ダルシア帝国の継承者
426.
帝都ロギノスの貴族の邸宅街に巨大な竜が現れた時、肝心の帝都防衛の艦隊はその注意を地上にではなく宇宙へ向けていたのだった。言い訳をするなら、彼らの専門領域は宇宙なのだ。従って、地上のことはそこまで注意を払ってはいない。ただ、彼らが竜の出現に気づかなかったのはそれだけが原因ではない。レーダー装置に付いている士官たちが丁度交代する時間に遭った所為もある。また帝都の空が厚い雲に覆われている所為もあった。
とは言え、竜が地上に顕現した時、大地を揺るがす地響きがしたことは、見逃されなかった。帝都にある憲兵隊本部ではその揺れを初めは地震かと思ったが、計器を見てその揺れの波が普通の地震とは違うことはすぐにわかったからだ。
「何かあったのですか?」
と、帝都の憲兵本部を視察に来たゼノン帝国大使館の武官らしきゼノン人が聞いた。そのゼノン人の視察の予定は今日になって突然知らされたことだった。帝国政府はゼノン帝国との友好関係を非常に重視していたので、こうしたことはすぐにかなえられたのだ。
「それが、地震のようでしたが、そうではないようで……」
士官が再び計測器を見ると、その波形が地震そのものであるように見えた。
「あれ?見間違いだったのか……」
「見間違い?つまり、今の揺れは地震だったということですか?」
「そのようです。見間違うなんて、申し訳ありません」
ゼノン人の武官が無表情でその部署を去った時に、もう一度揺れがあったのだが、士官は地震だと思い込んでしまっていて、それ以上の調査をしようとはしなかった。
実はこのゼノン人はゼノン大使館の武官に偽装したゼノンの魔術師だった。彼は帝都に顕現する竜を帝国軍から隠ぺいするために、やってきたのだ。そもそも、帝都の憲兵隊本部に視察に来る予定などゼノンの大使館の予定に組まれていなかった。突然現れたゼノンの魔術師が魔法で武官に偽装するとともに予定を組んだと相手に思わせ、竜が現れたことをうまく隠ぺいしたのである。
竜の存在が隠ぺい出来た最大の理由は、地上に現れた竜自身の存在が完全に物質化されていなかった所為である。そのため帝都を守る艦隊の探知装置はその存在を正確に探知することが出来なかったのだ。他の士官の交代時間だったことや気象条件は偶然ではなく、ゼノンの魔術師や魔導士の仕業である。従って、大きな揺れも地震だと言う憲兵隊本部の報告を鵜呑みにしてしまったのだ。
帝都ロギノスに現れたゼノン人の魔術師はある非合法組織に属していた。ゼノン帝国では魔術師や魔導士の組織は犯罪者や海賊の仲間となることが多いため、非合法であり、摘発の対象だった。従って、本国から遠く離れた他国で組織が存続していることが多い。今回銀河帝国に現れたゼノン人の魔術師は、そうした組織に属しているのだった。
かつてダルシアから追放されたダルシア人は、食糧不足や彼らの乗った宇宙船のエネルギー不足でその存在をこの三次元宇宙に置くことを回避したのだ。つまり、国外追放された大逆人とも言える彼らには行くところもないため、その生存を可能にする条件を整えることができなかったのだ。そのため、食糧も環境もあまり考慮することが必要ない異次元空間にその存在を移したのである。
単なる冬眠などとは違って、異次元存在に移行したならば、食糧も生きるための環境を整える必要もないのだ。存在そのものが、物質ではなくなるため、肉体の消耗、すなわち時間による生命の消耗もなかった。それは寿命を長く保つことが可能になることを意味した。
それは彼らに取って非常に便利なことだった。だが逆に、便利であるがゆえに、危険も伴っていた。元々彼らは異次元の存在ではなく、三次元の存在なのだ。三次元での時間の経過にある程度影響を受けることは避けられなかった。しかも、便利なだけにいつまでも長くこの状態を保つことが可能だった。それ故に、彼ら追放されたダルシア人達は異次元の存在の状態で、あまりにも長く時を過ごし過ぎたのだった。
その時間の経過が数百年か数千年、あるいは数万年ぐらいであればそれほどでもなかった。だが、実際は彼らが本国から追放されてすでに数百万年もの時か経過していた。
その数百万年と言う時は、彼らの肉体にかなりの老化や衰退減少を引き起こしていた。単に、これまで異次元に居たためそれが表面化しなかっただけである。これまでいた異次元にそのまま存在するのならともかく、三次元宇宙に現象化してしまうと、老化や衰退が一気に現実となって来た。そのため完全な物質化が出来なくなっていたのである。
(どうしたのだ?)
