7.『魔法使いの弟子』
「座ってろ」
あの後、真冬並みに冷え込んだ執務室から隣のリエーヴェル副隊長の執務室へ案内された。疲れ切った様子のリエーヴェル副隊長は、私を部屋に置いたまま出て行ってしまった。
私はというと、言われるがまま一人掛けのソファーに腰を下ろし、リエーヴェル副隊長が居ないことをいいことに盛大に頭を抱えていた。
帰る前にあの2人の騎士に釘を刺しておかないと…!!
こちらの部屋に通される時、こちらを見ることが出来る様子ではなかったジャハンさんを除く2人の騎士が、まるで信じられない光景を目にしたかのような顔をしていた。
あれは勘違いをしている。ベルッケン隊長の「もしかして彼女?」という余計な一言もあった所為で、絶対にとんでもない勘違いをしているに違いない。
なんて言ったって、女嫌いと噂されるリエーヴェル副隊長が、仕事上の付き合いがある女官だったとしても、自身の執務室に家族以外の女性を招き入れるのなんて初めてなのだろう。
私も場所を移すだろうとは思っていたけど、まさかリエーヴェル副隊長の執務室に案内されるなんて考えてもいなかった。
多分、リエーヴェル副隊長は物語を探していることを公言していないのだと思われる。だから密談をするなら個人部屋の方が良いと判断したんだろうけど…。
あの騎士達の顔には「え、隊長の言ってた通り付き合っているのでは…!?」って書いてあった。
違うからね!本当に違うからね!って目線で訴えたけど、あれは通じていなかったと思う。
リエーヴェル副隊長との話が終わったら直ぐに訂正をしておかなくちゃ。
「何をしている?」
「っ!?」
い、いつの間に部屋に戻ってきていたの!?
急に聞こえたリエーヴェル副隊長の声に慌てて背筋を正せば、こちらを不思議そうに見ていたリエーヴェル副隊長が私が座っているソファーの直ぐそこに立っていた。その両手にある物を見て私は目を瞬いた。
ティーポットとティーカップ?
「ハールックも飲むか?味は保証する」
「……えっ!?リエーヴェル副隊長が煎れられたのですか!?」
「そうだが?」
私の向かい側のソファーに腰かけたリエーヴェル副隊長は、自らカップに紅茶を注ぎ、こちらの返事も聞かずに私の前にもそれを置いた。
目の前で揺れる紅茶の香りは、申し分ないほど完璧だ。温度や蒸らし時間等が正確でなくては出せない香りが立っている。侍女をしていた私ならともかく、リエーヴェル副隊長がまさかここまでの紅茶を煎れられるとは……。
というか、リエーヴェル公爵家の次男であり、第1騎士隊の副隊長とあろうお方に支給された紅茶って、もしかしなくても大変な物を私は目の前に置かれているのではないだろうか……!?
ちらりと向かい側を見れば、リエーヴェル隊長は紅茶を飲んで一息付いていた。心なしか先ほどまでとは違い表情が柔らかくなっている気がする。
「今日はジャハンが迷惑をかけてすまなかったな」
「あ、いえ。訂正も直ぐにしていただけたので寧ろ助かりました」
私の手元には先ほどジャハンさんが気絶寸前で修正してくれた書類がある。今まで第1騎士隊から監査班に回ってくる書類に不備がなかったのは、全てリエーヴェル副隊長の厳しい確認があったからこそだったと分かった。
あれだけ叱られたのだから、暫くは不備書類がこちらに届くことはないだろう。
「……実は、ハールックが第1騎士隊の担当文官だったとは知らなかったんだ」
一度紅茶から口を離したリエーヴェル副隊長が、ぽつりとこぼした呟きが耳に届いた。
「知らなかったのですか?」
「監査班に回した書類が戻ってくるようなことは殆どないからな」
気にしたことがなかった、と紅茶に口をつけるリエーヴェル副隊長に私も心の中で呆れながら頷き返した。
完璧主義ですものね。不備で戻ってくるようなことは殆どないから、監査班の文官がどこを担当しているなんて気にしないのだろう。
「私は王城警備の騎士隊予算を担当しているんです。第1騎士隊が王都警備担当になれば、ベルッケン隊長とお知り合いだというパーター・ピッシモさんが担当になりますよ」
「ああ、ピッシモ殿は私も知っている。まだ私が副隊長に任命される前、ベルッケン隊長のところに殴り込みにきたからな」
「ピッシモさんがですか!?」
ピッシモさんが殴り込む姿は想像できないけど、まだ少ししか話したことのないベルッケン隊長が何かをしたんだということだけは分かった。
……いったい何をしたんですかベルッケン隊長。
「あの時は心が晴れやかになったのを覚えている。私も参戦しようかと迷ったくらいだ」
「そ、そうですか……」
懐かしそうに目を細めるリエーヴェル副隊長だが、その後ろには黒い物が渦巻いている。
本当に何をしたんですかベルッケン隊長。
「では、今後の事を話そうか」
カチャン、と静かにカップを置いたリエーヴェル副隊長に私も背筋を正す。その事で私も最初に言っておかなくちゃいけないことがある。
「すみません、まず私からお願いがあるのですが良いでしょうか?」
「……願いか、なんだ?」
願い、と言葉に出した瞬間、リエーヴェル副隊長の顔が歪んだ。
な、何か問題でもあるのだろうか…?
