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ふたご銀河の物語  作者: 日向 沙理阿
75/153

ダルシア帝国の継承者

364.

 ヘイダール要塞はこのところ珍しく平穏だった。

 ゼノン帝国やナンヴァル連邦の艦隊やグーザ帝国の艦隊などの異星人の侵攻は今の所ひと段落と言うところだ。それに銀河帝国とも特にトラブルは起きていない。翻って要塞内部ではエルシン・ディゴ政治代表達が固執していた貨幣代わりのカードポイントの収奪は無くなってはいないが、減っている。それだけで、一応兵士や住民の感情も宥められていた。

 ただ、リーリアン・ブレイス少佐が不在なので、司令室はどこか物足りない感じがした。それを特に感じていたのは長いこと副官として傍にいてもらったヤム・ディポック提督だった。

 ブレイス少佐は、あと五日間は戻って来られない。彼女には、ホランド・アルガイの船が迎えに行く手筈になっていた。

 だが、しかし、とディポック提督は思った。彼はダールマン提督が言ったことが気になっていた。

 元新世紀共和国のあるふたご銀河のロル星団に大昔、おそらく何千万年も前によその銀河からアルフ族と言う種族が移住してきたというのだ。そして、その時の指導者が『テイミス』と言う名の人物で、後に女神として崇められていたとダールマン提督――レギオンが言ったのだ。

 ガンダルフの魔法使いレギオンの話はいつも通り記録も残っていない大昔のことなので、本当のことかどうかわからないが、今回の件についてはかなり気になることがあった。気になったのは、女神という部分である。男神というのならこれほど気にはならなかっただろう。ディポック自身、男女についてはその優劣についてはあまり興味はなかったのだが、女神と言われると気になるのだから不思議だ。そう言われると、身体のどこかがかゆくなる気がするのだ。

 男女差別だと言ってしまえばそれまでだが、本当にそうなのだろうか?それとも、自分がダールマン提督の話を信じてしまっている所為なのだろうかと思いながら、ディポック提督は横目でダールマン提督を見た。

 ダールマン提督は司令室の中のいつもの場所に座っている。

 ヘイダール要塞の司令室と言われる場所はまるで劇場の二階席のように、大スクリーンを囲んでいた。下には要塞の様々な機械の制御装置や探知装置や通信装置があり、それぞれにスタッフが付いて常時稼働している。それから上に向かって階段が付いている。今は下と二階席に当たる司令室との中間にいつもは見えないが、転送装置の置いてある場所があった。

 ダールマン提督は、いつの間にか要塞司令官の席に向かって右側に席を置いていた。そのことに誰も文句を言わないのは不思議だった。司令室の他の連中は司令官の席の後ろの方に座っていた。そこは劇場の席のようにだんだん上に向かって高くなっているのだ。

 そこへどうやって入ったのか、フェーラリス・オル・ジェグドラントがやって来た。そして、思いつめたようにダールマン提督の背を見ていた。

「おや?あなたは、確かジェグドラント家の方でしたね」

と、ダズ・アルグ提督がフェーラリスに気づいて言った。

「そ、そうですが。あの……」

と、躊躇いながらそれでもフェーラリスはダールマン提督を見ていた。

「ふーん。ダールマン提督に用があるのですか?」

と、ダズ・アルグは親切にフェーラリスの代弁をしてやった。

「そ、そうなんですが。実は、あの……」

 すると、くるりとダールマン提督が振り返った。

「私に何か用だろうか?」

 顔を真っ赤にしたフェーラリスは思い切って言った。

「私は魔法を学びたいのです。魔法を学んで、魔法使いになりたいのです。どうか教えてください!」

 ダズ・アルグは驚いたが、ダールマン提督は冷静に言った。

「魔法使いにはそう簡単には成れないと思うが?軍人になるように学校があるわけではないのだからな」

「で、でもあなたはガンダルフの魔法使いで、『大賢者』レギオンと呼ばれる魔法使いだと聞きました。かつてあなたには多くの魔法使いの弟子がいたと聞きました。私をその、あなたの弟子にしてくれませんか?」