と、ジグルガスダスは不審に思って聞いた。
リドスの元ダルシア人ゼフィア・シノンの攻撃によって傷ついた、彼の部下である竜が一瞬、透けて見えたのである。まるで存在が安定していないかのように思えたのだ。
(いえ、大丈夫です)
傷は致命傷ではなかった。それなのに、自分の身体が消えてしまうような感覚があった。これはどうしたことだ、と竜は思った。実際に竜はまるで消えかかったように時折視覚で見えづらくなったのだ。
ゼフィア・シノンは相手が妙に見えづらいのに気づいた。それが意味するものが何であるか、彼女にはすぐにはわからなかった。これまで数百万年もの間異次元に居たものが三次元に出てきたという事例など聞いたこともない。だから、そのような場合の状態などわかりようもなかった。
竜は自分の身体の力が萎えていくように思えて、焦り出した。ゼフィア・シノンに向けて、手にある鋭い爪を何度も伸ばした。尻尾を奮って、その小さな体を撃ちすえようともした。だが、うまく行かなかった。相手が素早過ぎたのである。逆に自分の動きが鈍く、遅いことはだんだんわかってきた。そのため、何度か相手の持つ剣に傷つけられたのだった。
「シノン!」
と、声がした。
振り向くと、アルネ・ユウキ少佐とジェルス・ホプスキンがいた。帝都の繁華街から瞬間移動でやって来たのだ。
「ここは、危険です」
と、ゼフィア・シノンは叫んだ。
「いいえ、大丈夫。それより、あなたに怪我はない?」
「はい」
「そう。念のために言っとくけれど、あの向こうの竜はダルシアのジグルガスダスよ」
「え?」
ゼフィア・シノンは自分の昔の記憶を探った。
「では、あれはかなり昔の存在なのですね」
「ええ。おそらく、あれはこれまで別の次元に避難していたのでしょう。でも、無機物とは違って有機物は時間の経過による消耗が激しいわ。今でも半分しかこちらの次元に来ていないような感じだから、完全に物質化してないと思う。おそらく、あなたが彼らを倒さなくても、彼らの存在を三次元で現象化できるのはもう長くないでしょう」
「あれは?」
と、ゼフィア・シノンが空を見て言った。
「ああ、やっと気づいたのね。あれは帝都を守る帝国艦隊でしょう」
数十隻からなる小艦隊が竜のいる方へ近づいていた。
(む?あれは帝国艦隊か……)
と、ジグルガスダスが言った。
(そうよ。だから、早く引いた方がいいわ。あなた方は目立つから……)
(お前は、誰だ?この人間と同じ匂いがするが……)
(それは、いずれ思い出すでしょう。今は逃げた方がいいと思うわ)
と、アルネ・ユウキは竜に勧めた。
竜は現れた時と同じように、一瞬で姿を消した。
「逃げられました……」
と、ゼフィア・シノンが言った。
「そうかもしれないけれど、今の様子から考えるに彼らがもう一度、この次元に現象化することはかなり難しいでしょうね……」
「でも、それではあのジグルガスダスを捕まえることはできません」
「その必要はないわ。もう彼の時代は終わっているのだから」
「でも、……」
「それに本国のダルシア人はいなくなったわ。残っているのは、彼のような本国から追放された者達だけなのよ。その彼等だとて、もう何かをするような力はないわ。あまりにも時間が経過しているこの世に現象化することも難しいでしょうから……」
「では、彼らはどうなるのですか?」
「他のダルシア人の死者とおなじよ。それは、人間の死者と同じということ。もっとも、彼等では本国のあるところまでは帰れないでしょうがね」
「でも、彼らはどうして、今ここに現象化しようとしたのでしょうか?」
「それは、これから突き止めること。私たちの仕事が増えてしまったようね」
『死の呪い』が帝都ロギノスで蘇ったのは、偶然ではないのだろう。そこにはどうやらゼノン人の与する闇の魔法使い、魔導士が暗躍していると思われるのだ。そして、かつてのダルシア人もだ。この両者がどのような関係にあるのかわからなかった。
かつて、古代アルフ族がこのロル星団で最盛期を迎えた時、ゼノン帝国はまだその草創期に過ぎなかった。当時、ジル星団では白魔法使いしか存在しなかったが、魔法に関してゼノンではアルフ族から魔術師や魔導士の影響をかなり受けていたのだ。
