第5話 これで心置きなく、君を堕とせる
「はい、一人目」
床に叩きつけられた刺客が呻き声を上げる間もなく、アシュレイは指先を一つ動かした。
刺客の体は見えない縄で縛り上げられたかのように動けなくなった。
「で、次は――」
独り言のような呟きとともに、彼の視線が、天井近くのシャンデリアの陰へと向けられる。
「そこ」
短い言葉と同時に、光の矢が一直線に飛んだ。
「ぐああっ!」
悲鳴とともに、もう一人の黒装束が天井付近から落下し、床に転がる。護衛たちが慌ててそちらへ駆け寄っていった。
「後は――逃げたか」
あまりにもあっさりとした決着だった。
会場中が静まり返る中、アシュレイはようやく緊張を解いたように、軽く肩を回した。
「ふう。一匹逃しましたが、終わりです」
まるで、面倒な書類仕事を一つ片付けたときのような、あまりにも軽い口調。だが、今しがた目の当たりにした光景は、決して片手間で済むような芸当ではなかった。
(すごい……)
わたくしは、思わず息を呑んだまま、その様子を見つめていた。
冷静沈着な宮廷魔導師の姿。あれは見せかけではなかったのだ。
◇◇◇
混乱が収まった会場に、程なくして落ち着きが戻ってくる。
護衛たちに拘束された刺客たちは、そのまま連行されていった。会場の中央では、王太子エドヴァルド殿下が、動揺を隠しきれない様子で立ち尽くしている。
「アシュレイ。世話になった」
「いえ、職務ですので」
あくまで淡々と答えるアシュレイに、殿下は苦笑を浮かべた。
「お前のその調子、こういうときも崩れないのだな」
周囲の貴族たちからも、安堵の空気が広がる。誰もが、王太子の命が救われたことに胸を撫で下ろしていた。
「して」
エドヴァルド殿下が、居住まいを正す。
「此度の働き、褒賞を取らせよう。何か望みはあるか」
その問いに、アシュレイは一瞬だけ、こちらへちらりと視線を向けた。
(な、なぜこちらを見ますの――?)
嫌な予感が、背筋を這い上がる。
「それでは、遠慮なく」
アシュレイは、膝をつき殿下へ向き直った。
「ローゼリア・フォン・アルデバラン嬢との婚約を、解消していただきたく存じます」
その一言に、会場がざわめいた。
「――は?」
殿下も、思わず声を漏らす。
「エドヴァルド殿下が。ご自身で、彼女を娶りたいわけではないと、伺っておられたかと」
「そ、それは確かに、そうだが……」
殿下は、しばし言葉を探すように黙り込んだ後、こちらへ視線を向けた。
「ローゼリア嬢。そなたに、異存は」
(あ、あるわけがございませんわ……!!)
内心の叫びを抑え込み、表面上は淑女らしく取り繕う。
「……殿下のお心のままに」
「ふむ。よかろう。――では、私とローゼリア・フォン・アルデバラン嬢の婚約を解消する」
(え? ……ほ、本当ですのっ!?)
思わず、声が出そうになった。
(や、やったーーーっ!! 断罪回避ですわ――!!)
内心では、歓喜の雄叫びを上げていた。
ようやく、これで肩の荷が下りる。前世と同じ道を、たどらずに済むんだわ。
「ところで、アシュレイ。お前、女性に興味があったのだな」
エドヴァルド殿下は、どこか感慨深げにそう漏らした。
これまで、アシュレイにその手の話がなかったのだろうか。
「殿下、それは失礼ですよ」
「間違っていないだろう? これまでを考えれば、妥当な言葉と思うが」
「私はこう見えて一途なんですよ」
「「……は?」」
わたくしと殿下は、同時に間の抜けた声を漏らした。
「……そ、そうか、分かった、下がっていいぞ」
殿下は、鼻白んだ様子で、それ以上追及するのをやめた。アシュレイは、恭しく一礼する。
「ありがとうございます、殿下」
そして、こちらへ向き直った。
近づいてくるその顔には、これ以上ないほど晴れやかな笑みが浮かんでいた。
「ローゼリア嬢。これで、心置きなく、君を堕とせる」
「――は?」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
ぽかんとしている間に、右手を取られてその甲に軽く口付けが落とされる。
「期待していてくださいね」
「!!!」
にっこり笑って、わたくしの手をひと撫でして離した。
再び、ざわめき始めた会場のど真ん中で、呆然と立ち尽くす。
王太子殿下との婚約解消の喜びも束の間、さらなる大問題が発生した瞬間だった。




