グラトノス戦 Ⅱ
グラトノスはレッドヒュージスライムと同じ魔力液体を纏った核の魔物だ。
さらにそこに高い知性を有しているため、核を移動させたり、あるいは敢えて魔力液体の身体を一度切り離して再び結合するというような知恵を使った戦闘も可能にする個体である。
ダイラタンシー現象を利用した防御能力を有し、分厚い層となっている魔力液体をレッドヒュージスライム以上の強い酸に変えることを可能にする能力。
さらには『増殖型』という特性も相俟って、一般的な探索者では手に余る魔物だと言っても良いだろう。
スキル拡張に届かない探索者では、核に攻撃を届かせるのも難しい。
それこそ、レベル5探索者である雅の姉であってもそれは変わらず、レベル6探索者の雅の父である傑や、〝金銀花〟の百合強火ファンでもある周郷 徠人であっても、不意打ちで最高の一撃を入れたとて、核には届かず弾かれたかもしれない。
それだけではなかった。
グラトノスは発生してからしばらく、敢えてレッドヒュージスライムの取り巻きであった配下たちを意図せず取り込み、その記憶や経験を吸収するという術を手に入れたのだ。
これは『亡霊の庭園』の者たちにとっても、想定も観測もされていない事象だった。
たった一回の偶然から、グラトノスは学んだ。
レッドヒュージスライムという取り巻きを利用した情報収集を、経験の蓄積を繰り返し、その内に新たなスキル――【思考共有】という代物を手に入れていたのだ。
そんな厄介極まりない巨狼型のグラトノスこそ、『増殖型』グラトノスの始まりの個体とも言える。
このグラトノスは、〝椿〟が相手しているグラトノスすらも【思考共有】を利用して同等でありながらも取り巻きのように扱うことに成功していた。
だが、良かったのはそれまでだった。
目の前に立ちはだかった、〝虎〟と〝椿〟。
人間でありながらも自分たちよりも強い者たちが立ち塞がった。
ならばその配下と見做した奏星たちを取り巻きたちで喰らい尽くし、そのまま呑み込んでやろうと考えてみれば、取り巻きのレッドヒュージスライムたちが太陽に焼かれ、赤い霧に破壊された。
そして今――――。
「――きひひっ!」
「るかちー、フォローする! そのまま攻撃で!」
「分かった!」
―――先ほどから執拗に殴りかかってくる流霞を狙って攻撃をしても、突然現れた炎に焼かれ、凍らされ、邪魔をされる。
滑り込むように身体を入れてくる黒い影に阻害され、動きが止められる。
唯一届いたものは回避されて虚空を切り裂き、追いすがれば赤い霧に破壊される。
――煩わしい。
グラトノスもまたうまく流霞たちの攻撃から致命傷を避けていた。
戦いが始まって、すでに30分近くが経過しようとしているが、お互いがお互いに致命傷を与えるに至っていない。
この状況に追い込まれているのは有利に見える流霞たちでもあった。
そもそもグラトノスは『増殖型』。
およそ2時間に一度、全く同じ力を有する個体が生まれる。
戦闘開始までに30分弱、戦闘が始まっておよそ1時間が経過している。
そろそろ決着をつけなければ、グラトノスの数が2倍に増える。
そうなれば、流霞たちに勝ち目はない。
「――〝鴉〟よ、どうするつもりだ?」
「つばきちがそっちを処理しちまえば、増殖したところでまた片方を隔離しておけるけれども、それは今回はするつもりはないにゃりにゃ。増殖が始まりそうになったらゲームオーバーにゃりよ。二人で潰していいにゃ」
「……良いのか?」
「まだあの子たちの実力じゃ厳しいのは確かにゃ。むしろ人数がいるとは言え、渡り合ってるだけでも充分と言ってもいいはずにゃりにゃ」
