23.『ねずみの嫁入り』
「なるほど、だからハールック女官がこちらに居るのですね」
「暫くお世話になります……」
「いえいえ、書類を運ぶ手間が省けて私としては嬉しいですよ!」
ジャハンさんの笑顔に思わずほっと息を吐き出した。
第1騎士隊の執務室にある応接用テーブルを仮の執務机として、私は早速仕事を始めていた。こうなってしまえば、腹を括るしかない。ニヤニヤとした笑顔で「是非もっと面白い展開にしてくださーい!」と監査班から私を突き出した班長に、有無を言わさない氷の眼差しで「一週間で片を付けるぞ」と第1騎士隊の執務室へと連れてきたリエーヴェル副隊長。私にはあの二人を止める術などないのだから。
リエーヴェル副隊長の1日のスケジュールを簡単に教えてもらったところ、どうやら私が知らなかっただけで殆どの時間が警備に当てられていた。今は妃が主催をしているお茶会の護衛に着いている。
リエーヴェル副隊長が居ない執務室には、今はジャハンさんと私の2人だけだ。ベルッケン隊長や他の騎士達も交代で王城警備や護衛任務に着いているらしい。私が前に執務室に訪れたときに全員が揃っていたのは偶然だったみたいで、基本的に日中は執務室には誰か1人しか残らないそうだ。
「あ、ここ違いますよ」
「あれ?おかしいなぁ…」
そうして執務室に残っていた私は、ジャハンさんとお喋りをしながら書類の不備を指摘し、訂正方法を教えていた。
ジャハンさんは本当に書類を作るのが早い。計算を行うための計算板があるのだけど、その手捌きもとても早いのだ。ただ、結構な間違いがある。最後の確認をキチンと行うことが出来れば、不備はぐんと減るだろう。
「ハールック女官は教えるのが上手いですね、解りやすいです」
「まぁ、慣れていますので」
つい数ヶ月前まで第4騎士隊で毎日のように行っていたのだ。しかし、ジャハンさんのように物分かりの良い人達ではなかったので、少しだけ物足りなくも感じる。あの意志疎通の適わない相手との会話は疲れるのだけど、少しだけ楽しくもあったのだ。
第4騎士隊に宰相閣下の怒りの雷が落とされたときの話をジャハンさんにしていて、ふと前に班長から聞いた話が頭を過ぎった。
宰相閣下は甘い物が好きなんだっけ……、リエーヴェル副隊長も好きなのだろうか?
もしそうなら、今回のことが解決したらお礼として贈ろうかな。
「あの、ジャハンさんに教えてもらいたいことがあるのですが……」
「なんですか?私に解ることならお答えしますよ。ただし、モニカさんのお話を聞かせて貰うことが条件ですがね」
目を輝かせたジャハンさんに、そういえばモニカに懸想したんだと思い出した。ジャハンさんには今までも、モニカに声をかけてきた騎士達の名前を教えたり、モニカが好きな物を教えてあげたりしていた。他の人には教えないだろうことをジャハンさんに教えるのは、私がジャハンさんを応援しているからだ。
ジャハンさんのモニカへの想いは十分に私には伝わったし、何よりも純粋で可愛いのだ。モニカとメリーナのあの妄想癖さえバレなければ、ジャハンさんとモニカは上手く行くような気がする。だから色々と情報を流しているのだけど、ジャハンさんが一歩前に出てくれないのだ。モニカは未だにジャハンさんのことを眼中に入れていない可能性もある。
なんと言ってもジャハンさんの近くには、ベルッケン隊長とリエーヴェル副隊長がいる。この二人で妄想を繰り広げているモニカ達の目にジャハンさんが入る隙間などない。
「ジャハンさんもそろそろモニカと直接お話ししてみてはいかがです?」
「なっ!?何を言っているのですか!?」
ボッ、と顔を赤くしたジャハンさんに思わずふふふと笑いがこみ上げた。可愛いなぁ、無垢だなぁ。
「だって私が色々教えているのにモニカに声をかけられた形跡がないのですから」
「うっ…!そ、それは、その、まだ心の準備が出来ていなくて、ですね……」
「あら、そんな事を言っていたら誰かに奪われてしまいますよ」
事実、モニカに声をかける人は沢山いる。でもモニカは伯爵家の人など恐れ多いと困っているのだ。早くに良い相手が見つかるといいのだけど。
