歴史的な日の裏側で
《――ここ最近、様々な革新的な技術を発表しておりました、大手探索者クランの『明鏡止水』による、ダンジョン中層突破への挑戦が、間もなく始まろうとしております。すでに当該配信チャンネルの視聴者は――》
チャンネルが、切り替わる。
《――多くの探索者の方々が言う通り、中層のフロアボス、つまり下層へと繋がる道を塞ぐ魔物は、それまでの魔物とはひと味もふた味も違うのです。事実、中層深部の攻略に余裕があるパーティですら、そのフロアボスにダメージを与えることもできずに――》
再び、チャンネルが切り替わる。
《――公式に下層へと足を踏み入れた探索者はおりません。周郷さん。レベル6探索者が集まっても勝てないとまで言われている中層のフロアボスへの挑戦ですが、今回の『明鏡止水』による挑戦はどのように見ておりますでしょうか?》
《そうですね。僕はまだまだ『明鏡止水』の方々に比べて経験は浅いので、あまり偉そうなことは言えませんが……――もしかしたら、『明鏡止水』ならやってくれるかもしれない、と。そう感じています》
《おぉ、そうなんですね! ちなみにその根拠についてお聞かせいただいても?》
《えぇ、もちろんです。何と言っても、『明鏡止水』は僕の最推しとも言える〝金銀花〟、それに〝魔女の饗宴〟が関係していますからね。おや、ご存知ない? では、まずは事前知識として、最初に彼女たちの尊さについて説明――――》
プツン、と音を立ててモニターの映像が切れたところで、その正面に座る老年の男が反射して映り込んだ。
都内の背の高い建物の中、会議室と思しき場所。
窓際の遮光カーテンが機械の起動音を小さく鳴らしながら自動で開いていく。
明るくなった部屋の中にいたのは、一人の男だ。
顔に刻まれた皺の数々は、これまで乗り越えてきた多くの苦労を物語るようですらあった。衰えていく肉体をそのままにはせずにしっかりと鍛えあげているらしく、年齢には似つかわしくないガッチリとした肉体をしているらしいことがスーツ姿の上からでも見て取れる。
そんな男が、「ついにこの時が来てしまったか」と言わんばかりに机に肘をつき、顔の前で手を組んで瞑目したままため息を零した。
――――『明鏡止水』による中層突破宣言。
その宣言は瞬く間に世間に広まった。
もっとも、男から言わせれば《《広まってしまった》》というのが正しいだろう。
初動を押さえることに失敗したのだから。
そこからと言うものの、『明鏡止水』を止めてみようと試みた者たちが、ありとあらゆる方向からアプローチしたものの、その全てが空振りに終わった。
このような状況で事故や事件を引き起こして強引に止める、というのは難しい。
昔に比べて、今は個の情報発信が容易くなり、その伝達速度は凄まじいものになった。
そのリスクはあまりにも高まり、現に1年ほど前にはそれが原因で探索者協会は揺らいだ。
時代は変わった。
時の流れと共に、過去に隠蔽し、隠しきってどうにか無理を通したものが掘り返されることも少なくない。
その結果、追求されるのを恐れて逃げるように消えていく者も増えてきた。
もうそろそろ、変わらなければならないのだろうな、と男は思う。
「――あは。なーに暗いとこで一人で考え込んでんのさー」
「……〝改変〟か」
部屋の扉の近く、音もなく入ってきたその男に視線を向けることもなく、部屋にいた老年の男は静かに闖入者に答える。
しかし、その呼び名は彼にとってはあまり好ましいものではなかったようだ。
面白くなさそうに顔を顰めて、闖入者の男は大げさに肩をすくめた。
「その呼び方どーにかなんねーの? 俺は別にそんな風に名乗った覚えねーんだけどー? つかそれ、《《俺ら》》の総称みてーなもんじゃんよ」
「仕方あるまい。おまえの名を知る者の方が少ない。それに、呼び方は統一した方が良かろう。この時代、どこから情報が漏れるかも分からん」
「……ふーん? あんたはそうやって割り切れてんだなー」
珍しいものを見るかのような目と声色を向けられて、老年の男はその視線の意味を察した。
「時代の移り変わりは、ここ10年ほどで凄まじい勢いで加速した。個人が情報を外に発信できる時代になり、当たり前に誰もが民意を確認できるようになった。もはや、我々のような時代のやり方は通用しない。そうなることは見えていた。その時がきたというだけの話だ」
「それなー。ま、それが分かんねーバカが多いのがあんたらみてーのがいる世界なんだけどよー」
「奴らとて分からないのではない。分かっていて、それでもしがみついている。しがみついたまま生き残れるだけの繋がりを持っているのだ」
「そりゃー余計タチ悪いな、おい。蛭だって血ぃ吸ってそれなりに満足したら自分から離れるってのになー」
老年の男が肘をついている机に〝改変〟と呼ばれた男が腰掛けてみせれば、老年の男がギロリと〝改変〟に視線を向けた。
しかし、〝改変〟は何も気にすることはなく、ニタニタと嫌味な笑みを浮かべていた。
「んで、どーすんの?」
「どうする、とは?」
「決まってんだろー? 『明鏡止水』、だっけ? 潰すかー?」
「無理だ」
あっさりと言い放ってみせた老年の男性の前で、〝改変〟は目を丸くした。
「え、なに? 諦めちゃう感じかよー?」
