18.距離
「何故そんなに離れている?」
「……お気になさらず」
不可解そうに眉間を寄せたリエーヴェル副隊長は、いつもと同じ場所で本棚に背を預けてながら、5歩ほど離れた場所で小さく縮こまる私を真っ直ぐと見つめてきた。
お願いです、こちらをそんなに見ないでください。昨日の事もあって動悸と冷や汗が止まりません。
昨日の王宮図書館の一件は、思っていた以上に私の事を苦しめている。
開放時間が終わり、業務も終了した後、私は先輩たちと一緒に隣の文官棟に戻ろうとしていた。
するとどうしてだろうか、ずっと体に何かが纏わりついているかのような感覚がするのだ。汗をかいたからだろうか?と気持ち悪い感覚に首を傾げていると、背筋がぞわわわわっと栗立った。
殺気だ!!殺気を感じる!!
戦場に立ったことなどないけど、絶対にこれは殺気だと分かった。今までに感じたことのないくらいの憎悪の籠った視線が私に向かって飛んできている。
バッと殺気が飛んできている文官棟近くの物陰に顔を向ければ、そこには既に人を3人は殺してきたんじゃないかと思えるほど殺気立った顔をしているご令嬢達が居た。
「な、なんかあの子たち怖くないか?」
「目を合わせない方がいいだろうな……」
一人は指を添えている木の幹をミシミシッと鳴らし、一人は手に持っていた扇子をバキンッと二つに割り、一人はハンカチをブチブチブチッと噛みちぎり、一人はぶつぶつと何やら呪文のようなものを呟きながら両手を擦り合わせている。
こここここ恐いッ!!!
先輩たちはご令嬢たちを見ないようにそそくさと文官棟へと入って行く。関わり合いにならない方が絶対に良いだろう、と私も視線を無視して先輩に続こうと足を進めたのだが、目の端に見過ごせない人物を捕らえた。
あそこの物陰で呪文を唱えるように祈ってるのって……、先ほど王宮図書館にいたご令嬢では…?
記憶に残る、白目を向いたご令嬢。リエーヴェル副隊長が私の頬に手を当てていた現場をしっかりと目撃していた、あのご令嬢で間違いない。
見た目で私よりも爵位が上だと分かるほど、高貴なオーラを纏っていたご令嬢は今、私に向かって呪いを唱えていた。
さぁーー、と血の気が引いていく。私は慌てて文官棟へと逃げ込んだ。
いやあああああああっ!!殺される!!闇に葬り去られるッ!!
ダダダダダダ、と通路を駆けて私は監査班の執務室へと急いで向かう。リエーヴェル副隊長との関係を一番知られたくない一派に知られてしまった。もうこうなれば私に残された道は一つしかない。
自分の命の為だ、涙を呑んで私は王都から逃げることにします。
バンッ!と執務室の扉を開けば、みんなが驚いたようにこちらを向いた。
「エンフォリオ班長に皆さま!!今までお世話になりました!ロジーナ・ハールック辞職します!!」
「わぁ~、ハールックさんが混乱している。どーうどーう」
「いったいどうしたのハールックさん!?」
私の慌てようにエンフォリオ班長やピッシモさん、それに監査班の皆がわらわらと集まってきた。
「命の危機なのです!このままじゃ実家を巻き込みかねません!」
「なるほどぉ、じゃあ仕方ないね」
「班長!ちゃんとハールックさんの話を聞いてから判断して下さい!今のでは何もわかりませんよね!?」
「冗談だってー。でも私はこれでも班長だよ、大体の理由は分かってます」
あはははー、と笑う班長は私の肩に手を置いて耳元に顔を寄せた。
「やんごとなき人達にバレちゃったの?」
「は、はんちょぉ~……!」
「うりうり、泣かない泣かない」
ぼろぼろと出てきた涙は、何時も一緒にいる人達に囲まれている安心感からか、それとも自分のこれからに対する恐怖からなのか。私はエンフォリオ班長の肩口に顔を埋めてわんわんと泣き続けた。
その後、エンフォリオ班長は監査班の皆に適当な説明をして帰宅をさせた。残ったのは私と班長とピッシモさん。
どうしてピッシモさんを残したのかと言うと、彼は監査班歴も長いため何かあれば騎士隊を動かすことも出来るらしいので、班長の判断で協力者となってもらうことになったのだ。