「弟子だと?」

と言って、ダールマン提督――レギオンは眉を潜めた。

 一体誰からそんなことを聞いたのだろうか、とダールマン提督は思った。弟子を取らなくなってから、しばらく経つ。それ所為で魔法使い達の数が減ったと、嘆く者もいた。魔法の呪文を綴る者、ガンダルフの魔法使い『大賢者』レギオンが弟子を取らなくなったのはそんなに昔のことではない。もっとも大した理由があるわけではない。単なる気まぐれだったが……。もうそのきっかけを知る者もほとんど生き残ってはいない。

 だが、新しい魔法の呪文を綴るに当たって、そろそろ弟子をとっても良い頃合いではないかとダールマン提督――レギオンは思い始めたところだった。

「どちらにせよ、私は、今はもう弟子を持つつもりはない」

と心とは裏腹に、彼は冷ややかに言った。そして、

「お前はジェグドラントの者なのだから、銀の月にでも頼んだらどうか?」

と、続けた。

「ベルンハルト、いえ銀の月にはもう頼みました。しかし銀の月は、弟子は取ったことがないので教えられないということでした」

「ほう。ま、そうだろうな」

 ガンダルフの魔法使いの一人『大賢者』レギオンは多くの弟子を育てたが、銀の月はこれまで弟子を取ったことがないのは本当だった。魔法を教えるのには、人によって向き不向きがあるのだ。

「お願いします。私をあなたの弟子にしてください。本当に魔法使いになりたいのです」

「で、お前の親兄弟、つまり家族はどう言っているのだ?」

「私の家族は皆反対しています。でも、私は次男坊で、家を継ぐわけではありません。当主である兄にはもう男子も生まれていますし……」

「つまり、行くところがないと言う訳か?」

「それもあります。それに私は、これまでジェグドラント家の跡継ぎの替わりとなるので他の職業に就こうとは思いませんでした」

 それを言い訳にして、フェーラリスは何もせずにふらふらしていたのだ。貴族の次男とはそう言うことが許される立場でもある。最終的には親が亡くなる時に多少の遺産を分けることにも預かれるのだ。そこが三男のベルンハルトとは違うのだった。彼は最初からジェグドラント家の資産を当てにすることはできなかった。だから、士官学校に入ったのである。

「それに先ほど言ったように、魔法使いになるというのはそう簡単にできることではない。もう一度よく考えるのだな。せめて、家族の承諾くらい取ったらどうだ?」

 それが一番難しかろうと思って、ダールマン提督――レギオンは言った。


 魔法使いの弟子になるのを断られたフェーラリスが肩を落として司令室から出て行くと、その外の廊下でジェグドラント家の子供達とアリュセアの子供たちが待っていた。

「どうだったのおじさん?」

と、目を光らせてデルセラ・オル・ジェグドラントが言った。

「ダメだった」

「やっぱり……」

「だから言ったじゃない」

と、リゼラ・ジーンが言った。

「それでもう、諦めるの?」

と、リュイ・ジーンが言った。

「いや、何とか考えてみる。それに、家族の承諾がいるそうだ」

「そんな、無理だよおじさん」

と、長兄のログス・オル・ジェグドラントが言った。子供達は別にしてジェグドラント家の大人は、このフェーラリスの望みに皆反対なのだった。中でも次男のデルセラはフェーラリスと同じ立場なので、叔父のように魔法使いになりたいと考えていた。

「やってみなければわからないさ」

 他にやりたいことなど見つからないのだ。これまでフラフラしていたのはそうした理由もあったからである。だから、魔法使いになるということにいくら反対されても、今回は頑張ってみようとフェーラリスは珍しく強い意志で臨んでいた。

