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俺はWeb小説家をやめる  作者: TOBE
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俺は大作家の恋を知らない①

 普段あまり飲まないコーヒーは苦いだけで、良いアイディアなど一つも浮かんでこなかった。カップを下ろすと溜め息を吐きノートパソコンを閉じる。喫茶店の店内ではまばらな客が昼下がりの談笑にいそしんでいる。中には漫画や小説の話題もあって、彼らの熱心な語りを聞いていると、俺のストーリーと何処が違うんだろうと思えてくる。

 アクセスが減っていた。もともと俺の小説を読む人数なんてたかが知れているが、それでも気になる数字の推移だった。原因に心当たりはある。だが認めたくはない。

 大学生の集団が小説の話からパチンコへ話題を変えると、俺の興味も他のテーブルへと移った。ちょうどそこでは20代半ばくらいの女性が対面に一礼し、席を離れるところだった。

 残された30前後の男性を、俺は一度みたことがあった。確か藤原さんという出版社の人間で、以前、彼が上竜小筆にインタビューしているところを、俺は隣のテーブルから眺めていたのだ。

 とはいえ接点なんて皆無に等しいので気にせずコーヒーの苦味に再トライしていると「おや君は」と、思いがけず声を掛けられた。顔を上げるといかにも食えない大人の顔が笑っている。


「モブ・モブ男くん、だったよね。俺のこと覚えているかな」

「は、はぁ。藤原さん、ですよね。上竜にインタビューしてた」


「そうそう」と言って藤原さんは鷹揚に頷く。


「前にチラッと小筆ちゃんから聞いて、君の小説を読ませてもらったよ。売れるかはともかく、なかなか面白い作品を書くじゃないか」

「本当ですか。こ、光栄です」


 まじかよ、プロの業界人が俺の小説を!?瞬時に血がのぼる俺の頭に冷水をかけるように、藤原さんの台詞は「だが――」と続いた。


「なんというか、最近は切れが足りないんじゃないか。ここ最近の数話は連載開始当初にはあった、『反骨心』みたいなものが失われている気がするよ」

「反骨心、ですか」

「初めて見た時、君にはオーラがあった。淀んだ負のオーラだけどね。だけどそれって君のような作家には必要なものなんじゃないか」


 君は、満たされてはいけないタイプの作家だ。

 店を出ていった藤原さんの言葉を思い返す。

 左側に張られたガラスの向こう、行き交う人々の足並みを見ているようで、俺の目は何もみていない。

 コンコン。ふとガラスを叩く音が聞こえ、その時はじめて彼女が立っていることに気が付いた。

 賀来密はガラス越しにニッコリ笑った。


「どうしたんですか。浮かない顔をして」入ってきた彼女はそう言って俺の対面に座る。

「いや別に」俺は努めて本当になんでもなさそうな声ではぐらかす。

「いっつもそれ」艶やかな唇がぷくっと尖る。「私には何も教えてくれないんですね」

「ははは、まいったな」俺は曖昧に頭をかき、内心では彼女の愛らしい仕草にドギマギしていた。

 不登校の一週間を越え、この子は一層、綺麗になった。それは、おれ特有のブレーキを緩めてしまいそうになるほどで。

 あまりジロジロ見るのはよそうと思い、話題を変えた。


「賀来は買い物?」

「いえ、知人の家に行くところです。星ヶ峯主(ほしがみねあるじ)という方なんですが」


星ヶ峯主(ほしがみねあるじ)!」俺は思わず大声をあげ、気まずさにトーンを落として「あの推理小説作家の」と、きいた。


「ええ、その人であってます」

「でも彼は一、二年前に亡くなったんじゃ……」

「そうですね。私が中学二年生のころでした」


 賀来の話によると、著名な蔵書家としても知られる星ヶ峯主の自宅には膨大な書籍がまるで図書館のように整然と並び、それらは一般にも公開されていたらしい。


「小学校の三年生くらいからでしたけど、私はしょっちゅうあそこに通い、先生には大変お世話になったんです。妹さんにも何回かお会いして、その時のことを覚えていらしたんでしょうね。あそこが取り壊されることが決まったので、最後に一目、見に来ないか、と」


 少し寂しそうに、彼女はそう言って目を伏せた。

 俺はといえば葛藤していた。星ヶ峯主といえば推理小説はマニアとまではいかない俺でさえ、何回か手に取ったことのある大作家である。筆をとる者として興味を持たないなどあり得なかった。しかし――。


「あのさ」普段は自分から距離をとるくせに、と自己嫌悪に陥りながらオズオズと俺は言う。「よかったら一緒に行ってもいい?」


「勿論ですよっ」


 困ったことに。彼女の笑顔は屈託なく、見ているだけで心が満たされるほど、魅力的だった。




 この街にはところどころ、山を崩して造られた団地がある。あるていど家が建った後はすき間を埋めるように建設が続いた為、道は複雑怪奇に折れ曲がって通行に不便この上ない。


「うーん、区画整理失敗!」


 階段に嫌気がさした俺が音を上げると、賀来は苦笑いを浮かべていった。

「でも私は好きですよ。空に近い街って素敵。ときどき見える脇道も、どこか秘密の場所に続いてる気がして……それに、見てください」彼女はのぼってきた方向を視線で示し「すごい景色」と言った。

 街並とその先に続く湾、そこに浮かぶ活火山を一望出来る、パノラマだった。

「本当だ」俺も倣って振り返る。ソヨソヨと顔を撫でる風が、些末な悩み事など払い飛ばしてくれるようだった。「ふふっ」

「どうしました」再び向きを変えた俺が自分の顔を見ていることに気づき、賀来は首を傾げた。


「いや。俺達、揃いも揃って文学少年、文学少女だと思ってな」


「文学少女」呟いたとたん恥ずかしげに、賀来は顔を赤くする。それでも表情は嬉しそうに「そうですね。出会いに恵まれて、とても幸運だと思います」と言った。


「幸運か」


 俺は、本来はそうだよなと罪悪を抱き、再び階段を上り始めた。



 視界の端をプランターの花が彩り始めたなと思ったら。階段の途切れた先に白い洋館が姿を現した。平坦になったアスファルトの向こうに車の行き交う大通りが見えることから、俺達の辿った道が裏ルートだったことが伺える。

 表にまわると、蔦の絡まる門の横に「書人館」と刻まれてあった。

 随分ストレートな名前だなと思いつつ、白い木製の扉を開け、中に入る。

「おお」足を踏み入れるなり広がったホールの様相に、俺は圧倒され声をあげた。

 ぐるりと巡らされた本棚は館の奥の奥まで果てしなく続き、それ以外の壁という壁は隙あらば四角にくりぬかれ、二階へ上がる階段脇のちょっとしたスペースでさえ大小様々な背表紙が並んでいる。極めつけは天井から吊り下げられた(かご)で、この中にも本が立て掛けるように、扇型で重ねてあった。

 いったい、何冊あるのだろう。読書コーナーと通路以外の全てを本の収納の為に造り上げられたこの館は、そこらの図書館以上の、なんというか、本に懸ける想念のようなものを感じとれ、俺は畏敬の念さえ覚えたのだ。

 書人。故、星ヶ峯氏は、まちがいなく本の人だった。




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