↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/17

六話 山の痕跡



雪の積もった斜面に、足跡が続いていた。


 低い枝が折れ、木々の間には雪の踏み固められた場所がある。ガストンは時折足を止め、その先を確かめてから進んだ。


 やがて、斜面の上に岩場が見えてきた。


 大きな岩の裂け目に、暗い穴が開いている。入口の前には足跡が重なり、雪の下から土が覗いていた。


 小さな洞窟だった。


「ここだ」


 五人は近くの木へ馬を繋いだ。


 ガストンが入口から中を窺い、それから身を屈めて入る。四人も後に続いた。


 内部はそれほど広くなかった。入口から入る光が奥の岩壁まで届き、天井の低いところでは背を屈めなければならない。人が何人か座って雨風を凌ぐには、十分な場所だった。


 奥へ進んだエティエンヌが、地面を見て声を上げた。


「見ろ。焚き火の跡がある」


 黒くなった石が寄せられ、その間に灰と燃え残った枝があった。


 ルノーが覗き込む。


「猟師かもしれないぞ。吹雪いて避難したのかもな」


「かもしれん」


 ガストンはしゃがみ込み、指先で灰を崩した。燃え残った枝を動かし、その下も確かめる。


 しばらく調べてから、顔を上げた。


「お前たち、周囲を見てこい」


「分かった」


 四人が洞窟を出た。


 ガストンはもう一度、焚き火の跡へ目を戻した。


「……まだ新しいな」


 壁際には、人が座っていたらしい場所もあった。地面が踏み固められ、小さな枝や枯れ葉が脇へ押しやられている。


ガストンは燃え残った枝を指で動かした。

「あの六人を捕らえた後にも、誰かがここを使ったのかもしれん」


小さく呟いて立ち上がると、入口へ向かった。


 外では、四人が洞窟の周囲を調べていた。


 エティエンヌは少し離れた木立の前で立ち止まった。低い枝が何本も折れ、その下の雪が乱れている。人が通る際に押し退けたような跡だった。


「こっちも何かあるな」


 一方、ルノーは斜面へ回り込み、雪の上にしゃがんでいた。


 足跡は一つではなかった。重なった跡が木々の間へ続き、途中から左右へ分かれている。山の奥から来たものと、そちらへ戻ったものが入り混じっていた。


 ルノーは立ち上がり、見える範囲を辿った。


「……かなり広いな」


 人の姿はない。だが、洞窟へ出入りしただけにしては、あちこちに雪を踏んだ跡が残っていた。


 セシルとイリスは、洞窟の反対側を調べていた。


 岩陰や木の根元を見ながら、斜面の下へ少しずつ進む。風に吹き寄せられた雪が、岩の窪みに溜まっていた。


「何もないね」


 セシルが言った時、イリスが足を止めた。


「待ってください」


 雪の中から、小さなものが覗いていた。


 イリスはしゃがみ、周囲の雪を払って拾い上げた。


 笛だった。


 簡素な形をしているが、表面には細かな模様が刻まれていた。イリスは手袋の指先で雪を落とし、向きを変えた。


 セシルが覗き込む。


「熊避けの笛かな」


 イリスには、見覚えのない細工だった。


「イリス、こんな細工見たことある?」


「私は見たことがありません」


 もう一度、刻まれた模様を見る。


「ガストンなら分かるのではないですか?」


「そうだね」


 二人は洞窟へ戻った。


 入口の近くにいたガストンへ笛を見せていると、エティエンヌとルノーも戻ってきた。


 五人は、それぞれが見つけたものを伝え合った。折られた枝と、何方向にも続く足跡。それから、イリスが拾った笛。

挿絵(By みてみん)

