適合反動 Ⅱ
《――〝椿〟、応援を頼む! 〝適合反動〟だ!》
叫ぶような〝虎〟の声。
突然かかってきた通話を開いてみれば、即座に響いてきた声に、〝椿〟は己の耳を疑った。
――〝適合反動〟……! レベルの枷を飛び越えた、いわゆる狂化状態か!
理解が及ぶとほぼ同時に、暴風がスピーカーに当たるような音が聞こえたかと思えば通話が途切れ、〝椿〟は「ふむ」と小さく声を漏らした。
――あの〝虎〟が慌てて此方に援護を頼むほどの〝適合反動〟。相手は、保護しているという少女か。
それは〝椿〟にとっても意外だった。
親しい友人のような付き合いはなく、あくまでも同じ組織の仲間という程度の付き合いでしかないが、〝虎〟の実力は組織内でも上から数えた方が早い。
そんな彼が、援護を求めるなど、いくら〝適合反動〟といえど考えられない。
――さて、〝虎〟の実力であればどうとでもなるはず。しかし、それができない、か。つまり、手加減はできない相手ということか。
その事実を前に、〝椿〟の中の闘争心が静かに疼く。
「――〝椿〟さん。ありがとうございました。あとは我々が彼女たちを守りますので」
「む? あいや、問題はない」
「ありがとうございました、何もなく済みました」
声をかけてきたのは、先程この地へと到着したばかりの『明鏡止水』の面々を代表した、雅の長姉である柚芭だ。
レベル5であり、〝椿〟と同じように刀を得物としているため、是非とも手合わせ願いたいところであるが、今はそれどころではなさそうだ、と〝椿〟は意識を切り替えた。
「謝礼についてですが――」
「――すまぬが、今はそれよりも急ぎの用事ができた。中で何かが起こったようで、仲間に呼ばれているのだ。此方の入場を見逃してもらっても? 謝礼というのなら、それで構わぬ」
「え? それは構わないですけど……ですが、それだけでは……」
「あっ、謝礼だったらあーしが今度その袴装備の『魔導防具』作るし!」
「いや、謝礼は特に構わぬのだが……その、まぎあぎあ、とやらは一体?」
「そそ。新しい技術で作る装備で、魔法障壁とか付与できるんよ。肌を出したりしても攻撃喰らいそうになったら自動で防いでくれる、みたいな。袴ならそういうのとかあった方が良さげじゃね?」
「ほう、そのような面妖なものが。ふむ。基本的に攻撃を受けぬことを前提にしているとは言え、備えあれば憂いなし。是非」
「おけー」
横合いから声をかけてきた雪乃に会話を取られる形となったが、〝椿〟はそれで満足したようで一つ大きく頷いた。
「では、みな。此方は急がねばならないゆえ、これにて」
ふ、っと〝椿〟の姿が消えたかと思えば、強い風が遅れて周囲にふわりと流れる。
掻き消えるような姿に雅や雪乃、『明鏡止水』の面々は目を丸くしたまま動きを止め、唯一、どうにか〝椿〟の動きを見ていた柚芭だけが、静かに息を呑んだ。
――嘘でしょ……。お父さんより圧倒的に速い……。
レベル5の柚芭は、父である傑とダンジョンに入ることも多い。
本気で傑が戦わなくてはならない程の強敵と出会うことは珍しいが、そんな傑が見せたことのある神速の一撃を放った際のそれよりも、今の〝椿〟の方が圧倒的に速かったと柚芭には理解できてしまった。
――〝不法探索者〟にはやたらと強い組織があるとは聞いていたけれど、〝椿〟さんに、その仲間の〝虎〟。大手クランとして何かの作戦で相手になるようなことがあれば……。
カチリ、と己の腰に下げた刀の鯉口を切って、イメージする。
おそらく反応はできる。
だが、自分が刀を振るうよりも先に、〝椿〟は自分の間合いに入ってきて、刀を抜いて一閃する。
――……負ける。
その事実を真っ直ぐ受け止めて、柚芭は深く溜息を漏らした。
一方、そんな柚芭の胸の内など露とも知らず、〝椿〟はダンジョン最上層を駆け抜け、上層を駆けていた。
基本的には回避、いちいち魔物とは斬り合わない。
回避が難しければ正面から突っ込み、文字通りに蹴散らして進む。
そうして十数分ほど。
あっという間に〝椿〟は上層の最下層に到着した。
中層入口への道を守る上層フロアボスである、ブラッドベア。
体長にして5メートル程もあり、分厚い肌と硬い肉体、鋭い爪と牙に強力な膂力を有した、赤錆色の体毛に覆われた熊型の魔物である。
生半可な攻撃では硬い体毛に阻まれて皮膚にすら届かず、届いたところで浅く傷つけるのが関の山と、厄介極まりない魔物でもある。
そんなブラッドベアが前足を構え、〝椿〟に向かって駆け出そうとして、大地を蹴り、ほんの一瞬、身体が浮いた。
その瞬間、すれ違うように〝椿〟がじゃりっと地面を踏みしめた音が聞こえてきて、刀を納刀した甲高く小気味の良い音が鳴った。
「――すまぬが、先を急ぐ故、戦いらしい戦いをしている暇もないのだ。許せ」
ブラッドベアの身体が、斜めにズレ、そのままずるりと倒れる。
そんなブラッドベアを一瞥もせずに〝椿〟は中層へと続く道が開かれたことを確認して歩みを進めた。
