謎の少女
《――レベルが上がりました》
生きるか死ぬか、極限状態での戦闘というのは、人の精神状態を容易く変貌させる。
その変化が顕著な流霞であれば、一種の興奮状態に陥り、それがスイッチとなって暴れ回ることになり、奏星であれば、怒りという衝動的で原始的な感情が膨れ上がる。
そうしたものが、緊張の糸と共にふっと途切れたのは、まさしくその無機質な声のせいだろう。
脳内に響いた無機質な声は、未だ興奮冷めやらないまま余韻に浸るような流霞と奏星の頭の中に、さながら冷水をかけるように響いて、はっと我に返るに至った。
そうして、二人はお互いに顔を見合わせた。
「……レベル……」
「上がった……かも」
「カナっちも……?」
「うん、るかちーも……?」
「うん」
どこか唖然とした様子で、お互いに言葉を交互に紡ぎ合う。
そんな二人のやり取りを配信越しに見つめていた視聴者たちは、未だ興奮冷めやらぬ様子でコメントを投下しており、その勢いは凄まじいものだった。
『おおぉぉぉ!』
『おめでとおおおおお!』
『そらあんなのレベル1で倒したらそうなるわ!』
『すごかった!』
『なんかもう感動した!』
『JK最強!』
『泣いた! 良かった!』
これらの文字が、一瞬表示されてあっという間に流れていく。
そうやって奏星の視界の隅を、ほんの一瞬で流れていく大量のコメントの数々。
その勢いは凄まじく、追いかけることも難しいものだ。
だというのに、今の奏星にはそれらを追いかけ、内容を読み、理解することすらできたことに、奏星は思わず目を剥いた。
「……やば。レベルアップ、すげー」
「うん? どしたの?」
「いや、すげー早いコメントがしっかり目で追えるっつか、なんかもう感覚が全然違うかも」
「はぇー……」
「これヤバいわ。レベル上がっただけで全然ちがう……――っ、つかるかち、身体大丈夫!? 歩ける!?」
「あぇ?」
今更になって、流霞が頭から血を流していることや、トロールの攻撃を受けて吹き飛ばされていたことを思い出したかのように、奏星がはっと我に返って声をあげた。
流霞が先程からふらふらと身体を前後に揺らしていることに、ようやく気が付いたのである。
――――その時、突然パチパチパチ、と控えめな拍手の音がトラップルーム内に響き渡り、二人が振り返った。
「――〝天秤トラップ〟のクリア、それにレベルアップ、おめでとう」
二人が振り返った先にいたのは、黒を基調にしたゴシックドレスを思わせるような服を身に纏った、一人の少女であった。
フリルのついた服は汚れ一つなく、ここにやって来るまでに魔物と遭遇すらしていないのではないかと思うぐらいに、埃すら見当たらない。
ハーフツインテールと言われるような長い黒髪は背中の中間程まであり、先端が波打っていなければ腰にも届くのではないかと思わせる程に長い。
その髪もダンジョン内の薄暗い環境にあっても、よくよく見れば、インナーカラーを明るいピンクに染めているらしいことが窺える、十代中盤から後半に差し掛かる流霞や奏星と同い年ぐらいの少女だ。
「……誰?」
奏星の声色には紛れもない警戒の色が乗っていた。
突如として現れた何者か、無事ではなく疲弊した状況で、赤の他人を易易と信用できるはずもない。
まして、この〝天秤トラップ〟はそもそも他の探索者によって巻き込まれたようなものだ。そうなるのも当然と言えるだろう。
剣呑な光を湛えた双眸を向けてくる奏星に、しかし少女は動じない。
柔らかな微笑みを湛えて、少女は静かに告げた。
「私はあなたたちと同じ運命を持つ者、よ」
「同じ、運命……?」
「そう。月と太陽、あなたたちと同じ『運命に導かれし者』の一人、【悪魔】を冠する者よ」
『何この子、厨二病?』
『アルカナって言った?』
『そういや月も太陽もタロットにあるわ』
『悪魔ってヤバそう』
『可愛い子きた!』
『地雷っぽい髪色してるな』
突然現れた、【悪魔】の因子を持っていると思しき少女。
その少女の登場にコメント欄が俄に活気づいてきたところで、ようやく奏星がトロールを焼いた火柱が消え始めた。
振り返っていてその状況に気が付いていない奏星と流霞に、少女が続けた。
「色々と、積もる話もあるのよね。だから、ここから先は配信の外でしましょ。その宝箱の中身を公開するかどうかを決める必要もあるでしょうし」
「たからばこ……? ――あっ、カナっち、宝箱!」
