17.冷たい手
夏がやってきたルノワール王国は、朝の日の入りも早くなり暑くなる日が続いている。
それでも、早朝の王宮図書館は少しひんやりとした空気が漂っていて、火照る体を冷ましてくれるようで心地がいい。
リエーヴェル副隊長との早朝密会も滞りなく続いているのだが、本日はお休みをさせてもらっていた。
なぜなら今日は王宮図書館の開放日。私は今回の開放日の担当文官となったため、朝から王宮図書館に缶詰状態。リエーヴェル副隊長との密会は、他の文官に見られる可能性もあるため、昨日の内に丁重に辞退を申し出ておきましたよ。
リエーヴェル副隊長は少し眉間に皺を寄せていたから、不満だったのかもれないけどね。
「ハールックさん、これ運んでおいて」
「わかりました」
受付カウンターの後ろに積み重なった本を、よいしょっと掛け声と共に持ち上げる。
ざっと持ち上げた本の見出しを見れば全て戦術書だった。
……くっそぉ、戦術書は2階だから嫌なのにーっ!
隣に高く積み重なっているのは、国政資料に歴史書に医学書に文学書。こっちはこっちでバラバラだし……。
どうせこっちも後で私が片付けるんだろうけど。
ため息を飲み込んで足を踏み出せば、本の重みでふら付きそうになり、慌てて足を踏ん張った。
開放日の担当となると、一日中王宮図書館で過ごせる代わりに、普段とは比べ物にならない量の力仕事に追われる。文官に力仕事なんて無いと思われているけど、本の返却作業は毎日事務仕事ばかりで訛った身体を持つ文官にとってはキツ過ぎる力仕事だ。
自分で本を返却するのが面倒な文官は、この開放日に合わせて借りていた本をごっそりと戻してくる。利用者が少なかろうとも本の返却確認と戻ってきた本の配架作業は、朝から夕方まで続くのだ。
しかもキツイ仕事は下っ端の仕事だと思われているため、まだ文官2年目の私は基本配架作業。
先輩たちは楽な受付業務や点検業務を行うため、私は本棚とカウンターを行ったり来たり。
……これは明日の筋肉痛は確定だなぁ。
溜息を零しながらも、私は歯を食いしばって階段に一歩足を掛けた。
重い…!!キツイ…!!
息を切らしながらも着実に一段一段の階段を進んでいく。
ドスッ、ドスッ、と一段登る度に階段が鳴り響く。そこ行くご婦人、これは本を持っているからで私の体重の所為などではないですからね。
「はぁっ、はぁっ、ちょっと、休憩……」
無駄に王宮図書館の階段は段数が多い。途中の踊り場まで来ることが出来たので後半分だ。
本を階段に一度置けば、ドスンと良い音がした。これは一度に持ってき過ぎたな。半分くらいにすればよかった。
乱れる息を整え、大きく息を吸った。よし、残り半分を一気に駆け上ろう。
いくぞーと気合を入れて、本を持ち上げる為にしゃがみ込めば、目の前を水色の三つ編みが揺れた。
「随分と重そうだな」
「リエーヴェル副隊長!?」
水色の三つ編みを目で追えば、数段上からこちらを見下ろしているリエーヴェル副隊長と目があった。
どうしてこう毎日会ってしまうのだろうか。もしかして私の事を追いかけているんじゃ……、いや流石にそれは無いか。
日中に図書館で会うのはこれが2回目だ。1回目は初めて会った時だったっけ。でも今日のような開放日ではなかったな。
何か図書館に用事でもあったのだろうか。二階から降りてきたみたいだし仕事関係かな?
「えっと、どうしてこちらに……?」
「探し物があったんだ」
だが見つからなくてな。と溜め息を吐き出したあたり、結構な時間探していたのかもしれない。
手伝ってあげたいが、今日の私はあまり時間が作れない。休憩時間を貰ったときにまだ探していたら手伝おうかな。なんて考えていれば、ひょいっと一度踊り場の床に置いていた本の3分の1をリエーヴェル副隊長が抱え込んだ。
「えっ!?」
「これは戦術書だろ、二階に運ぶぞ」
ええええっ!?どういう風の吹き回しですか!?
以前、本棚に本を戻そうとしたが、けっこう高いところだったため本を戻せずにいた私に「自分の身長の事を考えて、最初から台を用意すべきだろう」と呆れるように言って放置をした、あの女性への気遣い皆無だったはずのリエーヴェル副隊長が、重い本を運ぶのを手伝ってくれるなんて!
もしかして少し仲良くなったから、私のことを気遣ってくれるようになった……とか?
「あの、悪いですので置いてください。私が運びますので」
「それは時間の無駄だろう。ハールックが1人で運んでいたら日が暮れる。この中に私の探している物があるかもしれないしな。残りの分も二階の机に運んでくれ」
「……あ、はい」
ですよねぇ、私への気遣いではないですよねぇ。
すたすたと階段を上がっていったリエーヴェル副隊長の背中を見つめながら、私は一つため息を吐き出した。
……リエーヴェル副隊長は、私のことを何とも思ってないんだよね。物語探しの協力者で、探している物語を知っているかもしれない女。多分その程度でしか認識していないのかもしれない。
でも少しだけ何かの気持ちを期待してしまう瞬間があるのは、私はリエーヴェル副隊長のことを他の人とは違うと思っている……から?