 ガストンは笛を受け取り、しばらく無言で見た。


 指で表面の細工をなぞる。


「……昔、旅の商人が似たものを持っていた」


「商人が?」


「ああ。遥か向こうに住む異民族が、熊除けに使うものだと聞いた」


 四人の視線が笛へ集まった。


 ガストンは裏側へ返し、もう一度模様を確かめた。


「だが、なぜこんなものがここにある?」


 誰も答えなかった。


 洞窟の前を風が通り、木々の枝を揺らした。


 その後も周囲を調べたが、人の姿は見つからなかった。足跡の一部は岩の上で途切れ、さらに奥へ進むものは木立の間へ続いていた。


 ガストンはそこで捜索を打ち切った。


「今日は戻る」


 五人は馬を引き、来た道を引き返した。


 *


 帰りは、来た時よりも口数が減っていた。


 雪を踏む音に、馬具の軋む音が重なる。ガストンは先頭を歩き、時折、道の脇へ目を向けていた。


 イリスも黙って歩いていたが、ふと昨日のことを思い出した。


 河原で立ち止まり、木々を見上げていたローザ。帰りの道でも、何かを探すように周囲を見回していた。


 ――今日は誰もいない。


 イリスは前を歩くガストンを見た。


「ガストン」


「どうした?」


「昨日、ローザと山へ来ました」


「また随分遠くまで行ってたのか」


 横からルノーが笑った。


 イリスは少しだけ視線を逸らす。


「……それは、今は関係ありません」


「ある気がするけどな」


「ルノー」


 セシルが軽く睨んだ。


 イリスは話を続けた。


「その時、ローザが言っていたんです」


 ガストンが振り返る。


「何をだ?」


「山の妖精たちを、一人も見かけないと」


 一行の歩みが少し緩んだ。


「妖精?」


 エティエンヌが眉を寄せる。


「普段はいるそうです。木の上や、道の近くにも」


「草や石に紛れてると、俺にはさっぱり分からんけどな」


「私も見落としていることは多いと思います。ですがローザは、いつもと違うと言っていました」


 ガストンは何も言わなかった。


 少し先へ目を向けたまま歩き、それからイリスへ聞いた。


「昨日通ったのは、どの辺りだ」


 イリスは尾根の向こうにある川と、帰りに選んだ道を伝えた。


 ガストンは頷いた。


「……そうか」


 それ以上は何も言わず、再び前へ向き直った。


 街道へ戻ると、五人は馬へ跨がった。


 ヴァレーヌへ着く頃には、陽が傾き始めていた。


 *


 街門を抜け、市場広場へ差しかかったところで、人だかりが目に入った。


「なんだ?」


 ルノーが馬の歩みを緩める。


 広場の端に停まった荷車を、人々が取り囲んでいた。中心にいるのは旅装の商人で、荷台の縁へ片手を置いて話している。


 五人は通りの脇へ馬を寄せた。近づくと、集まっていた者たちが場所を空けた。


「本当に見たのか?」


 誰かが聞いた。


 商人が頷く。


「ああ。セーヌの方だ」


 ざわめきが広がった。


「見慣れない船がいた。商船には見えなかったな」


「軍の船か?」


「分からん」


 商人は首を振る。


「ただ、荷を積んでるようには見えなかった」


 周囲の者たちが顔を見合わせた。


 別の男が聞く。


「武装してたって話もあるぞ」


「ああ、それも聞いた」


 商人が続けた。


「川岸で武器を持った連中を見たって奴がいる。俺が直接見たわけじゃないが、中央じゃ結構な噂になってる」


 ガストンが口を開いた。


「どんな噂だ?」


 商人が彼を見る。騎士だと気づいたのか、荷台から手を離して少し姿勢を正した。


「北方の連中が、また動いてるんじゃないかって」


 その言葉を聞いた瞬間、イリスは拳を握った。


 ――北方。


 濡れた石が脳裏をよぎった。


 怒号と鉄の音。何かが倒れる、重い音。


「イリス?」


 セシルの声がした。


 顔を向けると、すぐ隣からこちらを見ていた。


 イリスは握っていた拳を開いた。


 目の前には荷車があり、その向こうでは商人がガストンの問いに答えている。広場を行き交う人々の声も、また耳へ戻ってきた。


「……なんでもありません」


 セシルは少しの間こちらを見ていたが、やがて商人の方へ目を戻した。


 イリスも話へ耳を傾けた。


 *


