ダルシア帝国の継承者
322.
近頃、急遽車用に舗装が施された宮殿の周囲の道路は、まだ馬車用の固められた石と土の道が一筋残されていた。その道がこのところの雨続きの天気で、水分をかなり含んで泥状態になっていた。天気が良くなれば乾くのだが、このところ雨が降らない時は曇りの天気が続いており、とても泥が乾くまでいかないのだった。
宇宙艦隊司令長官ギルゼール・アルスは宮殿からの帰り道、軍の高官用の車で移動していると、街中に入る途中で泥にはまっている馬車を発見した。
このご時世に馬車を用いているのは、貴族でも古くからあるが資産のない連中だった。気の毒に思って、
「あの馬車の御仁を助けてやれ!」
と、ギルゼール・アルスは車を止めさせて、運転手に言った。
「はっ」
運転手は車から出ると、泥にはまっている馬車に近付いた。
「どうかしましたか?」
「これは、どうもすみませんです」
と、馬車の貴族の召使らしき人物が言った。おそらく御者も兼ねているのだろう。
「実は先ほどどこかの車にはねられる寸前で交わしたので、道から逸れて泥にはまってしまったのです」
「はねた車の方はどうしましたか?」
「先に行ってしまいました」
「そうですか、で、馬車の方は何とかなりそうですか?」
とは言っても見たところ馬車は泥にはまっているだけではなく、横倒しになったために半分壊れているように見えた。それに、馬も一頭しかいなかった。あとは逃げて行ってしまったのだろう。
馬車に乗っていた主人は女性で、横倒しになった馬車から何とか出られたようだが、少々怪我をしているように見えた。貴族らしい古臭い長い服を着て、道端に放心したように立っている。
「お急ぎですか?」
「いえ、あ、あれを見て下さい」
と、突然御者が運転手の後方を指さした。
先ほどは見えなかったのに、黒い色の車がスピードを出してこちらに戻って来るのが見えた。
「あの車が我々をはねそうになったのです。戻って来たと言うことは、我々に気づいて助けようとしているのでしょう」
黒い車は横倒しになった馬車の少し手前で止まると、中から人が降りて来て、
「何をしているのだ!こんなところでいつまでも留まって、大変な怪我をしたとでも言うつもりか!」
と、貴族らしき男が怒鳴った。
しかし、馬車が移動するのはどう考えても無理である。怪我をした貴族の女性も、その暴言に怒りのあまり顔を青白くさせている。それを見て、この場を何とかしようと思い、
「失礼ですが、あなた様はどなた様でしょうか?」
と、運転手が聞いた。
「私か?私はフォーブス伯爵である。そちらは?」
「私は、宇宙艦隊司令長官の車の運転手をしております。ゲオール・ファルド大尉と申します。あちらの車に司令長官が乗ってお出でです」
「そ、それは失礼した。この者達の馬車があまりにも我々の行く手を邪魔するので、それを排除したのだ」
「それはちょっとやり過ぎだったのではありませんか?こちらの方は怪我をされているようです」
「それは仕方あるまい。私は急いでおるのだ」
「どちらへお出ででしょうか。良ければあの車には通信設備もありますので、先方に遅れると知らせることも可能ですが……」
「い、いや、それには及ばぬ」
「それでは、フォーブス伯爵閣下、後ほどまたご連絡を致しますので……」
と、ファルド大尉は急いでいる伯爵のことを考えて言った。
「待て、それではこちらが不利になる」
「不利になるとは?」
「その女の話ばかりを聞かれては、私が不利になるのが道理ではないか?」
「では、今ここで話を付けると仰るのでしょうか?」
「そうだ、それが良い」
「では、帝都の宮殿の警備隊を呼びましょう」
「そのようなもの達を呼ぶには及ばぬ」
「しかし、これはあなたの意志で馬車を排除されたと先ほど仰られましたが?」
と、明確な犯罪ではないか、と言う言葉は控えて運転手は言った。
「では、聞くがその女は誰なのだ?」
フォーブス伯爵は横柄に言った。なぜなら、馬車を使っている所を見るとあまり裕福ではないと見えるし、少なくとも女性が貴族の家の当主であるはずがないのだ。それで、ぞんざいな口を聞いても構わぬと思っている様子がありありと窺えた。
「失礼ですが、こちらの女性はどなた様でしょうか?」
と、ファルド大尉が聞くと、御者兼召使らしい男性が言った。
「こちらはデンブル伯爵家の御令嬢でございます」
また伯爵か、とファルド大尉は思った。帝都には貴族が多いのが当然なのだが、近頃は伯爵ばかりが目立っていた。伯爵位の上の貴族は、皇帝陛下の姉で今は失踪していない大公妃殿下の他は、今ではヴォイド公爵家があるだけなのだ。