アルネ・ユウキはダルシア人の科学技術がどれだけゼノンの魔術師や魔導士のいる組織に流れているのかが気になっていた。
ジル星団ではその文明が起きた時より、魔法は白魔法使いしか存在しなかったものだ。魔術師や魔導士と言ったものはいなかったのだ。それはジル星団の種族にとっては想像もできないものだった。従って、惑星ガンダルフ以外で魔法が盛んになったとしても、それはガンダルフの魔法の系譜を引いた白魔法使いしか存在しなかったのだ。
魔術師や魔導士というものが存在すると言うことを知ったのは、アルフ族が他の銀河から移住してきてからのことだった。彼らアルフ族は魔法と科学技術を使った宇宙文明であったが、魔法については白魔法使いの他に、魔術師と魔導士という存在がいたのだ。
当時のダルシア人にとっては、どちらにしても魔法使いであることには変わりはなかった。魔法など使う必要のない彼らにはあまり興味はなかったからだ。だが、惑星ガンダルフの魔法使いは、このことに注目した。
魔法に付いても正邪の区別があるのだ。ガンダルフの魔法使いによれば、白魔法使いは正しいものであり、魔術師はその中間の存在で、魔導士は間違った魔法使いだった。それは、アルフ族の中でも同じ区別が存在した。だが、困ったことにアルフ族の間では魔術師も魔導士も数の上では白魔法使いよりも少ないとはいえ、大きな力を持っていた。その力は国の行く末をも左右するほどの力があったのだ。
昔、有る時、アルフ族の王族の一人に非常に我が強く、支配力が異常に強いものがいた。その者は残念ながら、王位を継げる立場にはいなかった。だが、その者は王位を望んだのだ。その者に手を貸したのは、魔術師と魔導士だった。
魔術師や魔導士は白魔法使いよりも自分たちは力があると考えていた。それなのに、アルフ族において国の上層部は白魔法使いを重用していた。だからこそそれを覆して、自分たちの思い通りになる国を作ろうとしたのだった。ただそれは、アルフ族の文明に置いて初めてのことではなかった。かつてアルフ族の文明があった銀河に於いては同じことをしようとして、結果文明そのものが滅びるほどの災厄が起きたのだ。それを後の世のアルフ族の者達は『死の呪い』と呼んで怖れたのだった。
427.
デーラル・オル・ファウダノンは、ため息をついた。そして、
「何かご用でしょうか?」
と、言った。
皇帝付看護婦のデーラル・オル・ファウダノンを呼び出したのは、軍務卿だった。その無表情の顔は見るたびに嫌な感じがするのだった。
「何か変わったことはないか?」
「いえ、特にはありません」
「陛下の具合はあまり良くないと聞いているが……」
「はい。それも以前と同じく、微熱が出たりするだけで、それほど悪いわけではありません」
「なるほど、医者と同じことを言う……」
他に何と言えと言うのか、とファウダノンは言いたくなった。この軍務卿は陛下の身体を案じているというよりは、現皇帝における、自分の位置を心配しているように思えるのだ。だが、そんなことは口が裂けても言えなかった。少なくとも、軍務卿は皇帝陛下が股肱の臣と考えている人物の一人なのだ。
「何か変わったことがあったら、すぐに知らせるように」
「はい。分かっております」
軍務卿の元を去って自分の部屋に戻ると、ファウダノンは大きく深呼吸をした。
「私の仕事は陛下の看護だけなのだけれど、あとは余計なことなのに……」
あれから、皇帝陛下はまともだった。いや、普通の病人に戻っていた。それを思うと、あれはもしかしたら夢だったのかもしれない、と思うのだった。それに、本人自身もあの時の事を覚えてはいないらしいのだ。たまに、それとなくファウダノンはそのことを思い出そうと話しかけると、いつも首をかしげるのだった。それにしては、ファウダノン自身にはあまりにもリアルな体験だった。
あの時、あのままになっていたらどうなっていただろうと思うことがある。思い出すだけでも冷や汗がでることなのに、それがやめられない。もしそれを誰かに話したら、友達に話したら、玉の輿に乗れたのに、と言うだろうか。しかし、あんな目に会って玉の輿などと浮かれるようなことはできなかった。そう、もう二度とあのような目に会うことは御免だった。