「それはそうだが」
退屈凌ぎに暴れたいと言い出した〝虎〟と〝椿〟が役目を入れ替え、〝虎〟がもう一体のグラトノスと戦う中、〝椿〟は〝鴉〟の答えを聞いて、どこか腑に落ちない様子で戦いを見つめている。
戦う者として、流霞たちの挑戦というのは〝椿〟にとっても好ましいものだ。
自分たちは半ば復讐のような仄暗い感情もあって戦っているが、〝がちけん〟に所属する面々はそうではなく、純粋にどこか楽しそうで、熱中して、眩しいぐらい真っ直ぐに戦いに挑んでいる。
そんな彼女たちの頑張りを、その尊い輝きを曇らせることになるのではないかという葛藤があった。
しかし一方、〝鴉〟もまた〝椿〟がそのように思っているであろうことを察しつつも、今回の戦いの目的が違うのだと自分に言い聞かせた。
今回の戦いで、流霞たちには〝超常級〟という普通の魔物とは一線を画する存在がいて、どれだけ厄介で、どれだけ強いのかを知ってもらいたいという気持ちがあった。
そうすることで現実を知り、より奮起してくれることを期待している節があったのだ。
結果として勝利できずとも、それでも良かったのだ。
ただ、折れずに立ち向かってくれるのであれば、自分たちの肩を並べるに足る実力になろうと折れずに考えてくれるなら、それで良かった。
だから、ここで無理に勝利する必要はないと考えている。
せっかくなら勝利してほしいと考える〝椿〟の戦士としての気持ちとは対照的に、あくまでも今回の〝超常級〟との対峙は試金石でしかなく、勝敗は問わないという〝鴉〟のスタンスは噛み合わない。
お互いに思うところが異なっている二人であったが、しかしその時。
グラトノスの片割れを破壊寸前にまで追い詰めた〝虎〟が、そんな二人のもとへと戻ってきてくつくつと笑った。
「――分かってねェな、テメェら」
「何がにゃりにゃ?」
「どういう意味だ、〝虎〟」
「……はあ。おいおい、目ェ曇ってんのか? 流霞のヤツも、その相棒の奏星とかいうヤツも、《《まだ本気じゃねェ》》だろうが」
「は……?」
「なんだと……?」
驚愕する二人を他所に、さも当然のことを口にするように〝虎〟は軽い口調で続けた。
「あの二人、何か《《隠し玉》》でも用意してやがんだろ。けど、それをやるには多少時間がかかるってトコか。だから相手の動きを読もうとしてやがんだよ。膠着状態は〝超常級〟にとっちゃ不本意だが、あの二人にとっちゃ狙い通りなんだよ」
そこまで言ってから、〝虎〟が流霞に顔を向けた。
「おい、流霞ぁ! そろそろタイムアップだ! やれることあんならやりやがれ!」
「――っ」
しっかりと〝虎〟の声が聞こえていたのだろう。
ロッドをくるくると回して、空中で回転しながら流霞がその先端をグラトノスに叩きつけて着地すると、〝虎〟に向かって頷いた。
吹き飛ばされるように後方へとたたらを踏むグラトノスに、一斉に奏星の炎が、美佳里の弾丸が、瑛里華の雷撃が襲いかかり、さらに押し込んだ。
そんな中で、流霞が目を閉じて深く深く深呼吸し、気持ちを落ち着かせてから目を開けた。
「――奏星」
「《《アレ》》、やっちゃう?」
「うん。でも、足りないかもしれない。だから――りおなん」
唐突に流霞によく分からない内容の依頼を投げられ、莉緒菜が僅かに首を傾げた。
時間を作ってほしい、と言われるのであればそれはもちろん協力する。
だが、わざわざ名指しで呼ばれ、真っ直ぐと向けられた視線は、ただそれだけのためのものではないような気がした。
「……何か、私にしてほしいことが?」
「うん。私たちがこれからやるものに、力を注いでみて。多分、《《できる》》から」