「ほう、デンブル伯爵家か、それではあの飲んだくれの家財を飲み尽くしたと言われているゼークレス・オル・デンブル伯爵家の令嬢か。それなら話が早い。この壊れた馬車の賠償くらいはしてもよい」
「ぶ、無礼でありましょう」
と、あまりのことに、それまで口を出さなかった伯爵令嬢が声を上げた。
「ほう、そなたの実家ではこの馬車を売るほかはあるまい。それに壊れた馬車では売れぬであろう。だから代わりに私が金を払ってやろうというのだ。何の文句がある」
「そのようなことは無用でございます。ですが、今回の件は、先ほどあなた様が仰ったように邪魔なので排除したというのであれば、明らかな犯罪でございます。こちらの大尉の言う通りに、宮殿の警備兵を呼んでいただきましょう」
「それでは、賠償の件はなかったことになるが、いいのか?」
「構いません。金で始末をつけようなどと、無礼にもほどがあります」
「では、デンブル伯爵令嬢は警備兵を呼ぶと言うことでよろしいのですね」
と、ファルド大尉は言った。
「よろしくお願いいたします」
「ま、待て。それでは私が困る」
「困るとは?」
「私はこれから、婚約の式に臨まなければならないのだ。遅刻をすると、先方に非礼にあたる」
「それなら、私どもの車の無線で先方にお知らせ致しましょう」
「それも困る。このようなばかげた事件を先方に知られたくはない」
「つまり、このことが先方に知られれば、婚約が破棄される恐れがあるということでしょうか?」
と、デンブル伯爵令嬢は冷ややかに言った。
「そうだ!だから急いでいると言ったではないか。こんなところで、こんな女の相手をしている暇などはない」
「それは、少々言い過ぎではありませんか?」
と、ファルド大尉は言った。
「そうです。我が伯爵家のお嬢さまに対して、あまりにも無礼です」
と、召使兼御者も参戦した。
「このような無礼な者と婚約するという、どこかの令嬢を哀れに思います」
「誠に左様でございます、お嬢様」
「何だと!」
ファルド大尉は困ってしまった。これでは両方とも悪口雑言を言い合って、決着がつかない、と思っていると、フォーブス伯爵が手を懐に入れたのが見えた。懐から出した手には熱線銃が握られていた。
「は、伯爵、お待ちください!」
と、驚愕してファルド大尉は叫んだ。
熱線銃を撃つ音は、あまり大きくはない。だが、空気を裂くような鋭い音がした。
車に残っていたギルゼール・アルスは、妙な胸騒ぎがして車から降りると騒いでいる連中に近付いていたところだった。
「危ない!」
その声に素早く身を沈ませたのは、長年の軍人暮らしの性だった。ギルゼール・アルスの頭上すれすれに熱線銃の熱線が通って行った。
「何をしているのだ!」
ギルゼール・アルスが警戒しつつ急いでファルド大尉の傍に行くと、大尉は腕を撃たれて血を流していた。
「ち、近づくな、私に近付くな……」
と、フォーブス伯爵が脅しのために出した熱線銃によって怪我をしたファルド大尉に、驚いた表情を見せて言った。
とんでもないことになった、と誰もが思っていた。
「落ち着け、落ち着くんだ。大尉は怪我をしただけだ。命に別状はない。お前は、その銃を下に、そうだ道路に置くんだ!」
と、ギルゼール・アルスは言った。
武器に慣れていないフォーブス伯爵は自分のしたことに冷静さを失っていた。だが、ギルゼール・アルスはほんの数年前までは戦場にいたのだ。だから、武器によって負傷した者を診るのは慣れていた。
ところが気が付くと今度は、デンブル伯爵令嬢の召使兼御者がすばやく熱線銃を手にしていた。
「なんてことをなさるのです。いくら伯爵とは言え、このようなことは許されることではありますまい」
「ま、待て」
と、驚いてギルゼール・アルスは制止した。
フォーブス伯爵は道路に置こうとしていた熱線銃を再び手に取ると、
「召使風情が、私に銃を向けるのか!」
と、叫んだ。
次の瞬間、熱線銃を撃つ音がした。最初はフォーブス伯爵が撃ったのか、それともデンブル伯爵令嬢の召使が撃ったのか、それとも同時に双方が撃ったのかわからなかった。ただ倒れたのは、フォーブス伯爵だった。
「か、閣下、あれを……」
負傷したファルド大尉が指さす方と見ると、デンブル伯爵令嬢の手に小さな熱線銃が握られていた。
「デンブル伯爵令嬢、まさかあなたが撃ったのですか?」
