第8話 宮廷魔導師の日常
「アルデバラン様」
王宮の中庭で、声をかけてきたのは、若い文官らしき青年だった。胸元の紋章から、魔導省所属のようだった。
「ごきげんよう。どうかなさいまして?」
「あの、グレイフィア卿の婚約者様ですよね。少し、お話ししてもよろしいでしょうか」
わたくしが頷くと、青年は少し照れくさそうに切り出した。
アシュレイとの婚約が正式に整ってから、わたくしが王宮へ足を運ぶ機会は、殿下と婚約していた時と変わらず多かったのだ。
「先日、グレイフィア卿には大変お世話になり、ありがとうございました」
「あら、そんなことが」
「ええ。私が担当していた封印の不具合の原因追及に夜通し付き合って頂きまして、本当に助かりました」
「……夜通し、ですか?」
「はい。翌朝、卿は、いつも通りに平然と次の業務に入られていて。本当に、頭が下がる思いでした」
青年は、心底尊敬しているといった様子で、そう語った。
(アシュレイ様が、そんなことを……)
わたくしの中の彼の印象と、あまりにもかけ離れた話だった。
「さらに、ですよ」文官は感極まったように体を乗り出す。
「その成果は、すべて自分のものとして報告するようにと仰いまして。……本当に、できた方です」
「そうでしたのね」
是非、よろしくお伝えくださいと去っていく文官の背を見送る。
自分の手柄にせず、部下の功績として立てる。夜通し付き合っても顔色一つ変えない。
それは、わたくしが知っている、飄々として掴みどころのない、あの男の姿とは、また違う一面だった。
◇◇◇
別の日も、似たような話を耳にすることが度々あった。
侍女の一人は、「グレイフィア卿は、いつも私たちの名前をきちんと覚えてくださいます」と、感激した様子で語っていたし、宮廷魔導師団の別の団員は、「難しい任務ほど、真っ先に自分から引き受けてくださる方です」と、誇らしげに話していた。
どの話も、共通して、彼の「冷静で完璧な仕事ぶり」を語ってはいたが、決して「冷徹」という言葉では片付けられない、細やかな気配りが端々に感じられた。
(あの人が、本当に――)
前世で、わたくしを容赦なく手にかけた男なのだろうか。
考えれば考えるほど、二つの像が、うまく重ならなかった。
◇◇◇
その日も、授業を終え、渡り廊下を歩いていると、ちょうど向こうから、アシュレイが歩いてくるのが見えた。
いつもの、宮廷魔導師としての正装。傍らには、先ほどの若い文官の姿もある。
「――以上の点を修正すれば、問題ないはず。何かあれば、いつでも聞いてください」
低く、淀みのない声で指示を出す横顔は、やはり、私的な場での彼とはまるで別人のようだった。
(本当に、不思議な方ですわ……)
感心しながら見つめていると、ふと、アシュレイがこちらに気づいた。
「あ」
その瞬間、彼の纏う空気が、目に見えて緩む。
「ローゼリア嬢」
先ほどまでの、淀みのない指揮官の声から一転、聞き慣れた飄々とした調子に戻る。
「お疲れ様。今日も可愛いね」
「――ッ!?」
あまりの変わり身の早さに、わたくしは思わず言葉に詰まった。
傍らの文官が、目を丸くしてこちらを見ている。おそらく彼にとっても、これほど砕けた上司の姿は珍しいのだろう。
「あ、あの、公務中では……」
「うん、今、休憩にした」
悪びれもせずそう答えたアシュレイに、わたくしはがっくりと肩を落とした。
(さっきまでの、あの立派な上司の姿は、一体どこへ……)
周囲からどれほど慕われ、尊敬されていようと、わたくしの前でだけは、この調子が崩れない。
それが、いっそ、少しだけおかしくもあった。
(本当に、よく分からない人だわ……)
こちらに会釈し、立ち去っていく文官の背中と、呑気に笑いかけてくるアシュレイを見比べながら、わたくしは、小さく笑みをこぼした。