「陛下を嫌いになった?」
と、小さな声がした。
ファウダノンがその声のした方を見ると、いつもの小さな妖精の少女が居た。
「わたし、声に出していた?」
「いいえ、あなたの心の声が聞こえてしまったから……」
「わたし、陛下を嫌いになったりはしないけれど、前と同じく患者としか見られないから、別にどうと言うこともないわ」
「なるほど、患者ね……」
「病院には、似たような振る舞いをする患者さんもいたから……」
「ふーん。もっと傷ついたかと思って居たわ」
「もう、私は子供じゃないわ。それにプロの看護婦ですもの」
「と言うことは、あなたは陛下に恋愛感情を持っていないということね」
「まあ、そう言うことになるかしら…。もしかして、軍務卿は、そういうことを望んでいたのかしら……」
「心の底では期待していたかもしれないわ。でも、あまり積極的にではないようだったけれども……」
「どうして?」
「皇帝陛下の妻になると言うことは、彼に敵認定されると言うことだから……」
「臣下が主の妻に嫉妬すると言うこと?」
「よくあることだわ。彼のような人物はね……」
「まさか、ありえないわ。それに、私自身がそれを望んでいないもの」
「それも、困るのよ。何しろ、皇帝という地位ではあまり女性に近寄れないから……」
「あら、それなりに、貴族の令嬢たちを見繕えばいいのでは?貴族は減ったけれど、まだたくさんいるはずよ」
「あなたも、その一人でしょう?」
「私は除外して。少なくとも、皇妃になんてなりたくないわ」
と、ファウダノンが言うと、妖精の少女は消えてしまった。
ファウダノンは身支度を整えると、自分の仕事に戻ることにした。皇帝の次の予定が始まる前に、その体調を測ることになっているのだ。
ギルゼール・アルス銀河帝国宇宙艦隊司令長官は、執務室の窓から空を見ていた。
雲が厚く垂れこめている暗い空は、嫌な予感を感じさせる。とは言え、それは大したことではない。彼の元に帝都の守備艦隊から帝都の貴族の邸宅街の一角に何か妙なものが探知されたと言う報告があったのだ。これは重大事だった。その妙なものがどんなものか判然としなかったからである。それに、帝都に二度ほど地震のような揺れがあったことが観測されている。この二つがどうも気になるのだった。
「ともかく、よくわからないでは済まされぬ。報告のあった地をよく調査するのだ。何かあったら、すぐに報告を……」
ただ、宇宙艦隊と首都の治安を預かる憲兵隊は指揮系統が異なっていた。そのため宇宙艦隊司令長官と言えど、憲兵隊に命令はできない。そのため、ギルゼール・アルスは艦隊に地上の調査を命じるとともに、自身は憲兵隊の長である軍務卿に協力を要請しなければならなかった。
しかし彼が軍務卿に連絡する前に、今度は帝国の新領土となった惑星ゼンダの総督府より、援軍の要請が来たのだった。
「惑星ゼンダからの援軍の要請だと?ヘイダール要塞の連中が攻めて来たのか?」
「まだ、詳細はわかりません」
「なら、早くその詳細を調査せよ」
銀河帝国が新しい王朝となり、やっと安定してきたところなのに、どうやら何かが始まりかけているようにギルゼール・アルスは感じた。先ほどの揺れが気になるのは確かだが、それよりも彼は総督府からの援軍の要請を重く見て、忙しく他の艦隊の呼集を始め、同時に皇帝陛下に連絡を入れた。かつては宮殿に連絡と言うと、彼自身が駆けつける必要があったものだ。現在は通信回線を始め、最新設備の工事が終わっていた。お蔭で、艦隊もすばやく行動できるようになったのだ。
「新領土の惑星ゼンダの総督府から援軍の要請が来たと言うのか?」
と、皇帝リーダルフ陛下は言った。
「は。ただ、援軍の要請の一報がありましたものの、その後、総督府に連絡が付きません。どうやら、大規模な通信妨害が起きているようなのです」
「すると、あのヘイダール要塞の反乱軍が領土の回復のために攻撃してきたと言うのか?」