「例え、評判の悪い父でも、それでも私の父親なのです。それを悪しざまに言うことは許せません」
いったいこれはどうしたことだ、とギルゼール・アルスは思った。なぜ、ここに居る者たちは皆武器を持っているのだ。これまで帝国内では軍人でなければ、よほどのことがない限り貴族が武器を携帯するようなことはなかったはずだ。ここでは貴族だけでなく、その使用人まで武器を携帯していた。
「すぐに、宮殿の警備隊を呼ぶ。あなた方は、ここを動かないでほしい」
と、ただ一人冷静なギルゼール・アルスが言った。
フォーブス伯爵を見ると、すでにこと切れていた。これは大変なことになるな、と彼は思った。いくら貴族同士とは言え、銃で撃ちあうなど前代未聞のことだ。それもただ、馬車が車にはねられそうになったのをよけたために横倒しになった所為なのだ。
帝国宇宙艦隊司令長官からの通信で呼ばれた宮殿の警備兵たちは、すぐにやって来た。
ギルゼール・アルスに敬礼すると、フォーブス伯爵の遺体を運ぶとともに、殺人を犯してしまったデンブル伯爵令嬢を連れて行った。
「閣下、この事件の事情聴取のために、ファルド大尉をお借りしたいのですが、よろしいでしょうか?」
と、宮殿警備の任にあるゼルード大佐が言った。
「それは構わぬが、大尉は私の車の運転をしていたのだ。誰か代わりの者を頼む」
「了解しました。では、ウード中尉、君が司令長官の車の運転をするように」
「はっ」
皇帝陛下に謁見した帰りにとんでもない事件に関わってしまった帝国宇宙艦隊司令長官は、やっと自分の執務室に戻ることができた。一人になると、
「まったく、いったいどうなっているのだ」
と、ギルゼール・アルスは今日の出来事をつい言葉に出して言った。
新王朝が設立して以降、前王朝末期の治安の悪化は改善したと聞いていた。それなのに、これでは以前よりもひどくなっているではないか。
323.
リドス連邦王国の帝都駐在大使、リルケ・ユウキは帝都の衛星軌道上にいるプロキシオン号から客を迎えていた。
「ここに居ては、あまり帝都の様子はわかりませんが、上から見た状況はどうですか?」
と、彼は艦長のオルフス・リガルに聞いた。
「それは、アリュセアに聞いた方がいいでしょう。私では、騒然とした街中だとしか言えません」
「なるほど、地上では、特にこの大使館の中にいる限りはあまりわからないのです」
「ここは、強力な結界が張られていますね。だから、余計に静かなのです。ですが、街中はだんだん暗い想念に覆われて、まだ大事件にまでは至らないまでも、あちこちでいざこざや喧嘩などが頻発しています。その所為で帝都の警察関係者は大忙しです」
と、アリュセア――ライアガルプスは言った。
「それはやはり、闇の魔法の封印が解かれた所為でしょうか?」
「そうだと思います。治安の悪化は新王朝の設立によって、一時期良くなったようなのです。ですが、封印が解かれた後、まるで坂道を転げるように悪化していると言われています。ただ、下っ端はともかく、政府の高官はこの治安の悪化をどれだけ認識しているか疑問です」
「気づいていないということですか?」
「多分。彼らも、つまり政府高官の心の状態も悪化していると思われるので、現実が分からなくなっているのかもしれません」
「このままでいけば、帝都は外からの侵略によってではなく、治安の悪化により暴動が起こり自滅を辿るということですか……」
「おそらく。すぐにとは言いません。そこまで行くにはまだ時間が掛かります。ただ、皇帝陛下がどれだけこの帝都の様子を理解しているか……」
「それは難しいでしょう。彼が真っ先にあの闇の魔法に取り込まれているのですから」
「それよりも、もうそろそろ、この大使館も引き上げ時ではありませんか?」
と、オルフス・リガルが言った。それでなくとも、リドス連邦王国は銀河帝国の政府に良く思われていない。特に皇帝陛下が敵対勢力だと考えているのだ。これではこの国で大使には、いつ何が起きるかわからない。
「いえ、危険ですが、あともう少しここにいるつもりです。先日宇宙艦隊司令長官が、ヘイダール要塞を無断で攻撃した提督の報告を皇帝陛下にしたようなのです。もちろん、ヘイダール要塞にいるディポック提督やリドス連邦王国の艦隊が突然帝国艦隊を襲ったという虚偽の報告になっていますが、その結果、皇帝陛下が決断をしてくれれば……」
「決断というと?」
「ヘイダール要塞、もしくはリドス連邦王国への銀河帝国軍の派遣です。おそらく、自ら旗艦に乗って出征することになるでしょう」
