2.王宮図書館
あの帰還式典から二週間が経ち、王城警備を任された第1騎士隊を城内で見かけることが多くなった。
だけど私がリエーヴェル副隊長と会うことはなかった。
あの式典の日、私のことを睨んでいたように見えたのはやっぱり私の勘違いだったんだと確信をした。
それもそうだ、私とリエーヴェル副隊長は会話を交わしたことがない。私の上司でリエーヴェル副隊長の父上である宰相閣下ともこの2年間で言葉を交わしたのは数回だけだ。
リエーヴェル副隊長に恨まれる覚えはないし、そもそも私という存在をリエーヴェル副隊長が知っているはずが無い。
そう、この間のあれは私の自意識過剰が生み出した勘違いなんだ。
…忘れてしまいたい。
私はあの出来事を記憶の彼方に投げ捨てるため仕事に打ち込んだ。
ふとした瞬間に頭には鋭く尖った金色の瞳が頭に浮かんできては私の体を恐怖で硬直させてくるが、慌てて頭を降ってその残像を消し去り、私の日常はいつもどおり過ぎていった。
「ハールックさん早いな、今日はもう終わりかい?」
机の上の書類を片付けていれば、私と同じく騎士隊の予算監査を行っているパーター・ピッシモさんが睨めっこしていた書類から顔を上げた。
「はい。一段落したので今日は先に上がらせてもらいます」
「王城警備が第1騎士隊になってからそっちは仕事が捗ってるなぁ。俺は城下警備が第4騎士隊になってから毎日頭が痛くてしかたないよ」
はぁー、とため息を吐き出したピッシモさんは頭を掻いて書類を机に投げ出した。
そのお気持ちは痛いほど分かります。数週間前までピッシモさんを悩ませる第4騎士隊は王城警備担当だった。つまり予算関係の監査は私が担当していたのだ。
第4騎士隊は、書類の不備がとても多い。なぜなら隊長と副隊長の二人共が事務がからっきしできないのだ。私も第4騎士隊のところには何回も通って書類の書き方やチェックする箇所を教えていた。
だけど類は友を呼ぶというのか、第4騎士隊の騎士たちの大半が事務仕事が苦手なのだ。上に就くものが事務ができない上に、部下も苦手となればミスが減らない。
だけどこちらの期限は迫ってくるので、結局は私達文官が一つ一つ丁寧に教えて訂正をしてもらい、なんとか毎月の支出を乗り越えている。
私が数週間前まで抱えていた悩みを今はピッシモさんが抱えている。同情せずにはいられない。
「第4騎士隊長も宰相閣下のお怒りが怖いみたいなので、書類訂正は真面目に取り組んでくれるんですけどね」
「ミスが減ってくれるのが一番なんだけどなぁ。ハールックさんが羨ましいよ、リエーヴェル副隊長が居れば第1騎士隊は不備書類なんて出てこないだろ?」
「そうなんです。出てくる書類は全て完璧で、噂通りリエーヴェル副隊長が居れば文官の仕事が減りますね」
リエーヴェル副隊長は事務仕事も得意だという話は本当だった。父親があの冷徹の宰相閣下なだけあって、リエーヴェル副隊長が確認した後の書類には不備が見つからないのだ。確認のサインも本人を表しているかのように綺麗に整っている。
お陰さまで私が第1騎士隊の執務室に行くような用事はない。訂正をお願いする書類もなければ、こちらが指導しなければならないこともない。
実を言うと式典の翌日は、リエーヴェル副隊長に合うかもとか、またあの金色の瞳のに捕らわれたらって恐怖と緊張で仕事に手がつかなかった。だけど私がその日、顔を合わせたのは書類を運んできた騎士だけだった。
「それではお先に失礼します」
「ああ、お疲れ様」
仕事も終わらせたことだし早く行こう。
机の引き出しを開けて、そこに仕舞われていた一冊の本を取り出す。今朝、仕事に行くときに持ってきたこの本はただの本ではない。中には私が昨夜やっと書き上げ終わった物語が挟まっているのだ。
思わず緩む頬を片手で押さえながら席から立ち上がった。
「あ、ハールックさん待ってー」
聞きなれた声に振り向けば、班長が本を抱えて近づいてきた。
「どうせ今から図書館にいくんでしょ?これも一緒に持って行ってくださーい」
「またですか?それも3冊……」
「だいじょーぶ、貸し出し期限は過ぎてないからぁ」
へへへ、と笑ったマルロッテ・エンフォリオ班長にドサリと本を渡された。
くるんとした寝癖が常にある茶色の髪の毛と大きな丸メガネが特徴の班長は、その抜けている見た目や話し方からは想像はつかないが、あの宰相閣下が認めているほどの優秀な女官だ。
エンフォリオ班長は私の所属している監査班の班長で、行儀見習の侍女だった私を文官へと無理やり引き抜いた張本人だ。
私は14歳の時に行儀見習いの侍女としてお城で3年間働くようにとお母様に言われ、ハールック家が収める領地から追い出された。
