ダルシア帝国の継承者
267.
石になってしまった元ハイレン人のダガン・ルグワンとその相棒の魔術師ダルジャンを、タリア・トンブンと元海賊のナッシュガルとウル・ガルが見下ろしていた。
「どうする?」
と、誰とも言わず同時に口にした。
「でも、これなら逃げられることはないわね」
と、タリアが言った。
石になってしまっては、確かに逃げることはできないだろうが、このままでは重くて動かすこともできない。
「しかし、このままでは通路を使うのに邪魔になるのではないか?」
と、ナッシュガルが言った。
どうしようかと考え悩んでいるうちに、医務室全体がなにやら騒がしくなってきた。
「何かあったのか?」
と、ウル・ガルが言った。
「ダールマン提督に聞いてみて頂戴。あなた達なら魔法でできるでしょう?」
ナッシュガルとウル・ガルは顔を見合わせると、ウル・ガルが魔法で通信をしてみた。
「外で艦隊戦があったらしい。負傷者が続出しているそうだ。俺たちにもそちらの方を手伝ってくれと言っている」
と、ウル・ガルが言った。
「あなた達は医療の知識でもあるの?」
「魔術師なら、治癒の呪文を知っているものだ。もっとも、俺はそれほど得意ではないのだが……。うん?いや待て、それよりも銀の月の宿舎へ行って、前のこの要塞の司令官だったディポック提督を医務室まで連れて来てくれと言っている」
と、ウル・ガルが言った。
「ディポック提督ですって?彼は医者だったの?」
「それは、俺たちにはわからない。レギオン殿が必要だと言っている」
と言うと、ウル・ガルはナッシュガルと魔法でバルザス提督の宿舎まで行ってしまった。
残されたタリアは、ダガン・ルグワンとその相棒の石に途方に暮れるしかなかった。
司令室では要塞艦隊の負傷者に加えて、銀河帝国の艦隊の負傷者まで増えてしまったので、
「ともかく、医者や看護士が足りない。移送手段も足りない。何とかしてくれませんか?」
と、ダズ・アルグ提督が悲鳴を上げて、知らせて来た。
「しかし、他に動かせる艦はない……」
と、困ったようにファグル司令官は言った。
「それなら、あのプロキシオン号に手伝ってもらえばいい。彼らの艦にはビーム転送装置がある。それなら移送に困らない。医者が足りないのなら、リドスの艦隊から呼んでもかまわない。もちろん、司令官が許可してくれればだが……」
と、ダールマン提督が言った。
「この際、人命を助けることが優先だ。許可する」
「それと、手が足りないので、ディポック提督に手助けを頼んでもいいだろうか?」
「ディポックは医者ではないが、……」
と、ファグル司令官は戸惑ったように言った。ダールマン提督が何か誤解しているのではないかと思ったのである。
「なに、忙しくて医務室は猫の手も借りたいくらいだろう。彼でも役には立つ。もちろん、司令官が許可してくれればだが……」
「それは、ディポック本人が、いいと言うのならかまわない。許可しよう」
「では、ディポック提督を迎えに人をやることにしよう。ところで、ブレイス少佐、要塞の政治代表と連絡は付いただろうか?」
と、ダールマン提督は聞いた。
これは、ファグル司令官も気になっていたことだ。連絡が出来なかったので、無断で銀河帝国の負傷者を助けたことになる。
「それが、先ほどから連絡しようとしているのですけれども、繋がらなくて。もしかしたら、執務室の方にはおいでにならないのかもしれません」
「まさか、どこかで敵の兵に捕まったのでは?」
と、グリンが言った。
「それはないのではないか。損傷個所から侵入した連中は、宇宙艇以外は要塞内部にまでは入って来ていないはずだ」
と、ダールマン提督が言った。
「ともかく、ブレイス少佐、政治代表と連絡が取れるよう続けてみてくれ……」