ほのかに空気が重くなったが、これだけは承諾してもらわないと私も困る。
ぐ、と両手を膝の上で握りしめてから頭を下げた。
「私が王宮図書館に本を置いていることを他言しないでいただきたいのです」
「……他には」
「それだけです」
「………それだけ、か?」
はい、と頭を下げたまま頷けば、そうか…と気の抜けたような声が聞こえた。
「一応、理由を聞いてもいいか?」
「……実は、王宮図書館にある私の本は、許可を取らずに私が勝手に置いているんです」
目を瞬いたリエーヴェル副隊長に、私は曖昧に笑いながら話を続けた。
私が、私の物語を沢山の人に知ってもらいたいと思っていること。王宮図書館であれば人の目に触れられる機会があるだろうと、本を作っては勝手に追加していたこと。このことが知られたら無許可の私の本はきっと処分されてしうこと。
そして最後に、私が私の物語を語る代わりに、リエーヴェル副隊長にはこのことを黙っていてもらいたいということを再度お願いした。
「なるほどな。無許可で置いていた、というのは感心できないが、そういうことなら黙っている」
「あっ、ありがとうどざいます!」
「それにしても、予想していたものと違って可愛らしい願いだったな」
「かッ!?」
可愛らしいッ!?
氷の騎士と呼ばれるリエーヴェル副隊長の口から出たとは思えない単語に、思わず頬に熱が集まる。
しかし、そのまま呆れるように発せられた言葉でその熱も拡散した。
「女の願いなど禄でもない事しか聞いたことないからな。婚約してくれ、結婚してくれ、側室でもいい、子供だけでもいい、本当にくだらない願いばかりだな。何故私が初めて話したような知らない女のくだらない願いを叶える必要がある?そんな話を聞く時間さえ勿体ない。ハールックがそのような願いを口にしようものならこの部屋から突き出していた」
「そ、そのような願いは無いですね……」
「だろうな。昨日と先ほどの態度を見る限りでは、私に対してそのような感情あるようには見えなかったからな。正直、あのように関係を力強く否定されたのは初めてだったので驚いた」
「あれにはあれで理由がありまして……」
「いや、別に事実なので問題ない」
そうですよね、事実ですからね。
肯定されればリエーヴェル副隊長が私に何の感情も持っていないことは直ぐに理解できた。
そもそも私のことを女性として扱っていない可能性がある。普通の紳士は、淑女の頭を鷲掴みなどしないのだから。
私は今まで手を着けなかった紅茶を飲んで、少し歪みそうになった顔を隠した。
紅茶は少し冷めていたが、予想通り私が煎れるよりもおいしかった。
「それでは、今度こそ今後について話し合おうか」
「はい」
「まず、どこでハールックの物語を聞くかだが……。私は先ほどまで、毎日ハールックがこちらへ来てもらえれば助かると思っていた」
「そ、それは出来れば私は避けたいのですが……」
「ああ。私もこの案は不採用にした。ここには、身体と声ばかりがデカくて煩い奴がいるからな」
騒ぐことが目に見えている、とリエーヴェル副隊長の眉間に皺が寄った。それはもしかしなくてもベルッケン隊長のことですね。
「そこでだ、ハールックは毎朝何時に出勤をしている?」
「出勤時間ですか?明確な時間は決めてませんが基本的に朝の鐘が鳴る前には活動を開始してますね」
侍女の時は早く起きるのは当たり前だったし、文官になってからも、日中は第4騎士隊に時間を取られて出来ていなかった通常業務を片付けるのに早めに出勤していた。その所為か、早くに目が覚めるように体内時計が設定されてしまったようだ。
私の答えに満足そうにリエーヴェル副隊長は頷いた。
「なら調度良い、私も朝訓練があるのでその時間は起きている。朝の鐘が鳴る時間に王宮図書館で待ち合わせしよう」
「王宮図書館ですか?その時間は開いてませんが……」
「ハールックが居れば問題ないだろう」
「そ、そうですが……」
確かに文官には、王宮図書館に自由に出入り出来る権利が貰える。しかしそれはあくまでも執務時間中の話で、朝の鐘が鳴る時間は論外だ。
「もし何か言われれば私の名前を出せ。第1騎士隊のリエーヴェルに頼まれて開けたとでも言えばいい」
「は、はあ……」
「後は1日で何個聞けるかだな……。物語の長さはだいたい図書館にあったものと同じか?」
「長さはそれぞれですが、長すぎる物はないですね」
なるほど、と顎に手を当てて考えたいたリエーヴェル副隊長は、ふいに顔を上げて、何か話してくれ、と言ってきた。
話してくれって……今から?
