第16話 お泊りデート
一度家に戻り、泊まり用の荷物を用意した。
「ついにお泊りデートかよ……やるな、おい」
姉にいじられながらもバッグに着替えを入れ、さっさと家を出て、来た道を戻る。
古谷さんの家に行くのは、実は今日が初めてだ。
すごい緊張するぞ……古谷さんの両親にはすでに会ったことがあり、関係を認めてもらっているけれど、だからって気楽に行けるわけではない。
絶対に粗相をしてはいけないわけだが、一時間くらいならともかく、一日泊まりとなると失敗する機会もその分多いだろう。
……ああ、足取りが重くなってきた。
一歩ごとに荷物が重くなってくるように感じる。
それでもなんとかゆっくりと歩き、合流場所に着いた。
「では、行きましょう」
古谷さんは静かに俺の手を取り、先導するように歩き出した。
そう……手を握るのは、これくらい自然にできる程度には慣れてきたのだ。
だから、慣れればそれ以上のこともできるのは間違いない。
しかし、一日でさらに進展できるのかって言うと……どんな特訓をするつもりなんだ?
★★★
商店街は、古谷さんの中学校の学区内にあるという。
なので、商店街から家までそれほど離れていなかった。
歩いて十分ほどの距離。一軒家が並ぶ地区に古谷さんの家はあった。
立派な門があり、中には周囲の家よりちょっと広めの庭。車はハイグレードの乗用車が二台と、大型SUVの計三台。
建物もゆったりとしていて、外観からオシャレさが溢れている。
あれ、もしかして、古谷さんの家って結構なお金持ち?
「いらっしゃい、小野寺くん」
中に入ると、古谷さんの両親が出迎えてくれた。
二人とも、休日だというのに、ずいぶんと身だしなみが整っている。うちの両親は、休日はかなり気を抜いた服で家でだらだらしているのに……。
「小野寺さんが来るから着替えたみたいです。朝は着古した服でしたよ」
古谷さんが耳打ちしてくる。
そういうことか……良かった。異文化レベルの家に来てしまったかと思った。
「えっと、話は聞いているかと思いますが、一晩泊まらせていただくことになりました。よろしくおねがいします。ご迷惑にならないよう気を付けますので」
「自分の家だと思って楽にしてね」
そんなことできるわけがない。
というか、初めて彼女の家を訪れた男が、自分の家かのように振る舞い出したら、親的には心配ではないのか?
というわけで、俺はガチガチに緊張しながらスリッパに履き替え、まずは客間に通された。
六畳の和室で、家具などは特にない。
だが、まるで旅館のようにキレイに掃除されている。普段はあまり使わない部屋だと思うが、天井の隅に蜘蛛の巣一つないとは……。
その部屋に荷物を置き、リビングに移動する。
座るよう促され、ふかふかのソファーに腰を下ろす。
古谷さんが隣に座り、愛衣さん――古谷さんのお母さんが、向かいに座る。
「二人は学校ではどういう感じで過ごしてるの?」
いきなりそんな話を振られた。
「ちょっと、お母さん!」
「いいじゃないの。私は女子校だったから、クラスに彼氏がいるって感覚がよくわからないのよ。恋湖愛は恥ずかしがって教えてくれないから、冬馬くんからぜひ教えてほしいなぁ」
「答えなくていいですからね、小野寺さん」
わたわたと慌てだす古谷さん。
家でもこんな感じなのか……かわいいなぁ。
キッチンの方からは、ガリガリという何かを削るような音が聞こえてくる。
父親の健司さんが何かしているのだろうが……何の音だ?
「コーヒー豆を削っているのよ」
と、愛衣さん。
「主導で豆を挽いて淹れるのが好きでねぇ。冬馬くんにご馳走したいのよ。さっさと挽いておけばいいのに、あらかじめやっておくと鮮度が落ちるから来てからやるって。バリスタでもないんだから、手動じゃなくて電動で挽いて、ハンドドリップじゃなくて機械に任せて方がおいしいのにねぇ」
「そういうことじゃないんだよ」
笑う愛衣さんの背中に向けて、キッチンから健司さんが言った。
「単純な技術なら、そりゃ機械が上だろう。でも、ただおいしいで終わりだ。今日はうまくできた、次もこの調子で――あるいは、今日は失敗したな、何がいけなかったんだろう――そういう一喜一憂する楽しみは、自分の手でやらないと味わえない」
「ま、いわゆる男のロマンってやつね。四十才超えても、そういう子どもっぽいところがある夫なわけで」
愛衣さんはそう言って笑うが、健司さんを軽んじている様子はない。
むしろ非効率なことに執着する夫を、微笑ましく見ているというか……。
仲の良い夫婦だということが伝わって来る。
「どれ、できたぞ。さぁ冬馬くん、どうぞ」
健司さんお手製のコーヒーが俺の前に置かれる。
いかにも濃厚そうなのはいいが……ブラックか。
できればミルクがほしいところだが、自慢のコーヒーなので、まずはブラックで飲んでほしいということか。
苦いのは得意ではないが、えいっ、と気合いで飲む。
ところが、口の中に広がったのは、苦味ではなく酸味。フルーティーな香りを含んだ酸っぱさで、苦さはそれほど感じなかった。
「おいしい……」
「そうか、良かった。恋湖愛から、冬馬くんは苦いのが嫌いだという話を聞いていたからこの豆にしたんだ」
「うちでは普段飲まない豆でね、冬馬くんが来る時のために用意したのよ。だから、早く来てほしくてうずうずしてたの」
俺はこの家に来るのにビビっていたのに、二人はこんなに歓迎ムードだったのか。
まだ少し落ち着かないところはあるが、この調子なら、案外リラックスして泊まれるかもしれないな。
★★★
……なんて考えは甘かった。
普段は慎重派なのに、突然アクセルをベタ踏みする癖がある古谷さんを侮っていた。