「……どういうこと?」
「――『運命に導かれし者』は、本当にあるってこと」
「……は?」
にしし、と笑ってみせる奏星に、莉緒菜が唖然とした様子で声を漏らす。
そんな莉緒菜を他所に、奏星が美佳里たちに顔を向けた。
「大技いくから時間稼ぎよろ!」
「おけ!」
「なんや知らんけど、任せときー!」
「ん、撹乱してくる」
美佳里、瑛里華、菜桜がそれぞれに返事をして即座に攻撃を続けていく。
グラトノスが身動ぎできなくなる程の密度で放たれた攻撃だが、しかしグラトノスも防御を優先してそれらを耐え凌いでみせている。
そんな中で、流霞が身体の周囲に赤い霧を漂わせ、奏星が手を細剣を空に掲げる。
奏星の細剣の先、空中に小さな太陽が生まれる。
先ほどの【紅炎穿】からの【紅炎爆発】に繋げた一撃と同じような、小さな太陽そのものだ。
その太陽を覆うように、流霞の赤い霧が吸い込まれるように近づき、渦巻いて、太陽の輝きを完全に覆い隠した。
皆既月食よりもより紅い、【紅炎穿】の彩度の高い赤を思わせるような月がその場に生み出され、ビリビリと周囲の空気を揺らした。
突如として生み出された凶兆を訴えるかのような存在に、〝虎〟と〝椿〟が僅かに強張ったような笑みを浮かべた。
「……おいおい……、《《なんだよ》》、そりゃぁ……」
「……恐ろしい程の力だな。此方の本能が、その代物の危険を強く訴えているぞ」
「……他人同士のスキルとスキルが、融合しているにゃりか……!? そんなの、普通有り得ないにゃりよ……!? それに、なんなのにゃ、その存在感……!」
流霞と奏星、二人の力が融合して生み出された、内部で燃える太陽を内包した、皆既月食を思わせる月という存在。
さすがに『亡霊の庭園』のメンバーであっても、この目の前で引き起こされたそれの力は理解が及ばない代物であったようだ。
それだけでも、異常な力を有していると窺える。
だというのに、これで終わりという訳ではない。
流霞が莉緒菜に顔を向けた。
「――りおなん」
「……ふふふ。いいわ、何故かは分からないけれど、《《そういうもの》》だと私の中の【悪魔】が囁いているわ。なら、私の力でそれの方向性を決めてあげる」
ぶわり、と莉緒菜の影が広がり、浮かび上がって月を真っ黒に染め上げた。
皆既月食を思わせた月は黒く染まり、その輪郭に太陽の炎を宿した、さながら黒い太陽のような何かへと変貌した。
「――宿れ、【黒触月】」
スキルを新たに習得した時と同じように、莉緒菜は頭の中に浮かんだ命令を言葉にした。
奏星の上で不気味な程に静かに、それでいて強烈な存在感を放っていた黒触月が、割れるように分かたれた。
彩度の高い紅い炎を滲ませた黒が、奏星の細剣に、流霞のロッドに、莉緒菜の魔装である腕についた鎖に纏わりついて、不気味にゆらりと揺れる。
異常とも言える程の力が放つ、恐ろしい程の威圧感。
それぞれの魔装を黒く染め、紅い炎を揺らめかせているその光景に、誰もが言葉を失い、その姿を呆然と見つめていた。
動かないまま見つめているのは、何も3人の仲間たちだけではない。
魔物という、人間以上に魔力や力といったものに敏感なグラトノスだからこそ、その力の異質さに気が付かずにはいられなかった。
――あれに触れたら、《《終わる》》。
本能が警鐘を鳴らした。
生まれて初めて、恐怖というものを感じながら、グラトノスはゆっくりと紅炎の軌跡を残して突然動き出した流霞たち3人に向かって、拒絶するように触手を伸ばした。
同時に、3人が一斉に魔装を振るいながら駆け出した。