……自分でもよく分からないや。
チクリチクリ、と胸を刺すような痛みを今まで感じたことなどない。これが何の痛みなのか、私はそれを考えないように痛みを無視し、本を持ち上げてリエーヴェル副隊長のあとを追った。
「ハールックは、先ほどから本ばかりを運んでいるな」
「それが私に与えられた仕事なのです」
リエーヴェル副隊長が使用していた机に本を運び終わった私はそのまま仕事に戻ったのだが、やることは変わらない。一階のあちこちに本を戻し、机に放置されている本を片付け、そして受付カウンターに戻れば、また本を運んでの繰り返し。1人だけ汗をダラダラと流しながら動き回っていた。
また戦術書の本の山を渡されたため二階へと上がれば、リエーヴェル副隊長は先程と同じ机に座り、階段から上がってくる私のことを少し面白そうに目を緩めて眺めていた。
「その黒髪は目立つから目に留まる」
「そ、そうですか」
戦術書ならこの机に置いてくれ、と机を指先でコンコンと叩かれた。
汗が凄いのであまり近づきたくないんですけどね……。
言われたとおり机にドサリと本を置けば、リエーヴェル副隊長が疲れたように窓の外を見た。外は太陽の光がサンサンと降り注いでおり、暑そうな熱気が見える。
「日中となると図書館も少し暑いな」
「そうなんですよね、朝の涼しさがずっと続けばいいのですが」
「確かに朝の図書館は過ごしやすい。あの時間帯なら仕事も進みそうだ」
とか言いつつも、リエーヴェル副隊長のお顔は今もとっても涼しそうに見えますけれどもね。
今日もきっちりと騎士服を着こなしているリエーベル副隊長は、暑くないのか襟元の第1ボタンまで全て留めている。私が頬に汗を伝えさせているのとは違い、リエーヴェル副隊長は夏だというのに汗一つ見当たらない。
なんだか、その涼しげな顔を見ていたら、心なしか体の火照りが冷めていきますよ。
なんて私が考えていれば、リエーヴェル副隊長が何かを見つけたように私の顔に目を留めた。
「……汗が、」
「はい?」
すっと頬を冷たい物が撫でた。すぐ近くには金色の瞳が揺れている。
「本に汗が落ちそうだ」
「え、あ、へ……?」
リエーヴェル副隊長が私の顎に手を添えて、親指でするりするりと私の頬を撫でていく。
……のぉおおおおおおっ!!?
なっ!?えっ?!リエーヴェル副隊長ぉおお?!
驚きと困惑と動揺でビシィッと体が硬直した。冷めかけた火照りがすごい勢いで体を駆け巡っていく。頭のてっぺんから湯気が吹き出そうなくらい顔が熱い……!
「どうした?顔が赤いぞ」
それはあなたの所為ですリエーヴェル副隊長!!
私の心の叫びに気づいていないリエーヴェル副隊長は、氷のように冷たいその手をひたりと私の頬に添えてくる。
うほぁあああっ!?
心臓がっ!心臓がっ!爆発してしまうっ!!
ていうか相変わらず手が冷たいですね!
いきなりどうしてリエーヴェル副隊長がこんな行動を取ったのか理解できない。そもそも女嫌いなのに、女性の汗とか触れるんですか。ていうか他人の汗を触れるのですか。リエーヴェル副隊長って勝手に潔癖そうだと思っていたのですが違ったんですね。
ああ、それよも私の汗でリエーヴェル副隊長の手を汚してしまった……!
未だに頭が混乱しているが、とりあえずハンカチを取り出してリエーヴェル副隊長の手を拭かなくちゃと思っていたら、どこかから強い視線を感じた。
こんな所見られたら大変だ!
慌てて目線だけで周りを確認すれば、まるで【絶望】と書いているかのように顔を真っ青にして白目を向いてガタガタと体を震わせている良家のご令嬢らしき女性を発見した。
しっ!しまったぁ!!リエーヴェル副隊長といる時間が長くなりすぎてこの手のご令嬢の目から隠れることを忘れてしまっていた!
気合いでリエーヴェル副隊長の凍結魔術(頬に手を添えられていただけ)を解いた私は、慌ててリエーヴェル副隊長から離れた。
「どうした?」
「いえ、仕事に戻らねばなりませんので、ここで失礼させてもらいます!手を汚してしまい申し訳ありませんでした!」
とりあえず今は冷静になるのよロジーナ。これ以上リエーヴェル副隊長といれば要らぬ誤解を受けかねない。いやもうあのご令嬢については手遅れかも知れませんがね!
机の上にハンカチを叩きつけるように置き、私は一目散に一階へと駆け下りた。
ああどうしよう!どうやってこの誤解を解けばいいのやら!このままじゃ、ハールック子爵家諸共闇に葬り去られてしまうかもしれない。
最悪の未来に頭を抱えながら、私は先輩達に頭を下げまくって裏方作業に没頭させてもらうことにした。
………我が家のため、自分の命のため、リエーヴェル副隊長と日中に接触しないように注意しよう。
そう決意しながら、先程のリエーヴェル副隊長の冷たい手の温度を思い出して顔が熱くなってしまった。
じ、自分の心臓の為にも適切な距離感を心掛けなくては。
ドキドキと煩い心臓は、暫くの間、高鳴り続けていた。




