↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/17

第十二話 迫る船影

翌朝、イリスはいつもどおり出勤した。


 昨日は森の奥までローザを捜しに行き、帰りには温泉へ寄った。夕食を済ませる頃には、二人とも眠くて仕方がなかった。


 今朝もローザは寝床に残っていた。


『今日は髪飾りを勝手に持ち出してはいけませんよ』


『分かってるよ……』


 上掛けの中から返ってきた声を思い出し、イリスは小さく笑った。


 詰所へ着き、外套を外しているところへ、領主の使いが訪れた。


「イリス殿。ギヨーム様がお呼びです。お話があるとのことです」


「領主様が?」


 昨日、銀霧泉で会ったばかりだった。


 あの時は祖父の話をして笑っていた。だが、勤務の始まったこの時間に使いを寄越したのなら、仕事の話だろう。


「分かりました。すぐに参ります」


 イリスは外套を羽織り直し、使いの後について領主の館へ向かった。


 *


 案内された部屋で、ギヨームは地図を眺めていた。


 机の端には、開かれた書状が置かれている。


「おお、来たか、イリス。昨日はよく眠れたか?」


「はい。おかげさまで」


「ローザはどうした? 今日も一緒じゃないのか?」


「今朝はまだ寝ていました。昨日、森を歩き回って疲れたようです」


「ははは。お前も大変だな」


 ギヨームは笑い、椅子を勧めた。


 イリスが腰を下ろすと、地図を二人の間へ引き寄せる。


「さて、今日は仕事の話だ」


 イリスは背筋を伸ばした。


 祖父とともに働き、この地へ家族を迎え入れてくれた人だった。幼い頃から世話になり、昨日のように「おじさん」と呼べる間柄でもある。


 けれど、地図へ置かれた手を見ている今は、自分の仕える領主だった。


「今朝、伝令が届いた」


 ギヨームの指が、川沿いの一点へ下りた。


「周辺の都市を襲っていたヴァイキングの一団が、こちらへ向かっているらしい」


「……ヴァイキングが?」


「ああ。これまで襲撃を続けていた連中の別動隊だそうだ。川を遡って移動している」


 指が川筋をなぞった。


 イリスはその先を見た。


 集落の名がいくつもある。畑や街道の位置を示す線の間を、川が領内へ続いていた。


「このまま進めば、いずれ我が領内に入る。どこへ上陸するかは、まだ分からん」


「既に兵を動かしているのですか?」


「まずは川沿いの見張りを増やす。周辺の村にも知らせを出した。敵の動きを確かめながら、防衛の準備を進めるつもりだ」


 ギヨームは顔を上げた。


「お前にも任務に備えておいてほしい。装備の点検を済ませ、いつでも動けるようにしておけ」


「承知しました」


 イリスは頷いた。


「敵の数や装備については、何か分かっていますか?」


「詳しい報告はまだだ。新しい知らせが入り次第、お前にも伝える」


「分かりました。私も準備を進めます」


 立ち上がり、一礼しようとしたところで呼び止められた。


「イリス」


「はい」


 ギヨームの目が、机を挟んでこちらへ向いていた。


「昨日も言ったが、無茶はするなよ」


「……はい、ギヨームおじさん」


「今は領主として話しているんだがな」


 そう言いながら、口元は少し笑っていた。


「では、任せたぞ」


「はい。失礼いたします」


 部屋を出ると、廊下を行き来する者が増えていた。書状を抱えた男が足早に通り過ぎ、奥の部屋から人を呼ぶ声が聞こえる。


 イリスは腰の剣へ手を添えた。


 その手を離し、兵舎へ向かって歩調を速めた。


