閑話 めくるめく胃痛の日々
それは人為的『魔物氾濫』事件の発生よりも前の話。
「――もうむりぃ……。これ以上はむりだよぉ……っ」
「いい歳したオッサンが薄い本で清楚キャラが分からせられたような声をあげているのはどうかと思う」
「え、キッツ」
「ねえまって、やめて? そんなつもりないんだけど? というかパパにそれは酷くない? 男としても親としても心外も甚だしいのだけれど?」
ただちょっと投げやりになって呟いただけなのに、とんだ風評被害を受けた傑が思わず声をあげた。
風評被害を作り出した相手は、そんな傑の娘であり長女の柚芭。
そんな柚芭に乗っかって娘に言われてぐさりと来る言葉ランキングトップ5に入りそうな反応と冷たい目を向けてきたのは、次女の渚沙である。
日本の大手クラン、『明鏡止水』。
そのクランリーダーであり、憧れのパパで在りたいはずの傑だというのに、家族はこの気安さである。
傑の探索者としての腕前や実力、冷静さや胆力に憧れている探索者諸君は事実を知ったら泣いていい。
そんな傑だが、一時期威厳を出そうとして厳しい父親を演じようとしたことがあった。というのも、昔の傑の父であり、『明鏡止水』の創始者である大治郎は、まさにそんな父親であったのだ。
そんな威厳を出そうとして厳しいことを娘たちに言った瞬間、渚沙に「パパきらい」をお見舞いされて諦めてしまったのが悪かったのだろうか、と本気で思う。
あるいは、亭主関白な父親を演じようとして「おい」と瑤子に声をかけてお茶を用意してもらおうとしたのに、「は?」の一言に即座に「ごめんなさい」したのが悪かったのかもしれない。あの瞬間、矢ノ沢家のヒエラルキーは決定付けられたのかもしれない。
現実はもっと前から決定付けられていて、だからこその反応だった、なんてことはない。ないったらない。
そういった傑の葛藤というか、あるいは悲しい過去というべきか。
それ以上に、そもそも〝薄い本〟と〝分からせられた〟がお互いに通じる時点で、親の在り方だとかどうのこうの以前に、まずは話し合うべき話題はそこにあるのだが。
ともあれ、パパはその程度の塩対応にもめげない。
その程度でめげているようでは、妻と娘4人という家庭に男一人のパパの立場はあっという間に忘却の彼方に消え去ってしまうのだ。
妻と娘たちだけできゃっきゃしているリビングに自分が入った瞬間、ぴたりと会話が止むような悲しみが生まれかねない。
ということで、傑はARグラスに映ったとある映像を部屋のモニターに出力させ、長女と次女の反応を窺った。
「……えぇ……?」
「……雅のとこ、ヤバすぎでしょ……」
内容に目を通して引き攣った表情を浮かべる柚芭と、そんな柚芭よりもドン引き感の強い渚沙の二人を見て、傑は両手の指を絡ませて肘をテーブルにつけながら、その手で隠した口元ににちゃあとした笑みを浮かべた。
――ようこそ、めくるめく胃痛の世界へ。
父としては割と最低な笑顔である。
いや、厳密にはそちらに引き込んだというよりも、事情を知ってもらうために引き込まれることになってもらうしかない、というのが正しいが。
「……魔法防具」
「生地に利用する魔物素材に、魔力水で作った塗料とスキルを利用することで、装着者を守る障壁を自動で張る魔法防具の加工に成功……? え、つまりあのクソダサ防刃黒タイツもどきのアンダーウェアとかいらない……?」
これまで探索者の命綱と言われてきた防刃アンダーウェアは、運動時の収縮性を実現し、快適性を追求した結果、『上下に分かれた厚手の全身黒タイツ』のような見た目をしている。
もちろん、それでも充分に有用性もある。
防刃アンダーウェアがなければちょっとした攻撃で傷が生まれる。