と、ファグル司令官は言った。
バルザス提督の宿舎に、ナッシュガルとウル・ガルがディポック提督を迎えに戻った。
「ディポック提督。ちょっとお話があるのですが……」
と、ナッシュガルが話しかけた。
ディポック提督は広い部屋の隅の方に、マグ・デレン・シャらとともにいた。その近くにナル・クルム少佐が立っていた。
「おや?要塞の政治代表はどうしました?」
と、ナッシュガルが聞いた。
「彼らは警報が解除されたので、自分の部屋に戻ると言って出て行った」
と、クルム少佐が清々したように言った。彼にとっては、虫唾の走る連中でしかなかった。
「そうですか、それはよかった」
ナッシュガルの目から見ても、要塞の政治代表たちは胡散臭く思えたからだ。それに、彼らの前では姿を消すような魔法を使うのは控えた方がいいと、レギオンが注意していたからでもある。
「君たちが帰って来たということは、もうこの要塞は大丈夫だということかな?」
と、ディポック提督が聞いた。これまで警報が何度も鳴ったり切れたりしたので、一応警報が解除されたとはいえ心配していたのである。
「まあ、そうです。外ではいくつも艦隊戦があったそうで、実は負傷者が多数でたので、ディポック提督にも手伝って欲しいそうです」
と、ナッシュガルが言った。
「私に?でも、私は医者ではないのだが……」
「それは、俺たちも知っています。ですが、レギオン殿が言うので」
と、ウル・ガルが言った。ナッシュガルと魔術師のウル・ガルは、ダールマン提督のことを『レギオン殿』というのだった。
「レギオン殿?ダールマン提督のことかな?」
「そうです」
ディポック提督は首を捻りながら、ダールマン提督の意図を測りかねていた。
「君たちが私を医務室まで、魔法で連れて行ってくれるのかな?」
「もちろんです」
「それなら、言っても構わないよ。私も一度、魔法を経験してみたいと思っていたからね」
それを聞いて、
「ちょっと待ってくれ、ディポック提督を一人でやるわけには行かない」
と、クルム少佐が言った。
「何だと!俺たちが信用できないというのか?」
と、ナッシュガルが怒って言った。
「そうではない。私が彼の護衛を兼ねているからだ。もし、ディポック提督を連れて行くというのなら、私も一緒に連れて行ってほしい」
「だが、ここにはマグ・デレン・シャもいる。他の連中も。彼らのことはどうするのだ?」
ナッシュガルやウル・ガルにとってはナンヴァル人のマグ・デレン・シャの方が大切なのだ。それにここには、誰だかよくわからない連中もアリュセアの子供達もいると、彼らは言いたかったのだ。
「それは、私がいるから大丈夫だ」
と、ナンヴァル人のタ・ドルーン・シャが言った。少なくとも彼は軍人だった。それに竜族であるナンヴァル人である。人間よりも個人としては強いはずだった。
「それなら、私も連れて行って、ナッシュガル」
と、マグ・デレン・シャ付の魔法使いフェル・ラトワ・トーラが言った。
「負傷者の手当てをするのなら、私もできますよ」
と、マグ・デレン・シャが言った。
「あなたまで行くことはありません。マグ・デレン」
と、タ・ドルーン・シャが言った。
「でも、人手が足りないのではありませんか?」
「待ってください。我々は外形が違うので、負傷者が怖がるかもしれません。あなたの手伝いが必要か、一応向こうで医者に聞いてきましょう。それと、ここには少なくとも一人は魔法使いがいた方がいいだろう」
と、ウル・ガルが言った。
「それもそうですね」
と、マグ・デレン・シャが言った。
確かにナンヴァル人は竜族であるので人間族とは外見がかなり違う。初めて見ると、怖がるかもしれないというウル・ガルの言うことももっともだと、マグ・デレン・シャは思った。
268.
