↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/18

第十五話 残す価値

円筒の前へ最初に飛び込んだのは、マーカス・リードだった。四十二歳、外傷外科。少女がどこから来たのかを確かめるより先に、床へ膝をつく。


「ストレッチャー!」


 背後から二人が押してくる。マーカスは崩れた身体へ手を伸ばし、失われた左腕と出血を確認した。鎧、泥、血、見慣れない衣服。どれも処置の妨げにはなる。今、順序を決めるのは傷だった。


「左上肢外傷。大量出血。意識なし。呼吸確認」


 ダニエル・チョウが膝をつき、頸部へ手を当てた。


「脈、触れる。弱い」

「酸素」

「入れます」


 小さな妖精が、患者の左脚を抱いて離さなかった。


「イリス! イリス!」


 ソフィアが手を伸ばす。


「大丈夫。離れて。治療するから」


 妖精はさらに強く抱きついた。顔を上げても、差し出された手へは移らない。


「離れろ!」


 マーカスの声に、小さな肩が跳ねた。


「待って」


 実験用の椅子からヴェリスが呼んだ。まだ全身にケーブルがつながっている。


「その子、言葉が分からない」


 レアが振り返る。


「ヴェリス?」

「たぶん……昔のフランク語」

「たぶん?」

「千年以上前だから」


 レアは一秒だけ黙った。


「後で聞く」

「そうして」


 マーカスは切断部へ目を戻した。


「止血帯」

「あります」

「切断はいつだ」


 答える者がいない。マーカスは傷を見たまま、問いを変えた。


「質問変える。新しいか?」


 ソフィアが傷口を確認する。


「新しい。かなり」

「なら先に血液」


 ダニエルが言った。


「型が分からない」

「交差適合」

「時間がない」

「Oネガから」

「了解」


 マーカスは鎧へ手を掛けた。


「これ外せるか?」


 レアが近づく。


「待って」

「何だ」

「普通の鎧じゃない」

「今は普通かどうかはどうでもいい」

「神経反応が出てる可能性がある」


 マーカスの目が彼女へ向いた。


「何の神経だ」

「だから調べる」

「研究は後だ」


 声が低くなった。


「まず死なせるな」


 レアは一瞬黙り、それから頷いた。


「分かった」


 イーサン・ケラーが機器を持ってくる。


「切断面側、読みます」

「三十秒」

「短い」

「二十にするか?」

「三十で」


 イーサンは作業へ入った。


*


 ユリウスは少し離れて見ていた。誰も彼へ指示を求めない。マーカスが順序を決め、周囲がそれに従っている。今は、それでいい。


 床に湿った土が薄く広がっていた。円筒の近くでは、空調を通った空気に土と草と血の匂いが混じる。その奥に、何かが燃えた後のような臭いもあった。千年以上前の空気かどうかは分からない。この施設のものではないことだけは確かだった。


「ユリウス」


 レアが呼んだ。


「何だ」

「この鎧、外す」

「問題は?」

「外さない方が問題」


 先に答えたのはマーカスだった。


「手術できない」

「なら外せ」

「破損する可能性がある」


 レアの言葉に、ユリウスは鎧を見る。本来、今夜回収するはずだったものだ。その中に、人間が入っていた。


「構わない」


 レアが彼を見た。


「いいの?」

「人間が死んだら、鎧の情報まで失うかもしれない」


 彼女の表情が少し変わる。


「そこ?」

「他に何がある」

「ない」


 笑わなかった。


「分かった」


 患者をストレッチャーへ移そうとすると、小さな少女がまた抱きついた。左脚をつかんだ手が離れない。


 椅子の脇では、ヴェリスの接続機器が外され始めていた。ヘルメットが持ち上げられ、腕、胸、脚の順に拘束が解かれる。彼女は立ち上がろうとしてよろめいた。


「座って!」


 レアが振り返る。


「大丈夫」

「大丈夫な人の立ち方じゃない」

「ローザ」


 ヴェリスはそれだけ言った。妖精が顔を上げ、二人は数秒、見つめ合った。ヴェリスが一歩近づくと、小さな鼻が動く。もう一度。それから、目が大きくなった。


「……ヴェリス?」


 ヴェリスの顔から、僅かに力が抜ける。


「そう」


 少女の視線がすぐに患者へ戻った。


「イリスを……」


 声が震える。


「助けて」


 ヴェリスは妖精の前にしゃがんだ。


「助ける」


 ユリウスには、その言葉が通じたかどうかは分からなかった。ただ、ヴェリスの手が肩へ触れると、妖精はようやくイリスの脚を離した。


「運ぶ」


 マーカスの声でストレッチャーが動く。妖精が追おうとすると、ヴェリスは抱き上げた。


「一緒に行く」


 抵抗はなかった。


*


 処置室は実験区画から近かった。重い設備まで置いた区画が、今夜はそのまま使われている。


 ユリウスは扉の外で止まった。ガラス越しに、鎧を外していく手が見える。金属だけではない。布と革、見慣れない素材が重なり、接合部には現代の工業製品とは異なる構造があった。その一つずつが取り除かれ、血に汚れた身体が白い照明の下へ出ていく。


