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悪役令嬢、婚約破棄したら殺した張本人に求婚されました  作者: ましろゆきな
第三章 歩み寄る二人

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第10話 初めての「楽しい」

「今日は、街に出かけてみない?」


 唐突にそう切り出されたのは、いつものお茶会の席でのことだった。


「街に?」


「うん。たまには、婚約者らしいこと、してみたいなって」


 アシュレイは、あっけらかんとした調子でそう言った。


 わたくしは、内心で身構えた。婚約者らしいこと、という言葉の響きに、警戒するのは、これまでの彼の言動を考えると仕方がなかった。


「……何を、なさるおつもり?」


「別に、変なことじゃないよ。ただ、街を歩いて、美味しいものでも食べようかなって、それだけ」


 あまりにも普通の提案に、わたくしは拍子抜けした。


 考えてみれば、これまで彼と過ごす時間の大半は、公爵家の応接間か、王宮の廊下だった。それ以外の場所で、二人きりで出かけたことは、一度もない。


「……分かりましたわ」


 断る理由も、特に見当たらなかった。

 

 ◇◇◇


 簡素な服に着替え、二人で城下に降り立つ。


 この格好で街を歩くのは、あの逃亡騒動以来だった。


(あの時は、必死に逃げ回っていましたのに……)


 今は、隣を歩くアシュレイに、逃げ出そうという気持ちは微塵も湧いてこない。


 その違いに、わたくしは、少しだけ苦笑した。


「あ、あそこ、串焼きの屋台があるよ」


 アシュレイが指さした先には、香ばしい匂いを漂わせる屋台があった。


「食べたことある?」


「い、いいえ、そのようなもの……」


 貴族令嬢が屋台の食べ物に手を出すなど、これまで考えたこともなかった。


「じゃあ、初めてだね」


 嬉しそうにそう言うと、アシュレイはさっさと屋台へ向かい、二本の串焼きを買ってきた。


「はい、どうぞ」


「あ、ありがとう、ございます……」


 差し出された串を、恐る恐る受け取る。


 香ばしいたれの匂いが、鼻をくすぐった。


「熱いから、気をつけて」


 その言葉に頷いて、アシュレイが食べるのをまねて、小さく一口かじる。


「えっ、美味しい……!」


 思わず、そう声が漏れた。


 これまで食べてきた、繊細な味つけの料理とはまるで違う、素朴で力強い旨味が味覚を刺激した。何の変哲もない屋台の串焼きは、驚くほど美味しかった。


「でしょ? 僕たちは遠征にも行くから、こういうのは慣れてるけど、深窓の令嬢は、まあ、驚くよね」


 アシュレイは、満足げに笑いながら、自分の串焼きも頬張った。


 貴公子然とした彼が、街角で串焼きを頬張っている姿は、なんとも不思議なのに、なぜか、しっくり来てもいた。


 ◇◇◇


 その後も、二人で市場を巡った。


 花屋の店先で、色とりどりの花を見比べたり、露店の装飾品を眺めたり。特別なことは何もしていないのに、時間が過ぎるのが、驚くほど早く感じられた。


「あ、見て。あれ、面白い形の飴細工だよ」


 アシュレイが、子供のように指さした先には、動物の形を模した飴細工の屋台があった。


「本当ですわね。あの、龍の形をしたものなど、随分と精巧ですこと」


「買う?」


「い、いえ、そこまでは――」


 遠慮しようとしたが、アシュレイはすでに屋台の主人へと声をかけていた。


「もう……」


 わたくしは、小さくため息をつきながらも、その様子を眺めていた。


 不思議と、嫌な気持ちにはならなかった。


(いつもの強引さ、なはずですのに……)


 押し付けがましいはずのその振る舞いが、今日はどこか、微笑ましく感じられる。


「はい、どうぞ」


 手渡された龍の飴細工を、わたくしはしげしげと眺めた。


「ありがとう、ございます」


「うん」


 二人で並んで歩きながら、他愛のない話を続ける。


「小さい時さ、こっそり邸を抜け出して、街に遊びに来たことあったんだけど、いなくなったのがばれて、こっぴどく叱られたんだよね」


「まあ」


「でも、懲りずに隙を見ては遊びに行ってね。今思うと、もっと上手にやればよかったよな」


「ふふふ、子供には無理じゃないでしょうか」


「まあ、そうだよねー。僕も今みたいに賢くなかった」


「あら」


 アシュレイの言葉に、くすくす笑ってしまう。最年少で宮廷魔術師になった天才でも、そんなやんちゃな時代があったことが面白かった。


 街を歩きながら、ほかにも、宮廷魔導師団の意外と緩い休憩時間の過ごし方、最近読んだという古い魔導書の話と話題が尽きなかった。


 そのどれもが、これまで知らなかった彼の一面で、わたくしは、いつの間にか、身を乗り出すようにして話を聞いていた。


 ◇◇◇


 日が傾き始めた頃、わたくしたちは、噴水の縁に並んで腰掛けていた。


「今日は、楽しかった?」


 ふと、アシュレイがそう尋ねてきた。


「え……」


 わたくしは、その問いに、一瞬、答えに詰まった。


 いつもなら、控えめな返事をするところだった。


 だが、今日ばかりは、そんな取り繕った言葉が、自然と浮かんでこなかった。


「……はい」


 わたくしは、小さく、けれどはっきりと頷いた。


「楽しかった、ですわ」


 自分の口から零れたその一言に、わたくし自身が、一番驚いていた。


 はっきりと、楽しい、と思った。そのことに、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「そっか」


 アシュレイは、それだけ言って、柔らかく笑った。


 その笑顔を見つめながら、わたくしは、自分の中に芽生えたこの感情の正体に、まだ、名前をつけられずにいた。


 ただ、隣に座るこの人との時間が、思っていたよりもずっと、心地よいものだということだけは、確かだった。

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