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〝金銀花〟は止まらない  作者: 白神 怜司
第3章 Blood Moon

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流霞の孤独な戦い Ⅰ




 足元に浮かび上がった光、ぐにゃりと歪んだ視界。

 一瞬、身体の中身だけを揺さぶるような奇妙な感覚を味わった直後、流霞は自分がいる場所が先程までとは違う場所であることに即座に気が付き、周囲を見回した。



「みんな――……っ」



 そうして、気が付いた。

 流霞の周りには今誰もいないということ。

 おそらくは自分だけが飛ばされたという事実に。


 だから、口を噤む。

 下手に騒ぎ立てれば何を引き寄せるかも分からないような状況で、声をあげる訳にはいかない、と。


 ――っ、私だけ転移した……? 遺跡型でも洞窟型でもない、屋外……でも、明らかに現実的な光景とは思えない場所。つまり、中層かそれ以下……?


 先程まで流霞がいたダンジョン上層とは全く違う、周囲の光景。

 周囲は背の高い木々が生い茂り、森の中を貫くように砂利が敷かれたような道が伸びている。

 見上げれば、木々の隙間から夜空が見えて、オーロラがかかっているのかゆらゆらと光のカーテンが揺れる――そんな景色が広がっていた。


 刹那に、背中を走った強烈な悪寒。

 濃厚な死の気配のような何かを斜め後方から感じ取った流霞の動きは早かった。

 その場で動かずに状況を確認するではなく、森を貫く道から逃げるように木々の間に飛び込み、身を伏せながら大きな木の幹の後ろへと隠れた。


 ばくばくと音を立てる心音、笑いかけた膝。

 緊張状態に狭まる視界。

 それらを解きほぐすように、静かに、少しずつ深くなるよう呼吸を続け、酸素を送り込んでいく。


 ――見つかれば、死ぬ。

 己の本能が、そう強く訴えていた。


 もしも常人だったのなら、このような状態に晒されれば、どのように動けば良いのかも分からずにただただ硬直してもおかしくはない。

 それでも流霞が即座に隠れ、心を落ち着かせるに至れたのは、幼い頃からの戦闘訓練でそうした対応が染み付いていたおかげであった。


 人は恐怖した瞬間、身体を強張らせる。

 身体を強張らせれば、普段の動きすらもできなくなる。

 そうなれば、相手に喰われるだけ。


 そう教わり、殺意をぶつけられても判断を止めない、すぐに動く、という訓練も行っていたからこそ、頭は混乱しながらも、身体は冷静に最善を選び取った。


 ザリ、ザリ、と足を擦るように着地させながら踏み締める音。

 幾つもの同じようなリズムの足音が、一定のリズムで徐々に近づいてくる。おそらくは複数の足音が混ざり合っているのだろう。


 音は止まらない。

 ただただ近づいてきている。


 砂利が敷き詰められた道の横、大きな木の後ろ。

 気配を誤魔化すように、極力心を平静に保ちながらちらりと覗き込めば、淡い光に照らされている敵影がハッキリと見えた。

 朱色の甲冑を身に纏った一体の赤黒い骨を晒した複数のスケルトンたちだ。


 流霞はその魔物を知らなかった。

 だが、その魔物たちは世間には知られている。


 魔物の名前は〝武装レッドスケルトン〟。

 武装ゴブリンらと同じように、それぞれに武器を装備し、複数の個体によるチームを組む魔物の一種。国によって着ている防具、手に持った武器が異なる。


 その魔物は、中層17階層以降に出てくる魔物たち。

 レベル5探索者たちが相手にするような、そんな魔物である。


 二足歩行ということもあってか、身体能力は同じ階層の魔物たちに比べればまだ大人しいと言えるのだが、しかしそれはあくまでも比較対象がそれらの魔物であるが故のこと。

 少なくともレベル2の、まだ人間の上澄みを多少越えている程度の身体能力では、まず追いつくこともできない相手だ。

 常人には見えない速度で動く身体能力に加えて、剣なら剣術、槍なら槍術といったものを使いこなす技巧派の魔物たちでもある。


 その正体までは分からずとも、しかし流霞にはこの魔物たちの強さがなんとなく想像できていた。


 ただひたすら、流霞は息を殺し、身体から力を抜いて周囲に溶け込ませる。

 死が目の前に迫っているというのにそれをやるには相当な胆力が要求されるが、彼我の実力差を肌で感じ取った流霞だからこそ、腹を括るしかなかった。


 ザリ、ザリ、ザリ、と複数の足音が離れていく。


 視線は向けない。

 僅かな気配に反応される可能性もある相手であるからこそ、流霞は足音が聞こえなくなるその瞬間まで、ただただ己の気配を溶け込ませることだけを考えて、静かに呼吸を続けていた。


