正しさ
「――地震?」
「いや、ちょい待って。ダンジョンで地震は起きないはず」
「んだね。ダンジョンは異空間だし」
『地震?』
『どゆこと?』
『確かにカメラ一瞬揺れたけど』
『こっち揺れてないけど』
『いや、おまえがどうだかなんて知らねーわw』
『ダンジョンで地震はないな』
『目眩とか?』
「目眩……、ね。るかちー、感じたよね?」
「うん。確かに揺れたと思う。こう、横揺れみたいなぐらってする感じ」
流霞と奏星、それに美佳里の3人が周囲を見回し、そして言葉を交わす。
ただの弱い感覚、それこそ錯覚だと思ってしまうようなものではなく、空間そのものを強引に揺らしたような感覚は、彼女ら3人ともが感じていたものだ。錯覚であるはずもない。
一体何が、と考えていたちょうどその時。
突然奏星と流霞、それに美佳里の視界に映る光景が一変した。
本来ならば淡く青緑色に光っているだけの苔が、突然、奥から手前に向かって一気に赤く変色したのだ。
ダンジョン苔と呼ばれる苔の唐突な変化と言えば、奏星が襲われ、流霞に救われたイレギュラーサインを思い出させる。
しかし目の前のこれは、それ以上に圧倒的な禍々しさとでも言うべきか、視覚的な恐怖を伴うものであった。
《奏星! すぐに逃げて! そのダンジョン、暴走状態に入った!》
「はぁ!?」
『赤くなった!?』
『え、なんかホラー? きひ子ちゃんタイム?』
『言ってる場合じゃねぇ!』
『ダンジョン苔の変化はイレギュラーサイン! 赤は暴走状態、つまり『魔物氾濫』サインだぞ!』
『なんで!?』
「……『魔物氾濫』サイン……!? なんで……!」
目の前の変化が理解できずに声をあげる奏星。
しかし直後に、ダンジョンの奥の方から次々と走って逃げてくる探索者たちの姿が見えて、流霞が呆然としていた奏星を引っ張って道の隅へと移動する。
もしも流霞が奏星の腕を引かなければ、ぶつかっていただろう。
しかし彼らはそんなことはお構いなしといった様子で、ただただダンジョンの出口に向かって駆けていた。
その顔が引き攣ったものであったのが嫌に印象に残り、身体を強張らせる奏星の両肩を、流霞が少し痛むほどの力で強く握り締めた。
「カナっち、しっかり」
「で、でも、るかち……! だって、ウチらだっているし、ここ過疎ダンジョンなんかじゃないじゃん……!」
奏星が呆然とするのも無理はない。
そもそも『魔物氾濫』はダンジョン内の魔物を間引きしていないがために起こることであり、このダンジョンはいつも奏星と流霞も内部に潜っている上に、都内のダンジョンの一つということもあって、それなりに探索者がいる場所だ。
そうではなかったとしても、間引きは必ず行われている。
流霞の親が命を落としたと思しき〝中抜き体制が引き起こした神奈川崩壊事件〟以来、探索者協会は内部の間引き映像をしっかりと職員が確認しているため、内部に入ったのに実は何もしていなかった、というような不正は許されていないからだ。
そのため、『魔物氾濫』の発生はここ数年は未然に防げていたはずだ。
だというのに、どうしてこんな状況に陥ったのかが理解できずにいる奏星であったが、しかし流霞が相変わらず静かに告げる。
「カナっち、落ち着いて。私とカナっちは戦える。でも、今はそうじゃない。私たちだけじゃなくて、ここにはミカミカがいるから」
「――っ」
「原因とか、理由とかはどうでもいい。それより、私たちがやるべきことは、戦えないミカミカを安全な場所に連れていくこと。つまり、一刻も早くここを出ることだよ。嘆くことじゃない、怒りを見せるとこでもない。順番を、間違えないで」
真っ直ぐと奏星の両目を見つめて、力強く告げる流霞。
そんな流霞の視線を受けて、奏星の強張っていた身体から余計な力が抜けていった。