そもそもどうしてそんなことになったかというと、私が自分の記憶の中の物語を広めるために行動を開始したことが原因だった。
私はお茶会や舞踏会を仮病を使って欠席し、出来た時間を使って物語を書き起こしたり、お稽古や勉強時間を減らして領地の孤児院で物語の読み聞かせを行っていた。
そんなことを続けて1年。両親に知られないように秘密裏に行っていたこの活動は、お茶会にも舞踏会にも出席しない私に呆れたお姉さまによって両親にばらされてしまった。
そうしてお母様の怒りが数年ぶりに爆発したのだ。
「いい加減にしなさいロジーナッ!貴方には夢のことを一度忘れてもらいうために働きに出てもらいます!3年間は戻ってくることを許しませんからね!」
お母様からの一喝とともに領地から追い出され、あれよあれよという間に行儀見習いの侍女としてお城に放り込まれていた。
ハールック子爵家の令嬢として行儀見習いで来た以上、家名を背負うことになってしまい、失態を犯せば家に報告がいってしまう。
そうなれば、お母様に人質(本質?)に取られた今まで書き留めていた物語を絶対に燃やされる。間違いない、親子だからこそ断言できる。お母様は絶対に燃やすに決まっている。
私には3年間、侍女として真面目に働くことしか道は残っていなかった。
正直、泣いた。この仕打ちはないだろうって。
それでも、これも何かの物語を思い出すきっかけになるかもしれないとか、王都に私の物語を普及できるかも、なんて希望をもって働き続けた。
しかし侍女の仕事は覚えることが多すぎて、物語を思い出しても書き留める暇などがなく、気づけば物語を書き綴ることもできないまま、あっという間に侍女になって3年が経とうとしていた。
あと数日、やっと領地に帰ることができる。
行儀見習い期間が終わりに近づいてきたため、私は最後の休日を侍女寮の自室で荷造りをして過ごしていた。だけど侍女として毎日忙しく過ごしていた私の荷物は少なく、3年前に持ってきていた洋服と小物類を鞄に詰め込むだけで荷造りは終わってしまった。
だけどその時、机の引き出しから3年前に領地から王都まで移動していた際に暇を持て余して書き綴った『シンデレラ』の物語が出てきたのだ。
パラパラと捲ると、シンデレラがガラスの靴を落としたところで話は途切れていていた。
たしか時間が足りなくて書ききれなかったんだ。後で続きを書こうと思っていたけど忙しくてそのまま忘れていた。
「……せっかくなら、これだけでもここに残していきたいな」
シンデレラが落としたガラスの靴を王子様が見つけたみたいに、私が残した物語が誰かの目に止まるかもしれない。
私は『シンデレラ』を完成させるために机に向かった。
時間はほとんど掛からず、お昼を迎える前に書き終えた私は、完成した『シンデレラ』を持って3年間一度も足を踏み入れる事の無かった王宮図書館へと向かった。
王宮図書館は中庭に面した通路を進んだ先、文官棟の隣に建っている。図書館は文官の管轄で、掃除や本の管理等も文官が行っているため侍女の仕事は無い。
王宮図書館は一般開放もされているが、毎週末の1日だけ。侍女の休みは不定期なため、私の休みが図書館の開放日に被ることはなく、興味はあっても図書館へ行くことはなかった。
実を言うと今日も開放日ではない。開放日以外は図書館へ自由に入室することは文官でないとできない。だけど侍女の私には図書館へ入るための秘策があった。
そのために侍女服を着てきたんだから。
図書館の入り口にはカウンターが設置されていて、常に文官が待機している。本の仕分けをしていた文官がこちらに気づいて顔を上げた。
「レナード様の命で本の返還に参りました」
「ああ、入っていいぞ。空いている本棚に仕舞っておいてくれ」
「はい、失礼します」
特に止められることなくすんなりと図書館へ入ることができた。話に聞いていた通りだ。
図書館は閉鎖をしているわけではない。そのため明確な用事があれば文官でなくても入室が許可されることが多いらしい。今回の様にお偉い様の命で本を返しに来たとか言えば、大体は通してもらえるのだ。
レナード侍女長、名前をお借りました。問い合わせが来たらすみません。
王宮図書館はその名前の通り国一番の図書館だった。沢山の本棚が所狭しと並んでおり、また二階まで続く壁も一面本棚となっている。何冊の本があるかなんて一目では判断できないだろう。
まさに本の楽園。これまで記憶の中の物語と同じ物語が存在しないのかを探すために多くの本を読んできたけど、まだまだ読んだことのない本がこんなにあるんだ。
ここは学術書の本棚ね。あっちにあるのは地図かな。物語関連はどこだろう?