しかしあれがあれば、爪で引っ掻くような攻撃や牙の貫通といったものを防いでくれる、大変ありがたい代物だ。
柚芭も渚沙も、防刃アンダーウェアがなければ大きな怪我をしていたかもしれないような戦いも、命拾いした経験もある。それは間違いない。
特に刀を使う柚芭と渚沙は、前衛だ。
魔物の攻撃が掠るなんてことは当たり前に有り得るのである。
デザインだって一昔前に比べればずいぶんと進化したと言ってもいい。
昔はもっと厚手のものが主流で、誰も彼もが着ぶくれしていたレベルだったのだ。
――――だが、ダサいのだ。
どれだけ薄手になってきたとは言え、だ。
全身黒タイツっぽくなってしまうのは女子探索者――なお、成人していても女子――にとっては死活問題になりかねないレベルで、ダサいという評価が拭えないのである。
何と合わせても、コーディネートをどれだけ頑張っても存在感を放ってくる厄介なアイテムなのである。
そのため、女子探索者の中ではタイツ部分を見せないために敢えて長袖長裾タイプの装備を揃えるのが一般的だ。
そう、それがたとえ、厚着し過ぎて蒸し暑さで死にそうになるレベルのものであっても耐えるのである。極寒の中のスカートの如く。
「動画は……これね。あ、この子たちが確か〝金銀花〟の子たちよね。え、肌見えてるけど……?」
「あっ、光って防いだ!? え、すご!」
「……ナギ、これは革命よ。ダンジョンでは捨てざるを得なかったオシャ装備を作れる時代が、ようやく……」
「……十代の間に欲しかった」
「やめて。私もう24なの。もうすぐ肌見せるの自重しなきゃなの」
「……ま、まだ大丈夫よ」
「お? なんだぁ、喧嘩かぁ? 言っとくけどあんたも1歳しか変わらないが?」
「24と23、この違い、分からんのか? おん?」
長女と次女の会話を聞きながら、パパとしては肌をあまり見せて欲しくないと言いたい気分もあるが、しかしだからと言ってここで「肌を出すなんてみっともない」と言えば角が立つ。
だからって「まだまだ二人とも若いじゃないか」と言ってみても、それはそれで黙っててと言われることを傑は理解している。
こういう時、男は会話に参加した時点で負けなのだということを、傑は理解しているのである。伊達にパパはやっていない。
とは言え、何も新しい胃痛仲間が欲しくて共有した訳ではないのだ。
「さて、柚芭、渚沙。雅が、是非二人に専用装備を作るから素材を獲ってきてほしいと――」
「――ちょうどいいのが中層の奥にいるわ。行くわよ、渚沙」
「えぇ、もちろんよ」
「ねえ待って? 今もう夕飯食べ終わったところだよ? ゆっくりする時間だよ? 明日からで良くない?」
「「良くない」」
「あ、はい」
鬼気迫る娘たちの顔を向けられて、傑は悟った。
――あ、これ僕が何か言ったらあかんやつだ、と。
下手に時間がどうのと言ったりして足を止めさせようとすれば、すごくむすっとされて無視されるのである。
しかも二人はレベル5の柚芭と4の渚沙。
そんな二人に「この時間から出かけるなんて危ない」と言ったところで、そこに説得力なんてあるはずもない。
とは言え、いくらそんなレベルの高い二人であったとしても、危険がない訳ではないのだ。
――だってあの二人、ナンパとかされてくどかったら殴るもの。危険なんだよ、相手が。
矢ノ沢家のパパンこと傑の心配は、柚芭と渚沙の危険ではなく、殴られた相手が致命的な一撃にならずに済むかについての不安に対するものである。
なお、余談ではあるがその次の日の朝、突然二人の姉が事前に連絡すらせずに魔物素材を大量に持ち運んできたことにブチギレた雅が、パパンに「もうちょっとユズ姉とナギ姉の猪突猛進ぶりを考えてください」と敬語でお説教。
ひどいとばっちりを受けて怒られることになった傑であった。




