適合反動 Ⅰ
「――【朧帳】……!」
ブリッツウルフの突進を前に、流霞は冷静に己のスキルを利用する。
辛酸を嘗めさせられる戦いとなったあの時とは打って変わって、今の流霞はレベル3の運動能力を活かす身体の動かし方を学び、〝独自魔法〟を駆使しながらであればブリッツウルフの凄まじい身体能力にもなんとか渡り合える。
「――〝独自魔法〟とか言うのに頼るなと言いたいとこだが、ここはおまえさんの実力に釣り合ってねぇからな。使えるもんは使って、できるだけスキルを深く理解できるよう意識しろ」
それが〝虎〟から与えられた課題であった。
中層深部――中層の18階層という、もう間もなく下層入口に差し掛かるというところに唐突に飛ばされた流霞の実力は、まだまだ適正とは言い難い。
油断をすれば一瞬で命を刈り取られるような場所であるが、〝虎〟は上層に向かって進みつつも、流霞に戦う機会を与えては、戦いが終わって助言を繰り返していた。
流霞の戦い方は、いわゆる脳筋型だ。
魔装、身体能力、スキルによる撹乱によってそれを押し通すことができれば滅法強いが、それらが通用しない格上の相手に対する一手が足りていない。
実際、流霞はこれまでに格上との戦闘では何もできないことが多かったことからも、その点は流霞自身も理解していた。
そんな流霞を見ている〝虎〟は、『確かに〝独自魔法〟は便利で手数も増えるが、しかしそれだけ』、という印象を拭えずにいた。
確かに〝重力に影響を与える〟というような【月】の位相による満ち引きを彷彿とさせるような強力な〝独自魔法だが、燃費もかなり悪い上に、必要以上の力を出せないという制限がある。
それは当たり前と言えば当たり前である一方、スキルを極めていくという方針の〝虎〟から言わせれば、「それでは足りない」に尽きる。
スキルは段階が進めば進むほどに、奥の手に繋がっていく。
レベルに似つかわしくない威力、効力を有したものへと変わるのだ。
だから、魅力的ではあるが、絶対に使えるようになりたいかと言われると、そこまで急いで手に入れなくてもいい、という結論に落ち着いていた。
もっとも、すでに流霞からは〝独自魔法〟の覚え方を教わってはいるのだが。
なんだかんだ言いながら、自分の因子が〝独自魔法〟になったらどうなるかは気になっている〝虎〟である。
ともあれ、そんな〝虎〟の視線の先では、流霞がブリッツウルフとの戦いを上手くコントロールし、実力を出し切らさずに戦いながらもスキルに対する思考を巡らせている姿が映っていた。
――あの娘は、化けるな。
下地がしっかりと作られており、かつ普段のおどおどした物言いとは一転、こと戦いに於いては物怖じしない度胸がある。
否、それは物怖じしない度胸というよりも、そういうものすらも無視してしまえるだけの驚異的な集中力のせいだろう、と〝虎〟は思う。
レベルに似つかわしくないポテンシャルを発揮できてしまう、流霞の戦闘能力と特異性。
そんなことを考えている〝虎〟の視線を受けつつブリッツウルフと戦いながら、流霞はひたすらに自問自答する。
――私にとっての月ってなんだろう?
月に関する記憶を探りながら、流霞は深く過去を思い返す。
――夜の運動場、先生にぼこぼこにされて寝転んだ時に見た満月がなんだか妙に立体的で、ついつい手を伸ばしたことがあったっけ。
見えるのに触れない。
届きそうなのに、決して届かないもの。
そういえば、そんなことを考えたことがあった。
「――【朧帳】」もう一回!」
レベル3になった身体能力を活かした、これまでよりも鋭くなった速度を活かした【朧帳】。
鋭い爪を振るってきたそれは、流霞の幻を斬り裂いて、真横に現れた流霞がロッドをぐるりと回してブリッツウルフの喉を掬い上げるように殴りつけた。
――届かないと分かっているのに、あの日、あの夜に見た月に、私はどうしても触れてみたくて、水を入れたバケツの中に手を入れた。
水面に映った月が揺れる。
掬い上げた水は、けれど綺麗に景色を反射してくれなくて、結局手に入らなかった。
「――【潭月鏡身】」
飛んでくる見えない刃。
それらを察知した流霞がスキルを発動させる。
瞬間、分身がいくつも周囲に現れて――流霞と分身が《《入れ替わる》》。
分身と実体との境界が曖昧になったような感覚がして、気が付けば、分身が実体となって、実体が分身となった。
自分でも驚きながら、斜め上空に現れた流霞が、ブリッツウルフ目掛けて飛び降りながらロッドを振り下ろし、その頭を大地に諸共叩きつけた。
スキルに集中しているせいか、奇妙に心が凪いでいた。
ブリッツウルフを相手に倒しきれたというのに、まだ流霞の思考は止まらなかった。
息を整えながら偽物の空を見上げ、思考を整理していく。
――私が抱いていた月のイメージは、〝鏡花水月〟。
鏡に映る花や水面に輝く月のように、確かに見えていたとしても、決して触れられないもの。
――だから私のスキルは、幻だったり鏡身だったりするんだ。