 ソフィアが切断面を見た。


「古い傷じゃない」

「分かってる」

「違う。組織の反応」


 マーカスが顔を上げる。


「何」

「普通じゃない」

「感染?」

「それとも違う」


 ソフィアは拡大画像へ目を移した。


「治癒が始まってる」

「この状態で?」

「始まってるだけ。間に合うとは言ってない」


 ダニエルが数値を読む。


「血圧落ちてる」

「輸血速度上げる」

「上げてる」

「もっと」

「心負荷が先に来る」


 レアは別の端末を見ていた。神経活動、筋反応、反射。切断部周辺の表示を切り替え、画面へ顔を近づける。


「これ……」


 イーサンが隣へ来た。


「何」

「切断部の神経、反応が落ちてない」

「切断されてるのに?」

「違う。神経自体が、接続先を探してるみたい」

「幻肢痛の信号?」

「それだけじゃない」


 レアが画面を拡大した。


「再接続を前提にした反応に見える」

「そんなものある?」

「今見てる」


 赤い数字が更新される。その下を人の手が行き交い、ベッドの上の小さな身体は動かなかった。


 ヴェリスがユリウスの横へ来た。ローザは腕の中にいる。泣き疲れたのか、もう声を出していなかった。


「知ってたのか」

「何を」

「あの二人を」


 ヴェリスはガラスを見る。


「会ったことがある」

「いつ」

「千年以上前」


 ユリウスは彼女へ目を向けた。


「今日の実験前に言う話じゃないのか」

「思い出してなかった」

「今は?」

「見たら分かった」

「声は」


 ヴェリスは首を振った。


「覚えてない」

「なのに押した」

「助けてって聞こえたから」

「それだけで?」

「それだけで」


 ユリウスは数秒黙った。彼女が押した理由に、対象を確認する手順は入っていない。


「次はやるな」

「無理」

「命令だ」

「無理なものは無理」

「手順を飛ばした結果、設備が落ちた」

「でも来た」

「それを成功とは呼ばない」

「私は呼ぶ」


 ヴェリスは目を逸らさなかった。ユリウスも、それ以上は言わない。ガラスの向こうでマーカスが手を挙げ、誰かが機材を渡した。


 ローザがヴェリスの胸元へ顔を埋める。


「イリス」


 小さく名前を呼んだ。ヴェリスの手が、その頭へ触れる。

挿絵(By みてみん)

「何者だ」

「知らない」

「知ってることは」

「剣が上手い」

「それだけ?」

「あと、頑固」

「役に立たない情報だ」

「あなたにはね」


 ユリウスはガラスへ視線を戻した。本来の目的物は魔法鎧だった。それに、千年以上前の人間が伴ってきた。ヴェリスは二人を知っている。会ったことがあると言い、素性は知らないと言う。