話を逸らしたいのか、ジャハンさんは頬を赤くしたままぷいっと顔を背けた。
「そ、それで!聞きたいこととはなんですか?」
「ああ、忘れてました。えっと、リエーヴェル副隊長は甘い物を好んで召し上がってますか?」
「副隊長が、甘い物ですか……?」
きょとんと目を瞬いたジャハンさんの顔が答えを言っていた。うん、これは甘い物など食べてないですね。
私は、やっぱり大丈夫だと手を振って答えを聞くのをやめた。もっと別なお礼を考えた方が良さそうだ。
「では、ジャハンさんはモニカのどんな話を聞きたいですか?」
「え、えっと……け、結婚願望、とかあるのかなぁ、なんて?」
「何言ってるんですか。あるに決まってるじゃないですか」
一応未来の花婿を探す目的もあって行儀見習いをしているのだ。結婚願望がないわけがない。
私の答えにジャハンさんが明らかに肩を落として、ですよねぇ、と苦笑いを返してきた。
「何故そんなに落ち込んでいるのですか?結婚願望が合った方がジャハンさんにとっても良いではないですか」
「あ、いや、そうなんですが……」
「ジャハンさんもモニカに求婚とかしてみたらどうです?意識してもらえるかもしれませんよ」
「そんな!私のような子爵家が声を掛けても迷惑なだけですよ。何だかんだ、やっぱり私じゃ伯爵家には勝てませんし、なにより伯爵家に嫁ぐ方がモニカさんが幸せになると思いませんか?」
ははは、と寂しそうに笑ったジャハンさんに私の方が肩を落とした。どうしてそんなに自分を低く見るんだろう。ジャハンさんに何か助言をしようと口を開いた瞬間、目の前がパンッと白く弾けた。
あ、この感じ……、久しぶりだな。
『ねずみの嫁入り』
聞きなれた女性の声が私の頭の中に響いてくる。女性の声が物語を語りだせば、目の前に物語の場面が広がっていく。裕福なねずみの夫婦、神から授かった美しいねずみの娘、国一番の娘の夫に相応しい相手を探しに親子は出かけ、太陽、雲、風、壁は自分より優れている相手を夫婦に伝えていく。
最後に幸せそうに結婚式を挙げたのは、娘と隣の家に住むネズミの青年だった。
『めでたしめでたし……』
頭に響く女性の声が物語を締めくくれば、目の前が執務室の風景へと戻っていく。耳に届いていなかったが、どうやらジャハンさんはずっと自分がどれだけモニカに相応しくないかを語っていたみたいだ。
胸を押さえて物語の余韻を少しずつ落ち着けようと思うのだが、物語を語りたくて胸がうずうずする。
ねずみの娘は国一番のお金持ちの家の娘で、そしてとても美人なねずみだった。娘の結婚相手に相応しい相手を探していたけど、最後にたどり着いたのは隣の家に住む普通の若いねずみだった。太陽や雲、風に壁といった者たちとの結婚なんかよりも、一番相応しい相手がすぐ傍にいたのだ。
一番優れていると思っている相手が、本当に一番の相手などとは一概には言えない。
「だからモニカさんに私が声を掛けるなどしない方がいいのです。もっと相応しい相手がいるはずですから」
「ジャハンさん、こんな物語は知っています?」
「そうですね、モニカさんには物語が一番相応しい……ん?も、物語?」
ぱちぱちと目を瞬くジャハンさんに小さく笑いかけ、私は先ほど思い出したばかりの『ねずみの嫁入り』を語った。急に物語を語り始めた私に、ジャハンさんは混乱したように「ハ、ハールック女官?」と呼びかけてくるが、無視をして物語を私は口ずさみ続ける。
「”国一番の私の娘に相応しいのは、世界中を明るく照らしているお日様に違いない!”太陽に会うため、ねずみの親子は高い高い丘に登りました……」
娘に一番相応しい相手、という言葉にジャハンさんがピクリと反応してゆっくりと椅子に深く座り込んだ。口を引き結んだジャハンさんを横目に入れながらも、私は物語を語るのを止めなかった。
「娘を嫁にもらってほしいと父親ねずみが言うと、太陽はにこにこと笑いながら首を振りました。”私よりもえらい者がいるよ”と……」
「……太陽よりも、偉い者?」
ジャハンさんが小さく呟いて、私を真っ直ぐに見てきた。その茶色の瞳には、小さな光が見えている。
私はその瞳の光を見つめながら続きを話した。