 この光景を司令室のスクリーンで見ていたダールマン提督は、

「少なくとも、子供には好かれているらしいな……」

と、珍しく言った。

 子供に好かれるというのは、悪い人間ではないということだ。だが、ダズ・アルグ提督はもう三十過ぎの男が子供に好かれると言われても仕方がないのではないかと思った。

 そこへ、通信員がやって来て司令官代理に報告した。

「あの、実は最近悪戯が多くて困っています。どうにかならないでしょうか」

「悪戯?どんな悪戯だ」

「何でも『改装注意報』を出すようにという要請が来るのです。どういうことなのでしょうか?」

「改装注意報だと?」

と、ダールマン提督が言った。

「何か知っているのか?」

「いつから来ているのだ?」

「ええと、しばらく前ですから。二、三日前ほどですか……」

 最初は一日に一回だったので、無視できたのだが、昨日は朝昼晩と一日に三回も来るので、悪戯だと思ったもののもう黙っているのが限界になったので、言いに来たのだった。

「それを今言って来るのか。すぐにその『改装注意報』を出せ。さもないと、大変なことになる」

「どういうことなのだ?」

 そこでダールマン提督は理由を説明した。

 その原因は三日前、リドス連邦王国の第三王女が突然やって来て、ブレイス少佐の亡くなった父親の件について話に来た時、同時にヘイダール要塞の武力の強化策について提案をしに来たことにある。その時、要塞の政治代表も呼んでその件について話をし、了承を得たのだった。

 この『改装注意報』はリドス連邦王国の要塞の武力の強化に来ている技術者たちから来ているというのだ。

 リドス連邦王国の武力強化案は、この場所の別の異次元空間に同時に存在する『レギオンの城』の動力源や武器を、こちらの要塞でも使えるようにすることが中心になっていた。それには、要塞と城を重ね合わせて同時に存在する場所を造る必要がある。そうしなければ、魔法等を使って要塞や城へ移動しなければならないからだ。要塞にいる元新世紀共和国の兵士たちは魔法など使えないので、必要な工事だった。その工事は、要塞や城の通路や部屋を繋ぐのでこれまでとは違った配置になってしまうことも起きる。それに工事の最中はその付近の通路や部屋を使えなくなるし、次元の壁を崩すこともあるので、妙な現象も起きるようになるのだ。それで『改装注意報』を出して、工事をする付近に近付かないよう注意を促しているのだ。

「そうか、ではすぐにその『改装注意報』とやらを出すように!」

と、クルム司令官代理は言った。

 それにしても、工事が行われているにしては要塞内が静かだった。だからすでに工事に入っているとは誰も思わなかったのである。

「それだけではすまないぞ。これまで出さなかったから、おそらく要塞にいる連中の中には部屋や通路から出られなくなった者達がいるはずだ」

「すると、捜索隊を出す必要があるのか?」

「そうだな。急いでやった方がいい。死者が出るかもしれんぞ」

「そ、そんな……」

 通信員は責任を感じて蒼くなった。

「だが、場所が分からないと、要塞中を捜索しなければならない」

 俄かに司令室が騒然となった。要塞の中で行方不明者が出ていないかと、あちこちに問い合わせた。するとやはり、数十人に上る行方不明者が出ていると言うことが分かった。

「ともかくフェリスグレイブを呼んでくれ。すぐに捜索隊を編成して行方不明者を探さなければ危険だ」

と、ナル・クルム司令官代理は命じた。

 フェリスグレイブは呼ばれると説明を受け、すぐに部下に捜索隊を編成させた。

「ですが、捜索隊が行方不明になる危険もありますが……」

と、フェリスグレイブは言った。人間だけの捜索隊では多分、要塞の改装とかに巻き込まれたらどうにもならないと思ったのだ。

「なるほど。ダールマン提督、どうすればいいのだ?」

と、クルム司令官代理が聞いた。

「それを避けるには、捜索隊にリドス連邦王国の魔法の使える士官を加える必要がある。彼らが居れば何かあった時に大丈夫だろう」

「ブルーク・ジャナ少佐はどうだろうか?」

「そうだな、あの子猫と一緒なら大丈夫だ。そこら辺の魔法使いよりも役に立つだろう」


365.

 ヘイダール要塞の工事にはリドス連邦王国から多くの技術者と魔法使いがやって来ていた。もちろん、目に見えないダルシア人の霊も来ている。なぜなら、要塞の外壁や内部の隔壁も銀河帝国の使っていた鋼材ではなくあのダルシアン鋼に変えられてしまったからである。ダルシアン鋼はダルシア人の強力な念でなければ、なかなか変化させることができないのだ。従って工事には普通の工事技術者と魔法使いとダルシア人の霊の三者を一組として進められていた。

 例えば、改装の設計図を持った魔法使いが場所を決定し、何をどう改装するかを三者が確認し、ダルシア人の霊が壁の素材を扱いやすいものに変え、工事技術者が改装し、最後にダルシア人の霊が金属をダルシアン鋼に戻すのだった。

