第4話 悪役令嬢じゃない私
(緊張しますわね……)
王宮の大広間は、いつにも増して華やかだった。
シャンデリアの灯りが、磨き上げられた大理石の床に反射し、行き交うドレスの裾がきらきらと揺れる。今宵は、王家主催の舞踏会。婚約者として、わたくしも当然のように招かれていた。
豪奢な衣装に身を包みながら、わたくしは内心、冷や汗をかいていた。
前世では、夜会は、大抵、地獄だった。
王太子妃の座を脅かす存在がいないか、常に目を光らせ、少しでも殿下に近づく令嬢がいれば、あの手この手で追い落とす。今思えば、我ながらどうかしていたと思う。
(もう絶対に、あんなことは繰り返しませんわ)
固く心に誓いながら、エドヴァルド殿下の後ろで静かに佇む。
「ごきげんよう、アルデバラン様」
声をかけてきたのは、侯爵家の令嬢だった。以前、王太子殿下と親しげに話していた姿を見かけたことがある。
昔のわたくしなら、真っ先に排除の対象として見定めていただろう相手だ。
「ごきげんよう。今日のドレス、とても素敵ですわね」
口から出たのは、ごく自然な世間話だった。
我ながら驚くほど、何の敵意も湧いてこない。相手の令嬢も、特にこちらを警戒する様子はなく、和やかに会話が続いていく。
(あら、そういえば……)
ふと、気づく。
今宵の夜会で、わたくしは誰のことも敵だと思っていない。
王太子殿下の周りに、どんな令嬢がいようと、正直、どうでもいい。婚約者としての立場さえ、内心では一日でも早く手放したいと願っているくらいなのだから、当然と言えば当然だった。
(こんなにも違うのですわね……)
権力への執着は、もうどこにもない。
あの日、命を落とす瞬間に悟った通り、生きていることそのものの方が、よほど大切だと、心の底から理解している。
「アルデバラン様は、随分と余裕がおありなのね」
別の令嬢が、少し驚いたような顔でそう言った。
「以前は……いえ、なんでもございませんわ」
言いかけてやめる。おそらく、何か知っているわけではなく、単に社交界での噂話を口にしかけただけなのだろう。
(今のわたくしは、悪役令嬢とは呼ばれておりませんものね……)
それが、せめてもの救いだった。
◇◇◇
夜会は、順調に進んでいた。
王太子殿下は、会場の中央で、居並ぶ貴族たちと社交辞令を交わしている。その様子を後ろから眺めながら、わたくしは、平穏を味わっていた。
(このまま、何事もなく終わってくれれば――)
その願いは、しかし、長くは続かなかった。
夜会も終盤に差し掛かった頃、目の前で悲鳴が上がった。
「きゃあああっ!」
「な、なんだ――!」
王太子殿下の周囲が、突如、騒然する。
どこから現れたのか。突然、黒装束に身を包んだ人影が、殿下に向かって刃を振りかざそうとしていた。
「殿下!」
護衛たちが慌てて動くが、間に合いそうにない。
(う、噓――)
わたくしも、その場に凍りついた。
前世の記憶にも、こんな出来事はなかった。まったく予測していない事態。
会場中が悲鳴と怒号に包まれる中、誰もが逃げ惑い、その場に立ち尽くすことしかできない。
わたくしもまた、ただ息を呑むことしかできなかった。
しかし、そのとき。
銀色の光が、視界の端を過った。
「――遅いよ、それ」
聞き覚えのある、涼やかな声。
次の瞬間、黒装束の刺客は、目に見えない力に弾かれたように、派手な音を立てて、床に叩きつけられていた。