「えっ? おぉっ、ガチじゃん! やった!」
「〝天秤トラップ〟の踏破報酬でしょうね。ダンジョンは試練を乗り越えた者には報酬を与えてくれる。相応しき物を、相応しき者へ、ね」
『すげえええ!』
『中身気になる!』
『言うて配信は実際しない方がいい』
『宝箱からの報酬を配信すると狙われる可能性もあるからね』
『公表していいものかどうか確認してからだね』
『配信でアーティファクト拾って、消息不明になったヤツいたよな』
『いたいた』
『奏星、プラベ配信に切り替える。その女の子がもしも二人に何かするようなら、すぐ通報する。つっても、もう騒動の注目度がヤバくて、色んな人が通報したっぽいけど』
次々と送られてくるコメントを見ていると、ちょうど雅たちからもコメントが届けられた。
公開配信は全世界の誰でも観れるようになっているが、プライベート配信――いわゆるプラベ配信であれば、その情報は雅たち〝がちけん〟しか観れないものに切り替わる。
プラベ配信にさえしておけば、万が一にもこの得体の知れない少女が、宝箱からの報酬欲しさに、あるいは何か他の目的があって疲弊している流霞と奏星を襲ってきたとしても、すぐに雅たちが通報することができる。
そこまで即座に考えたらしい雅に感心しつつも、奏星が僅かに警戒したまま口を開いた。
「……うん。ま、宝箱チェックもあるし、そーゆーことだから、一旦配信は切らせてもらうねー。あとで無事に戻ったらその報告とかもすっから」
『了解ー!』
『いいもん見れたわ。マジで』
『気をつけて戻ってね』
『地雷女子っぽいその子にも注意して!』
『改めておめでとおお!』
『カッコよかったよ、二人とも!』
「ほら、るかちも挨拶よろ」
「え? あ、はい。さようなら」
『きひ子ちゃんww』
『だからそれはもうw』
『もうきひ子ちゃんはいっそこれでいい気がするw』
『きひ子ちゃんらしいわw』
そんな配信コメントの数々を見送り、チャットログにもプライベート配信に切り替わった旨を知らせるメッセージが表示されたところで、奏星は改めて闖入者である少女へと顔を向けた。
「おけ、こっちはプラベ配信になった」
「……一つ確認させてほしいのだけれど、そのプライベート配信は、あなたのお仲間だけが観ている、ということで良いのかしら?」
「そうだけど、それが何?」
奏星が僅かに警戒を強めて訊ねれば、少女はニヤリと口角をあげた。
すわ本性を曝け出すか――と思って身構える奏星であったが、しかし次の瞬間、少女は深々と溜息を吐き出したかと思えば、そのまま自分の膝に手を突いた。
「ふああぁぁぁ……、緊張したぁぁぁ……。視聴者数、さっきチェックしたら2万行ってたし。つまりあれよ、観客動員数2万人とかそういうスタジアムかなんかでライブしてるレベルじゃん? そんな人数に見られながら喋るとか、いやいや、ほんと無理、吐くわこんなん……。〝金銀花〟やべー……、めっちゃ人気出るじゃん、こわ……」
ほんの数秒前までの、どこか超然とした態度は一体どこへ消えたのかと言いたくなるような落差に、流霞と奏星が目を丸くする。
なんなら流霞はその姿に親近感すら覚えていたりもする。
こう、一般人に擬態しているオタク少女としては、なんとなく近しいものを感じたのである。
一方で奏星は、そして配信を観ている雅たちは豹変ぶりに困惑すらしていたのだが、そんなことはお構いなしといった具合に少女ががばっと顔をあげた。
「あぁぁっ、そうだ! これ、魔法回復薬! きひ子ちゃん使って!」
「え?」
「ソロで拾ったヤツだからあげる! つかホント二人ともすごかった! 私、めっちゃ感動した! なんならもう配信観ながら隠れて一人で泣いてたし! メイク落ちたし!」
「は?」
「だから、そのね! 私、あなたたちのことめっちゃ推してて!」
「…………は?」
「でもその前にやっぱり宝箱チェックして! あっ、大丈夫! 私ちゃんと後ろ向いておくから! なんならきひ子ちゃんとカナっちをこのトラップに嵌めた奴ら、全員縛ってくるから! だからその、後でお話したいなって!」
――……なんか思ってたの違う。
流霞と奏星の二人も、そしてプライベート配信を観て警戒していた雅たちまでもが、謎の少女のテンションやら言動に置いてけぼりになりつつ、そんなことを思ったのは仕方のないことであったかもしれない。