 普通の工事よりも見た目の人員は二倍になり、工事の進み具合は時間が掛かるのが一番の難だった。但、騒音などはほとんどしない。だからどこを工事しているのかわからないのが要塞在住者には困った点である。


 捜索隊にはブルーク・ジャナ少佐がフェリスグレイブに命じられて、子猫と一緒に同行した。子猫が行方不明者の居場所を特定し、捜索隊員がリドスの工事関係者に話をして救出する。時間がかかる場合は、子猫がさっさと行方不明者を転送して出した。

「おや?その子猫は、どこのものですか?」

と、リドスの魔法使いが聞いた。

「この子は、要塞で見つけた私の猫です」

「いえ、そうではなくて、どこの種族のモノかと、……」

「この子はリイル・フィアナ提督によれば、元はリドスに属していたと聞いています」

 リイル・フィアナはリドス連邦王国の艦隊提督である。そう言えば、だいたい相手には理解できると彼女が言っていたことを、ジャナ少佐は思い出して言った。

「リドスにですか?でも、この子は魔法使いではないですね。そう、暗黒星雲の種族のようですが……」

「私が聞いたことは、暗黒星雲の種族の元へ行ったけれど、合わなくて戻って来たということです」

「なるほど。まあ、我々としては心強いですが……」

「何かあるのですか?」

「いえ、リイル・フィアナ提督の知り合いなら大丈夫でしょう」

 魔法使いはそう言って、その後何も聞かなかった。


 要塞の政治代表エルシン・ディゴは、彼の支持者の集会があった時、元新世紀共和国の最高評議会議長であるチェルク・ノイ氏が来ている噂があることを聞いた。

「私はそんなこと、聞いていないぞ」

と、エルシン・ディゴは驚いて言った。

 元々彼は、そのエルシン・ディゴからこの要塞の事を心配して行くように言われて来たのだ。だというのに、その自分に何の知らせもしないのはどうしたことだろうか、と不審に思った。

「あの司令官代理から話がなかったのですか?」

と、支持者の一人が言った。

「いいや、私は初めて聞いた」

「忙しくて忘れていたのではありませんか?」

「そんなことはないですよ。きっと本人から誰にも言わないように言われているのではないでしょうか……」

 確かに要塞に来ているチェルク・ノイ氏本人に会ったことがあるという者はいなかった。だから噂ではないかと思ったのだが、それにしても変だ、とエルシン・ディゴは思った。火のない所に煙は立たない。だからその噂が嘘であるとは思えないのだ。もし本当に本人が来ているのであれば自分に会わないと言うのは変である。だが、……。次第に疑念が募るのを彼は抑えることができなかった。

 初めから要塞の司令室の連中は、政治代表とその仲間に冷たかったとエルシン・ディゴは思った。

 実はそれは逆で、彼らがあまりにも要塞で傍若無人に振る舞うのでそれを諫めようとしていたのだとは、現在でもやっている本人たちはまるで理解していなかった。彼らはただ、元新世紀共和国での自分の地位なりの扱いを要求しただけなのだ。

 それなのに、この要塞の連中は上から下まで自分たちを批判すると思っていた。

 要塞にいる人々は、元新世紀共和国からは兵士がほとんどで、あとはタレスからの亡命者が多数を占めていたのだ。批判は両方から来ていたが、兵士たちにとってここは普通の都市ではなく戦場であるとの認識であり、タレス人たちにとっては、臨時の住処だった。彼らはともにこの要塞で共同生活していると考えていた。

 そこへ他所から来た妙な連中が自分たちの権利と特権を要求して、威張り腐っていると考えている者が大半だった。兵士たちにとっては自分たち自身が選挙で選んだ代表であったが、ほとんどの者が今は間違った選択をしたと考えていた。とは言っても他に選択肢はなかったのだが。

 兵士たちにとっては、あのディポック提督を解任したことが、許せなかったのである。そもそもここはディポック提督が占拠したのであって、あとから来た政治代表が我が物顔で振る舞うことが許せなかったのである。

 エルシン・ディゴは集会のあった次の日、司令室へ向かった。

 だが、おかしなことにいつまでたっても司令室に着かなかったのだ。そのことに気づいたのは、一時間も歩き回った後の事だ。いつもなら、その半分ほどの時間で司令室に着いていたのだ。それなのに、今日は着かない。これはどういうことだろうか、とさすがに彼も焦っていた。