リドス連邦王国側はそれを待っているのだった。是が非でも銀河帝国の皇帝陛下にヘイダール要塞まで来てもらいたいのだ。もちろん、外交関係が上手く行っていれば、皇帝陛下のリドス連邦王国への友好的な訪問と言うことも考えられた。だが、事態はリドス連邦王国とは関係悪化の方向に動いている。
「しかし、それではヘイダール要塞も無事では済みますまい。ですがそれ以前に、闇の魔法の影響を皇帝陛下が排除することは可能なのでしょうか?」
「皇帝陛下が帝都でその影響を排除することは不可能でしょう。ですが、帝都から離れて、普通では想像できないほど遠くへ行けば、ある程度その影響を排除することは可能だと我々は考えています」
「普通では想像できない程遠くとは、どこまでのことです?」
「例えば、あなた方の銀河である白金銀河まで行けばということです」
「我々の銀河まで。しかし、そんな遠くへ、どうやって皇帝陛下に来てもらうのですか?」
「もちろん、自ら進んでそんな遠くへ行くことは有りますまい。ここは本当に微妙な調整も必要な難しい方法なのです」
「それでも、昔は闇の魔法の影響を排除することはほとんど不可能だと言われていましたから、以前よりはましなのです。方法が分かったと言うことでは……」
と、アリュセアは言った。
「その方法とやらが分かったのは、最近のことなのですね?」
「そうです」
「それにしては、随分自信をお持ちのようだ」
「以前はやってみなければわからないと思っていました。ですが、今は違います。この方法なら可能なのです」
その自信がどこから来るのか、オルフス・リガルにはどうしても理解できないことだった。
ギルゼール・アルス宇宙艦隊司令長官は今日の事件の事が気になって、帝都の総監であるバリヤーズ・ダン提督を呼んだ。
「宇宙艦隊司令長官、私に何かご用とか?」
「忙しいところ、申し訳ない。だが、気になることがあるのだ」
「どのようなことでしょうか?」
「今日、私は宮殿の近くである事件に遭遇した。聞いているだろうか?」
「その件なら聞いております。デンブル伯爵令嬢の殺人の件ですね」
「そうだ。私は新王朝の成立以来、帝都の治安はかなり安定してきたと感じていた。だが、今日の事件を見ると、現在はかなり悪化しているのではないかと思ったのだ。今回は貴族同士のいざこざだったが、殺人が起きるような事案とは思えない。だが、殺人が起きてしまった。これは私の任務の範囲内とは思わないのだが、越権行為とは思わずにどうか話を聞いて欲しいのだ。文句を言いたいわけではない。私は不安なのだ。今回の事件では当事者が皆、武器を携帯していた。もし、武器が無かったら殺人まではいかなかっただろうと思われるのだ」
「確かに、この頃大きな事件が起きるわけではありませんが、貴族ではない一般民衆の間で小さないざこざがあちこちで起きています。その数が非常に多いのが特徴です。実は、皇帝陛下が即位なさってから、だいぶ治安が良くなってきていたのです。それがこのところ、そうですね、誤解をなさらずに聞いて欲しいのですが、私の感じではウォーゲルン公爵やジェグドラント伯爵、いえ男爵でしたか、この二つの貴族が帝国軍に襲撃されて家が廃絶された辺りからおかしくなってきたと思われるのです」
そのことについては、さすがに宇宙艦隊司令長官であるギルゼール・アルスの耳にも届いていた。この件が原因で、前王朝から続いている貴族たちは戦々恐々としていると聞いていた。この二つの貴族がなぜ突然取り潰されたのか、その理由が判然としないからだ。もちろん公式にはちゃんとその理由が公表されている。ウォーゲルン公爵家は皇帝暗殺の事件に関わったためであり、ジェグドラント男爵家もその身内があのダールマン提督の部下であったから、何らかの関係があったに違いないという疑惑のためであった。これは、その疑惑だけであっても古くから続く貴族を取り潰すのに十分だということが公にされたも同然である。これまで貴族が罪を逃れて来た手口である、容疑者になった身内を勘当するだけでは、罪を逃れることが出来なくなったということなのだ。
「ウォーゲルン公爵とジェグドラント男爵の件か、あの事は私も日頃の皇帝陛下に似合わぬことをするものだと思っていた。なぜ、あのようなことを為されたのか」
「これは大きな声ではいえませんが、ジェグドラント男爵はどうも突然帝都から消えたようなのです」
「消えた?ジェグドラント男爵がか?」
「正確には、ジェグドラント男爵一家が消えたのです」