太陽を隠す雲、雲を吹き飛ばす風、風を止めてしまう壁、壁をかじって壊してしまうねずみ。最後に娘と結婚をしたのは、隣の家に住む普通のねずみの青年だった。
「二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし……」
物語を語り終われば、ジャハンさんはゆっくりと長い息を吐き出した。
「……あの、ハールック女官。どうしてこのような物語を私に語ったのでしょうか?」
「そうですね、語りたかったというのが本音なのですが、一番は今のジャハンさんに聞いてもらいたい物語だったからですね」
「……はは、そうですか」
私に小さな笑顔を向けたジャハンさんの顔は、少しだけすっきりとしていて柔らかかった。
ジャハンさんにとってのモニカは、隣の家に住んでいた青年ねずみから見た娘ねずみだと思う。手の届かないような人だと自分が思っていても、本当は一番彼女を幸せにしてあげられる存在が自分なのかもしれないのだから。
私は、パンッとジャハンさんの肩を叩いた。
「ぐずぐずしているのは情けないですよ。騎士なら男らしくぶつかりなさい。伯爵家がなんです。彼らよりもジャハンさんの方が優れているところがきっとあります」
「……ハールック女官」
「いつまでも私から話を聞いているだけじゃなく、自分から声をかけましょう」
そうしないとジャハンさんとモニカの物語は始まらない。
私が力強く頷くと、目を潤ませたジャハンさんの腕が伸びてきた。
「ありがとうございますっ!!目が覚めました!」
「ぅわッ!?ジャジャジャハンさん!?」
ぎゅーっと私に抱き着いてきたジャハンさんは、涙声で私に何度も「ありがとうございます!」とお礼を言ってくる。身動きを取ろうにも、腕ごと抱きしめられていて動けない。
どうしてこうなったっ!?
男性に抱きしめられているとう状況に顔が紅潮してしまう。私は唯一動く掌で、ばしばしとジャハンさんの腰のあたり叩いた。
「あああああの!分かったので離してください!!」
「煩いぞハールック。通路まで声が響いて………」
私が叫んだのと同時に、執務室の扉がガチャリと開いて聞きなれた冷たい声が執務室に響き、そしてそのまま空気を凍らせた。
……あれ?もしかして今とても不味い状況?
私の方向からは執務室の扉は見えないのだけど、直ぐ近くにあるジャハンさんの横顔を仰ぎ見れば、真っ白になるほど血の気が引いている。
たらりと冷や汗が流れたのだが、ひゅおっと頬を撫でた冷気によってそれも引いていく。
ジャハンさんが体を小刻みに震えだしながら「し、死んだ…」と声を零した。
「ジャハン、何をしているんだ?」
怒りを押さえつけるように低く響いた声に、ぶるりと体が震える。シンと静まり返る執務室に、カツカツとリエーヴェル副隊長がこちらへと近づいてくる靴の音が響く。
その靴の音でさえ、怒りが籠っているかのように聞こえてくる。
そ、そうですよね、怒りますよね。執務室に残した騎士が文官の女に抱き着いていたら、執務室で何をしているんだって話ですよね。怒るのも無理はないですよね。
私は全面的に悪くないと思うのだが、それでも肌で感じる怒りの冷気に、何故だか後ろめたい気持ちになってくる。
とりあえず、状況を打破しなくては……。
凍り付いたように固まるジャハンさんに、「とりあえず、離してもらえませんでしょうか…?」と声をかければ、「すすすすすすすみませんッ!!」と謝りながらジャハンさんは私から飛び離れた。その顔はまだ白くなるのかと思えるほど血の気がない。
「あ、あの……、リエーヴェル副隊長……、こここここれには色々と訳がありまして…」
「ほう?」
直ぐ真後ろで響いたリエーヴェル副隊長の声に、びくりと体が揺れた。凍り付いたように上手く動かない首を捻りって後ろを振り返れば、鬼も逃げ出すのではないかと思えるほどの怒りを蓄えた瞳が私を見下ろしている。喉がひゅっ、と音を立てた。
「ハールックには後でじっくりと話を聞かせてもらおう」
逃がしはしないぞ、と鋭い瞳に凄まれ、私はコクコクと何度も頷くことしか出来なかった。
……ジャハンさん、すみませんが安らかにお眠りください。