「いいですけど、お話しするのは一つでいいですか?私もそろそろ戻らなくてはいけませんので…」
結構時間は経っている。休憩にしては長すぎるだろう。
それにリエーヴェル副隊長からジャハンさんへの説教時間も含めると既に1時間はこちらに滞在をしている。
そろそろ戻らなくては。
「そうだな、ハールックにも執務があるのにすまん。一つで大丈夫だ」
「わかりました、ではどんなお話にしましょうか?」
私の問いかけにリエーヴェル副隊長は軽く首を振り、深く椅子に座って腕と足を組んだ。
「なんでもいい、任せる」
任せると言われても、どのお話にすればいいのやら。頭の中には沢山の物語の題名が浮かんでくる。
ふと、先ほどのジャハンさんとリエーヴェル副隊長のやり取りを思い出し、ある物語の題名が浮かんできた。
……うん、これにしよう。
「決まったか?」
「はい、お話ししても良いでしょうか?」
ああ、と返事をしてリエーヴェル副隊長は目を閉じた。真剣に私が語る物語を聞こうとしている。その事に胸が喜びで満たされていく。
思わず顔が緩みそうになるのを抑えて、私は物語を語った。
「それでは……『魔法使いの弟子』 昔々、あるところに魔法使いとその弟子がおりました───」
「────魔法使いは溜め息をついて弟子の頭をコツンと叩きました。“風呂の水くみを嫌がるようじゃ、一人前の魔法使いにはなれないぞ”と。めでたしめでたし……」
「……終わりか?」
「はい」
目を開けたリエーヴェル副隊長は、顎に手を当てて何やら考えている様子だった。
もしかして探していた物語だったのだろうか。それとも何か近いものでもあったのだろうか?
「どうでしたか?」
「ん?ああ、私の探している物語では無かったようだ」
「そうですか…、やはり直ぐにはいきませんね」
そんな簡単な話ではなかったようだ。
思わず私の肩が下がれば、何故ハールックが落ち込んでいる、とリエーヴェル副隊長は首を傾げた。
そんなリエーヴェル副隊長は少しも落ち込んでいる様子は見えず、むしろ何だか少しだけ楽しそうに見える。表情は変わっていないのだけど、いつもは冷たく見える金色の瞳が明るく輝いているような…。
「探している物ではなかったが、なかなか興味深い物語だった。ハールックの作る物語は、どれも個性的な感性が溢れているが、その中に深い意味が含まれていて面白い。今まで色んな物語を読んできたが、ハールックの物語が一番好ましいな」
「本当ですか!ありがとうございます!」
どうしよう、凄く嬉しい。ここ最近は、自分から物語を語ったり、その感想を直接聞くなんて事がなかった。私の物語を評価してもらえることがこんなに嬉しいなんて。
思わず笑みが零れてしまう。
「この話を選んだのは、先ほどリエーヴェル副隊長がおっしゃっていた言葉にぴったりだなと思ったからなんです」
「私が言った言葉?」
「“書類仕事だからといって手を抜くような奴は”と、ジャハンさんに言ってましたよね?この魔法使いの弟子という物語も同じ事を言ってるんです。魔法に全く関係ない事だとしても、それを満足に出来ないようでは魔法は何時まで経っても上達しない、と」
「なるほど……ハールックは凄いな」
リエーヴェル副隊長は少し驚いたように目を見開いた。
「まさか、そこまで考えて物語を語って貰えるとは思っていなかった」
「偶然思い付いた物語がこれだっただけですよ」
「いや、素晴らしい才能だ」
そ、そんな高評価を貰えると流石に照れるのですが……。
火照りそうな頬を手で扇いでいれば、明日からが楽しみだな、とリエーヴェル副隊長の口角がほんの少しだけ上がったように見えた。
笑った?
もう一度よく見ようとしたが、ソファーから立ち上がったリエーヴェル副隊長の顔はいつも通りの冷たく見える無表情に戻っていた。
「長さ的に朝に語って貰う物語は一つの方が良さそうだな」
「えっ、あ、そうですね」
「では明日からもよろしく頼む」
明日から、私はリエーヴェル副隊長に物語を語るのか。
未だにこの現状も現実だと思えていないのに、明日からのことなんて想像できない。
私は残っていた紅茶を飲み干してから、リエーヴェル副隊長の執務室を後にした。
中央の執務室へと移動すればジャハンさんも回復していたようで、3人の騎士がこちらを興味津々で見つめていた。
そうだ!誤解されないように釘を差しておかなくては!!
しかし、どれだけ違うからと伝えても、生暖かい目で「大丈夫ですよ」「私達は味方です」「他の者には黙ってます」といらない応援をされた。
だから違うんだってばー!!