「……うん、ごめん。ありがと、るかちー。ミカミカもごめん。いこ」
『きひ子ちゃんナイスぅ!』
『めっちゃ冷静じゃん』
『早く避難して!』
『きひ子ちゃんが覚醒しよった!』
『実際現場にいたら絶対びびる』
奏星の表情にも力が戻る。
そんな奏星にほっと胸を撫で下ろした美佳里は、密かに流霞の冷静さに驚かされていた。
美佳里も状況は分からなかったものの、知識としてイレギュラーサイン、しかも赤く染まるという『魔物氾濫』サインをこの目で見て、一瞬だがパニックに陥りかけたのだ。
美佳里もまたダンジョン災害孤児であり、流霞と同じく〝中抜き体制が引き起こした神奈川崩壊事件〟の被害者だ。
流霞とは違い、両親のことは朧気に覚えている。
優しかったような気がする、という程度でしかないが、それでも確かに刻まれた記憶があった。
けれど、それらを奪ったのが『魔物氾濫』現象だ。
もしかしたら自分の知り合いが、大切な友達が被害に遭ってしまい、命を落とすかもしれないというのに、冷静でいられるはずもなかった。
――やっぱるかちーって、なんだかんだで窮地に強いんだよなぁ。
そんなことを思ってしまう美佳里が見たのは、キリッとした無表情を貫く流霞の横顔である。
――――もっとも、現実の流霞はそんな冷静でもなんでもないのだが。
――ふおぉぉぉ……、さ、さすがフェルディナンド様のお言葉……! パニックになったカナっちに冷静さを取り戻させた……! 推しはやはり最強だった……!
そう、流霞とてパニックに陥ってはいたのだ。
この非常事態でコミュ障オタクが非常時に冷静に振る舞えるかと言われると、教室にテロリストがやってきて自分がみんなを助けるムーブを夢想している事件が現実になるぐらいに現実的ではないのである。
ただ、いつだって黙ってテンパることが常である流霞は、テンパった自分を隠すことに長けているのだ。
数多くのテンパりを抜けてきた強者である。
そうして奏星に泣きつきたい気分で奏星を見て、奏星が呆然としている姿を見て、はっと思い出した。
――「そういえばあのアニメにもこんなシーンがあって、フェルディナンド様が仲間を落ち着かせていたような……!」なんて。
ちなみにフェルディナンド様と言えば、学校につけていった缶バッジのアレであり、かつて奏星に救われた流霞の推しグッズのキャラクターでもある。連想されたらしかった。
ともあれ、そこで流霞はフェルディナンド様ムーブをキメたのだ。
本人もテンパっている癖にすらすらと推しのセリフが出てくるオタクであり、明後日方向にテンパり、キリッと推しムーブをかます女、それが流霞であった。
そんな彼女のおかげで、3人はダンジョンの出入口へと向かうことになった。
不幸中の幸いは、3人は決してダンジョンの奥には進んでいなかったことだろう。
これが上層の奥の方であったりしたのなら、急いで逃げなければ巻き込まれる可能性もあったかもしれない。
しかし最上層の、しかもまだ浅い階層から動いてすらいなかった3人ならば、ほんの数分歩いた程度でダンジョンの外へと逃げることができる。
冷静になり、その事実に気が付いた奏星が移動しながらもちらりとコメント欄を見やれば、コメントはコメントで盛り上がっていた。
『なあ、原因分かったかも。これだわ』
『は?』
『この状況で釣りだったらマジでおまえアレすっぞ』
『釣りじゃねーわw』
『は? なにこれ、ガチ?』
『おい、マジかこの馬鹿』
『やりやがった、なんだこいつ』
《こっちでも確認した。〝独自魔法〟で火力の高い魔法を使える魔法使いが、気付け薬を改造した興奮剤を使って〝大量引き連れ〟を決行。そうして集めた魔物を一掃しようとしていたっぽいけど、失敗して決壊。興奮状態に陥った魔物たちがイレギュラー化しているせいで、次々に周りの魔物を追い立てるように上層へと進んできてる》