その日、銀河帝国の帝都ロギノスにおけるウォーゲルン公爵邸において、公爵は久しぶりに貴族の友人たちを呼んでの小さな宴を設けていた。
王朝が交代し、その間に様々な政争に巻き込まれ、旧王朝時代に勢威を誇っていた貴族たちは大方没落して行ったのだ。その中にいて何とか貴族としての体裁を保つことのできる財産を守ることが出来た者が、ここウォーゲルン公爵邸に集まったのである。
小さな宴とは言え、人数は百人近くになる。帝都の貴族は以前大なり小なり数千人はいたというから、これでもかなり減ったと言える。
ジェグドラント伯爵は、少なくなった伯爵位を持つ者の一人として、この宴に呼ばれていた。
「兄上、貴族が少なくなりましたね」
と、ため息とともにジェグドラント伯爵の弟のフェーラリスは言った。
「そうだな。王朝交代があったから仕方あるまい」
「でも、これから新しい貴族が生まれるということもあるでしょう。何しろ、今回の王朝交代に功績のあった軍の高官たちが何人もいます。彼らが新しい貴族となることは当然でしょう」
「そうだろうか?新しい皇帝陛下は貴族と言うものがお嫌いだと聞いている。陛下はできるだけ貴族と言うものを増やさないようにするだろう。これからは由緒ある古い貴族であっても、安閑とはしていられない時代となったということだ」
この考えはジェグドラント伯爵だけのものではなく、この宴を催したウォーゲルン公爵自身もそう考えていると聞いていた。
「でも、兄上、功績を挙げた軍の高官たちを賞するのに、陛下は何をもってするのでしょうか?爵位を送る他に何かあるのでしょうか?」
「それは、私にはわからんね」
二人が話していると、部屋の向こうからにこやかに笑顔を見せながらやってくるものがいた。
「兄上、あれはデオド男爵です。この頃、私が親しくしてもらっている人です」
デオド男爵はジェグドラント伯爵に近付いてくると、
「こちらは、もしかしてジェグドラント伯爵閣下ですか?」
と、聞いた。
「初めまして、デオド男爵。弟がいつもお世話になっていると聞いています」
「いえいえ、私のようなものなど、何の役にも立ちますまい。ですが、伯爵はよい弟君をお持ちですな」
「弟は、士官学校にも行かないような怠け者です。男爵の贔屓を当てにしないようにしませんと、あとでご迷惑でしょう」
デオド男爵の噂は、ジェグドラント伯爵の耳にも届いていた。爵位は下だが、その資産は普通の公爵家や伯爵家を上回る。ここのウォーゲルン公爵でさえも及ばないはずだった。
「そのようなことはありません。さすがは伯爵の弟君ですな。いつも良い話をお聞きしております」
と、デオド男爵は耳障りの良いことを言った。
「こちらには、よくおいでなのですか?」
と、フェーラリスは聞いた。
「はい。実は公爵様とはボルゴナ鉱山のことで色々と協力させていただいております」
「ほう、鉱山の経営ですか?」
と、ジェグドラント伯爵は興味を示した。
「公爵はなかなかの経営者です。私などは、鉱山の経営はまだまだ素人の口でして……。そう言えばジェグドラント伯爵家は鉱山をお持ちではありませんでしたか……」
「わがジェグドラント伯爵家は惑星ハイゼルレンに多少の金山を持っておりますが、大して生産性のある金山ではありませんが……」
「そのようなことはありますまい。しかし、よく金山をお持ちですね。旧王朝では金山と言えばすべて皇室直轄地として、皇帝直属の官吏が管理していたと記憶しますが……」
「この金山は初代から皇帝陛下直々に下賜されたものです。陛下の御命を守ったと言う功績で、伯爵位と一緒に下賜されたものなのです」
「そうでしたか。ジェグドラント伯爵家は大変名誉ある家系なのですな」
と、目を細めてデオド男爵は言った。
「大したことはありません。それに旧王朝時代の話ですから。私は今回の王朝の交替にも我が家が無事でいることが出来て、幸運に思っています」
「そう言えば、伯爵の弟、いやもう勘当されたので弟とは言えませんね。あの大逆人の部下であったベルンハルト・バルザスが生きていると言う噂ですが、お聞きになりましたか?」
と、声を潜めてデオド男爵は言った。
「そう言う噂は私の耳にも聞こえてきています。ですが、それを確かめるすべはありません」
と、正直にジェグドラント伯爵は答えた。