「それは、どういうことなのだ」
「よくわかりませんが、ジェグドラント男爵を襲撃した軍の陸戦部隊は男爵家の執事を拘束したようなのです。その者が言うことには、自分がアパートを出た時にはジェグドラント男爵一家は確かにいたのだ、と言うことです」
「その者は真実を語っているのだろうか?」
「それは、わかりません。憲兵隊が尋問をしたのですが、それ以外の話は出ませんでした」
だが、帝都の治安の悪化がジェグドラント男爵一家の失踪と何か関係しているとは思えない、というのがギルゼール・アルスの正直な感想だった。貴族だけが動揺するならわかる。だが、貴族と関係のない民衆まで動揺して恐れると言う理由がないからだ。
「ただ、気になることはそれだけではありません。この不穏な空気はこの帝都ロギノスに置いて特に顕著なのです。他の惑星都市では民衆にはこれほどの治安の悪化は見られないのです」
「他の惑星では違うというのか?」
「集めた情報によれば、そうなのです。もちろん、例外はあります。総督府のある惑星ゼンダに置いては、政治的な自由を求めたデモが頻繁に起きているそうです。ただ、そこではロギノスのような民衆間のいざこざなどは起きていません。総督府と民衆の対立になっているようです」
「ゼンダでは、総督府のやり方に異を唱える向きが多いと聞く。新領土となったばかりなのだから、仕方があるまい。だが、この帝都における治安の悪化はなぜなのか?ヘイダール要塞がきな臭いというのに、帝都がこのようなことではとても留守にはできぬことだ」
「閣下、ヘイダール要塞で何か起きているのでしょうか?」
「いや、もうすでに卿のことだ、聞いていることだろう。帝国の大逆人オルフ・オン・ダールマンとその部下がヘイダール要塞にいると言うのだ。それだけではない。彼らはリドス連邦王国に属していると言う噂だ。それに、帝国の辺境宙域のパトロール艦隊がヘイダール要塞の艦隊にこの間襲撃されたのだ」
「ダールマン提督の件は、私も聞いております。その噂はすでに、帝国軍や民衆の間にも広まって来つつあります。ですが、ヘイダール要塞にいる連中が帝国艦隊を襲ったというのは初めて聞きました」
「もしかしたら、近々帝国艦隊の出撃があるやもしれぬ」
「それは、よいことではありませんか。帝国の宿敵であるディポック提督を早めに退治しておくことは、よいことだと思われます」
バリヤーズ・ダン提督は元新世紀共和国のディポック提督の名を出し、ダールマン提督の名を敢えて出さずに言った。
「うまく行けばな……」
ギルゼール・アルスは今日会った、皇帝陛下の顔色が良くなかったことを思い出していた。もしかして、まさかとは思うが、御身体の具合が悪いのではなかろうかと危惧されるのである。だが、そのようなことはめったに口にはできぬことだった。もっとも、辺境の一パトロール艦隊に手を出されたからと言って、皇帝陛下がすぐに帝国艦隊本体を出撃させるようなことはないだろうと思った。だが、もうあと少し何かが起きれば、それは決定されるだろう。それまでは宇宙艦隊司令部としては、帝国艦隊を動かすことになった場合に必要な情報を色々と集めるしかないのだ。
そのギルゼール・アルスの心の内を覗いている者がいた。
(ふん。少しは気づいたようね。でも、もう遅いわ。お前たちでは、もうどうにもならない。後は、レギオンに任せるしかないでしょうね)
宇宙艦隊司令長官の執務室の天井の近くに、あの妖精の少女がいた。天井はかなりの高さであり、小さな妖精なので執務室にいる者が上を見上げたとしても発見することはできなかっただろう。
ギルゼール・アルスとバリヤーズ・ダンの両提督はまだ雑談を続けていた。
「閣下、ダールマン提督の旗艦についてはその残骸が発見されたとか聞きましたが?」
と、バリヤーズ・ダンは聞いた。
「元新世紀共和国の首都星ゼンダから数千光年離れた恒星ウガルーの第五惑星で発見されたそうだ」
当時大逆人になったダールマン提督は艦隊を帝都へ向けて発進し、帝国の征討艦隊と遭遇したのは帝国領の恒星クセルヴァンの第八惑星の公転軌道上だった。その時ダールマン提督側の艦隊は五万隻、帝国側の征討艦隊は三万隻であった。帝国側の艦隊はまだ全艦が揃っていなかったのだ。そのため最初は帝国側が不利であったが、時間が経つにつれて、帝国艦隊は増えて行った。最終的には帝国艦隊は八万隻に達していた。