「いえ、まだ詳細はわからないのです。ただ、援軍の要請があっただけなのです。通信妨害がひどく、援軍の要請はその間隙をついてなされたものと思われます」
「わかった。ともかく、急ぎ偵察隊を派遣せよ。そして、艦隊の準備を急ぐのだ」
「はっ。それと、そのこととは別なのですが、先ほど帝都に地震のような揺れがありました。その揺れはどうやら地震ではないようなのです。そのことについて、艦隊からだけではなく、地上の憲兵隊とも共同して調査が必要だと考えます」
「確かに、先ほど地震があった。あれは、地震ではない可能性があると言うのか?」
「はい」
「わかった。余から、軍務卿に言っておこう」
「そうしていただければ、助かります」
暗くなったスクリーンから離れて、ギルゼール・アルス宇宙艦隊司令長官は艦隊の準備と先ほどの揺れの調査の二つの命令を出した。
看護婦のファウダノンの体調の測定が終わると、すぐに皇帝リーダルフは軍務卿に連絡を入れた。
「皇帝陛下、どのようなご用件でございますか?」
「先ほどの揺れについての調査を宇宙艦隊と憲兵隊が共同して行って欲しい」
「先ほどの揺れでございますか?」
「そうだ。直接ギルゼール・アルス元帥から連絡があった」
「わかりました。私の方から憲兵隊に話を致します」
「それから、新領土の総督府から援軍の要請があったそうだ」
「何と、かのヘイダール要塞の反乱軍が攻めて来たのでございますか?」
「それは、まだわからぬ。だが、アルス元帥に帝国艦隊の準備をするように言っておいた。卿の方も準備をしておいてほしい」
「了解致しました」
連絡が終わると、皇帝リーダルフはゆったりとした椅子の背もたれに寄り掛かった。見ると、看護婦のファウダノン嬢の姿は、すでに部屋にはなかった。彼女は職務には非常に熱心できっちりとこなす人物だった。だが、最近は仕事を終えると、すぐに部屋を去って行ってしまうことが多くなっていた。以前は多少の会話もしたものだった。彼にとってはそうした会話は珍しく、そのことにくつろぎを覚えていた。それが無くなってしまったのはいつからなのか、彼は思い出せなくなっていた。ファウダノン嬢にしたことは彼の記憶には残っていなかったのだ。それでも何か非常に嫌なことをしたような罪悪感が残ってはいた。だからこそ、彼はファウダノンと会話をすることが無くなったのである。それに、ファウダノンは職務に忠実なので、仕事の合間に会話を挟むようなことはめったにしないのだった。
428.
部屋に戻ったデーラル・ファウダノンは鏡を見て微笑んだ。
「何だか、皇帝陛下に遭うと、前よりも緊張するようになったわ。仕方がないけれど……」
ただ自分のしたことがまるで逃げ戻ったように思えてしまうのは、悔しかった。だが、どうすればいいのだろうか。やはり、この仕事を止めた方がいいのかもしれない。このままでは身体も心も安心できないのだ。ここの仕事を始めてまだ半年ほどしか経っていないが、もしかしたら、前の看護婦も同じ目に会って辞めたのかもしれない、とファウダノンは思った。
「止めるの?」
と、声がした。その声はあの小さな妖精の少女だった。
「まだ、決めたわけじゃないわ。でも、やっぱりトラウマとは言わないけれど、不安なのは確かね」
と、先ほどとは違って正直に彼女は言った。
「そう。仕方がないわね」
「ねえ、あなたはここに住んでいるの?」
「まあね」
「前の人の事は覚えている?」
「覚えているけれど、彼女は私のことは知らないと思うわ」
「どうして?」
「私の事は、誰にでも私は見えるわけではないの。目の前に居ても私が見えない人の方が多いわ。今の皇帝陛下だってそうよ」
「前の皇帝陛下は?」
「前?そうね、少し前のあのおじいさんは私の事は、見えていたと思う。見えても、騒いだりしなかったから……」
「おじいさんというと、……」
「旧王朝、オルボダルト王朝と言ったかしら、その最後ではないけれどちゃんと皇帝をやっていた人物では最後のヨツンガルドス八世のこと」
「ヨツンガルドス八世があなたの事を見ることが出来たの?」
「そうよ。それに、現皇帝陛下の姉君も」
「本当なの?じゃ、リーダルフ陛下はあなたの事が見えるかしら?」
