5.吹雪の執務室
こんな日に限って不備書類があるとか、どうしてですかリエーヴェル副隊長……。
まあ、これはリエーヴェル副隊長の所為ではないんだろうけど。
騎士棟へ向かう私の手には、第1騎士隊の給金支給願いの不備書類があり、そこには力強く【ブレート・ベルッケン】のサインがでかでかと書かれている。
ベルッケン隊長は文字までなんだか熱が籠もってるよう……。
書類の中にはいつも見るリエーヴェル副隊長の丁寧で綺麗なサインはどこにも見当たらなかった。きっと不在の時に回したのだろう。
この不備書類、結論から言うとただの計算間違え。ある1各の騎士の給金だけが一桁足りないのだ。
リエーヴェル副隊長なら直ぐに見つけたのだろうけど、ベルッケン隊長は見逃したんだろうな。
簡単な間違いだからこちらで書き直しが出来たらいいのだけど、規律でそれは出来ないので、一度騎士隊に戻さなくてはいけない。
……でも良かったのかも。
朱書きで訂正箇所に丸をつけた不備書類に、思わず安堵の息が漏れる。
昨夜の私は部屋の中をうろうろしながら今日のことを考えていた。
どんな顔して第1騎士隊の執務室の扉をノックすればいいの。
リエーヴェル副隊長を出してくれと一介の文官が呼び出すなんてそんな恐れ多いことできない。
誰も居なくなったのを見計らって行く?
いやいや、そんなのずっと騎士隊の執務室を見張らないと出来ないでしょう。無理だわ。
それに、何の理由なく第1騎士隊の執務室に行くなんてしたら、他の騎士達に何を思われるか分からない。
それこそリエーヴェル副隊長と深い関係なのでは、なんて勘違いを産みかねない……。
そ、それは困る!!
そんな噂がな流たりしたらリエーヴェル副隊長を狙う女性陣に闇に葬り去られるかも知れない!
って、あれ?もしかして物語を一緒に探すのって、結構な危険行為なのでは……?
どどどどどどうしようっ!!
そうして女性陣へ気づかれたときの言い訳を考えている内に寝てしまっていたため、何の解決策を見つからないまま今日を迎えてしまっていた。
そんな私にとって、ベルッケン隊長のこの不備書類はまさに天の助けだったのかもしれない。
この書類のおかげで私は仕事として第1騎士隊の執務室に堂々と訪れることができる。
ありがとうございますベルッケン隊長……。
そんな感謝を込めて、私は見えてきた二階建ての騎士棟に向かって頭を一度下げた。
『こちらの書類も不備があるんですよ!どこか分かりますか!?』
『う~む……ここだろう!』
『こちらではないでしょうか隊長!』
『おおっ!こっちか!』
『お二人は今まで何を聞いてたんですか!全然違いますよ!!』
第1騎士隊の執務室と同じ並びにある第4騎士隊の執務室から、普段はけして大声を上げないピッシモさんの声が聞こえてくる。そして相変わらず成長していない第4騎士隊長と副隊長の声に私の肩もガクッと下がった。
私の指導に指導を重ねた2年間は全く実になってなかったようだ。
私は廊下の先から目の前の扉に視線を移した。
扉には第1騎士隊執務室の文字。騎士隊の執務室は真ん中に共同の執務スペースがあり、両隣が隊長と副隊長の個人用の執務室となっている。
日中の仕事はこの中央の執務室で行われているはずなので、この扉の向こうにきっとリエーヴェル副隊長がいるはずだ。
私は、一つ深呼吸をしてドアをノックした。
すぐに扉は開かれ、いつも監査班に書類を持ってくる、そばかすの騎士が出てきた。
「ハールック女官ではないですか、どうしたのですか?」
彼は茶色の瞳をきょとんと見開き、扉を開けた状態でこちらを不思議そうに見た。
それもそうだろう、リエーヴェル副隊長のおかげで今まで私が第1騎士隊の執務室に来たことはない。
いつも文官棟にいる私がこちらにいれば不思議だと思われても仕方がない。
私は、手元にある不備書類を軽く掲げた。
「実は本日頂いた中に不備書類がありましたので訂正のお願いにきました」
「えぇ!?不備!?」
大声を出して驚いたそばかすの騎士は慌てて自分の口元を両手で覆った。その顔色は、どんどんと青ざめていく。
え、急にどうしたの?