次第に自軍の不利を悟ったダールマン提督は、撤退を開始した。その大逆人の艦隊を追討して行った征討軍は恒星ファルドーの近くで再び戦闘を開始した。その時ダールマン提督の旗艦が致命的な打撃を被ったのだった。そして惑星ゼンダに戻ろうとしたが、戻れずに艦ごと小惑星に激突して大破したのだった。少なくともダールマン提督の戦死は確かだろうとされた。従って、ダールマン提督の艦隊は散り散りになり、多くは征討軍に降伏したのだった。主だった提督たちが征討軍に降伏したので、ダールマン提督の反乱はこれで終わったとされていた。公式にはダールマン提督の戦死が公表されたのだ。だが、その旗艦の残骸がなかなか発見されなかったのだ。
ダールマン提督の旗艦の残骸が発見されたのは、それから一年後だった。恒星ウガルーの小惑星帯に旗艦は激突して大破したのだ。そのため乗員はほとんど助からなかった。もちろん、大逆人であるダールマン提督もその激突で戦死したと思われていた。
それが、生きているという驚くべき情報がもたらされたのだ。
「あれからまだ三年しか経っていない。あの激突からどうやって逃れたのだろうか?」
と、ギルゼール・アルスは言った。
ギルゼール・アルスは、心の底ではダールマン提督の死を惜しみ、かつ悲しんでいたのだった。なぜなら、彼とオルフ・オン・ダールマン提督は親友であったからである。だが、その死を悲しんでいることは誰にも話したことはない。それは自分の保身のためだけではなかった。帝国の宇宙艦隊司令長官が逆賊のダールマン提督の死を悲しんでいると言われることは、帝国の威信にも関わることだった。
もとよりこの大逆事件が事実かどうかについては、ギルゼール・アルス自身は疑いを持っていた。彼の知っているオルフ・オン・ダールマンは皇帝陛下の暗殺を企てるようなことをする人物ではないのだ。だが、それが事実と言われ、皇帝陛下自身がそれを信じてしまっているのでは、そのことを覆すことができなかったのだ。
「あの大逆事件につきましては、私も再調査を考えております」
と、バリヤーズ・ダンはギルゼール・アルスが驚くようなことを言った。
「だが、そのようなことをすれば、皇帝陛下の逆鱗に触れることになるのではないか?」
「例え、そうであっても事実を知らねばなりますまい。この件につきましては、実は帝国軍の内部にも不安を感じている者がいるのです」
「それはどういうことか?」
「無実であっても、罪に問われるという理不尽なことが行われると言うことに対する不安です」
もちろん、本当はある人物の名を挙げたいのだが、バリヤーズ・ダン提督は自制していた。まだ証拠が不十分なのである。それはギルゼール・アルスにも分かっていた。
「と言うことは、他の者も、あの事件については不審に思っているということか?」
「はい。ダールマン提督が死んでしまっていたとしたなら、もうどうにもならぬことでしたが、生きているということがこれだけ公になりますと、再調査をしないでは帝国の権威に傷がつきかねません」
それはどうだろうか、とギルゼール・アルスは思った。軍務卿には別の意見があるだろう。それに、オルフ・オン・ダールマン提督本人は、今は何を考えているのだろうか。
324.
ヘイダール要塞に魔法を使って入ったゼノンの魔術師マルカイダ・ルノイは、ガンダルフの『大賢者』レギオンに会うために、その名を何度も唱えた。だが、それに答えるような変化は何も生じなかった。それでも、ゼノンの時間で半日ほどその名を唱える行をしていたが、その時近くに要塞の人間が近づいてくることに気づいた。
ブルーク・ジャナ少佐の子猫は、毛を逆立てて唸っていた。
「どうしたのよ、そんなに私が気に入らないの?」
と、タリア・トンブンが言った。
「え?」
と、驚いてジャナ少佐がタリアを見た。
「この猫が何者か、私は知っているわ。この猫も私が何者か知っているの。だから私に唸っているのでしょう?」
タリア・トンブンは子猫の正体をすぐに見抜いていた。子猫はあのジル星団で恐れられている暗黒星雲の種族なのだ。何故そう呼ばれるのか誰も知らないが、そう呼ばれているのだ。その上、ダルシア人と暗黒星雲の種族は天敵でもある。
「いや、君に唸っているんじゃない」
と、声がした。
その声はディース・アルム大尉の仲間の中から聞こえて来た。見ると、そこに銀の月――バルザス提督がいた。
「お前は、誰だ!」
と、アルム大尉が言った。大尉は銀の月を見るのは初めてだった。
「その前に聞きたいことがある。お前は魔術師だな。ハイレン人か?」
