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俺はWeb小説家をやめる  作者: TOBE
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俺は大作家の恋を知らない②

 予め賀来が連絡を入れていたのか、入り口そばのカウンターから、上品にお歳を召されたご婦人が現れ「いらっしゃい、賀来さん」と言った。

「こんにちは、多江さん」賀来は挨拶を交わすなり俺の方へ向き直り「こちら、クラスメイトのクズさんです」

「ク……?」まさかの暴言に多江さんは固まってしまう。

 賀来は慌てて「い、いえいえ。クズなクラスメイトの近葉出流くんです」

 おい、フォローになっていないぞ。


「あっあっ、クズと言っても勿論いい意味で、ですよ!?」


 お前もう黙れ。完全にパニクってしまった賀来の発言をかき消すよう、俺はにこやかな顔を多江さんへ向ける。


「近葉出流です。多江さんは星ヶ峯先生の?」

「ええ、妹です」

「今日は俺も見学させて貰ってよろしいでしょうか」

「勿論。素敵な学生さん達に最後に来て貰えて、兄も喜んでいると思いますわ」


 さぁさぁ、どうぞ奥へ。多江さんに促されるまま通路を進んだ俺達は、さながらお菓子の家へ迷いこんだヘンデルとグレーテルのよう。


「建物を見るだけでなく、本もお読みになってね」


 ただ違うのは、本をお菓子と見立てるなら、俺も賀来も誘惑に勝てっこないというところ。そして多江さんは決して悪い魔女ではなく、むしろ女神。

「楽園だ」俺の口から、自然と言葉がもれた。しかし驚きはそこで止まらなかった。


「気に入った本があれば、持っていって貰って構いませんよ」


「え」俺はとうとう動きを止め「あなたはやはり魔女だ」と唸った。


「魔女?」

「だってそんなこと言われてしまったら、俺はここから出られなくなる」


「ここには近葉くんの探していた本が沢山あるんですよ」目をぱちくりさせる多江さんに、賀来が苦笑まじりで耳打ちする。「きっと目移りしてしまうんでしょう」


 女性どうしのクスクス笑いを尻目に。居ても立ってもいられなくなった俺は、大急ぎで物色にとりかかった。



「おやおや。なんとも意外なところでまた会ったね」


 ふいにかけられた声に顔を上げ、窓の外を見ると真っ暗になっていた。

「もうこんな時間か」俺はかけられた声からは検討違いの呟きを返し、視線を正面に戻す。

 藤原さんが呆れた顔で立っていた。


「出版社の俺が言うのもなんだけど、本の虫というのはどうしてこうなんだろうねぇ」


「藤原さん」俺は恥ずかしさよりも驚きが先に出て「なんでここに」ときいた。


「俺は星ヶ峯先生の担当だったからね。それで、君の方は」

「連れがここの常連だったんです。壊される前に一度見に来ないかと招待されたようで。藤原さんもそうなんですか?」


「まあ、それもあるんだが」藤原さんは歯切れ悪く言うと、手で二階へ上がる階段を示した。「ちょっとついて来てくれないか。見せたいものがあるんだ」


 なんだろう。疑問に思うも席を立ち、連れられるまま二階へ上がる。

 藤原さんが立ち止まったのは、奥まった小部屋の窓横にある、一つの本棚だった。


「これなんだが」

「これは……」


 遠目には他と何ら変わらない本棚だったが、近づいてみるとすぐに分かった。本の一部がどかされていて、その向こうの壁に金属の銀色が見えている。

 ダイヤルのついた小さな箱。それは金庫だった。


「どうしてこんなところに」

「さあな。作家は変り者が多いという例に漏れず、先生も独特の感性を持っていたから」


「開けたんですか」俺が問うと「いや、五桁の番号が分からない」藤原さんは首を振る。


「何が入っているんでしょうね」

「確かなことは言えないが、心当たりはある」


 藤原さんの言によれば、星ヶ峯氏は亡くなる直前までペンを握っていたという。

 そして最後の作品は、いまだ出版社に渡っていない……。


「完成したんでしょうか」

「どうだろうね。でも俺はしたんじゃないかと思っている。先生が亡くなる前、多江さんが最後の作品の処遇を示すような言葉を受け取っているんだ」


 最後はベッキーに託す――。


「ベッキー?外人ですか」

「ははは、謎だよね。多江さんは作家特有の言葉遊びだろうと言っていたが、金庫が明るみになった今、彼の言葉は一種の遺言だったんじゃないかと、俺は思っているんだ」


 つまり、原稿は完成していて、星ヶ峯氏はその公開の判断を「ベッキー」と呼ばれる謎の人物に託した――。


「そして幻の原稿はこの中に眠っている、と」

「まぁここが壊されても金庫は多江さんの自宅へ移されるから、焦る必要はないんだろうけど」


 担当の性がね。藤原さんが苦笑した時、うしろから「ウフフ」と上品な笑い声がした。

「男の人ってほんと、謎解きや冒険がお好きねぇ」賀来と並んで立った多江さんは、笑いながら懐かしそうな顔になる。「兄も本当に、同じでしたわ」

「そろそろ帰りましょうか」照れた顔を見合わせる俺と藤原さんに賀来が言った。「多江さんはまだ根を詰めるなら館のカギを貸してくれるそうですけど」

「いえいえそこまでは」俺は驚いてかぶりを振る。「遅くまですみません」

 こうして戸口まで多江さんに見送られ、俺達は名残惜しくも楽園をあとにしたのである。

電灯に照らされた足元に、視界の隅でギリギリ注意を向けながら、ぼんやり元来た階段を下っていく。

「何を考え込んでいるんですか」ふいに横から賀来が覗きこみ、俺をドキリとさせた。「最後に多江さんに聞いてましたよね。ここはいつまで残ってるんですかって」


「え、また来たいと思ったんだけど。変かな」

「いいえ。でもその時の表情がそれだけじゃなかったから」


 上竜といい、この子達は俺の顔をよく見ている。気恥ずかしくなって、すぐに言葉を繋いだ。


「お前、あの金庫のことは聞いているか」

「ええ。番号が分からないから開けられないって」

「これは勘だけどな。あそこが壊されてしまえば、金庫は二度と開けられない気がするんだ」


 若い頃より身体の弱かった星ヶ峯氏は、あまり外に出ない性分だったという。だからあの空間は彼の全てだ。芳しい紙の香りに囲まれた森の中で、俺はずっと、彼の息遣いを聞いていた気がする。

 番号のヒントは書人館の中にある。あそこが壊されるまで幾ばくかのうちに、俺は謎を解き明かそうと思っていた。




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