閑話 傑の胃痛タイム
「――……ッスゥーー……。うん、うん……」
日本有数のトップクランの一つでありながら、最近では新たな発見である独自魔法、解析魔導具の試作に成功、魔法回復薬と魔法補助強化薬の開発に成功など、ありとあらゆる面で話題を掻っ攫っているクラン――それが、世間から見た『明鏡止水』というクランに対する印象だ。
家族経営のクランであり、矢ノ沢家によって親子2代に渡って堅実な活動と実績を積み重ねてきたことからも、信用度という点では他のトップクランに勝ると言ってもいいだろう。
そんな栄えある矢ノ沢家のリビングルームでは今、矢ノ沢家の当主とも言える傑が歯と歯の隙間から漏れる空気の音を奏でた長い呼吸のあとで、天井を見上げて何に対してかも分からない返事を返していた。
――あぁ……、胃が痛いなぁ……。
「……これ、マジで言ってる? 私より強くね?」
「……渚沙はまだいいわよ。でもこれ、私より……っていうか……」
「……僕より強いだろうね、これは」
映像越しに見える、グラトノスとの戦いの映像。
末娘である雅がボディカメラで録画してきた映像であり、〝鴉〟より見せる許可を得た映像である。
表の勢力である『明鏡止水』とも協力関係を築きたい『亡霊の庭園』の力を見せるために許可を出した形だ。
その最終戦前、奏星の【紅炎穿】と【紅炎爆発】を観た辺りから唖然として固まっていたが、その後のグラトノスとの戦いになってからは、もはや誰も何も言おうとはしなかった。
そして映像を観終えたところで、傑の呼吸と謎の頷きが出たのだ。
映像ははっきり言って、常識外れにも程がある。
そもそも合宿遠征とは聞いていたが、まさかそれがダンジョンではなく崩壊地域だなどとは露とも思わなかった。
パパとしてはそれだけで胃がしくしく痛む。
さらに、そこから映像の〝鴉〟から聞かされた情報の数々に驚愕し、そして最終的にグラトノス戦を見せつけられた。
戦いは凄まじかった。
雅の父であるレベル6探索者の傑でも自分より強いと言わしめるような代物であり、同じく雅の姉でレベル5探索者の長姉、柚芭と次姉の渚沙よりも間違いなく強い。
同じく映像を観ていた雅の母である瑤子がこめかみに指を当てて嘆息しており、翻って三女であり雅に一番歳の近い姉である冴香は、ARグラスをかけて凄まじい勢いで〝鴉〟の言葉をメモしつつ仮説を大量に記載している。
――なんだかもうパパもうお腹いっぱい。
現実逃避しながら傑がそんなことを思う中、雅が改めて口を開いた。
「っつーわけで、ウチら〝がちけん〟も表立って動けるように色々と開示していく予定ではあるんだけど、一気に飛ばし過ぎちゃってさ。しばらく配信はするけど、少しずつ段階的に強さを公表していくって感じかな」
「……そうするべきでしょうけれど……。雅、時間をかけるだけでどうにかなるとは思えないのだけれど」
「だいじょーぶ。しばらくは表では中層挑戦、プラベ配信で下層攻略を進めながら強化を進めて、その間に〝がちけん〟を拡大化して組織としての力もつけてくつもり」
「下層攻略……」
人類がこれまでに辿り着けなかった境地とされた、謎だらけの空間への挑戦。
そこに末娘が行くと聞いて、傑と瑤子は先ほどまでの唖然とした態度から一転、真剣な表情を浮かべて思考を巡らせた。
確かに雪乃のスキル、それに雅の魔法薬を使って装備やアイテムを強化していくことも考えれば、様々な素材を手に入れていけば、それが戦力の増強にも繋がるだろう。
とは言え、下層は未知数だ。
雅たちが付き合いのある『亡霊の庭園』のような強者たちの存在を今更否定することはない。
だが、下層の情報を持ち帰り、公表しているという訳ではないのだ。
未知に対して挑む。
それがどれだけ危険なのかと考え――そこでふと、傑ははっとあることに気が付いて、そして苦笑した。
「お父さん? どしたん、いきなり」
「……いや、すまない。父が言っていた言葉の意味を、今更ながらに理解した気がしてね」
「父って、お祖父ちゃん?」
「そう。『明鏡止水』の創始者で、僕の父。みんなのお祖父ちゃんに何度も言われた言葉を、今更ながらに初めて理解した気がしたんだ」
傑は当時を思い出しながら、ゆっくりと語っていく。
それはまだ、傑が結婚すらしていない頃――若き次世代のエースの一角を担う探索者としてちやほやされていた頃の話だ。
傑は父であり雅の祖父でもある大治郎よりも圧倒的に若い内からレベルをあげ、中層の深い階層に辿り着いた。その時、大治郎の記録を大幅に塗り替えたことで親を超えただのなんだのと周囲に持て囃された。
その時に、大治郎に釘を刺されたことがあった。
――「立派なのは確か、実力も認めよう。だが、俺と比べて勝っていると、優れていると思って慢心はするな。ダンジョンは甘くはない」と。
当時の傑はそれを負け惜しみ、或いは歳を取った大人のお小言ぐらいの感覚で聞き流していた。
そうしてしばらく時間が経ち、結婚し、娘たちが生まれ、探索者として活躍してから、傑は真意を聞くこともなく過ごしてきた。
きっと大治郎は、天狗にならないように釘を刺そうとしていたのだろう。
ダンジョンは魔物はもちろん、トラップなども含めて、容易く人の命を奪うような場所だ。大人として、親として、心配してくれたのだろう、と思うようになっていった。
それが有り難いものだとも。
だが、今の雅との会話の中で、その言葉の真意が初めて理解できたのだ。
「――当時の父、つまりみんなのお祖父ちゃんは、中層の最前線を常に更新し続けていくような、そんな人だったんだ。前もって情報を手に入れたりもできないような場所を、未知を相手に進み続けてきた。それに比べて、僕は違った。情報のある既知の階層だというのに、ただただ攻略階層の深さという一点だけで比べて、追い付いただけで持て囃され、喜んでいたんだなって思ってね。いやはや、我ながらみっともないな、ってね……」
「お父さん……」
気恥ずかしさからか苦笑して頬を掻く傑と同じように、柚芭や渚沙も少しばかり耳の痛い思いをしていた。
祖父である大治郎の記録に並んだ、追い付いたというのは自分たちも一喜一憂したものなのだ。今まさに傑が言った通り、父に追い付いただとか、祖父よりも早く到達できただとか、そういった比べ方をしていなかったと言えば嘘になる。
そんな微妙な空気を払拭するように、傑が明るく声をあげた。
「いや、まあ僕の話はいいとして、だ。雅ちゃんたちはこれから、お祖父ちゃんと同じように未知の階層に挑むんだね」
「うん。つっても、あーしは探索者としてはよわよわだから下層なんか入れないけどさ」
「それでも、大切な友達が未知に挑むんだ。ただ行ってらっしゃいと見送るだけという訳でもないんだろう?」
「そりゃもちろん」
雅が言葉を区切って、部屋のモニターに『〝がちけん〟2年間計画表』と書かれた一枚のファイルを表示した。
「っつーことで、『明鏡止水』のクランリーダーであるお父さんに、これからの計画についてプレゼンさせてもらうねー」
「……へ?」
「『亡霊の庭園』とも協力関係になるし、ウチはもうガッツリ入り込む感じになりそうだからさ。そういうのも含めて、フォローとか支援とか、諸々よろしくってことで!」
「え゛っ?」
傑の胃痛タイムは、まだまだ始まったばかりなのである。