 詰所へ戻ると、五人は山中で見つけた痕跡と、広場で聞いた話を報告した。


 笛は卓上へ置かれた。


 ガストンは略図の上で洞窟の場所を示し、足跡が続いていた方向を伝えた。商人が直接見た船の話と、川岸の武装集団についての伝聞は、分けて記録された。


 報告をまとめると、ガストンは立ち上がった。


「俺は上と話してくる」


 そう言って詰所を出ていった。


 残された四人は、しばらく黙っていた。


 最初に口を開いたのはルノーだった。


「なんか、物騒な話になってきたな」


 椅子の背にもたれる。


「大事にならなきゃいいけど」


「セーヌの船まで、こっちに関係があるとは限らないだろ」


 エティエンヌが言った。


「山に入り込んでいる連中のことは、調べる必要があるがな」


「そうね。別の話ならいいけど」


 セシルが答えた。


 ルノーは卓上の笛へ目を向けた。


「それ、商人が落としただけだったりしてな」


「それなら、その商人がここへ来たかどうかを調べればいい」


「そうだけどさ」


 エティエンヌの返事に、ルノーは肩をすくめた。


 イリスは会話に入らず、机の上を見ていた。


 笛の細工と、その脇に広げられた略図。昼に歩いた斜面を思い返そうとしても、広場で聞いた言葉が間へ入ってきた。


 北方の連中。


 イリスは膝の上で手を開き、指先を伸ばした。


 やがて扉が開いた。


 ガストンが戻ってくる。


 表情はいつもと大きく変わらなかったが、四人の前へ立つと、雑談が止まった。


「話は通した」


 四人が彼を見る。


「当面、警戒を怠るな」


 ガストンは卓上の略図へ目を落とした。


「巡回では、今日みたいな痕跡を見逃すな。城門側にも情報を回す。商人から入る話も拾っておけ」


 一人ずつ顔を見る。


「山側の巡回も少し増やす」


 そこで少し間を置いた。


「それと、異変を見つけても少人数で勝手に動くな。必ず報告しろ。指示を仰げ」


「了解」


 エティエンヌが答えた。


 他の三人も頷く。


 イリスも顔を上げ、ガストンを見て返事をした。


「はい」


 ガストンはそれを確認してから、息を吐いた。


「今日は終わりだ」


 ルノーが大きく肩を回した。


「なんか疲れたな」


「今日は歩いたからね」


 セシルが笑う。


 ルノーは他の三人を見た。


「みんなで飯食っていこうぜ」


「そうね。たまにはいいね」


 セシルが答え、エティエンヌも頷いた。


 三人の視線がイリスへ向く。


「イリスも行くだろ?」


「私はやめておきます」


「なんで?」


「ローザが迷惑をかけるので」


 即答だった。


「また何かやったのか?」


「まだ今日は何もしていません」


「まだって言ったね」


 セシルが笑う。


 イリスは聞こえなかったことにした。


 *


 装備を戻して詰所の前へ出ると、午後の光が向かいの壁を照らしていた。


「ローザ」


 呼びながら、いつもいそうな場所を探す。


 窓の下にも、荷箱の上にもいない。少し先へ歩いてから顔を上げると、低い建物の屋根に茶色いものが見えた。


 ローザだった。


 日当たりのいい場所で仰向けになり、完全にくつろいでいる。


 その隣に、もう一つ何かがいた。


 水色だった。


 ローザより少し向こう側で、同じように仰向けに寝ている。屋根の縁に隠れて顔はよく見えず、こちらも微動だにしなかった。


 イリスは見上げた。


「……ローザ、帰りますよ」


 ローザが起き上がった。


「はーい」


 隣を見る。


「またね」


 水色の妖精は起きなかった。返事もない。


 ローザは気にする様子もなく、屋根から張り出した木へ移り、枝を伝って降りてきた。


 イリスは歩き出す。


 少ししてから尋ねた。


「お友達ですか?」


「今日、知り合った」


「そうなんですか」


「うちの塀の上に座ってたんだ」


「……そうなんですか」


 イリスはそれ以上聞かなかった。


 ローザも特に説明する気はないらしく、イリスの横を歩いている。


 二人はそのまま、《赤い木の実亭》へ向かった。


 背後では、水色の妖精がまだ屋根の上で眠り続けていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。