「多分、見えないと思うわ。彼はあまりこうした力を持っていないから……」
「でも、驚きだわ。皇帝陛下の姉君はヨツンガルドス八世の何人目の側室だったかしら?」
「それは今はもうダブーなのではなくて?」
現皇帝リーダルフは新王朝を築いた時、前王朝の皇帝の愛人だった姉を大公妃として列したのだった。今はもう、その姉のことを、皇帝の愛人と揶揄するような者はいない。
「そうだけれど、とても美しくて賢い人だったと聞いたことがあるわ」
「そう。確かに、彼女は美しくて賢くて、とても強力な魔女だったわ」
「魔女ですって?」
「魔女というと、この世界では悪いイメージがあるかもしれないけれど、彼女は悪い魔女ではなかったわ。つまりその力を悪いことに使ったりはしない人だった」
「そうなの?当時は今の陛下が軍でトントン拍子に昇進することが、他の貴族たちの嫉妬の種になっていたようだけれど……。その昇進のためにその力を使ったことはなかったのかしら」
「いいえ、そんなことはないわ。それはね、元々彼はそうなるために生まれて来たからだわ」
「と言うと、生まれた時から新王朝を築く運命だったということなの?」
「そう。もちろん新王朝を築くなんて、彼一人だけではできないわ。だから、ヨツンガルドス八世と彼の姉君が必要だったのよ」
「魔法でヨツンガルドス八世をたぶらかしたとか言うことはないのね」
「もちろんよ。それだけではなくて、二人ともグルだったと言うこと」
「どういうことなの?」
「魔法と言うのなら、ヨツンガルドス八世もその姉君と同じほど、強い力を持っていたと言うこと」
「ヨツンガルドス八世が魔法使いだったの?」
そんなことは聞いたことがない。いいや、オルボダルト王朝はそうした力を否定することを国是としていたのだ。そのオルボダルト王朝に強力な魔法使いの皇帝がいたとは、どういうことなのだ、とファウダノンは思った。
「皇帝陛下が魔法使いだなんて、当時は誰も知らなかったと思うわ。ただ、皇帝陛下とその姉君は同じ魔法使いとして、自分たちが何者であるかを知っていたと言うことなの」
「彼らは何者だったの?」
「二人は、かつて何度も何度も夫婦になったことが有ると言うこと。そして、自分たちが強力な魔法使いであることを知っていたの。それに、姉君の弟がいずれ新王朝を築くことになると言うことを知っていたのよ」
「じゃ、前王朝の皇帝陛下自ら、新王朝を築く手伝いをしたと言うことなの?」
「そうなるわね」
「そんなこと、信じられない。だって、生まれる前の記憶なんて持っている人がいるのかしら?」
「あら、大体一万人に一人くらい居るものだわ」
「私は聞いたことがないわ」
「それは当然でしょう?この銀河帝国ではそんなことを話したら、迫害の対象になってしまうもの」
「それはそうだけれど。でも、どうしてそんな人がいるの?」
「それは、簡単に言うと、命と言うものがこの世だけで終わるのではないと言うことを忘れないため、そしてそれを知らせるためよ」
「つまり、生まれる前の世界があると言うことは、死んだ後に行く世界もあると言うことなのね」
「そうよ。残念ながら、帝国に置いてはそれを公に言うことはできないけれど、密かに巷間では囁かれているはずよ。たまにそう言う人がいると言うことをね」
「で、生まれる前の記憶をあのヨツンガルドス八世とその愛人だった今の皇帝陛下の姉君が持っていたと言うことなのね」
「そう。そして、二人がこの世で出会って、姉君の弟の望みを助けるために協力することも知っていたの」
「でも、リーダルフ皇帝陛下はその記憶を持っていないのかしら?」
「持っていないと思うわ。そうでないと、なかなか彼のような生き方は難しくなるしね」
「で、そんな話を私にすると言うことは、どんな理由があるのかしら?」
と、デーラル・オル・ファウダノンは言った。
「それはね、あなたが本来なら、ある人と生まれる前に結婚の約束をしていたから。それを思い出してほしかったのよ」
「ある人ですって?私が、生まれる前に結婚の約束をしていたというの。一体誰に?あなたはそれを誰だか知っていると言うのね」
「ええ、それが誰であるかはまだ言えないわ。でも、仕方がないわね。あなたにはもうそれは無理の様だわ」