 その先を確かめるにも、ベッドの上の少女が生きていなければならなかった。


「助ける」


 ヴェリスが彼を見る。


「さっきから助けてる」

「意味が違う」

「何の?」

「生き残った後の話だ」


 彼女は少し目を細めた。


「何をする気?」

「調べる」

「人を?」

「人も」

「鎧も?」

「当然だ」

「相変わらず」

「何が」

「ユリウス」


 その名前を返して、ヴェリスはまた処置室を見た。


*


 手術は長引いた。夜が明けても、イリスは目を覚まさなかった。


 左腕はなく、剣も見つからない。回収されたのは本人と鎧とローザだけだった。切断された腕や剣がどこに残ったのかは、こちらから確かめようがない。


 ユリウスは回収内容を確認しながら、昨夜の円筒を思い返した。人間が二人。鎧は来た。腕と剣は来なかった。何を一つの対象として拾ったのか、その境界はまだ分からない。


 ヴェリスが繰り返した言葉だけが、残っていた。


 処置室からマーカスが出てくる。手袋を外しながら、ユリウスを見た。


「とりあえず死なせてはいない」

「とりあえず?」

「状態は悪い」

「具体的に」

「失血。ショック。左上肢完全欠損。全身に外傷。古い傷も多い。栄養状態は現代基準では良くない。感染リスクも高い」

「助かる確率は」


 マーカスが少し考えた。


「この先の一晩を越えれば上がる」

「数字で」

「数字が欲しいなら、三割」


 ユリウスは顔色を変えなかった。マーカスは、数字が欲しいなら、と先に断った。その条件まで含めて聞いた。


「低いな」

「千年前から瀕死で飛んできた人間にしては高い」


 マーカスは続けた。


「あと一つ」

「何だ」

「普通じゃない」


 ユリウスの目が動く。


「何が」

「身体」

「具体的に言え」

「骨密度、筋組織、神経反応。全部少しずつ変だ。化け物って意味じゃない。人間だ」

「少しずつ?」

「現代人と比較して、という意味だ」


 レアが後ろから出てきた。


「神経系はもっと変」

「もっと?」

「左腕がないのに、神経が終わってない」


 ユリウスが彼女を見る。


「再生するのか」

「そこまでは言ってない」

「なら」

「接続できる可能性がある」

「義肢か」


 レアが頷く。


「普通のじゃなくても」

「AREION?」

「候補にはなる」

「使えるのか」

「生き残れば調べる」


 マーカスが横から言った。


「先走るな」

「分かってる」

「お前は分かってない顔をしてる」

「失礼」


 マーカスはユリウスを見る。


「研究は後だ」

「聞いた」

「本当に?」

「死なせるな」

「それだけでいい」


 彼は処置室へ戻った。扉が閉じ、レアだけが横へ残る。


「どうする?」

「何を」

「生きたら」

「さっき決めた」

「調べる?」

「それも」

「それも?」


 ユリウスはガラス越しにイリスを見た。白いベッドに包帯があり、左側には腕を置く場所だけが空いている。その横で、ヴェリスに抱かれたローザが眠っていた。


「予定外だ」


 レアは黙って聞く。


「だが、価値がないとは限らない」

「それ、本人の前で言わない方がいいよ」

「なぜ」

「嫌われるから」

「困るか?」


 レアは少し考えた。


「たぶん、後で困る」


 ユリウスは答えなかった。ベッド脇の数値が変わる。生き残った後の話は、その数字が持ち直すまで進まない。


*


 それから数日、医療班は処置室を離れなかった。


 止血した箇所を確かめ、傷を処置し、循環と呼吸を見続ける。イリスの数値は上がっても、また落ちることがあった。義腕の話を進められる状態ではない。


 やがて、マーカスが処置室から出てきた。


「ひとまず、持ち直した」

「手術は」

「救命に必要な処置は済んだ。まだ経過を見る」


 ユリウスは頷いた。マーカスが戻ると、レアが端末を持って横へ来た。


「左腕の話、していい?」

「何が分かった」

「残っている神経の反応が、かなり良い。義腕への接続を検討する価値はある。ただ、どこまで適合するかは、本人に動かしてもらわないと分からない」

「普通の義手でいいのか」

「日常動作を戻すだけなら、その案も調べる。でも、この子の反応に合わせるなら、個別設計を考えたい」


 レアが左肩の画像を開く。残存組織の上に、接合基部の仮想モデルが重なった。


「腕そのものはAREION。身体側の基部と神経インターフェースは、こっちで設計する。荷重を受けて、運動指令を送り、感覚情報を返せるようにする」

「先に基部を入れる?」

「設計を合わせてからね。手術できる時期はマーカスたちが決める。今すぐやる話じゃない」


 ユリウスは画面を見た。血を失った身体を救う処置と、失った腕を取り戻すための設計。必要な判断は違っていた。


「費用は」

「完全個別設計なら、相当になる」


 横からヴェリスが言った。


「付けてあげて」

「お前が決めるな」

「じゃあ、あなたが決めて」


 ユリウスはガラスの向こうを見る。


 千年以上前の騎士。魔法鎧を使い、左腕を失っても立っていた人間。その身体へ、今の技術をどこまで合わせられるのか。鎧だけでは得られなかった反応が、計測するたびに増えている。


「動くようになれば、もっと調べられるな」

「検査は増えるよ。でも、腕を付けたら何でもやらせていいわけじゃない」

「分かっている」


 レアは彼を見ていた。


「本人にも説明する。救命手術とは違うから」

「起きたら話せ。まず設計を進めろ」

「どこまで?」

「身体に合わせて造る。標準品へ無理に合わせる必要はない」


 ヴェリスの顔が僅かに緩んだ。ユリウスはレアへ視線を戻す。


「完成まで」

「二か月。三か月見た方がいいかもしれない」

「長いな」

「レーシングカーを一台、人間に合わせて作ると思えば早いよ」


 ユリウスは左肩のモデルを見直した。


「そこまでのものか」

「まだ性能は決めない。基部も腕も、この子の反応を見ながら詰める」

「なら、必要なデータを取れ」


*


 レアはAREIONへ、設計の事前相談を送った。


 骨格、残存組織、神経反応。身体データには空欄が多い。接合基部も仮の図で、まだ身体には入っていない。本人が目を覚まし、説明を受けてから確かめる項目を添えた。


 既製モデルの適合でも、標準カスタムでもない。


 完全個別設計。


 送信が完了すると、ヴェリスが覗き込んだ。


「これで腕ができる?」

「相談が始まるだけ」

「もっと早くして」

「私に言わないで」

「誰に言えばいい?」

「AREION」

「言う」

「やめて。面倒になるから」


 ユリウスは少し離れたところで聞いていた。送信されたのは設計のための情報だった。少女が何者なのか、何を知っているのかという答えは、まだ手に入っていない。


 処置室の向こうで、イリスは眠っている。


 剣はなく、左腕を置く場所は空いたままだった。モニターの心拍は続いていた。


 命を残すための処置は済んだ。


 その先へ金と技術を投じることは、ユリウスが決めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。