 そうして、ようやく。



「――っ、はぁ、はあ……っ!」



 ――生き残った。見つからなかった、助かった。

 噴き出すように溢れてきて、込み上がる感情を吐き出すように、流霞が息を吐く。


 あの〝天秤トラップ〟で出てきたトロールも、人為的『魔物氾濫(スタンピード)』で現れた異形の化物が相手でも、奏星が、美佳里がいてくれたからこそ、全力で立ち向かえた。


 けれど、今は違う。

 たった一体であっても勝てそうにない程の強い魔物に対し、たった一人で対峙したのは、ある意味これが初めてだ。


 魔物の気配がないことを確認して、流霞は森の中から砂利道に再び歩み出た。

 そうして少しでも空気を吸い込みたくて、空を見上げる。


 ――……こういう一人ぼっちは、久しぶり。


 ふと、そんなことを思う。


 奏星と出会い、〝がちけん〟のメンバーと出会ってから、いつも誰かと過ごしていた。

 テスト期間だとかそういった期間は、それぞれに割り切って自分の時間を過ごしたりもしたけれど、こうも心細く、消えてしまいそうな気分になるような一人ぼっちの時間は、随分と久しぶりなような気がした。


 きっと奏星は心配してくれているだろう。

 配信を観ているはずの雅も、雪乃も、きっと自分を心配して、色々考えてくれているに違いない。

 でも、莉緒菜たちや美佳里は、もしかしたら責任を感じてしまっているかもしれない。


 ――トラップは避けられなかった。狙ったかのように、足を大地につけるその瞬間に現れたから。だから、誰も悪くないのに。それでも、きっとあの人たちは優しいから、自分を責めたりしちゃうんだろうな……。


 そんなみんなの温かさを思い出して、流霞はくすぐったい気分になって、小さく口角をあげた。


 ――うん。帰らなきゃ。あの騒がしい日常に。


 決意は、固まった。

 ゆっくりと前を見据えた流霞の目に、先程までの恐怖は消えていた。

 ただただ、真っ直ぐ、強く思う。

 みんなのもとに帰ろう、と。


 ただ、それでも現実は厳しい。

 先程目にしたレッドスケルトンの集団に見つかれば、きっと逃げる余裕すらない。

 レベル2では抗えない相手なのだと、流霞はハッキリと悟っていた。


 隠れたまま上層へと戻っていくことができるのかと言えば、きっと難しい。

 よしんばこの階層をどうにかできたとしても、ここがどれ程深い場所なのかも分からない。


 自分の限界を超えでもしない限りは、まず間違いなく、帰れない。

 

 だから――と覚悟を決めたところで、流霞は再びぞくりとしたものを感じて道の横にある森の中へと身を潜めた。


 ザリ、ザリ、と断続的に聞こえる音は、まず間違いなく先程見かけたレッドスケルトンと同じ足音。

 しかしその足音は、今回は一つだけだった。


 木の後ろに身を潜め、呼吸をしながら流霞は自分で自分に言う。


 ――敵は一匹、今しかない。ここでやり過ごしても、未来はない……!


 即座に決意を固めて、流霞はその手の中に魔装を取り出し、跳び出しながら重力を操り、魔物の周辺を一気に加重させた。

 ぐらりと傾いだレッドスケルトンへの奇襲の一撃は、寸分違わずその側頭部を叩きつけ、ズガン、と激しい音を立てて――けれど、仕留められない。


 結果を見届けるでもなく下がった流霞が、レッドスケルトンを見やる。

 けれど、レッドスケルトンは無傷のまま流霞を見つめており、その腰に下げた鞘から欠けた刀を引き抜いた。


 ――確実に入ったけど、倒せない。無茶はできない。ダメージは不明。けど、重力は有効。つまり、自由にさせなければこちらの攻撃は入る。



「――きひっ、【朧帳】!」



 ここからは、どちらかが死ぬまでの戦い。

 そんな風に己の中で自分に言い聞かせながら、流霞が〝独自魔法〟を使うべく魔力を練り上げ、今度は重力の《《向きを傾ける》》。重力の向きは上から下へではなく、レッドスケルトンの斜め後方下部へ。


 突然尻もちをついて倒れそうになったレッドスケルトンが片足を支えにどうにか堪える中、流霞が横合いに出現、死角から飛び出すように、先程殴った側頭部への一撃を見舞う。


 だが、そこで動いたのは流霞だけではなかった。

 殴られながらもレッドスケルトンが凄まじい速度で刀を振るい、流霞の首を狙う。

 対する流霞はそれを予期していたように殴りつけたばかりのロッドをくるりと回転させながら、迫る刃にロッドを当てて反動で身体を反らして回避した。


 それでも『魔導防具(マギア・ギア)』の魔法障壁が僅かに攻撃を遅らせながらも貫かれ、薄皮が切れて流霞の頬から血が流れ落ちる。


 ――重くて、速い……ッ! 反らせることもできない……! 重力で邪魔をして、振りにくくしているのに、私の反応速度じゃギリギリ……!