そうして当初の目的を忘れた私は、しばらく王宮図書館の中を徘徊し、図書館の奥で本に埋まった人を発見した。
「大丈夫ですか!?」
私は持っていた『シンデレラ』を近くに投げ出して本の山に近づいた。よく見ればすぐ近くの本棚が全て空っぽになっている。何かの拍子にあの本棚に収まっていた物があの人の上に落ちてきたんだ。
「ごめ~ん、引っ張って~」
「はい!」
私は本を傷つけない程度に素早くどかし、埋もれている人を渾身の力で引っ張り出した。
「はぁ~、びっくりしたー」
ぱちぱちと瞬きをして本の山を見つめる女性に、それはこっちの台詞ですという言葉を飲み込んで、近くに落ちていた丸メガネを渡した。
ありがとうー、と間延びした喋り方をする女性は、灰色の女性文官服を身に着けていた。よく見ると襟元には役職を表す二本の白線が入っている。
マルロッテ・エンフォリオ監査班長だ。
女官の管理職は一人しかいない、姿を拝見したことはなくとも直ぐに誰だか思い当たった。
「エンフォリオ監査班長様、大丈夫ですか?」
「うん、平気平気。良くあることなんだー」
「よくあること、なんですか?」
「うん」
へへへ、と笑って班長は立ち上がったエンフォリオ班長に首を傾げる。
本に埋まることは良くあることじゃないと思うけど…。
しかしよく見ればエンフォリオ班長を埋めていたのは本だけではなかった。巻紙や紐で綴られずにばらばらに散らばった書類、古い木札など様々。
……少しは整理しませんか文官のみなさん。
「あったあった」
その山をがさごそと漁っていたエンフォリオ班長はひょいっと一つの木札を拾った。これで怒られないで済むや、と鼻歌交じりにそのままこの場を去っていこうとしたので慌てて引き留めた。
「待ってください!」
「んー?」
こんな現場に残されたら私が犯人扱いされちゃう!ふいにお母様の顔が頭に浮かび、品行方正に過ごしてきた3年間が音を立てて崩れていく未来が見えた。
「元に戻しましょう!このままにしておけませんよ!」
「えぇ~」
「私も手伝いますから!」
そう言えば、きらりとエンフォリオ班長の目が光った。
「じゃあ君がやっておいて」
「え?」
「私これから会議でさ、遅れたら宰相閣下に怒られちゃうから時間ないし」
「でも私が勝手に片付けをするのは…」
「平気平気。ここの担当には説明しとくからさ」
それじゃよろしくー!と散らばる本を素早く避けて走り出したエンフォリオ班長の姿は直ぐに見えなくなり、呆気にとられていた私は手を伸ばすことしか出来なかった。
逃げられた…。
そうして残された私は、仕方なく本を片付けることにした。乱雑に散らばる本達をきっちり整理整頓して本棚に戻し、このくらいはご褒美として許してもらおうと、こっそり様々な物語が陳列された本棚に『シンデレラ』を紛れ込ませた。
私が書いた『シンデレラ』が王宮図書館にある。本棚に収まった本を見ていると泣きそうになってきた。
これでもう王都に思い残すことはない。
いつかまたここに訪れる機会があればあのシンデレラに会いに行こう、そう思いながら私は王宮図書館を後にした。
そして翌日、その機会は直ぐにやってきた。
仕事をしていた私は侍女長に呼び出され、王宮図書館へと連れてこられた。
もしかして昨日のことがバレたの?
頭の中をお母様の顔がうろつく。あぁお母様!免罪なの!どうか物語は燃やさないで!
