閑話 兄妹
「ただい……ま」
「おかえり、結花」
玄関を開けると、家に兄がいる日はいつも兄が姿を現す。
その光景には慣れてはいるものの、女子高生になったばかりの少女――羽矢 結花から見れば、正直、なんとなくちょっと面倒臭い。
そうしてうんざりしながらも、苦笑を浮かべて寛容に塩対応はせずにいるあたり、実に優しい性格をしていると言ってもいいだろう。
もっとも、その対応のせいで兄が妹離れに至れていないのでは、と両親や親友からは言われているのだが、それはしょうがないと思う。
大型犬よろしく見えない尻尾をぶんぶん振っているようなこの兄に、ちょっと塩対応でもしようものなら、見て分かるぐらいに落ち込むのだ。さすがにそんな兄の姿を見ると、罪悪感も湧くというものだ。
玄関を上がって歩きながら、そういえば、と結花は後ろでにこやかに笑いながらついてきた兄へと振り返った。
「お兄ちゃん、なんで今日も家にいんの?」
「あぁ、最近はオフが続いてんだよね」
「そっか。たまには休みの日ぐらい出かけたら?」
「それも悪くないな。どこ行きたい?」
「ん?」
「うん? どうした? 遠慮はいらないぞ? 兄ちゃんがどこでも連れてってやる」
そういうことを言った訳ではない。
ただ、どうやらこの兄は「どこかに出かけたら」という言葉を、「自分と一緒に出かける」と解釈したらしいことを結花は遅れて理解した。
まったく、これっぽっちもそういうつもりはなく、一人で出かけるなり、友人と出かけるなりすればいいではないか、という意味であったのだが。
結花とて、何も「家族と出かけるなんて嫌」と思っている訳ではない。
なんなら兄は有名な探索者であり、見た目も良い。
そんな兄と出かけていて、思春期特有の「恥ずかしい、家族だって思われたくない」というような感情はない。
ただ、どうしても一緒に歩いていると騒動になりかねない。
サングラスをかけたりもしてくれているのだが、それでも鍛え抜かれた細マッチョタイプの身体、背の高さ、爽やかな雰囲気のせいで、イケメンであることが見抜かれやすい。やたら注目を集める。
そんな兄が自慢でないと言えば嘘になるが、恋人だとかなんだとか言われてしまうのは辟易とする。
さすがにそういう感情はないのに、と。
「ま、いっか。そしたらお兄ちゃん、ダンジョン付き合ってよ」
「おう、いいぜ!」
「やった。じゃ、着替えてくるね」
「分かった! でも肌の露出は抑えるんだぞ! 結花は美人さんなんだから!」
「はいはい」
兄の横を通り抜け、自室へと向かいつつ結花が小さく笑う。
結花も結花で、かなりの美少女ではあることは自負している。
黒髪のロングストレートヘアは、兄がわざわざ買っているシャンプーとトリートメントでケアをしている。
さらに、たまに魔法回復薬を薄めて頭を洗うと、髪の艶が一気に蘇ると兄のパーティの仲間であり、これまた有名な女性に教わって以来、兄が用意した魔法回復薬で実践もしている。
そんな結花であるからこそ、中学時代から何度も男子から告白されてきたが、それらを振っていたため、同じ学校はもちろん、近隣の中学校でも高嶺の花として知られていたほどだ。
高校に入学して2ヶ月足らずの今、すでに片手では足りない数に告白されているため、その勢いは留まることを知らない。
なお、当の結花本人は恋愛云々なんて興味はないため、告白されたり遊びに誘われるのは迷惑でしかない。
そういう目で見られるのも面倒ではあるが、一番面倒なのは、告白してきた男子を好きだった女子から目の敵にされてしまうからだ。
断っても「お高く留まっていて鼻につく」と言われ、もしも付き合ったら「軽い女」と言い出すのだから厄介極まりない。
女子の世界はそういう意味では色々と苦労もあるのだ。
自室で着替え終わった結花は、動きやすい服装になっていた。
下はカプリパンツで、靴はランニングシューズ。上着はパーカーだが、これもひらひらとしていないタイトなタイプのパーカーだ。
どちらかというとランニングでもしそうな服装ではあるが、ダンジョンの最上層までしか行かないため、こうした服装で問題はなかった。
姿見で服装をチェックしてから部屋を出れば、廊下にはすでに兄も出ていた。