 けれど、と流霞はレッドスケルトンを見やる。



「――きひっ、欠けたね……。つまり、効いてる。いつかは壊せるってこと、だよねぇっ!?」



 一瞬、ほんの少しでも判断を誤れば、命を刈り取られるのは自分だというのに、流霞は獰猛に笑う。

 叫ぶように告げたその言葉を聞いている訳ではないだろうが、この場が死地であるということをレッドスケルトンも理解したかのように、刀を手に構えた。


 ひたすらに重力の向きを、有利な方向へと調整する。

 それでもギリギリで対応できる程度、『魔導防具(マギア・ギア)』でも防ぎきれない威力の攻撃が飛んでくるような相手との戦いだ。


 ロッドと刀、硬質な金属同士が互いの命を獲らんとぶつかり合い、火花が散る。

 たった数手の打ち合いであっても、レッドスケルトンは即座に流霞の隙を把握し、狙ってくる。


 また、距離を取って――叫ぶ。



「――【潭月鏡身(たんげつのかがみ)】! からの、【朧帳】!」



 騙し、化かし、どうにか作り上げた隙を見て、ヒットアンドアウェイを繰り返す。

 しかしそんな流霞にカウンターを入れるように振るわれる刀が、流霞の身体に次々と傷を作っていく。


 削り合いと呼ぶのが相応しい戦い。

 一手一手を丁寧に刻んでいかなければならない相手、なのに戦っている間にも同等の魔物が近づいてくる可能性があるため、あまり時間をかけすぎる訳にもいかない。


 魔法回復薬を飲む時間すらも取れない。

 削り、削られ、砕き、斬られて。

 後先も考えずにひたすら、守りに入らず攻めの一手を選択し続ける。


 流霞はひたすらにレッドスケルトンを圧し潰すように重力をかけていた。

 それに対応してみせるレッドスケルトンの技量は凄まじく、すでに重力がかかっていることすら計算に入れているようにも見える。


 だから、レッドスケルトンが体重を移動させるべく足を引いた瞬間、流霞はレッドスケルトンにかかっている重力の向きを、流霞の方向へと変更した。

 踏ん張りが効かないまま、レッドスケルトンの足が突然浮き上がり、段差を踏み外したかのように態勢が崩れた。


 ――崩れたッ! 今ッ!



「――あああぁぁぁッ!」



 一瞬の隙を見逃さずに重力を地面に向け直しながら、流霞がロッドを振りかぶる。

 しかしここにきて、レッドスケルトンは刀を振るって斬るのではなく、刺突を選んで強引に突き出してきた。


 流霞の左肩を、レッドスケルトンの刀が貫く。

 勝負に勝ったと言わんばかりにカタカタと頭を揺らしたレッドスケルトンが、しかし流霞の表情が笑っていることに気が付いて、さながら目を見開いて硬直したかのように、動きを止めた。



「――きひひっ! これで、避けれないねぇ!」



 重力の向きを変えながら右手一本で振り下ろされるロッドが、向きを変えた重力を味方にして凄まじい速さで頭頂部へと振り下ろされる。

 ズドン、と大地を揺らすような凄まじい音を立てて振り下ろされた一撃が、レッドスケルトンの頭蓋をかち割り、砕いた。



《――レベルが上がりました》



 無機質な声を聞きながら、流霞はぐしゃりと潰れるようにして着地する。

 ロッドを支えに身体を起こして、刀を引き抜いてから、空を見上げた。


 どっちが勝ってもおかしくなかった。

 あれだけ徹底的に、消耗も何もかも無視して戦って、それでも負けそうな程の相手だった。


 でも――。



「きひっ、勝った……。これで、一歩目、だね」



 魔法回復薬を取り出しながら、痛みなんて感じていないかのように、流霞は笑う。

 限界を超える戦いを制し、レベルアップにより、魔物たちとの差を少しでも縮めることができた。


 これが、彼女のたった一人の死闘の始まりだった。




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