 気が付くと、周囲に煙のようなものが立ち込めて、先が見えにくくなっていた。初めは火事かと思って、慌てたが、何の匂いもしないし、警報もならない。特に息が苦しくならないのは妙だった。何が起きているのだろうと不安が募った。そのまま煙のようなものはだんだん増えて行って、ここは建造物の中なのに、まるでどこか山の中を歩いているような気分になった。

「おおい、誰かいないか?」

と、エルシン・ディゴは我慢ができなくなって声を出して誰何した。このままでは迷子になってしまうという不安を感じたのだ。

 要塞に来て、もう数カ月になるだろうか。その間、あちこち見て回った。要塞の政治代表として、その必要があると思ったからだ。しかしヘイダール要塞全部を見たわけではない。この要塞は非常に大きく、全部を見て回るにもかなりの日数が必要だった。それに似たような通路が多いことも不安を増幅させた。

 この煙――匂いがないので霞というのだろうか、それが立ち込めていると言う現象は、実はリドスの工事技術者が改装工事をしている場所に起きていることだった。そんなこととはつゆ知らず、エルシン・ディゴは改装工事の真っ只中に侵入してしまったのだ。

 しばらくその場に立ち止って、視界がはっきりするのを待っていたが、煙あるいは霞のようなものはいつまでたっても晴れなかった。そこは何の物音もしないし、警戒を要求するような要塞内連絡もない。だが、どこか変だということは彼にもわかった。

 そこに、人間のものとは思えない、悲鳴が聞こえたように思った。それもすぐ近くでだ。

 エルシン・ディゴは恐怖を感じて、どこかへ走って逃げようとした。だが、何かに躓いて、倒れてしまった。

「な、何だ?」

 震えながら、振り返ってみた先に、人が倒れているのが見えた。

「これは、どうしたんだ?」

 エルシン・ディゴは震えたまま、ゆっくりと立ち上がり倒れている人を見るために近付いた。

 床に血が流れていた。その中に人が仰向けに倒れているのだ。

「し、死んでいるのか?」

と、独り言を言いながら彼は倒れている人の胸に耳を押し付けて見た。心臓の鼓動は聞こえなかった。

「し、死んでいる」

 辺りを見回し、他に人がいないのを確かめると、もう一度倒れている人を見た。血はどこから流れているのだろうか?仰向けの身体の方には傷はないようだった。とすると、背中の方だろうか。

 次の瞬間、その死体はまるで何もなかったように消えた。

「あ、あれ?どうしたんだ、あの死体はどこへ行ったんだ?」

 何が起きているのか、エルシン・ディゴにはさっぱりわからなかった。


 エルシン・ディゴが司令室にやっとたどり着いたのは、自分の部屋から出てどれだけ立ったからであろうか。もうすでに疲労困憊していた。

 不思議なことに気が付いたら、司令室の前にいた。そして、そこに立っていた警備の立哨の兵士が、

「政治代表、どうかしましたか?」

と、彼に問いかけていた。

 あまりも疲労した様子に、兵士が心配して声を掛けたのだ。

「い、いやなんでもない。ここは司令室か?」

「は、そうです」

「そうか。よかった。やっと着いたか」

「……?」

 司令室に入って行くと、いつも通りだった。

「これは、政治代表、今日はどんなご用ですか?」

と、声を掛けてきたのは、ダズ・アルグ提督だった。

「クルム司令官代理に話がある。それと、ディポック提督にもだ」

「わかりました」

と言って、ダズ・アルグはすぐそばだったのだが、大仰にクルム司令官代理とディポック提督に案内した。

「どうかしましたか?」

と、ディポック提督が言った。

 見たところ、エルシン・ディゴ政治代表はかなり疲れているように見えたのだ。

「ディポック提督か、まあ君でもいいだろう。聞くところによると、チェルク・ノイ氏がヘイダール要塞に来ているそうだが……」

「チェルク・ノイ氏ですか?」

「そうだ。私はそもそも、チェルク・ノイにこの要塞に派遣されたようなものだ。だから、来ているのなら会いたいのだ」

「確かに来ておられるのですが、ただ、その、チェルク・ノイ氏に会うというのは、ちょっと難しいかもしれませんね」

「どういうことだね。チェルク・ノイが私に会うのを嫌がっているとでもいうのだろうか?」

「いえ、そうではありません……」

 まさか、チェルク・ノイ氏がすでに死んでいて、その霊が要塞に来ているのだとはディポック提督からは言えなかった。それに原則としてチェルク・ノイは霊であるので、霊が見える者には会えるのだが、見えない者には会えないのだ。エルシン・ディゴに霊視の能力があるとは思えない。