深い階層に進む予定がないため、普通に私服姿といった印象である。
「ごめん、おまたせ」
「いや、そんな待ってないさ。で、どこのダンジョンに行くんだ?」
「そんなん決まってんじゃん! 東京第3ダンジョンだよ!」
「あー、そっかそっか。結花の憧れの先輩探索者がよく通ってるダンジョンなんだっけ?」
「そうそう! あそこから伝説が始まったんだから!」
「ははは、そっか。ほら、行くぞ」
「はーい」
そんな話をしながら、二人は兄の車に早速乗り込むと、東京第3ダンジョンへと向かって出発した。
「そういえばお兄ちゃん、オフ長くない?」
「あー。俺らより、むしろ上の人たちが忙しいって感じでな。まあ俺らも訓練が結構忙しかったりはすんだけどさ。どっちかっていうと今は個人練習っつか、そっちが優先度高い感じだからな」
「へー、そうなんだ。……中層突破できそう?」
「教わったことができりゃあ、行けるだろうな。なんたって俺たちは『神風』の中でもエース級のパーティなんだぞ?」
「知ってますー。まあ、徠斗さんと有紗さん、なんか変な方向で人気出ちゃってるけど」
「……それなぁ」
「大変だね、同じパーティなのに」
「ホントだよ~~……。隆二もさっさと本性出せ、なんて言われたりすんだぜ? あの二人みたいなぶっ飛んだトコなんてないっての」
「あはは、それはなんていうか……」
車を運転しながら愚痴を零す兄――隆二。
日本の最大手クラン、『神風』の若きエースパーティの一員であり、色々な意味で有名な有紗と徠斗――つまりは『酒カス聖女』と『百合王子』という、個性の溢れる仲間たちと違って、自分は凡人だと思っているらしい。
そんな兄の運転する車の助手席で、結花はそっと窓の外に顔を向けた。
――『シスコン』もある意味立派過ぎるぐらい個性だと思うんだけどね……。それを許容してる私もブラコンなんじゃってたまに言われるし。
そんなことを胸の内でぽつりと呟いた。
ブラコンではない、と本人も思っているが、周りから見れば充分にブラコンである。
「ところで、結花の方はどうだ? ダンジョン因子、なんか分かったか?」
「うーん、まだダメなんだよー。『明鏡止水』が公開してる魔力操作のレポートとかも色々読んでるけど、やっぱり道具がないとダメなのかなぁ」
「……ごめんな。俺も『第3世代』のダンジョン因子にはさっぱりでさ。なんか力になれればいいんだけど」
「あはは、気にしないでって。それにね、私が尊敬してる先輩たちは、みんな『第3世代』ですっごい強いんだよ。私もあの人たちと同じ高校に通えたんだし、一回は会ってお話ししてみたいなぁ」
「へー、結花の通う学校の生徒なんだっけ?」
「うん、そうだよ。え、お兄ちゃん知らなかったっけ?」
「結花が応援してる高校生パーティがいるっていうのは聞いてたけど、パーティの名前とかは知らないなぁ。結花、一回俺が訊いた時、教えるの嫌がってただろ?」
「あー……」
車を走らせながら隆二が言うものだから、そういえば、と結花も改めて思い出す。
「……私さ、あの頃はお兄ちゃんと自分を無意識に比べちゃってて、息苦しかったんだ」
「結花、それは……」
ちょうど1年ばかり前の頃は、少しナーバスな時期に入っていた。
有名になっていく兄とは違い、自分は何もない。
ただちょっと見た目がいいだけ。
なんだかそれが恥ずかしいような悔しいような、そんな気分のせいで、あまり自分のことを話したくなかったのだ。
けれど、結花はそんな時期に〝推し〟を見つけた。
「でもね、私、あの人たちを見ていて、自分たちで進む凄さとか、なんかこう、パワーっていうかね。そういうのを見ていて、憧れて、自分もあんな風に一歩ずつ進んでいきたいって、そう思うようになったんだ。色々な問題があっても、ちょっと軽い感じで乗り越えちゃうのが凄く好きで」
「結花がそこまで言うなら、俺も知りたいな。なんてパーティなんだ?」
「〝金銀花〟だよ!」
「ぶふぉっ!?」
「お、お兄ちゃん!? 前、前っ!」
「お、おおおぉぉ……、すまん……」
同じパーティの仲間に《《ゴリ推し》》されているパーティ、〝金銀花〟。
まさかその名前を最愛の妹から聞くことになるとは思わず、あわや事故りかけた隆二であった。




