『明鏡止水』の挑戦を前に
一通り〝鴉〟との話し合いを終え、ゆったりと時間を過ごして、15時半を回った頃のことだった。
ついに『明鏡止水』の一行が中層のエリアボスフロアの手前に到着した。
《――予定よりも少し早めの到着となりましたが、長めに休憩が取れると考えれば悪くありませんね。このあと、17時から中層エリアボスとの戦いを開始します。一旦配信は待機画面にしたままとなりますので、皆さんもどうぞ今の内に休憩してお待ちください》
『はーい!』
『歴史的瞬間まであとちょっとか』
『良かった、シャワー浴びたかった』
『ゆっくり休んで!』
『楽しみにしてます!』
『がんばって!』
傑がドローンに向かって挨拶をすれば、視聴者たちのコメントが凄まじい早さで流れていく。
同時接続人数、730万人という凄まじい数字。
テレビでも取り沙汰されていることもあるが、何よりも中層突破への挑戦が珍しいこと。今後中層突破を考えてエリアボスのヒントを探そうという者たちに、大してダンジョンに興味を持っていない者たちが、テレビで騒いでいるから見てみる、というようなスタンスで配信をつけていることを考えれば、これだけの視聴者数がいてもおかしな話ではなかった。
もっとも、流霞にとってはもはやそれは人ではない数字だ。
その先に人がいるとか、そんなことは気にしない。気にしたら負けなのだ。
最近の〝金銀花〟の配信チャンネルの登録者数が100万人になったとか、同時接続数が高いとか、某掲示板で自分の名前が出てスレッドが立っていることとか、そんなのは気にしたら負けなのだ。
陰キャコミュ障オタク少女のくせに、思い立った時に中途半端にエゴサとかするからそういうことを知ってしまう。
ホラー番組とかなんとなく観ちゃって数日間ビクビクする子供のような精神性の持ち主であった。
「あと1時間弱、ですね」
「だね。……ねえ、るかちー」
「うん?」
「お父さんたち、無事に勝てるかな?」
先程から、階層が進むにつれて気もそぞろになってきた雅。
そんな彼女に紅音が声をかけたことを皮切りに、雅が流霞へと問いかけた。
今までは触れてこなかった話題だ。
準備ができた、とは聞いていても、それを聞いた雅は『明鏡止水』の面々が勝てるかどうかという質問だけはしてこなかった。
もしかしたら、その質問に「苦戦はするけど多分大丈夫」というような答えが返ってきたりしたら、恐らくは不安で堪らなくなってしまうからかもしれない。
そんな雅の心情を察していない流霞は一瞬きょとんとした後で、特に気負うこともなく、励ますつもりもなくこくりと頷いた。
「――多分だけど、思ったよりあっさり勝てちゃうんじゃないかな」
「は?」
「へ?」
不安を押し殺して問いかけた――つもりではあったのだ。
雅としては、これでもしも「ギリギリで勝てるはず」ぐらいのことを言われたとしても、それでも父と姉が選んだ選択なのだから、応援だけはしようと決めていたつもりである。
そんな雅の横で流霞の答えを待っていた紅音もまたそうだった。
信じてあげましょう、と言うだけならば簡単だ。応援してあげましょう、と他人事のように言うのも、難しい話ではない。
雅が今日、この場所で配信を観ると決めたのは、きっと家で母と共に観ていたら、不安で心が押し潰されてしまうかもしれないと考えたのだろうと紅音は思う。
そんな雅に対してそのような安っぽい言葉をかけても、当事者の心には響かない。
だからせめて、傍にいて、何が返ってきても一緒に支えよう、とは思っていた。
だと言うのに、だ。
流霞は何も思っていないような様子で続けた。
「えっと、正直に言うと死霊王たちとの相性の良さで言えば、私たちより向こうの方がずっと楽だと思うよ?」
「んん?」
「ど、どうしてそう思うのでしょう?」
「んーとね。死霊王って、ちょっとプライドが高すぎるっていうか、相手を舐めてるんだよね」
流霞が言わんとしていることがいまいち判然とせず、雅と紅音が首を傾げる。
そんな二人の視線を受けた流霞がどう答えればいいかと視線を彷徨わせていると、流霞の後ろから抱きつくようにして奏星が顔を出して、そのまま流霞の前にあるテーブルの上に自分のコップを置いてジュースを注いでいく。
「ぐぇぇ」
「るかちーさぁ、もっとこう、きゃっ、とか言わないん?」