と、銀の月が目の前に立っているアルム大尉の仲間の男に聞いた。
「わ、私は元新世紀共和国の者です」
その男はどこから見ても、ハイレン人には見えなかった。だが、銀の月は元新世紀共和国の者に見えるダルジャンというダガン・ルグワンの相棒も魔術師であり、しかもハイレン人だったと言うことを知っていた。
「いや、違う。お前は魔術師だ。先ほど魔法を使っただろう。魔法の匂いがプンプンする」
「何を言うのですか。私がその魔術師だと言うことを証明できるとでも?」
「その必要はない」
と言うなり、銀の月は指を唇に当てて、まるで口笛を吹くようにした。
音はしなかったが、目の前の男は急に苦しみだして床に手を付いた。
「何をしたんだ、お前は!」
と、アルム大尉が驚いて男を助けようとした。
バルザス提督――銀の月は闇の魔法による魔法の結界を解いたのだ。魔術師と感じさせないで自分を守ると言う結界である。白魔法使いを相手にする時は十分効果のあるものだった。それで魔術師は素性がばれたと知った。
その男はアルム大尉の腕を払うと顔を上げて、
「あんたも魔術師、いや白魔法使いか。だが、白魔法使いが魔術師にかなうと思うのか?」
と、自信ありげに言った。今しがたバルザス提督の魔法に結界を解かれて苦しんだのに、そんなことは歯牙にもかけない様子だった。
大昔ならともかく、現代の魔術師は白魔法使いより魔術師の魔法の方が強いと考えていた。それには昔から数々の証拠が物語っている。白魔法使いの魔法の呪文は古く、歳月が経つにつれて正確な呪文が失われて行った所為で効力が削がれた面がある。その上、彼らは他の者を傷つけるような呪文は使わないのが信条だった。他を傷つけるのが常の魔術師とは違うのだった。
ジェルス・ホプスキンは構えた熱線銃をまだ支えていた。ファーダ・アルホと名乗る女は動かずにじっとホプスキンを見ていた。二人にとっては魔術師や魔法使いがいることなど、何の関係もないのだ。
「バルザス提督、いったいどうしたのです?」
と、ジャナ少佐は言った。
「君の子猫を抑えてくれないか?」
「わかりました。でも、理由を教えてくれませんか?」
「それは、こいつに言ってほしいものだ。どうだ、お前はあのファーダ・レイムという麻薬密売人の大ボスの手下なのか、ハイレン人の魔術師!」
子猫は毛を逆立てるのを止めていた。バルザス提督が出て来たあたりから、大人しくなったのである。タリア・トンブンも魔術師と聞いて、子猫をからそちらへ関心を移していた。
「魔術師とはどういうことだ?お前はバルザス提督というのか?もしかして帝国軍の者か?」
と、何も知らないアルム大尉が言った。
「以前はな。だが、今は違う」
ハイレン人の魔術師は自分の力の優越を信じているようだった。口に笑みを浮かべて、
「お前が白魔法使いだと言うのなら、俺のこの魔法を止めて見ろ!」
と言うと、闇の魔法の呪文を唱えた。
ジェルス・ホプスキンの熱線銃が撃たれると同時に舌打ちが聞こえた。ファーダ・レイムを狙ったそれは、残念ながらほんのわずかの差で彼女を逸れたのである。その逸れた先は、床で、床に熱線で穴が開いた。
「しまった!」
と、バルザス提督はひと声漏らすと、
「タリア、金属を変える方法を覚えているな」
と、突然言った。
「え?そ、それは覚えているけど、何に使うの?」
「この床全て、いや核融合炉を除いた要塞内部の金属すべてをあのダルシアン鋼に変えてくれ」
「何ですって?」
「すぐにだ。そうでないと、要塞の核融合炉の爆発でやられてしまう」
「え?でも……」
「早く!」
タリアは急いで念を集中した。タリアは魔法使いではない。だが、ダルシア人としての力を持っていた。その中の一つに、ものの性質を変える力がある。ダルシア人は科学技術が発達していたので、様々な金属や生物の元の分子構成だけでなく、もっと微小な世界のものの構成を知悉していたのだ。その最も微小な世界の構成を変えると、現実に物質が変化するのである。その構成を変えるのに使うのが念である。つまり思いの力である。
ダルシアン鋼とは、要塞の穴を塞いだ金属の名である。元々ダルシア人が創った金属だった。非常に硬くかつ柔軟という矛盾した特徴を持っている。もちろん熱にも強い。この金属は加工することが難しいのが難点なのだが、不思議なことに非常にダルシア人の念に敏感なのだ。だから、ダルシア人は念を使ってダルシアン鋼を加工した。普通の金属の分子構成を造る素粒子に、ダルシアン鋼の分子構造を取るように命じるのだ。その分子構造はダルシア人の知識にある。タリアは、彼女の中のダルシア人のアプシンクスがその知識を持っていた。このダルシアン鋼は、宇宙船などの外壁に使うにはまたとない金属なのだ。まだ他の種族ではダルシアン鋼を造れた文明はいない。
