第7話 高貴で純粋な魂
「失礼いたします」
アシュレイが正式な挨拶のために我が公爵家を訪れた。
応接間に通された彼は、いつもの飄々とした調子とは打って変わって、きっちりとした礼装に身を包んでいる。その姿だけを見れば、非の打ちどころのない、優雅な貴公子そのものだった。
(見た目は、本当に立派ですわね……)
わたくしは、内心でそんなことを思いながら、ソファの隅で控えめに座っていた。
「この度は、突然のお申し出にもかかわらず、快くお受けいただき、感謝いたします」
アシュレイは、父に向かって恭しく一礼した。
「いやいや、こちらこそ、娘に目をかけていただき光栄の至りだ」
父は、満面の笑みでそう返す。昨日までの重々しい空気は、もはや微塵も残っていなかった。
「して、アシュレイ殿。差し支えなければお聞きしたいのだが、娘のどのあたりを見初めていただいたのだろうか」
父の何気ない問いに、わたくしの心臓が跳ねた。
(お、お父様、なぜそれを聞きますの……!)
アシュレイは、少し考えるような素振りを見せてから、静かに口を開いた。
「あの、高貴で純粋な魂の持ち主に出会って、私は初めて愛を知ったのです」
「……は?」
わたくしは、思わず素っ頓狂な声を上げそうになるのを、すんでのところで飲み込んだ。
(高貴で純粋な魂って、一体どなたの話ですの――!?)
前世のわたくしを知っている者からすれば、噴飯物の評価だろう。だが、目の前のアシュレイは、至って真面目な顔でそう言い切っている。
「おお、そうか、そうか!」
父は、すっかり感激した様子で頷いていた。母もまた、目を潤ませてこちらを見つめている。
(お父様、お母様、それは違いますわ……!!)
訂正したい気持ちを抑えつけながら、わたくしはただ引き攣った笑みを浮かべることしかできなかった。
◇◇◇
「さて、この後は若い二人で」
和やかな歓談の後、両親はささっと席を外した。
気を利かせたつもりなのだろう。けれど、わたくしにとっては、二人きりにされることこそが、最大の懸念事項だった。
「……」
沈黙が落ちる。
向かいに座るアシュレイは、こちらをじっと見つめていた。その視線から逃れるように、わたくしは自分の膝の上に視線を落とす。
「ねえ」
「な、何ですの?」
「どうして、そんなに驚いた顔をしているの?」
「え?」
「僕が求婚すると思ってなかった?」
アシュレイは、心底不思議そうに首を傾げた。
「そ、それは!」
思わず、声が裏返る。
「言ったでしょう。僕は君が好きだからね」
「それは一体、いつからですの?」
「……昔から?」
「なぜ、疑問形!?」
思わずそう聞いてから、わたくしは自分の反応に戸惑った。
昔から、というのは、一体いつのことを指しているのだろう――?
(いえ、深く考えるのはやめましょう)
これ以上、この男の真意を掘り下げようとしても、仕方がないような気がした。
「そういえば」
アシュレイが、思い出したように懐から小さな箱を取り出した。
「これ、君に」
「な……」
差し出された箱の中には、上質な布地の上に、美しい紫色の宝石があしらわれた指輪が収められていた。
「こ、こんな高価なものを……」
「だって、婚約するんだし」
あまりにも当然のことのように言われ、言葉に詰まる。
「ま、まだ、お返事しておりませんわ」
思わず、そう口にしてしまった。
特に深い意図があったわけではない。ただ、あまりにも話が急展開すぎて、心の整理が追いついていなかっただけだ。
だが、その一言を聞いた瞬間、アシュレイの纏う空気が、明らかに変わった。
「……へ?」
彼の声から、先ほどまでの飄々とした軽さが、すっと消える。
「断わるつもり、なの?」
その声は、決して荒らげているわけではなかった。だが、体感温度が三度は下がったような、ひやりとした気配が漂っていた。
(ひ、ひぇーーーっ!!)
わたくしは、青ざめて、両手で自分の口を覆った。
「い、いえ、そういうわけでは……ただ、その、心の準備というものが……!」
しどろもどろに弁明すると、アシュレイは、ふっと表情を緩めた。空気が、元へと戻る。
「ああ、うん。確かに、そうだね」
彼は、静かに頷いた。
「人生の中でも大きな出来事だから、慎重に考えないとね」
「あ……」
あまりにもあっさりと引き下がられ、わたくしは拍子抜けした。
内心ではほっと胸を撫で下ろす。無理強いされずに済んで安堵する。
「ああ、そうだ!」
アシュレイは、何かを思い出したように、もう一つの小箱を懐から取り出した。
「これ、付けてあげるよ」
「け、結構ですわ」
反射的に断ろうとしたが、彼は構わずに箱を開けて見せる。中に収められていたのは、銀の鎖に、淡い青色の魔石をあしらった首飾りだった。
「遠慮しなくていいよー」
アシュレイは、にこやかにそう言いながら、続けた。
「これ魔石なんだけど、君の居場所わかるように魔力を込めてあるんだ」
「ひ、ひゅっ!!」
全身に鳥肌が立つ。
(それは、監視装置というものではっ!?)
「だから、外しちゃだめだよ」
念を押すように、優しい声でそう言われる。
「ど、どうして、わたくしの居場所を、知る必要がございますの!?」
「だって、また急にいなくなったら困るし」
あまりにも真っ当な理由を、あまりにも自然な調子で返され、わたくしは反論の言葉を失った。
確かにそれはどうだけども、常時、監視しなくてはいけないほどのことかしら?
「だとしましても……」
「はい、これで完了」
言葉を選んでいる間に、アシュレイはさっさとわたくしの首元にネックレスをかけてしまった。
「!!!」
冷たい石の感触が、鎖骨のあたりに触れる。
「うん。よく似合ってるね」
満足げに微笑むアシュレイを前に、わたくしは小さくため息をついた。
(これで逃げ隠れできなくなりましたわ……一日中……)
これからの婚約生活がどうなるのか、見当もつかなかった。