階段を降りる最中、見えない膜を思わせる何かを通り抜けたような感覚を味わう。
独特な、異なる世界へと足を踏み入れる微細な空気の変化を実感しながら、〝椿〟は進み続ける。
そうして階段を降りれば短い洞窟が続き、前方には僅かに光が漏れている空間が見えた。
そちらに向かって進み、洞窟を抜けてれば、そこは岩壁の切れ間であったのだと悟った。
外に出た瞬間に広がる森、白い砂利の敷かれた道、そして、オーロラのような光のカーテンが揺れる夜空を模した空間。
不可思議な後継ではあるが、〝椿〟がこれまでに見てきた各ダンジョンの中層の中では比較的マシな世界というべきか、奇妙さという意味では幾分か平和な部類である。
ダンジョンは不思議な空間であり、最上層と上層は似通っていても、中層からは全く異なる世界が広がる。
その在り方が、まるで上層まではあくまでも入門編、あるいはウォーミングアップだと物語っているようだ、と〝椿〟は思う。
ともあれ、中層に入った〝椿〟は周囲をちらりと確認して、前方の道に落ちている黒いゴミのようなものを見つけて手に取った。
人差し指と親指でこすりつけるようにして確認してみれば、それが灰となりかけた燃えカスのようなものであることがよく分かる。
――ふむ。戦いの痕跡が残っている……。つまり、『かぷりふぉろぉ』の仲間たちはこのルートを素直に進んだか。まだそう深くまでは潜ってはいないようではあるが……。
この階層からは戦いの気配が感じ取れない。
であるのなら、すでに〝金銀花〟も〝魔女の饗宴〟もこの階層にはいないだろうと当たりをつけて、〝椿〟は再び駆け出した。
そうして、中層4階層までを無事に駆け抜けたところで、戦いの音が聞こえてきて〝椿〟はそちらに向かって駆けて行った。
中層4階層の魔物を相手に戦いを繰り広げている面々の姿を離れた位置から見つめていた〝椿〟は、〝金銀花〟と〝魔女の饗宴〟の斜め後方上空を移動しているドローンを見つけ、眉を寄せた。
――あれは確か、『どろぉん』であったな。あれで映ってしまうといらぬ騒動を呼び寄せかねぬ。顔を隠す何かがあった気が……おぉ、これがあったな。
懐をがさごそと漁って〝椿〟が取り出したのは、猫のお面である。
口元部分はぱっくりと空いているが、その程度ならば自分が何者かは分からないだろう。
「――そこにいるのは誰かしら?」
――ぬ、気付かれたか……。
お面をつけていそいそと準備をしている間に、どうやら戦いは終わっていたらしい。
莉緒菜から警戒した声で訊ねられた〝椿〟は、身を潜めていた木の後ろからゆっくりと砂利道の上へと姿を現した。
「敵対する気はない。そなたらは『かぷりふぉろぉ』とその仲間であろう?」
「〝金銀花〟ね。その言い方、まさか、あなたが――」
「――おっと。配信で此方の名は語ってほしくはない。詳しい話をする故、一度配信を止めてもらえれば、と言いたいところであったが……どうやら遅かったようだ」
「何を言って……――ッ!?」
ぶわりと膨れ上がり、襲いかかった強烈な悪寒。
奏星と美佳里、そして〝魔女の饗宴〟の瑛里華と聖奈、菜桜、莉緒菜までもが背を走る悪寒に顔を、身体を強張らせた。
そんな中、〝椿〟だけが一行の間を抜けるように真っ直ぐ歩き、道の先を見やる。
「配信とやらを止めよ。ほおれ、来るぞ――」
ちゃきり、と腰の刀の鯉口を切った〝椿〟が腰を落とし、柄に右手が触れるかどうかというところで構える。
「――いやはや、これは……よもや悪鬼羅刹ではあるまいな……」
赤い風が吹いたかと思えば、身体のあちこちから血を流した〝虎〟が吹き飛ばされるようにして〝椿〟の隣に滑りながらやってきた。
「――おや、〝虎〟にしては珍しい。手酷くやられているではないか」
「うるせぇ。ここまで引っ張ってきたんだ、むしろこの程度で済んで上等だっつの。……気ィつけろ。あの娘、時間が経つにつれて馴染んでやがる。強いぞ」
「ふ、それはそれは……滾るというもの」
白い砂利道の先、通路の向こうに現れた、真っ白な髪の少女。
見慣れた見た目に、けれど、見慣れない真っ白な髪と赤い瞳、強烈な威圧感に、困惑した奏星が小さく口を開く。
「る、かちー……?」
何が起きているのかも分からない奏星たちの困惑が、ゆっくりと伝播する。
その様子を横目に見て、〝椿〟が口を開いた。
「ふむ……。此方が足止めする故、そなたは説明してやってくれぬか」
「……やれんのか?」
「呵々、此方が負けるとでも思っておるのか? それより、迷いに引きずられた者が戦いの場に出て来られる方が無粋、迷惑というもの。此方はアレと斬り結びながらそなたらを待っているとも」
「……頼んだぜ。さすがに俺も疲れてっからな。少し説明しながら休ませてもらう」
「構わぬ。――では、手合わせ願おうか」
赤い風が、〝椿〟の腰から伸びた銀閃に両断されて霧散する。
そんな中、〝椿〟が刀を手に、腰を落とした。
「――参る」