「実は、我が帝国軍が先ごろヘイダール要塞近辺で、かのディポック提督率いる艦隊に攻撃され、命からがら逃げて来たという噂を聞きました」
「何ですって?」
と、驚きのあまり、ついフェーラリスは声を上げてしまった。それに気づいて、彼はあたりの様子をキョロキョロと見回した。
「そのヘイダール要塞に、大逆人であるダールマン提督とその部下であるバルザス提督が来ていたということを聞きました。ご存じでしたか?」
「つまり、大逆人とその部下の所為で我が帝国軍が敗北したというのですか?」
と、ジェグドラント伯爵も声を潜めて言った。
「さあ、詳しいことはわかりません。ですが、勘当されたのですから、ジェグドラント伯爵家には、何の関係もないこと。おとがめはないでしょう」
と、デオド男爵はジェグドラント伯爵がさらに不安になるようなことを言った。
そして、デオド男爵が新しい会話をする人物を求めて行ってしまうと、
「兄上、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫とは、誰のことだ?ベルンハルトのことか、それとも我が家のことか?」
「もちろん、我が伯爵家のことです。皇帝陛下から、何かおとがめを受けるようなことがあれば……」
旧王朝時代は身内に犯罪者が出れば、親兄弟が連座して罪を問われるということが往々にしてあった。庶民とは違い、貴族であれば当人を勘当してしまえば類を免れることができた。だが帝国に対して反逆などの大罪を犯した場合、まして皇室につながる者を傷つけるなどした場合、当人を勘当したとしても、許されなかった。貴族であっても、そうだったのだ。
ジェグドラント伯爵の弟であったベルンハルト・バルザスは大逆を犯した当人ではないが、大逆人の腹心とも言うべき立場にあった者なのだ。こうした場合、旧王朝では大逆人に次いで罪を問われることになる。その副官や側近たちが連座すると言うことになるのだ。そのため、ジェグドラント伯爵はダールマン提督が大逆人として追われることになった時、すぐさま弟のベルンハルトを勘当したのだ。
その後、ジェグドラント伯爵家には何もお咎めはなかったが、大逆人となったダールマン提督の身内で一人残された父親は病没、もう一人の腹心の部下だったヨナン・スリューグ提督のたった一人残った母親も病没したという。
その際、帝国政府から特に罪に落とされたりはしなかったものの、周囲から見放されて亡くなったという。
ジェグドラント伯爵家に類が及ばなかったのは、単に若き皇帝がそうした連座制に対して良い感情を持っていなかった所為だと言われていた。それでも、同じ貴族たちからは自然と遠くなった。ただし将来どうなるかはわからない。
だからこそ、遠くで起きたこととは言え、ベルンハルト・バルザスの行為に敏感に反応する必要があるのだ。いつの時代にも、上に媚びをする者が後をたたない。何が起きるかわからないのだ。
「何が起きるかわからない。それが今の時代だ。いずれ、何かあるかもしれないが、それが我が家に来るかどうかはまだわからない」
貴族としては、もう旧王朝時代のような甘いことは言っていられないだろう、というのがジェグドラント伯爵の考えだった。以前は貴族と言えば、大抵のことは大目に見られたものだ。今は伯爵家を守ることが、以前にもまして難しくなっている。弟のベルンハルトのことも心配しているが、当主としては家を守ることが第一なのだ。
その時ジェグドラント伯爵の頭に浮かんだのは、金色の竜、ライアガルプスのことだった。
あの竜は帝国の、いや皇帝陛下の秘密を何か知っているような口ぶりだった。それに宮殿の上にあった、あの大きな黒色の骸骨は何だったのだろうか?何かの呪いとか言っていなかっただろうか。いや違う。そうだ確かあれは、闇の魔法が蘇ったのだと言っていたことを、ジェグドラント伯爵は思い出した。
残念ながらそれは夢で見たので、現実にそうしたものが本当に見えるかどうかはわからなかった。
銀河帝国皇帝リーダルフ・ゴドルーインは、通常の治世を滞りなく行うことに努力していた。彼が皇帝になったのは、やりたいことがあったからである。そして皇帝となったからには、それをやり遂げることができるのだ。しかしこのところ、その意欲が減少してきたことを自分でも感じていた。
(どうしたのだろうか?疲れたのだろうか?)