 *


 戻った中庭では、すでに荷車が引き出されていた。


 槍を抱えた兵士が武器庫から出てくる。その後ろでは盾が二枚ずつ重ねて運ばれ、荷台へ積み上げられていた。


「ヴァイキングだと? こんなところにまで来るのか」


「国王が金を払ったりするから、あいつら調子に乗ってやがるんだ」


「大船団で来られたら、守りきれないぞ」


「この辺りの川幅はセーヌ川ほど広くない。十隻程度なら、大規模な襲撃じゃないんじゃないか?」


 イリスは声のする方を見た。


 話していた兵士も、手は止めていなかった。束ねた槍を荷台の奥へ押し込み、次の束を受け取っている。


 装備室へ入り、普段使いの剣を外した。


 手入れから戻った鎧を身につける。新しくなった革帯を締め、肩と腰を動かした。引っ掛かりはない。


 長剣を取って、刃を確かめた。


 研ぎ直された刃が、窓の光を細く返す。


 鞘へ収め、剣帯へ通した。


 髪を背へ払おうとして、リボンに指が触れた。


「リュシアン……行ってくる」


 小さく呟いた。


「イリス!」


 入口にセシルが立っていた。


「ガストン隊長が、全員中庭に集まれって。すぐに出発するみたい」


「分かりました。今行きます」


 イリスは剣帯を締め直し、彼女に続いた。


 中庭には、騎兵隊が集まり始めていた。


 エティエンヌとルノーは馬具を抱えて厩舎から出てくるところだった。少し離れた場所では、ガストンが兵士の報告を聞いている。


 やがて、ガストンが顔を上げた。


「全員、聞け!」


 話し声が止まった。


「川を遡上しているヴァイキングの船団が、この領地へ向かっている。到着時刻はまだ分からん。これより川岸の防衛陣地へ移動し、迎撃の準備を行う」


 ガストンは兵士たちを見渡した。


「ジェラール殿が現地の防衛を指揮する。歩兵は川岸を固め、弓兵と投石機部隊は高所に陣を敷く。我々騎兵隊は遊撃に回り、必要な場所へ駆けつける」


 イリスは列の向こうに父を見つけた。


 ジェラールは部下と言葉を交わしていたが、こちらへ目を向けると、小さく頷いた。


 イリスも頷き返した。


「ただし、今はまだ敵が来ていない。騎兵隊も手を空けておくつもりはないぞ」


 ガストンが荷車を指した。


「矢、食料、水、予備の武器。運べるものはすべて運ぶ。馬にも荷を振り分けて、陣地の準備を手伝え。敵が見えたら、すぐに動けるようにしておくこと」


「了解!」


「よし、かかれ!」


 一斉に人が動いた。


 イリスとセシルも馬を引き出し、鞍の左右へ荷袋を取り付けた。


「イリス、そっち、まだ積めそう?」


「はい。もう一袋くらいなら」


「じゃあ、こっちの干し肉をお願い。私の馬、もういっぱいなの」


 袋を受け取り、鞍の後ろへ結ぶ。


 左右の重さを確かめていると、荷車の横からエティエンヌが呼んだ。


「おーい、こっちにも手を貸してくれ!」


「何を運ぶんですか?」


「矢だ。弓兵のところまで持っていく。途中で落とすなよ」


「エティエンヌこそ、ちゃんと結んでよね」


 セシルが言うと、ルノーが笑った。


「さっき荷袋を落としかけたのは、こいつだからな」


「落としてねえよ! 落としかけただけだ!」


 言い返しながらも、エティエンヌは結び目を確かめ直していた。


 中庭の向こうでは、ジェラールが先に馬へ跨がった。数人の兵を連れ、門へ向かっていく。


 イリスがその姿を見送っていると、足元から声がした。


「イリスー、なんか慌ただしいね」


 ローザだった。


 馬や荷車の間を避けて歩き、こちらを見上げている。