すんすんと鼻を鳴らしながら、私はリエーヴェル副隊長が物語を探しているということを濁しつつ、リエーヴェル副隊長との関係や毎朝王宮図書館で会っていることをを二人に話した。
エンフォリオ班長は所々笑うのを堪えて、ピッシモさんについては口をあんぐりと開けて始終目を瞬いていた。
「あ、あのシリルくんが、女性であるハールックさんと毎朝会っているだなんて……」
「うぷぷ……っ、信じられないよねぇ、でも本当なんだよねぇー」
リエーヴェル副隊長の女嫌いは有名だ。それはリエーヴェル副隊長の粗塩対応を目撃してきた人達が口々に噂話を流している所為なのだけど、監査班が長い二人からしたら、噂話ではないリエーヴェル副隊長の粗塩対応も目撃しているのだろう。
私よりもリエーヴェル副隊長のことを詳しく知っているだろうし、私の話は信じられないよね。
「勝手に王宮図書館を使用してしまい申し訳ありませんでした……」
「ん?大丈夫大丈夫、私もよく昼寝に使ってるしねぇ」
「班長……」
ピッシモさんが呆れるようにため息を吐き出せば、キランとエンフォリオ班長の丸眼鏡が光った。
「ほほぉ~ん、ピッシモくんこそ昔は鬱憤が溜まる度に夜中に王宮図書館に忍び込んでは皆の悪口を」
「わあーーーー!!そのことは秘密にしてくださいって言ったじゃないですか!」
ピッシモさんはばたばたと手を振って班長の話を遮った。
どうやら、ピッシモさんも王宮図書館を私情で使用していた過去があるらしい。きっと私と同じでエンフォリオ班長に目撃されたんだろうな。さすが壁に耳あり本棚に目あり王宮図書館にエンフォリオ班長ありと言っているだけあって、皆の弱みを握っているに違いない。
ちなみに私がリエーヴェル副隊長と朝の密会に使用しているということについて、エンフォリオ班長は「とっても面白いから続けていいよ」と許可を出してくれた。面白いという部分が引っかかるけど、班長が許可をしてくれたのはとてもありがたい。
だけど、明日からも普通にリエーヴェル副隊長に会うのは止めた方がいいのでは、とピッシモさんが心配そうに言ってくれた。
そうだよね、あのお嬢様方の誤解が解けるまでは接触を控えた方が良いのかもしれない…。王宮勤めでなければ王城内の敷地に足は踏み入れられないから、実質は1週間後の王宮図書館開放日まではあのお嬢様達が私に直接接触をしてくることはないと思える。だけど、敵は内側にもいるかもしれない。誰かが雇われて私の事を狙う可能性もありえる。
やっぱり、誤解が解けるまでは接触は控えよう。でもなぁ、リエーヴェル副隊長がそれを承諾してくれるかは微妙なんだよなぁ。昨日、今日の物語探しはお休みだと伝えた時も不満そうな顔していたし、何かもっともらしい理由でもないと……。
私が頭を悩ませていれば、エンフォリオ班長がうふふぅ~と含みを持った笑いをして口元を押さえた。
「それについては、リエーヴェル君に正直に全部話してみればいいよ~。『私達暫く距離を置きましょう!』とか言ってさぁ、うぷぷ」
「何ですかその台詞、言いませんよ。恋人でもないんですから」
「似たようなものに見えますけどねぇ。まぁ、密会を続けるかどうかはお二人で話し合って決めてくださーい。お嬢様たちについては良い作戦が思いつきそうなので私に任せてねぇ」
うふふん、と笑っているエンフォリオ班長に不安しか生まれてこない。ピッシモさんと一緒に顔を引きつらせながら溜め息をついた。
ピッシモさんが「何かあったら直ぐに言ってね」と肩を叩いてくれた。
あぁ、ピッシモさんの普通な感じが心に染みます…。
そうして迎えた翌日。とりあえず、文官寮から王宮図書館までの道のりは何も起こらず平和だった。リエーヴェル副隊長もいつも通りの時間に訪れた。今のところいつも通りである。
私の心臓以外は……。
ドクドクと鳴り響く心臓を押さえるように胸元に手を当てる。夏の暑さのせいだと顔に集まる熱を気にしない様にもしている。だけどリエーヴェル副隊長を目に捕らえると、心臓が大きく高鳴るのだ。
痛いです…!心臓が痛いです…!しかも何だか息苦しい気もします…!
