつ子供が入っていて、それがお母さんのお腹に当たると子供ができるんだ」
「そうなのか! 私たちは星の子だったのか!」
「そうさ、だから俺たちは星に願いを込めるんだよ」
「なるほどな……。勉強になった」
アイラが納得した様子を見せる。
大罪を犯した俺は、また一つ賢くなったと嬉しそうに微笑むアイラから全力で視線をそらした。
……よしっ! なんとか乗り切ったぜ……。あとのことなんか知るか!