「ローザ、ヴァイキングがこちらに向かっているようです。大事なお仕事中ですから、邪魔をしてはいけませんよ」


「えっ、ヴァイキング? 僕も一緒に行く」


「危ないですよ。戦闘になるのですから」


「だから行くんだよ」


 イリスは手を止めた。


「前のパリの時、イリスの部屋でお留守番だったでしょ」


 ローザが見上げたまま言った。


「心配で心配で、しかも帰ってきたらイリスはボロボロになってた。リュシアンも帰ってこなかった」


 イリスは何も言えなかった。


「だから、もうお留守番してるのは嫌だよ」


 荷車の車輪が、その後ろを通った。


 イリスはローザのそばへしゃがんだ。


「分かりました。みんなの邪魔をしないこと。それから、もし戦闘が始まったら隠れていること」


 目を合わせる。


「この二つを守れるのなら、一緒についてきてもいいですよ」


「うん、分かった」


 イリスは頷き、立ち上がった。


 荷の結び目を、もう一度引いた。


 *


 ガストンの号令で、一行は中庭を出発した。


 先頭の騎兵に続き、物資を積んだ馬と荷車が門を抜けていく。イリスとセシルも馬を並べ、その列へ加わった。


 川へ近づくにつれ、道を行き交う者が増えた。


 槍を担いで陣地へ向かう兵士がいる一方、家財を積んだ荷車は川から離れる方へ進んでいた。毛布の隙間から子供が顔を出し、イリスたちを見ている。


 イリスは手綱を引き、荷車が通れる幅を空けた。


 セシルも隣で馬を寄せた。


 荷車の男が短く礼を言い、二人の間を過ぎていった。


 やがて、木々の間から川が見えた。


 水面は朝の光を受け、穏やかに輝いていた。その手前では、兵士たちが土を掘り、杭を打っている。組みかけの柵が川岸に沿って延び、槌の音が途切れず響いていた。


「思ったより進んでるね」


 セシルが見渡した。


「昨日のうちから準備を始めていたのでしょうか」


「たぶんね。あっ、あそこ。ジェラール様がいるよ」


 父はすでに川岸にいた。


 数人の兵へ指示を出し、柵の切れ目を指している。イリスたちの到着に気づいたかどうかは分からなかった。


 ガストンは隊列を止め、荷車を川岸から少し離れた場所へ回した。


 川に面して歩兵の柵があり、その後方の高台に弓兵と投石機が配置される。騎兵の待機場所は、川沿いの道へすぐ出られるよう、荷車の置き場とは離して設けられていた。


 イリスは馬を降り、荷袋の縄を解いた。


「この干し肉は、どこへ運べばいいですか?」


 近くの兵士が後方の天幕を指した。


「食料はあちらだ。矢は上の弓兵隊へ持っていってくれ」


「分かりました」


 袋を肩へ担ぐと、ローザが後をついてきた。


「ねえ、イリス。疲れた」


「荷車に乗っていなさい。ただし、荷を下ろす邪魔はしないように」


「はーい」


 ローザは空いた荷台の端へ跳び乗った。


 イリスとセシルは天幕へ袋を運び、受け取りを待った。兵士が中身を確かめ、数を記録する。


 次の荷を取りに戻ると、道の向こうからまた荷車が来ていた。


 空いたところへ馬を寄せ、矢の束を積み替える。袋を下ろした肩が軽くなったのは、ほんの少しの間だった。


「次は上だね」


 セシルが坂道を見た。


「はい」


 二人は馬を引き、高台へ向かった。


 *


 坂は、荷車が上がるには狭かった。


 踏み荒らされた土が靴へ付く。イリスは馬が足を滑らせないよう歩みを合わせ、曲がり角で一度止まった。


 ローザは馬の背で、荷袋の間へ収まっていた。

挿絵(By みてみん)