静かに佇むだけの幻。
届きそうで届かない、届かないと分かっていてなお手を伸ばしたくなる、そんな存在。
それが確かに、自分にとっての月だったのだと流霞は悟る。
だから、スキルとして現れた。
自分が何度も見たもので、感じていたことを体現するかのように。
そう実感してからというものの、【朧帳】は動きながらも発動できるようになり、【潭月鏡身】では分身と本体が入れ替わるというような真似ができるようになった。
――前進は、してる。でも……。
しかしそれが自分自身の本質、方向性、欲している力かと言われると首を傾げずにはいられなかった。
鏡花水月。
そんな美しい言葉はそもそも自分には似合わないな、とぼんやりと流霞は思う。
だって、あくまでも美しいのは月そのものであって、自分がそれを体現するとか、それを形容したような存在である訳ではないのだから、と。
その言葉が自分を指したものではない時点で、先程まで聞いていたスキルの本質からは離れているように思えた。
ぼんやりと考えていた流霞の視界に現れたレッドスケルトンに気が付いて、にぃ、と口角が上がって声が漏れる。
「――きひっ」
――私はそんなに、綺麗で、幻想的で、静かな存在じゃない。私には、似合わない、気がする。
レッドスケルトンに向かって、上体を下げたまま駆け寄りながら流霞は笑う。
強敵を蹂躙し、破壊してしまえと自分の内側から湧き出てくる衝動が、凶悪な笑みになって漏れ出てくる。
怒り、ではないだろう。
込み上がってくるのは、形容し難い衝動そのものといったところだ。
敵が強ければ強いほどに、自らが追い詰められれば追い詰められるほどに、その衝動は激しくなる。
もちろん、それは相手に痛めつけられて気持ち良くなる、とかではない。
そんな相手を、踏み潰し、握り砕き、その先にいきたいというような。
その大きな壁を乗り越え、踏み越えた先にあるものに手を伸ばすことに焦がれている、とでも言うべきか。
――そう、私はきっと《《魅せられている》》。
何者でもない自分じゃない何かになろうとすることが、その衝動が、自分を突き動かす。
月に対してもそうだ。
美しく儚い月に手を伸ばして、掴み取ろうとしても届かず消える。
そうなると分かっているのに、どうしようもなく《《魅せられ》》、《《狂おしい程に焦がれている》》。
――私の月のイメージは、〝鏡花水月〟ではある。けれど、それはあくまでも月そのものに対するイメージだし、評価。私は〝鏡花水月〟どころか、さしずめ〝凶禍酔月〟とか、そういう方がむしろぴったり、な……?
瞬間、流霞の中でカチリと歯車が噛み合ったかのような、奇妙な感覚が生じて、視界が真っ赤に染まった。
「――……おい、おいおい、マジかよ……!」
その姿を〝虎〟は見ていた。
流霞の髪が、真っ白に染まる。
レッドスケルトンが目の前にいるというのに俯き、だらりと力が抜けた――かと思えば、ぶわりと血のように赤い魔力の奔流が、流霞の周囲を渦巻き、レッドスケルトンを凄まじい勢いで弾き飛ばしてばらばらに砕いた。
吹き荒ぶ赤い風とでもいうような暴風が、ぴたりと止んだ。
重くのしかかる重圧感。
そんなものに晒されながら、〝虎〟は流霞を見つめて冷や汗を流しながら、推移を見守る。
固唾を呑む〝虎〟の視線の先、ゆっくりと顔をあげた流霞の目は、灰色ではなく赤銅色に染まっていた。
銀色のロッドは闇に隠されるように黒く染まっていき、その先端に真っ赤な繊月を思わせるような刃が生み出された。
刹那――殺気が〝虎〟へと向けられた。
「――ッ、こりゃあマズいか……?」
流霞の唐突な変化には、〝虎〟にも心当たりがあった。
ダンジョン因子は宿った人物との相性が良い場合、レベルアップの速度も上がり、強化の度合いも跳ね上がる。
しかし、その相性が《《良すぎる》》場合に引き起こされるものがある。
「〝適合反動〟……、マジでこの目にすることになるとはな……」
ダンジョン因子への適合が一気に進み、因子の宿主の自我が呑み込まれたかのように暴走状態に陥るという、特殊な反応――それが〝適合反動〟だ。
因子によって引き起こされる症状は様々だが、総じて強力な力を振るう傾向にあるという。
流霞の場合、確認するまでもない。
ビリビリと大気が震える、圧倒的な殺意。
どうにも穏やかな代物ではなさそうだった。
――さすがに俺一人で止めようとするのはキツいな。多分、《《やり過ぎちまう》》。
そこまで考えて、〝虎〟はポケットからスマホを取り出すと、〝椿〟へと電話をかけながら流霞を見やる。
「――きひっ」
瞬間、〝虎〟の目の前にロッドを大鎌に変えて振り被っている流霞の姿が現れ、〝虎〟が咄嗟に身体を捻ってそれを躱す。
大地を斬り裂き、前方の木々すらも斬り裂いたその一撃に目を瞠りながら、〝虎〟は叫んだ。
「――〝椿〟、応援を頼む! 〝適合反動〟だ!」
その声は、確かに届けられた。