大丈夫かと声をかけようとした時、そばかすの騎士の向こう側に冷たい目に怒りを蓄えた鬼を見た。
「ひぃっ!!」
思わず後ずさってしまった私に、そばかすの騎士の顔色はサァーと白くなる。ギギギギ、とぎこちない動きで振り返ったそばかすの騎士の後ろには、吹雪を巻き起こすリエーヴェル副隊長がその金色の瞳を鋭く尖らせていた。
「ジャハン」
「はいっ!!」
冷ややかな声にそばかすの騎士ことジャハンさんは顔色の悪いままビシッとその背筋を伸ばした。
「詳しい話は後で聞く。まずはハールック女官を中へ入れろ、いつまで廊下に立たせているんだ」
「はいっ!!ハールック女官どうぞ!!」
ジャハンさんは勢いよく体を横にずらしてビッと腕を伸ばし、私を中へ迎え入れる体制を取った。
えぇ!!?嫌だ!!恐いから入りたくない!!
ぶんぶんと首を横に振って拒否をするが、リエーヴェル副隊長は私が胸に抱え込んだ書類を見つけ目を細めた。
「それか。入れ、お互い早く仕事を片付けよう」
話はその後だ、そう言って私から書類を抜き取ったリエーヴェル副隊長は目で執務に入るように命じた。
さ、逆らえば凍らされる……!
私は震える足で執務室の扉をくぐった。
後ろでパタンとジャハンさんによって閉められた扉を振り返れば、私より泣きそうな顔をしたジャハンさんがぶるぶると震えていた。
第1騎士隊の執務室に入ると、部屋の一番奥で楽しそうに口の端を上にあげた第1騎士隊長のブレード・ベルッケン様がどっしりと椅子に腰かけていた。
……こんな状況を作り上げた原因の一つである貴方様が、なぜそんなに楽しそうなんですか。
初めて入る第1騎士隊の執務室に目線を走らせれば、副隊長の部屋へと続く扉の横に副隊長の執務机、廊下に一番近い場所にジャハンさんを含む3名の騎士の執務机が並んでいた。
本棚も整理整頓されていて、全体的にとても綺麗。
第4騎士隊の執務室とは結構違うな。
私が文官になってから出入りをしていた第4騎士隊の執務室は、はっきり言って汚かった。
書類はばらばら、机の上はぐちゃぐちゃ、騎士たちはバタバタ、もうめちゃくちゃだったな。
「隊長と私の話が終わるまでに修正しろ」
「はいっ!!」
冷たい声でジャハンさんに不備書類を付き渡したリエーヴェル副隊長は、眉間に皺を寄せてジャハンさんを睨み付けた。
「戦場では一つのミスが多くの命を奪うことになる。書類仕事だからと言って手を抜くような奴は第1騎士隊には不要だ。第1騎士隊に所属をしていたければ、私を納得させる速さで修正をしろ」
「はいっ!!」
涙を堪えたジャンさんは、飛びつく勢いで自分の執務机に向かった。
「ジャハン以外の他の者は作業をそのまま続けろ。分かっていると思うがどれだけ急ぎだろうと隊長ではなく必ず私を通せ」
「「はいっ!!」」
ジャハンさん以外の執務机に向かっていた騎士二人が顔を強ばらせながらハッキリとした口調で返事を返した。
……なんだこの緊迫した空気は。私がぶるりと身震いすると、氷のように冷たい表情の下に憤りを湛えたリエーヴェル副隊長は、こちらを面白そうに黙って眺めていたベルッケン隊長へ向き合った。
その背中では、怒りの吹雪が吹き荒れている。
ち、近づいたら凍え死ぬ……。
私は寒さで鳥肌の立つ二の腕をさすりながら、部屋の隅へと静かに移動しようとして
「ハールック女官こちらへ来い」
「はっ、はい!!」
冷たく鋭い声に呼ばれ、逃げる事が出来なかった。
うわぁああ!!来いって言われても物凄く恐いんですけど!!……うぅっ、寒い…ここは雪山か……!
文官服のお陰で足はくるぶしまで隠れているが、足の震えがバレてしまいそう。
私は出来るだけ震えを隠すためにゆっくりと優雅に見えるようにリエーヴェル副隊長の二歩ほど後ろまで近づいた。
隣に並ぶなんてしたら、それこそ凍りつく……!!
恐怖が顔に出ないように奥歯を噛みしめていたらジャハンさん達がこちらを尊敬の眼差しで見ていた。
いや!ジャハンさん!!手が止まってるよ!!急がないと氷漬けにされるよ!!