それが、あの古代アルフ族の霊の目的だったわけではない。偶然と言えばそうも言えるが、皇帝陛下の看護婦となる人物にはその可能性を最初から考えている者たちがいることも確かだった。だからこそ、貴族の家柄から看護婦を求めたのである。何かあった時に、それにふさわしくないものを皇帝陛下の傍に置くわけにはいかないのだ。
まさかとは思うが、その答えになるものに検討を付けたファウダノンは、なぜ軍務卿がここの所、うるさく毎日のように何かあったかと聞く理由を突然理解した。
「何ていうことなの!」
最初に感じたのは憤りだった。一体何の権利があって、こんな目に会わされるのか、とファウダノンは怒りを感じていた。
「私止めるわ、ここの仕事……」
「止める?でも、簡単にやめられるものなの?」
確かにそうだった。次の看護婦を決めないとこの仕事が辞められない、いや辞められるはずがないのだ。かと言って、ファウダノンには皇帝の看護婦を務める人物の候補者を探す手立てはなかった。
「あと少し、我慢することね。その間に何とかできるかやってみましょう。それよりも、あなたに求婚者が現れることが一番いいのだけれど……」
「ここで仕事をしている限り、そんなことは不可能だわ」
この宮殿では男性が多いにしても、ファウダノンに合うような年齢の男性に会うようなことは難しい。それに、自分の仕事上の事に付いて少しでも知っているとしたら、絶対に相手になる様な事はないだろう。そんなことをすれば、本人の出世や昇進に響くかもしれないのだ。それよりも、自分がまず結婚したいなどと考えたことがないからだ。
新総督府のある惑星ゼンダから次の通信が来るのに、それほど長い時を必要とはしなかった。とは言え、帝国から偵察艦隊を急ぎ派遣した後であった。
「援軍の必要はない?一体、そちらで何が起きているのだ」
と、ギルゼール・アルス宇宙艦隊司令長官は言った。
「それが、よくわからないのです。確かに惑星ゼンダにグーザ帝国と名乗る艦隊が来たのは確かです。ですが、今はその影も形もないのです。もちろん、通信もありません」
と、惑星ゼンダの総督府にいる総督の副官アルマイト・フォル中将が言った。やっと通じた超高速通信は惑星ゼンダが遠いので、音声はともかくとして映像がはっきりとしないのが難点だった。
「本当にグーザ帝国艦隊というモノが来たのか?それは我々に対する目くらましか何かに使われたものではないのか?」
もしそうだとしたら、まだ惑星ゼンダは安全ではない。一刻も早く、本国から艦隊を派遣しなければならない、とギルゼール・アルスは考えていた。
「本物の艦隊がどこかにいるとおっしゃるのでしょうか?」
「そうではないのか?」
「しかし、あれほど大規模で強力だった通信妨害が止んでいるにも関わらず、探知装置には何もかからないのです」
「だから、どこかに敵が潜んでいるのではないのか?」
「しかし、グーザ帝国と言う艦隊は確か十万隻もの数でした。それほどの艦隊がどこかに潜んでいるなどと言うことが出来ましょうか」
「総督は何をしているのだ?」
今になっても、総督自身が通信に出てこないのを不審に思って、ギルゼール・アルス元帥は苛立って聞いた。
「現在、総督閣下は、惑星ゼンダの駐留艦隊旗艦に乗って、鋭意敵を捜索中です」
「なぜ、総督自身が行くのだ?」
「それが、敵が何者かよくわからないので、ご自身が行くと言われたもので……」
「それを止めさせるのが、副官たるお前たちの役目ではないのか?」
「はあ……」
文句を言われても、新領土においては総督が全権を持っているので、彼らには総督に反対するようなことはできなかったのだ。
「ともかく、急いで帝国艦隊の本隊を出発させることにする。それを総督に伝えておくように!」
と、ギルゼール・アルス宇宙艦隊司令長官は命じた。
とは言っても、帝国艦隊の本隊を動かすには、まだ時間が掛かるのだった。急がせても、一、二週間はかかる。本来なら、何カ月も掛けて準備をするところなのだ。従って、偵察艦隊を派遣したことは少なくとも多少の援軍にはなるのではと考えていた。