「それと、これは幻かもしれないのだが、司令室に来る途中で死体を見たのだが……」

 エルシン・ディゴがチェルク・ノイ氏に会いたいと言うのは本当のことだが、来る途中で見たあの死体があまりにも強烈な印象だったので、言わざるを得なかった。

「死体ですって?司令室に来る途中ですか?」

 グリンが珍しく聞いた。死体があると言うことは、何か犯罪か他国のスパイでも潜入しているかのどちらかに決まっている。ヘイダール要塞の安全にとって聞き捨てならないことだった。

「どこですか?保安要員をやります。場所を教えてください」

と、グリンが更に言った。

「それが、場所についてはよくわからないのだ。何しろ、ここへ来るまで今日はどうしたことか、随分時間がかかったので……。とにかく、フェリスグレイブに連絡して、部下をその死体のある場所へ派遣するようにしてくれ!そうだ。私が案内すればいいだろう」

 ダールマン提督はその話を黙って聞いていた。

 エルシン・ディゴの部屋から司令室までの間は例の『改装注意報』の出ている範囲である。こちらもそれに気づくのが遅くなったので、知らないでやって来た彼はおそらく要塞とレギオンの城との間の工事中の場所を通ったのだろうと、思われた。そこではいつ、何が起きるか、起きたのかわからないことがある。この件もそうではないだろうかと思ったのだ。

 とすると、死体はいつの事件でのことかをまず調べ始めなければならない。もしかすると、百五十年前この要塞が建設された際に起きた事件かも知れないのだ。彼の話ではそこがよくわからなかった。

「フェリスグレイブの部下を呼ぶなら、もちろん一緒にいる魔法使いも呼んだ方がいいだろう」

「なぜだ?彼らは今忙しいのではないのか?」

と、クルム司令官代理が言った。

「そうだ。だが、政治代表の見た死体がいつのものかはっきりしないと、それさえも見つけられない場合がある」

「何だと?どういうことなのだ?」

「エルシン・ディゴ、卿の歩いて来たところは、今『改装注意報』が出ている範囲に入るのだ」

「『改装注意報』だって?私はそんなこと聞いた事はないぞ」

「そうでした。政治代表にはまだ知らせが行ってないようですが、この要塞の強化を承諾したことで、リドス連邦が工事を始めているのはごぞんじですよね」

と、ディポック提督は言った。

「もちろん、それは聞いている」

「要塞を強化する工事は特殊なものなので、工事をしている場所には『改装注意報』なるモノが出ているのです。これはリドスの工事関係者から出ているということでした」

「その『改装注意報』とは、どう言うものなのだ?」

「それは私から話そう」

と言って、ダールマン提督は要塞と別の次元にあるレギオンの城の空間を溶接する作業に入っているのだと説明した。そのため、工事をしている箇所には時間や空間のゆがみが出て来て、危険なので『改装注意報』が出ているのだ。

「それと、私が見た死体とどんな関係があるのだ?」

「つまり、死体は本物だと言うことだ。ただし、それがある場所は現在とは限らないということだ。ヘイダール要塞が建設されて百五十年たつ、その間に起きたことだろう。もしかしたら、建設中の事かもしれない」

「そんなことが有りうるのか?あの死体は今まさに殺されたように見えたのだが……」

「次元が異なると時間の経過が変わるのだ。早い場合もあるし、遅い場合もある。だから、まずその事件が起きた時間を特定する必要がある」

「要塞の強化の工事は厄介なものだ。だが、それをしなければならないということか」

 エルシン・ディゴ政治代表にとっても、このままではヘイダール要塞は危険だと言うことはわかっていた。数度の異星人の侵攻があったからである。だからこそ、承諾したのだ。

「しかし、このままでは不安だ。あの死体については詳しく調査して欲しい」

「承知した」

 死体のことに関心が移ってしまったので、チェルク・ノイ氏との面会はその気が失せてしまった。それは要塞がもっと安全になってからでも間に合うだろう、とエルシン・ディゴは思った。


366.