魔術師の魔法の特徴は、悪意を増幅することで念を強くすることだった。ジェルス・ホプスキンの熱線銃の逸れた先の床には穴が開いていた。熱線で溶けた穴だ。普通の熱線なら床に穴を開ける程度で済むのだが、魔術師はその熱線に呪文を掛けた。熱線銃の熱を増幅し、長く持たせると言う呪文だ。要塞その物にダメージを与えたいという悪意がそこにはある。床に穴を開け、その先の金属にも穴を開けてその先にある核融合炉の隔壁に穴を開け、核融合炉そのものに穴を開けるというつもりなのだった。
核融合炉に微小な穴があいてもすぐに如何こうするわけではないが、その穴からやがて周囲に亀裂が走り、放射線や熱が洩れることで周囲に影響を与える。隔壁が壊れやすくなり、あと一押しで爆発を起こすようになる。その一押しには魔術師の呪文で事足りるのである。その最後の呪文を掛ける際には、おそらく様々な条件を付けて要塞司令部を脅すつもりだろうと、思われた。
ところが、タリア・トンブンが床と隔壁をダルシアン鋼に変えたことで、熱線の開ける穴が途中で止まってしまったのだ。ダルシアン鋼は熱に強く、魔術師の呪文で強化された熱線くらいの熱では穴は開かない。
「何をした!」
と、自分の目論見が失敗したと悟った魔術師が言った。
「私は何もしていないさ」
「一体、何が起きているんです?」
ジャナ少佐には何がどうなっているのか、わからなかった。
ジェルス・ホプスキンはと見ると、最初の一射目は逸れたが、今度は逸れないようにピタリとその先をファーダ・レイムに当てていた。
「まったく、仕方がない連中だ」
と言うと、バルザス提督はパチンと指を鳴らすと、ファーダ・レイムが消えた。
「ファーダが消えた」
と、アルム大尉が慌てて周囲を見回して言った。
ジェルス・ホプスキンはアルム大尉程驚かなかった。だが、熱線銃を仕舞うと、
「ファーダ・レイムをどこへやった?」
と、聞いた。
「彼女は、あなたの刑事事件にかかわりがあるようだから、先に牢の中に入ってもらいましたよ。ええと、ジェルス・ホプスキンでしたか?あなたとは後でまた話をしましょう。ファーダ・レイムは逃げないように図っておきます」
「いいだろう。」
「なぜ、調べもせずにファーダを牢に入れたのだ」
と、アルム大尉が聞いた。
「逃げる可能性があったのでね。それに、彼女は白じゃない」
「そうよ。危険だわ」
タリア・トンブンにはファーダ・アルホがまだ他に何かを企んでいると言う気がした。これは予感であるが、彼女の予感は当たるのだ。
「バルザス提督というと、帝国のそれも大逆人の部下ではないか」
と、ハイレン人の魔術師が言った。彼は元新世紀共和国に居たので、ロル星団のことを色々知っていたのだ。
「そうだ、それが何かお前に関係があるのか?」
「ふん。帝国に白魔法使いがいるとは思わなかったのだ。大逆人の部下が白魔法使いだとはな……」
「こっちも、元新世紀共和国にいつ、どうしてハイレン人が、しかも魔術師がなぜ潜り込んだのか知りたいものだ」
「随分、ジル星団のことを知っているではないか?」
「私は今は、リドス連邦王国に属しているのでね。色々と知っている。さてタリア、君はこれからどうする?」
「もちろん、これからこのディース・アルム大尉を司令室へ連れて行くつもりよ。彼はそこで話を聞いてもらいたいと言っているの」
「そうか。まあ、いいだろう。でジャナ少佐、君は?」
「私は、ジェルス・ホプスキン氏と一緒にあのファーダ・レイムという女の所へ行った方がいいと思います。彼があの女を探すために要塞まで来たのですから」
「わかった。君の子猫にそれはまかそう。私は、タリアに付いて行くことにする。魔術師もいるようだからね」
「ジャナ少佐、あなたの子猫に言って。あの女はまだ何か企んでいるから、気をつけるように」
「わかりました」
子猫は驚いたように、タリアを見ていた。天敵のダルシア人であり、今はタレス人であるタリアがまるで子猫に協力するようなことを言ったからだ。
要塞の連中が去った後、ゼノン人の魔術師はあと少しガンダルフの『大賢者』レギオンに対する呼びかけを続けようと思った。ここに白魔法使いがいるということはレギオンがいると言う何よりも証拠だと思われるからだ。