 上では弓兵が足元の草を刈り、川岸へ向けて弓を構えていた。少し離れた場所には投石機が据えられ、腕木や縄を確かめる声が飛び交っている。


「矢を持ってきました!」


 セシルが声を掛ける。


「助かる。そこの天幕へ頼む」


 束を運び込むと、イリスは手を腰へ当て、ひと息ついた。


 ここからは川岸がよく見えた。


 柵の内側に兵が集まり、盾を置く位置を確かめている。後方では荷車が向きを変え、人が道を空けていた。


 下流へ目を向ける。


 川は少し先で曲がり、その向こうは木々に隠れていた。


「……下流から来るのですね」


「そうみたい。でも、どこで上陸するか分からないから、見張りが大変そう」


 セシルも川を見ていた。


 ローザが馬の背で身を起こす。


「何か、嫌な感じがするんだよ」


「ローザ、怖いこと言わないで」


 セシルはそう返したが、川から目を離さなかった。


 イリスは曲がり角の向こうを見つめた。


 船は見えない。


 水面に浮かんだ枝が一つ、ゆっくり流れてきた。


 坂の下から声がした。


「空いた馬を戻してくれ! まだ運ぶものがある!」


 イリスは顔を戻した。


「行きましょう」


 畳んだ荷袋を持ち、馬を引いて坂を下りた。


 それからは、同じ道を何度も往復した。


 矢を下ろした後には水を運び、予備の槍を柵の内側へ届けた。馬で通れないところでは荷を分け、兵士たちと手渡しで送った。


 初めは柵の向こうまで見えていた川が、盾と人の背で隠れていった。


 高台には天幕が増えた。


 空だった荷車には、使い終えた縄や袋が戻されている。


 昼を過ぎ、イリスが水桶を下ろした時、ガストンの声がした。


「ご苦労だった。物資はひとまず揃った。馬に水を飲ませて、各自も食事を取れ」


 エティエンヌが大きく肩を回した。


「やっと飯か。戦う前に腹が減っちまった」


 ルノーが返事をしながら、食料の置かれた方へ歩いていく。


 セシルも長く息を吐いた。


 ガストンだけは、下流を見ていた。


「休めるうちに休んでおけ。見張りから知らせが来れば、すぐに動くことになる」


 イリスは空になった桶を重ねた。


 もう一度、川へ目を向けてから、仲間の後を追った。


 *


 騎兵隊は、馬を繋いだ場所の近くで食事を取った。


 パンと干し肉が回され、水袋が隣へ渡っていく。イリスも腰を下ろし、受け取ったパンを小さくちぎった。


 朝から荷を運び続けたせいか、よく腹が減っていた。


「ローザもどうぞ」


「僕、もうお腹ぺこぺこ」


 ローザは両前脚でパンを受け取った。


「イリス、そっちの水、取ってくれる?」


「はい、どうぞ」


 セシルがひと口飲み、袋を膝へ置いた。


 少し離れたところでは、ルノーが何かを言い、兵士たちが笑っていた。エティエンヌが言い返す声も聞こえる。


 セシルはその声を聞きながら、川へ顔を向けた。


「……本当に来るのかな、ヴァイキング」


「伝令の報告が正しければ、いずれは」


「そうだよね」


 水袋の口が閉じられた。


 槌の音は、まだ続いていた。


 イリスは残りのパンを食べた。干し肉を噛み、飲み込む。喉へ水を流してから立ち上がった。


「馬の様子を見てきます」


「私も行く」


 セシルが続いた。


 馬は水桶のそばに立っていた。


 近づくと、鼻先がこちらへ向く。イリスは首筋を撫で、汗の残る毛へ手を滑らせた。


「今日はたくさん働いてもらいましたね」


 馬が鼻を鳴らした。


 外した荷袋は脇へまとめられていた。イリスは鞍の位置と革帯を確かめ、鐙に絡んでいた縄を外した。


「まだ仕事が残っているから、今のうちに休んでね」


 隣では、セシルも鞍を確かめていた。


「荷袋を外したら、ずいぶん軽くなったね」


「ええ。これなら、いつでも出られます」


 言ってから、イリスは手を止めた。


 いつでも出られる。


 そのために荷を運び、道を空け、ここまで準備してきたのだった。


 馬の首へ、もう一度手を置いた。


 温かかった。


 *


 午後には、陣地の作業が一つずつ終わり始めた。


 柵を打つ槌の音が減り、兵士たちが持ち場へ移っていく。弓兵は矢を手の届く位置へ揃え、投石機のそばでは石が積み上げられた。


 ジェラールが川岸を歩いていた。


 盾を並べる兵に声を掛け、高台を見上げ、伝令を一人送り出す。足を止めた時には、下流を見ていた。


 ガストンが騎兵隊を集めた。


「ここからは待機だ。敵の上陸地点が分かり次第、我々はそこへ向かう。勝手に隊を離れるなよ」


「了解!」


 イリスは馬へ跨がった。


 荷を積んでいた時とは違い、身体の下で馬が軽く動いた。手綱を整え、隣へ来たセシルと間隔を取る。


 ローザは鞍の前へ乗り、イリスの腕の間から川を見ていた。


 待った。


 川岸を歩く兵士がいた。盾を置き直す音がした。


 風が水面を渡り、高台の天幕を揺らした。


 イリスは指を一度開き、手綱を握り直した。


 まだ、何も見えなかった。


 やがて、街道の向こうで蹄の音がした。


 速かった。


 振り向くと、一人の騎兵が坂を下ってきていた。


「伝令です!」


 ガストンが馬首を向ける。


 伝令はその前で馬を止めた。息を整える間もなく、声を張り上げた。


「下流の見張りから報告! ヴァイキングの船団を確認しました!」


 ルノーの声が止まった。


 セシルが手綱を引き寄せた。


「船の数は?」


「十隻ほどです! こちらへ向かって川を遡っています!」


 ガストンが川岸へ顔を向けた。


 兵士がすでにジェラールのもとへ走っていた。父は報告を聞き、すぐそばの男へ何かを命じる。


 角笛が鳴った。


 川岸にいた者たちが動いた。


 休んでいた歩兵が立ち上がり、盾を持った。高台へ駆け上がる者がいる。荷車を退かせる声がして、道に残っていた兵が脇へ寄った。


 イリスの馬が耳を立てた。


 前へ出かけた馬を、手綱で落ち着かせる。


「ローザ」


「分かってる」


 短い返事があった。


 イリスは頷き、剣の柄へ手を添えた。


 隣のセシルも、もうこちらを見ていなかった。


 全員が下流へ顔を向けていた。


 木々に隠れた川の曲がり角。


 その向こうから、十隻が来る。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。