と、皇帝は自問自答していた。
その時、
「陛下、あの件でございますが?」
と、軍務卿のバレンドン・オルフ・ヴェリウスが言上した。
自分の考えに夢中で、誰が来たのかも忘れていたのだ。これまでこのようなことはなかったのに、と皇帝リーダルフは思った。そして、おもむろに、
「ああ、悪かった。どの件のことか?」
と、彼は聞いた。
「未だ帝国に帰還してはおりませんが、緊急の超光速通信で知らせて来た、セルグ・ドブール准将率いる辺境パトロール艦隊がヘイダール要塞を現在占拠しているあのディポック提督の艦隊によって、ほとんど全滅に近い状態になった件でございます」
「そうだった。あの大逆人めがいるというヘイダール要塞のことだったな」
「左様でございます。大逆人のダールマンがいるだけではなく、その部下であるベルンハルト・バルザスもいるという情報でございます」
「あのディポックに加えてその二人がいたのでは、さぞやドブール准将は大変だっただろう。しかし、余が、そして艦隊司令部が提督にヘイダール要塞に接近し過ぎぬように命じていたのではなかったか?それでも、やられたというのだろうか……」
「詳しいことは、ドブール提督が戻って来ませんとわかりかねます」
「そう言えば、ベルンハルト・バルザスには貴族の兄がいたと思うが……」
「はい。ジェグドラント伯爵でございます」
「確か、ベルンハルト・バルザスはジェグドラント伯爵家を勘当になったはずだな」
「左様でございます。元々、現ジェグドラント伯爵とは腹違いの兄弟のようでございます」
「ほう、前の伯爵夫人の子ではなかったのか」
「左様でございます。もっとも実の母親はすでに亡くなったと聞いております」
「そうか。伯爵家を勘当になったのであれば、伯爵家を責めることはできないな……」
新しい王朝の政治においては、これまで貴族が政治に権勢を誇っていた前の政治とは別の政治をめざしていた。それは新世紀共和国の政治とも違う、しいて言えば皇帝親政の政治だった。すべてのことを皇帝が決めるのである。若き皇帝は前の王朝と違って、身内に重罪犯が出たとしても、身内や親族に類を及ぼさないという考えを持っていた。ところが、今回はその考えを忘れたように、皇帝はバルザス提督の身内の話を始めたのだ。
「皇帝陛下が気になると仰せになるのであれば、ジェグドラント伯爵家について、調査致しましょうか?」
と、日頃の言動とはちがうのだが、それでも皇帝自身がそう言うのならばと思って軍務卿ヴェリウスがいった。
「そうだな、そうしてくれ……」
と、皇帝は何気なく言った。
皇帝リーダルフ自身はジェグドラント伯爵について、それほど興味があるわけではなかった。何となく気になっただけである。
(そうだ、あの大逆人の部下なのだから、大逆人も同じこと。その身内は許してはならん……)
心の中で誰かが話すのを、皇帝は聞いていた。これは、何だ?誰が言っているのだ。自分なのか、それとも、別の誰かなのだろうか、と思った。それは、この頃よく聞こえてくる声と同じものだった。
軍務卿バレンドン・オルフ・ヴェリウスは皇帝のもとを辞した。
その頭上に、あの黒い骸骨が小さくなって浮かんでいた。そして軍務卿の歩みと共に移動して行った。
あの宮殿の上空に鎮座していた大きな黒い骸骨と同じものが、皇帝陛下の頭上にあった。大きさは小さいが、今は部屋の中にまで入りこんでいる。実は、その黒い骸骨が皇帝の心の中に囁いているのだった。
(私は、前の王朝の為政者と違う。罪を犯した当人ならともかく、近親者というだけで、他の者達にまで類を及ぼすようなことはしたくない……)
と、皇帝が心に思い浮かべると、また別の声が聞こえて来た。
(罪を犯した当人だけに止めておいては、再び同じ事が起きるのではないか?このような大逆事件においては、特に近親者にも類を及ぼすことが、次の大逆事件を防ぐために必要なことなのだ)
(そんなことは、間違っている)
と、皇帝は別の声に抗って心の中で言った。
(いいや、そうするべきなのだ!)
と、その別の声はまるで皇帝に命令するがごとく響いた。
いつもなら、皇帝である自分に向かって命令するようなことは、どんなことがあっても受け入れることはないのに、目に見えない別の声に、次第に釣られて行く自分がわかった。
(お前の姉がどうなったか、覚えているだろう。あれも、そうなのだ)
突然の話題の転換に皇帝リーダルフはぎくりとした。未だその件については、彼の心の奥底に疑念が溜まっているのだ。
(あれも、大逆人たちのしたことなのだぞ。それなのに、お前は何もしなかった。だから、次にお前を狙ったのだ。それを断たねばなるまい)
(あれは、あの者達とは何の関係もないことだ)
(そうだろうか?お前も心のどこかで、今でも疑っているだろうに……)
(違う、違う、違う……)
必死で否定する皇帝リーダルフは、いつの間にかその声に引かれて言った。
(今、あの連中はリドス連邦王国にいる。そう言う情報をあのジル星団の連中から得たのであろう。ならば、そのリドス連邦王国とやらも、同罪ではないか。なぜ、奴らがそこにいる。きっと、帝国にいた時から、その国のスパイだったに違いない……)
(そんなはずはない。ジル星団の連中がやって来たのは、彼らが帝国を去ったずっと後のことだ)
(そうだろうか?)