ふぅ~、と小さく深呼吸をして心を落ち着かせる。
ちらりと見たリエーヴェル副隊長は、私の事を不思議そうな顔で見ているがそれ以外はいつも通りだ。
……意識しているのは私だけだよねぇ…。
リエーヴェル副隊長にとって昨日の行動は、あくまで私の汗から本を守ろうとしていただけなんだ。いや、だからって手で人の汗を拭ってあげるの?顔が赤いからって頬に手を添えるの?
ああああっ!考えないようにしたのに!昨日の事を思い出してしまう!
ぼぼぼぼ、と頬に熱が集まる。
……やっぱりリエーヴェル副隊長から暫く距離を置かせてもらおう。私の心が落ち着くまでは、顔を合わせることさえ出来ない。お嬢様達の誤解を解くにも時間がかかるだろうから、1ヶ月くらいは書面だけのやり取りに変えるとかしよう。
毎日とはいかないけど、書類を届けてくれるジャハンさん達に書けた物語を渡してもいいし、題名だけでピンとくる物があるかもしれないから、題名だけを箇条書きして渡すのも手かもしれない。
まぁ、どっちにしろリエーヴェル副隊長に提案をしてみなければ。
「リエーヴェル副た」
顔を見ないようにしつつ振り返りながらリエーヴェル副隊長の名前を呼ぼうとすれば、目の前に影が差し込み、両頬が冷たいもので覆われた。
「今日も熱いな、具合は悪くないのか?」
目の前には、眉間に皺を寄せた心配そうな金色の瞳が揺らいでいる。金色の瞳の中には、私が驚いたように目を見開いているのが鏡の様に映り込んでいた。
リエーヴェル副隊長の顔がすぐ目の前にある。
状況を理解した瞬間、私の息が止まった。
先ほどまで私がとっていた距離など既に0に等しくて、思わず後ろに後ずさろうとしても背中にあったのは本棚だった。
ちっ、近い…ッ!!
はくはくと口を開け閉めしても、私は息の吸い方を忘れたみたいに呼吸が出来ない。
目の前にある氷のように美しい顔が顰められる。
「風邪か?どうした?喋れないのか?」
もう少しで鼻先同士がぶつかりそうな位の距離で、優しい声が私に問いかける。
男性とこんな近い距離になったことなどない。しかも相手はあのリエーヴェル副隊長だ。
身体が沸騰しているみたいに熱い…!
体中が熱を帯びているのも、喋ることができないのも、全部リエーヴェル副隊長の所為なのに本人がそれを全く分かっていない。
こんなことをすれば、女性が恥ずかしがったり動揺したりするなんて考えていないのかもしれない。きっと今まで女性との接触を自ら断っていた所為で、距離感というのが分からなくなっているんじゃないだろうか。
それとも、前に私がリエーヴェル副隊長とそういう関係になるなど絶対にありえないと豪語したから、こういう距離感になっても大丈夫と思っているの?
こんなことがこれからも続いたら、私はリエーヴェル副隊長の事を意識しすぎてしまう。
ううん。もう既に意識をしてしまっている自分がいるからこそ、これ以上の気持ちを持たないように距離を取りたいのに……。
「リエーヴェル、副隊長……」
「なんだ、喋られるなら早く返事をしろ」
小さく息を吐き出して、少し安心したように眉間の皺を解いたリエーヴェル副隊長に、私の心がぐしゃりと掴まれた。
今までの経験から、リエーヴェル副隊長が私に対して恋愛感情を持っていないことは分かっている。だけど私の事をなんとも思っていないという訳ではない、それを今すごく実感できた。
それが分かっただけで、心臓が潰れそうなくらい嬉しいと思ってしまうのだから、私の気持ちはもう……。
両頬を包み込んでいるひんやりとしたリエーヴェル副隊長の手が少しずつ温められていく。
私はその冷たい手を両手で頬から離し、そのままお互いの体の間で包み込むように握りしめた。
「……ハールック?」
「お願いがあります」
私のこの気持ちがこれ以上大きくなったら、きっとリエーヴェル副隊長とは今のような関係ではいられなくなる。
だったら、物語を語って物語を聞いてもらえる、それだけの心地の良い関係が続けられる方がいい。
それに、私の役目は物語が見つかればなくなる。
それなら今から少しでもこの気持ちを忘れてしまう方が良いに決まっている。
チクン、と胸が痛んだ。
「暫くの間なのですが、会うのを止めたいのです」
「………どういうことだ?」
リエーヴェル副隊長の手がピクリと動いた。