「で、どうするんです?」

と、エルシン・ディゴ政治代表が警備兵と魔法使いに送られて行ったあと、ダズ・アルグ提督が聞いた。

「ともかく、時間を決定しなければ、何が起きたのかわからない」

と、ダールマン提督は言った。

「それは、どうすればわかるんです?」

「まず要塞のこうした事件のファイルから探すことだな。後は、事件の特定だ。ここは要塞として多くの人間が出はいりしているから、殺人事件も結構起きているはずだ。その中から、探すしかないだろう」

 ダールマン提督の帝国時代の記憶から――もちろん当時彼は要塞に来たことが有る――ここでの殺人事件は一年間に十数人程度だったことを知っていた。それが百五十年になると百人は超えているだろう。その中のどれがエルシン・ディゴ政治代表の見た死体だったのか、そこから始めなければならない。

「ところで、帝都ロギノスに行った連中は、交代で戻ってきているのだろう」

 帝都ロギノスの周回軌道上にステルス状態でいるプロキシオン号の転送装置で、リドスの魔法使いではない士官や兵士を交代要員として送っているのだ。

「そうですね、そう言えば次の交替は明日でしたか……」

「その際、アリュセア・ジーンを戻すように要請してくれないか?」

「アリュセアですか?わかりました」

「それから、確か要塞にこの前惑星ゼンダから来た刑事がいたな。そいつを呼んでほしい」

「つまり、刑事に捜査をさせるのですか?」

「やはり専門家に任せるのが一番いいのではないか?」

「なるほど。確かにそうだ」

 こうして、元新世紀共和国の刑事であり現在は総督府の刑事をしているジェルス・ホプスキンが司令室に呼ばれることになった。


 ジェルス・ホプスキン刑事は呼ばれてくると、司令室を見渡した。前に一度来たことが有るが、その時は司令室をよく見るような余裕はなかったのだ。

「私に用というのは、何でしょうか?」

「実は、この要塞で起きた殺人事件の捜査を頼みたいのだが……」

と、グリンが切り出した。

「殺人事件?いつあったのですか?」

「それが、いつあったのかと言うことも調べて欲しいのだ」

「それは、どういうことですか?」

 そこで、グリンはできるだけわかっていることを話した。

「つまり、この要塞が建設されることになった頃からこれまでの間に起きた殺人事件の中で、その政治代表が見た事件を調査して欲しいというのですか?」

「そうなのだ。殺人事件の捜査については、ここに素人しかいない。だから、君に頼みたいのだ」

「しかし、かなり特殊な事件のように思えますが……」

 ジェルス・ホプスキン刑事にとっては、いつ起きたかわからない事件を捜査するというのはかなり難しいことに思えた。その死体さえ、いつ現れるかわからないと言うのでは捜査の仕様もないではないかと思った。

「要するに、その事件が起きた時日を特定できれば、その死体は見られるということなのだ」

「つまり、そこから始めるということですか。かなり時間が掛かりそうですね」

「そう言えば、惑星ゼンダの君の上司にはどう言って、ここへ来たのかね」

と、グリンはこれまで気になっていたことを聞いた。確か、ジェルス・ホプスキンは年齢から言って退職する歳ではない。どういう理由を考えてここまで来たのか興味があったのだ。

「まさか、ヘイダール要塞へ行って来るとは言えませんからね、残っていた有給休暇をもらって来ただけです」

「その期間はどのくらいなのだ?」

「二週間ほどです」

「それではもう、その期間は過ぎているではないか」

「まあ、向こうでは私を探してかもしれません。おそらく解雇になるでしょうね」

「それでいいのか?」

「仕方がありません。あのファーダ・レイムを捕まえるためなら、私は何でもするつもりでしたから……」

「わかった。それで、どうだろうか。この殺人事件を捜査してくれるだろうか?」

「そう言う訳で、私もこちらで再就職を考えなければなりませんからね。いいでしょう。やってみます」

「それは助かる。やって見れくれたまえ。それから、必要な人員は用意する」

「そうですね。私一人では、いくら何でも難しいでしょうし、要塞を案内してくれる人とその魔法使いのような人をお願いします」

と、ジェルス・ホプスキン刑事は言った。



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