第2話 殺し文句が物騒すぎる件
「ご……ごきげんよう!」
全力で走りだす。
生まれて初めて、作法も礼儀もお構いなしで、走った。以外に足が動く。人間、命がかかると大抵のことはできるものなのか。
「あ、ちょっと」
背後から、相変わらず呑気な声が追いかけてきた。
振り返る余裕はなかった。とにかく、あの男から少しでも離れなければ。
通りの角を曲がり、洗濯物が翻る路地を抜け、市場の雑踏に飛び込む。人混みに紛れれば、多少は撒ける、はず。
そう思ったけれど――。
「はーい、捕まえたっ」
気づけば、目の前に彼が立っていた。
「――ッ!?」
悲鳴を飲み込む。
背後にいたはずの男が、なぜ正面にいるのか。突然止まれるはずもなく、わたくしはたたらを踏んでその場に転がった。
「な、なぜ、先に――」
「ん? 近道しただけ」
石畳に転がったわたくしと視線を合わせるように、アシュレイはしゃがんで微笑んだ。
近道って、魔術でもできるのね?!
反則だ、と抗議したいところだが、変装して逃げ出したわたくしも公平とは言えず、何も言えなかった。
「ねえ、結構、王都大変だよ」
「な、何がですの」
「君が失踪したから」
その一言に、心臓が跳ねる。
「て、手紙、置いてきましたわ」
「あー、だからか。アルデバラン公爵がコソコソ探してるの」
父の名前を出され、ぐっと言葉に詰まる。でも、わたくしの探索は大掛かりにしていないのね。
「……騙しましたわね?」
「騙してない、騙してない」
アシュレイは、両手を軽く上げて肩をすくめる。悪びれた様子は、やはり一切ない。
「……じゃあ、どうして、わたくしのことを」
「だって、君の気配、消えちゃったから」
「……」
「だから、探しに来たと?」
「うん、そうそう」
にこにこしながら、あっさりと頷かれ、力が抜けそうになる。
――でも、そうだ。
この男は、王太子の命令を受けて動く、忠実な駒だ。
だとすれば、今世でこうしてわたくしを追いかけているのも、何か命令があってのことなのだろうか。
(まさか、今度も、始末しに来たのでは――)
そう思い至った瞬間、背筋が凍った。
「……もしかして」
「ん?」
「殿下の……ご命令、ですの?」
「殿下?」
アシュレイは、心底不思議そうに首を傾げた。
「なんで、エドヴァルド殿下の名前が出てくるの」
「だ、だって……」
言い淀む。前世の記憶を口にするわけにはいかない。
「僕は僕の意思で来たんだけど。誰かに言われて動くの、あんまり好きじゃないし」
その声には、迷いも取り繕いもなかった。まっすぐに向けられる視線に、なぜか居た堪れなくなる。
「君がどこにいるか分からなくなるの、結構、怖いんだよね」
「……え?」
「地の果てまでだって、探しに行くつもりだったよ」
あまりにも自然な口調で、そんな重すぎる台詞が飛び出してくる。
「な……」
わたくしは、口をぱくぱくとさせた。
さっき、わたくしを好きと言ったけれど。
世の中には殺し文句、というものがあるらしいが、これは、この男の口説き文句なのだろうか?
だとすると、物騒すぎないかしら?
地の果てまで追いかける、などと、爽やかな笑顔で言われても……。
「そ、そういうのは、普通、怖がられますわよ!」
「え、そう? 僕なら、嬉しいけどなー」
「わたくしが言っているのは、常識の話ですわ!」
思わず声を荒げると、アシュレイはきょとんとした顔をした後、おかしそうに笑った。
「ふふ、怒った顔も可愛いね」
「話を聞いていらっしゃいます!?」
もはや、何を言っても暖簾に腕押しだった。
この男には、常識という概念そのものが搭載されていないのかもしれない。
ふと、周囲がざわつき始めていることに気づいた。
「ローゼリアお嬢様!!」
聞き覚えのある声。振り返ると、公爵家の紋章が入った外套を纏った男たちが、こちらに向かって駆けてくるのが見えた。
うちの使用人もここまで来ていたのか。
「あ……」
「お捜ししました! ご無事で――」
あっという間に囲まれ、有無を言わさず馬車へと促される。
そして、わたくしの逃亡生活はあっけなく幕を閉じた。
「じゃあ、また今度ね」
馬車に押し込まれる寸前、アシュレイがひらひらと手を振るのが見えた。
その顔には、微塵も敗北感も、名残惜しさすらもない。むしろ――
(絶対、面白がっていますわね、あの男……!)
わたくしは、馬車の窓越しに睨みつけたが、当のアシュレイはただ楽しそうに笑い返してくるだけだった。
◇◇◇
彼女を乗せた馬車が遠ざかっていくのを、アシュレイはしばらくその場に立ったまま眺めていた。
(――前の僕を覚えてる?)
先ほどの、彼女のあの怯えよう。まるで、こちらの正体を知っているかのような反応だった。
もちろん、そんなはずはない。禁術による死に戻りは、他人に悟られるはずのないよう、術そのものが縛りが掛かる。
だが、彼女の目は、時折、何かに怯えるかのような色を帯びる。
その理由が知りたくて、たまらなかった。
「……ま、いいか」
アシュレイは、独り言のように呟くと、ふっと口元を緩めた。
「焦らなくていい。まだ、時間はある」
――そう自分に言い聞かせる。
今はまだ、大丈夫だ、と。