「そもそも、おまえたちの力を使おうという気は最初から私にはない。それに、おまえも理解しているだろう。〝金銀花〟の一件で、国民は今も監視の目を光らせている。おまえたちを使えば勝てるだろうが、それだけだ」
「まー、あんなクソみてーなやり方しちまったらなぁ」
「それよりも、だ。表立って中層を突破するとなれば、それが呼び水となって世界が荒れるのは目に見えている。私たちがやるべきことは、もはや隠すことではなくなった。生き残りたければ、まずは次の舞台に上がるしかないということだ」
老年の男は上体を起こすようにして椅子の背もたれに身体を預け、そして深くため息を吐き出した。
「中層突破をどの国の探索者も表立ってやらなかったのは、どの国もお互いがお互いの国の力を牽制し合い、隠し合い、騙し合ってきたからだ。そうすることで、どうにか国家間の力のバランスを、そして人の心の安寧を保ってきた。だが……」
「ま、下層のバケモンの強さを見ちまったら、配信越しでも嫌でも分かると思うぜー? 下層はどう考えたって人間の限界を超えるような化け物の巣窟だからなー。『崩壊地域の奪還は不可能だ』ってよー」
「それもあるが、問題はそれに勝てる者が出た場合だ。その時点でその国は『凄まじい武力を有した国』となる。崩壊地点の奪還の要請も有り得るが、警戒され、場合によっては先手を取ろうと攻撃してくる者まで出てくることになる。戦争を起こす動機になる、ということだ」
「くっだらねー。そんなことしてくるヤツらなんて処理しちまえばいいだろ?」
「簡単に考え過ぎだ、馬鹿者が。それこそ、おまえたちクラスの実力者たちがあちこちから表に出てくる可能性もあるという話をしている。今は繋がりが限定されているから良い。そこから利益を供与することで下手なことはせずに従ってくれているのだからな。だが、そういう奴らを引き抜こうと膨大な金を積む者も現れるだろう。そうなれば、国家間のバランスが完全に崩れることにも繋がるのだ」
「あー、はいはい。そーゆーのはそーゆーのが好きなヤツ同士でやってくれよー。めんどくせーなー」
老年の男が危惧するのは、徹頭徹尾政治に関することであるようで、〝改変〟にはそんなものに付き合うつもりもなかったようだ。
机から降りると、〝改変〟は男に背を向けたままひらひらと手を振ってから部屋を出て行く。
「おまえたちは、どうするつもりだ? 今の飼い主たちに残された時間は少ないぞ」
「どーだかねー。ま、色々手ぇ汚してっからさー。いざとなったら、海外に飛ぶわー」
「……そうか」
止める、というのは現実的ではない。
この老年の男は、〝改変〟たちと面識こそあったが、直接的な取引関係にはなかったものの、どういった仕事を受け、どういったことに手を染めてきたのかは知っている。
政府直属の実行部隊、〝改変〟。
もしも今の権力者たちが淘汰され、さらには罪も暴かれたなら、〝改変〟もまた罪に問われることは間違いない。
だが、そんな彼らを捕まえようとしたところで、レベル9という埒外の実力者の集団を止められる者はいない。
もっとも、そんな実力者ですら〝神奈川の亡霊〟たちを仕留めることもできず、未だに神奈川には『崩壊事件の真相を示す証拠』を回収、あるいは破壊することもできていないが。
――いずれ、あれらが白日のもとに晒されれば、どの道逃げた者たちも終わる。だが、崩壊地域の最奥部、《《レベル7でも入れない程の魔境》》は深い。そこにあるものを回収できるほど、〝神奈川の亡霊〟たちも強くはなれていないと考えてもいいだろう。
未だに表に出てきて糾弾してこないということは、つまり崩壊地域に用があるということ。
その状態が続いている限りは、せいぜい汚職だの裏金だので社会的に追われる《《だけ》》で済む。
しかし、万が一そんな〝亡霊〟たちに、何か後押しになるものが現れたり、今回の中層突破によって後押しになるものが見つかってしまえば、その時には崩壊地域の完全解放も現実的なものになる。
――あの連中は、どうしてもそれを避けたいと考えているだろう。となると、神奈川あたりで〝改変〟や他の部隊と〝亡霊〟の戦いが始まるかもしれないな。
しばし思考を巡らせながら沈黙していた老年の男が、再びモニターの電源を入れた。
《――今、『明鏡止水』の皆様がアタックを開始いたしました! ご覧いただいております映像は、現在配信している映像をリアルタイムでこちらでも流させていただいております!》
いずれにせよ、この挑戦が世界を動かすことには変わりない。
そう考えて、その行く末を見守ろうと老年の男は決意した。
――――そんな男だが、彼はまだまだ理解が浅かった。
そもそも、〝神奈川の亡霊〟こと『亡霊の庭園』はすでにレベル9になっていることも。
そして、そんな彼が気持ちを切り替えて動き出そうとしている中、想定外なところから一気に時代が動くことになる、などとは露とも思ってもいなかったのだろう。
「――んじゃ、るかちー、ミカミカ。《《ウチらの中層突破挑戦》》、始めよっか」
世間が『明鏡止水』の挑戦に浮かれ、盛り上がっている――正にその最中に。
流霞たち〝金銀花〟は、東京第3ダンジョン中層のフロアボスがいる、20階層に足を踏み入れた。