嫌な予感に顔を青ざめさせながら侍女長の後ろを着いていけば、侍女長は図書館の奥、昨日の本棚の前に私を案内した。そこにはエンフォリオ班長の姿があり、にこやかに笑ってこちらに手を振っていた。
「昨日ぶりだねロジーナ・ハールックさん。レナード侍女長さん連れてきてくれてありがとー」
「いえいえ。エンフォリオ監査班長がね、ハールックさんを探していたのよ」
「え、私を?」
「黒髪の侍女、としか情報がなかったのだけど黒髪はハールックさんしか居ないでしょ?」
直ぐに分かってよかったわ、とレナード侍女長が柔らかく笑った。
エンフォリオ班長が私を探していた?どうして?わざわざ昨日のお礼のために呼び出した、なんてことはないだろうし……。
私は疑問を含めた視線をエンフォリオ班長に向けたが、返ってきたのは満面の笑みと強い握手だった。
「ハールックさん凄いねぇ、私驚いちゃった」
「は、はい?」
「文官でもないのに書類の内容を読み解いてまとめ上げ、巻紙も種類毎に分類、元あった場所が分からなくて適当に突っ込んでおいた本は元の場所に戻してある。しかもこれを短時間でやったそうじゃない!受付にいた文官に帰った時間を聞いて驚いたよー」
「いえ、そんな…、大したことではありません」
本当に大したことはしていなかった、なのにこんな過剰評価されるとは。
すると急にエンフォリオ班長が両手で私の手をぎゅっと握りしめてにまぁーと笑った。
なんだろう、悪寒が……。
「実はハールックさんにお知らせがあります」
「は、はい」
「明日から貴方は監査班の文官になりましたー!」
「…はい?」
「晴れて行儀見習いの侍女から女官へと昇格です、おめでとーう」
「はい?!」
「ふふふ、試験を受けずに文官になるなんてハールックさん凄いわ」
驚く私を無視してレナード侍女長とエンフォリオ監査班長はにこやかに私を祝福してきた。
まって、まって!どうしてそんな話になっているの?!
状況に全くついていけない私を置いてきぼりにして、2人は勝手に話を進めていく。
今日からこっちにもらっていい?あらあら、こちらは大丈夫よ。よしじゃあ行こうかー。って待って!私を話に入れて!
だけど私の話は聞いてもらえず、侍女服から文官服へと着替えさせられ、監査班で挨拶をさせられ、同僚の侍女たちからは祝福の花束が贈られ、侍女寮から文官寮へと荷物を移されていた。
どうしてこうなった?!
いや、落ち着くのよロジーナ。淑女たるものいつも冷静でいなくては。そうよ、そもそも私はあと数日で実家に戻ることが決まっていたのだから両親が黙っているはずがない。
きっとお母様あたりに連れ戻される。とりあえず明日、連絡を取ろう。
そうして私は文官寮での初めての夜を過ごした。
そして迎えた翌朝。
どこから話が行ったのか、既にお母様から手紙が早馬で届いていた。
『エンフォリオ伯爵家の方に目をつけてもらえるだなんて光栄じゃない!行き遅れ無い程度に文官として頑張りなさい。もう預かっていた物語も必要ないと思って領地の山羊農家に寄付しておきました。安心して働きなさい』
お母様!?それって処分したってことですよね!?
お母様によって書き溜めていた物語を山羊のエサにされた私は、もう実家に帰る意味がなくなってしまった。
そのまま王都に残った私は、エンフォリオ班長に言われるがまま監査班の文官となった。しばらくの間はお母様の暴挙に落ち込んでいたが、あることに気が付いてやる気を取り戻した。
文官なら何時でも王宮図書館に出入りすることができる。つまり私の記憶の中の物語をもっと図書館に置くことができる!
そのことに気がついた以降は、文官としての仕事をこなしつつ、時間が出来れば書き出した物語を王宮図書館へとこっそり追加していった。
そうして2年。王宮図書館には、私の記憶の中の物語専用の本棚も完成していた。
まぁ、こつこつと他の本棚を整理して無理やり自分の本棚を秘密で作ったんだけどね。
いずれは物語関連の本棚を図書館の入り口側に持って行く、それが今の目標だ。
文官棟から王宮図書館へと移動した私は、班長に頼まれた本の返却を済ませた後、昨日書き上げた『三匹の子ブタ』を本棚に追加するため図書館の奥へと向かった。
この図書館に保管されている物の殆どは歴史書や学術書のため、物語の本は少ない。そのため私の物語を含め、物語関連の本は図書館の奥にある本棚に保管されている。
「次は何を書こうかしら」
まだまだ書ききれていない物語は沢山ある。
次に書く物語の事を考えながら私は自分の本棚がある列へと曲がり、そして硬直した。
そこには、紐で綴られただけの簡素な本を読む、湖のように透き通る水色の髪を持った麗人がいた──
「リッ?!」
リエーヴェル副隊長!?