「はぁ!?」
それはあまりにも馬鹿げた内容だった。
そもそも気付け薬を改造した興奮剤というのは、偶然とある探索者が見つけた作用であり、その際の魔物の凶暴性から危険と判断され、禁止されている使い方として探索者協会で学ぶものである。
そんなものを使って〝大量引き連れ〟を行い、かつ失敗して決壊するなど、それはもはや事故ではなく、大量殺人を計画していると言われた方がまだまともというものであろう。馬鹿な行いとして片付けるにしては、あまりにも愚か過ぎる所業だ。
《最悪なのは、それだけじゃない。中層の浅い階層でそんなことをやったせいで、中層に慣れている探索者パーティがぶつからず、上層探索者たちばかりがその魔物に遭遇することになる。場合によっては、ダンジョン内で押し留められないかもしれない》
雅から送られてきたチャットは即ち、中層のその階層の魔物たち以下に限定されるものの、そういった魔物たちが外に放たれることを指していた。
――それって……つまり、上層にいる探索者たちは逃げ遅れたら……。
そう考えて、奏星の足が止まった。
そんな奏星に気が付いて、流霞と美佳里が足を止めて振り返る。
「……るかちー」
「うん」
「……あーし、さ。ちょい、無茶言っていいかな?」
「うん、いいよ」
「あーし、さ……? せめて最上層と、そこまで戻ってきてこれた人ぐらい、助けたいな、って」
『カナっち無茶しないで!』
『危ないって!』
『早く逃げて!』
『こういう時は逃げて救援を待つべきだって!』
荒れるコメント。
いや、これは荒れるというよりも、むしろ当然の反応であって、正しい判断なんだろうな、と奏星は思う。
奏星にも、それが正しいことだってことぐらい分かっている。
それでも、そんな正しさだけを選びたくはなかった。
――多分、あーしとるかちーは、〝金銀花〟は強い。
それは奏星も、他の探索者と比べてみればよく分かっていた。
普通、武装ゴブリンには苦戦もするし、ポイズンビッグスパイダーには苦戦したりもするだろう。
けれど自分たちは、それらを前にしても余裕さえあった。
事実、〝天秤トラップ〟だって踏破できたのだから。
そんな自分たちが、ここで逃げ帰るというのは。
それがどれだけ正しい判断であると分かっていても、助けられる人を助けなかったことになるんじゃないのか。
もしもそうなったら、自分は笑って過ごせるだろうか。
あぁ、無事に助かったねと、最悪な事故に巻き込まれたと、そんな風に笑えるだろうか。
そう考えた時、奏星にはあっさりと受け入れられなかった。
――多分、雅もそう思ってる。ウチらなら避難を手伝える。だけど、ウチらに行けなんて言えない。言えるはずがない。だから、チャットも止まった。
奏星には、そんな雅の葛藤が手に取るように理解できた。
雅は探索者に憧れていた。
きっとそれは、自分の大好きな家族が、探索者として正しく生きてきた姿をずっと見てきたからだ。
実際、『明鏡止水』は怪我人を助けたり救援に尽力していたりと、いざという時はいつも誰かのために動いているような、そんな探索者クランなのだから。
だから、雅だって本当ならそれをするべきだって思ってる。
けれど、それを求めるにはまだ自分と流霞はレベルも低いから、だから躊躇っているのだと、奏星には理解できた。
本音を言えば、助けるために無茶をする義理なんてないとは思う。
このまま外に出てしまえばいい。
いや、そもそも流霞を巻き込むことさえも間違っているのではないだろうか。
そう考えて改めて口を開こうとした、その時だった。
「――わかった」
「ぇ……?」
「でも、まずはミカミカを外へ、だよ。――その後、助けよう」
奏星の無茶な提案とも言える言葉。
しかし迷うことなどなく、真っ直ぐ奏星を見つめて流霞は力強くそう告げた。