「そ、そんな声出したことない……似合わな過ぎて箱の中に入りたくなる」
「うける。――あ、邪魔してごめんね、雅、あかねぇ。なんの話してたん?」
「ふんっ」
「おあっ!? む、無重力……!? あはっ、これやっぱ楽しいわー」
背中に乗っかっている奏星がどいてくれる気配もなかったため、流霞が自分とその周辺の重力を一瞬で無重力化してふわりと浮かび始める。
力の無駄遣い、と言いたいところだが、無重力状態のままふよふよと漂うという機会もあまりないのだ。
正確には、やってと頼めばやってくれるのだが、それで褒めるとにまにまして制御を失ってしまった流霞のせいで重力が戻り、奏星と美佳里がお尻を打って以来、遊びではなかなかやってくれなくなったのである。
ここぞとばかりに奏星も堪能しながら重力操作の指定範囲外であるテーブルのジュースのコップを手に持って、無重力空間内に浮かばせ、流霞にいきなり解いたら大変なことになるからね、と言わんばかりに見せつけた奏星が、満面の笑みを浮かべる。
その姿を遠目に見た菜桜が一瞬で流霞と奏星のところにやってきてジャンプ――無重力状態になって手足の力を抜いた。
さすがに二人分だけだと狭いと感じて、流霞が無重力空間を広げると、那波と真琴がうずうずとした表情を浮かべてこちらを見ていることに菜桜が気が付き、手招きする。
――なんでちょっと真剣な話してたのにこんなことに?
紅音がそんなことを考えつつ、改めて雅からの質問と流霞の回答を一通り説明した頃には、流霞の無重力指定範囲はかなり広がっており、そこには奏星と菜桜、それに那波と真琴のみならず、聖奈と瑛里華までもが参加し、広がった無重力空間に浮かんでいる。
チェスをしていた美佳里と莉緒菜の呆れたような視線に、彼女たちは気が付いていないらしい。
ともあれ、話を聞いた奏星が改めて口を開いた。
「あぁ、るかちーが言ってるのは、死霊王が隙だらけって話っしょ?」
「うん」
「まあそれはあーしも感じたかなー」
「え?」
「どゆこと?」
雅と紅音を他所に、奏星もまた思い当たる節があったようで、その意味を理解していた。
どういうことなのかと雅や紅音が目を丸くしている中、少し離れた場所にいた美佳里が自分のチェスの駒を手に持ってから、その答えを口にした。
「ぶっちゃけ死霊王って、最初のるかちーの一撃か、もしくは騎士を出した時に不意打ちすれば倒せてたかんねー」
「うん」
「それなー」
美佳里の一言に唖然とする一行を他所に、流霞が相変わらずなんの気もなしに続けた。
「死霊王は、自分の得意とする魔法攻撃をする前に一気に詰めれば、本当はそこで倒せる相手。格下には無類の強さを誇るけれど、それをさせてくれない相手になると途端に弱くなる相手だよ」
あの手のタイプは、手数で翻弄できれば強いが、それが通じないとなると途端に手がなくなってしまうだろうな、というのが流霞や奏星、美佳里の感想だった。
そもそも最初に流霞が騎士を潰した時も、手数を調べるという目的がなければいちいちあそこで攻撃を止める理由はなかったのだ。
直接攻撃を加えてしまうと手が見えない。
だから、挑発するように取り巻きである騎士を屠った。
ただそれだけの話だったのだ。
「……格下に強いって、なんつーか……。下層に入るに値するかを推し量っているみたいな、そんな感じじゃね?」
「うん、私もそれを感じた。だから、そのルールをクリアできれば、割と簡単に勝てる相手なんだよね」
「ぶっちゃけ騎士倒す前に狙撃したら倒せたかもしれないし」
「手札を見るのに倒しちゃダメだけどねー。ただまあ、騎士使って防がれる可能性もあったからなんとも言えないけど、それを突破できればいけたんじゃないかなー」
軽い調子で言う美佳里と流霞、それに奏星のやり取りを聞いて、自分たちもさっさと死霊王を倒そうと決意する〝魔女の饗宴〟組の4人。
一方、雅はしばし固まっていたものの、はっと我に返って流霞たちに顔を向けた。
「……それ、伝えていい?」
「え、うん。まあ、私たちの感想でしかないけど……」
「多分いけるって」
「雅の姉ちゃんのアレ使ったら、場合によっちゃ開幕一発で終わると思うけど」
その情報は傑と柚芭にしっかりと伝えられ、中層突破戦の寸前に矢ノ沢家の二人はなんとも言えない表情になったと言う。




