閑話 流霞の帰省
夏休みの最後。
前半は予期せぬ入院と検査の諸々のせいでまるっと潰れてしまったため、せめて一度は顔を出そうとたった一人でこの場所にやってきた流霞は、見慣れた光景に奇妙な緊張のようなものを覚えつつも、そっと敷地の中に足を踏み入れた。
かつての〝家〟――つまりは、流霞が育った施設。
こじんまりとしていて、決して大きくないこの建物は二桁に届かない程度の子供を預かる、本当に小さな国家認定ダンジョン災害孤児院である。
3階建ての建物。
一般家庭に比べれば少しばかり広めではあるものの、けれど、孤児院としては決して大きいとは言えない建物の入口の門を開いて中に入ると、嗅ぎ慣れた懐かしいニオイが鼻腔をくすぐった。
そんな建物の中、入ってすぐ右手にある事務室を覗き込むと、そこには流霞の見覚えのある人影があった。
「――先生、ただいまぁ……」
少しだけ自信なさげに、けれど、流霞にしては珍しくハッキリとした声に、事務室の中にいた女性が顔をあげて振り返る。
そうしてしばし、怪訝そうな表情を浮かべてみせた女性が立ち上がり、事務室横の扉から出てきて、じっくりと流霞を見つめた。
「ぇ、と……ただ、いま……?」
「その言い方……なんだい、流霞じゃないか。アンタ生きてたのかい」
「生きてたが!? 久しぶりなのに開口一番それっ!?」
「馬鹿言ってんじゃないよ、久しぶりって、たかが4ヶ月そこらじゃないか。この馬鹿娘が。連絡一つ寄越さないたぁいい度胸じゃないか」
近づいてくるのに合わせて流霞が帽子とサングラスを外せば、先生と呼ばれた三十代前半から中盤程度といった年齢で、些か筋肉質な女性が、ぐりぐりぐり、と流霞の頭を撫で回した。
彼女こそ、流霞の面倒を見ていた女性であり、流霞を鍛えていた女性、伊庭 蓮迦である。
「痛っ!? いたたたっ、ちょっ、先生……!? 痛いって――!」
「――おかえり、流霞」
決して、特別優しい声色という訳でもなかった。
ただ、当たり前のように迎え入れる、聞き慣れていたはずの声が、じんわりと流霞の胸に沁み込むようで、流霞がふっと口角をあげた。
「――うん、ただいま」
「ほら、積もる話もあるだろ。中に入っておいで。あ、来客用のスリッパはいつものとこだよ」
「ぁ、うん」
「それと、アンタの使ってた部屋、もうないから。ちゃんと今日は帰るんだよ?」
「っ!? ぁ、そっか。そうだよね。ここ、施設だもんね」
「そういうことだよ。ま、入っといで。応接用のソファーに座ってな。お茶ぐらいは出してやるさ」
「……うん!」
靴を脱いで来客用の使い捨てスリッパが入った袋をごそごそとして取り出し、履き替えた流霞がペタペタと歩いていく。
事務室内部に入り、そのまま流霞がいそいそと小走りするようにソファーに近づくと、無遠慮にどかっと腰を下ろした。
にへへ、と僅かに口角をあげてソファーの感触を楽しむ流霞を見て、蓮迦が呆れたように笑う。
「何してんだい、アンタは」
「え? ぇと、ほら。このソファー、お客様用だからって座らせてくんなかったじゃん」
「そりゃあお客様用だからね」
「でしょ? 今、私、お客様」
「カタコトの外国人みたいな言い方してんじゃないよ。っていうか、アンタなんだい、その頭と目は。最近はそういうの流行ってんのかい? ――ほら、お茶」
「ぁりがと。髪と目はダンジョン因子の影響だよ。あ、これ、お土産」
「お、いいもん持ってんじゃないか。どれ、開けちまおう。――にしても、ダンジョン因子でそこまで変わるってのも珍しいね。どうなってんだい?」
「えとね? ここから出てから――」
流霞は語っていく。
高校に入り、ダンジョン探索を本格的に始めたこと。
そうして偶然にもクラスのギャルを助け、ギャルたちに絡まれ、ギャルの仲間になったという経緯を。
クランを設立した仲間たちと、自分たちの活躍を、母親に話す子供のように、時折早口になったり、支離滅裂になりながら。
そんな話を聞きながら、流霞が買ってきたお土産のまんじゅうをぱくぱくと食べつつ、蓮迦は最初は穏やかに、時には褒めながら聞いていた。
そうして、ようやく話はこの夏の〝指定ダンジョン〟での一件に関する話になっていくにつれて、蓮迦は次第に無表情、無言になって話を聞いていた。
「――でね、今日は時間が空いたから、ちょと、寄った」
「……なるほどね」
「うん」
「じゃあ、これからそのクソくだらない真似をした探索者協会に殴り込みに行ってぶっ潰すってんだね? いいだろう、力を貸そうじゃないか」
…………。
「うん……うん? あれ? 話聞いてた?」
「聞いていたさ。ぶっ潰すよ」
「い、いやいやいや……。御冗談を……」
「は? アタシは本気だが?」
「余計タチ悪くて草」
「何が草だい。引っこ抜くぞ」
「いや、うん。落ち着いて? SNSで色々言ってる人とか、どこにいるかも分からないじゃん」
「片っ端から脅して確認すりゃいいだろ?」
「いい訳がない」
蓮迦の発言に「やっぱこうなったかぁ」と流霞は思う。
何を隠そう、流霞の脳筋的な思考がどこからやってきたかと言えば、この蓮迦からの影響が非常に大きいのである。
そんな彼女が煩わしい話を聞こうものなら、「あれこれ考える前に四の五の言わせずぶっ潰す」という、非常に分かりやすい答えに行き着くタイプだ。
そんな蓮迦に話を聞かせれば、当然こうなるであろうことは予測できたのだ。
だから流霞も落ち着いている。
「探索者協会は公式に謝罪を出すし、SNSとかで色々言われてるのは、今度の秋にやる〝第23回 全国新人探索者パーティ対抗戦〟っていうので払拭するから、大丈夫だよ」
「……チィッ。まあアンタがそう言うなら、それでいいさ。キッチリシメておいで」
「言い方が物騒」
「いいかい、流霞。馬鹿ってのはね、当たり前のことが分からないから馬鹿なんだよ。そんなヤツに正攻法で黙らせたって、なんも治らないのさ。だって相手は馬鹿だからね。言って分かるようなら最初っから馬鹿になんてなりゃしないんだよ」
「真剣な顔で馬鹿を説かれるとは思わなかった」
旧交を温める、とでも言うべきか。
もっとこう、ハートフルな話が始まるのかと思えば、ハートもろともフルボッコにしろと推奨されているような状態である。
結論から言えば、この後、流霞は蓮迦が落ち着くまで色々なことを話し続け、なんとか納得してもらうにはもらえたのだが、それは数時間ばかり話し込み、夏だというのにすっかり陽が傾くような時間までかかったのであった。
――……なんか、前まで当たり前に一緒にいたのに、疲れた気がする……。
そんな感想を抱きながら、流霞は一人帰宅した。