黒い骸骨はそうやって皇帝に疑いの暗い思いを増幅させるように、誘導して行った。夜も昼も、皇帝が姉のことを考えるたびに、そしてダールマン提督を思い浮かべるたびに毎回繰り返されることなのだ。
やがて、皇帝の目が死んだ魚のような目つきを浮かべるようになると、頭上に浮かんでいた黒い骸骨はカラカラと声を立てずに笑った。
同時に、宮殿の上空に鎮座する大きな黒い骸骨も、連動して同じように笑った。
銀河帝国軍を統括する司令本部の建物は、最近新しくしたものだった。古いものは王朝交代時の戦闘で内部が多少荒れただけであったが、この際新しい時代に合わせて建物を新築することにしたのだった。
軍務卿は地上車で、軍の司令本部へ向かっていた。以前はこうした場合、必ず使われた馬車などという古い時代の遺物は新王朝になってから、次々と地上車へと変えられていった。あと少しで、宮殿の庭園を潰して飛行艇や宇宙船を発着させることの可能な宙港が完成する。そうすれば、人やモノの移動が帝都においてもかなり早くなるだろうと考えていた。
昔の時代のものを懐かしがっていつまでも使うなど、実に非効率で愚かなことだと、新皇帝を始めとする新しい為政者たちは思っていたのだ。
軍務卿バレンドン・オルフ・ヴェリウスは軍の執務室に入ると、
「お速いお帰りでしたな」
と、副官のレーク・ハイデス少将が言った。
それを黙って聞きながら軍務卿ヴェリウスは、机に座った。ぞして、机上の端末を開けると、ジェグドラント伯爵についての情報を打ち出した。だが、そこには彼の知っていること以上のことはなかった。
「ハイデス少将、ジェグドラント伯爵家についての情報をできるだけ集めて来てくれたまえ」
と、軍務卿ヴェリウスは命じた。
「ジェグドラント伯爵家ですか?ああ、あの大逆人の部下だったベルンハルト・バルザスの実家ですね」
「そうだ」
「了解しました」
と、ハイデス少将は言うと、軍務卿の執務室を出た。
ハイデス少将は、軍務卿とともに部屋に入って来た黒い小さな骸骨には気づかなかった。彼が部屋を出ると、黒い骸骨は興味深そうに、軍務卿の執務室の中を動き回っていた。そして、最後に再び軍務卿ヴェリウスの頭上に戻った。
269.
ナッシュガルやウル・ガルとともに、ヘイダール要塞の医務室に着いたディポック提督とクルム少佐は、そのあまりにも混雑した有様に驚くばかりだった。
最初病室の通路に着いたのでその混雑ぶりはわからなかったが、通路を出て診察室の方に回ると途端に、多くの負傷者が溢れているのを見た。それも、床に置いたストレッチャーだけにいるのではなく、空間に無数に重なって浮かんでいるのだ。
「これは、どうしたことだ?」
と、ディポック提督は茫然として言った。
驚きから次第に覚めて行くと、見たことのない白い制服を着た医者のような人々がいるのを見た。彼らは負傷者に近付いて行き、手を翳していた。
「思ったより数が多いな……」
と、クルム少佐が言った。
「君はあの人たちが何なのか知っているのかい?」
と、ディポックはクルム少佐に聞いた。
「確か私の記憶通りなら、彼らはヒーラーだ。医者とは少し違う。もちろん医者の資格を持っている者もいるのだが……」
「ヒーラーというのは?」
「怪我や病気を治癒する力を持つ者のことだ」
「つまり怪我や病気を治す力を持つ者ということですか?」
「そうだ。リドス連邦王国には医療者の中にそうした能力者を入れている。だから、あれは治癒者だと思う」
「で、怪我や病気が完全に治るということですか?」
「いや、一人や二人ならそれも可能だろうが、こんなに数が多くては、よくて怪我の度合いを低くする程度の効果しかないだろう」
「で、私はここに呼ばれたのは、何をするためなんだろう?」
と、ディポックは困惑して言った。
「我々も、それは聞いていない。ただ、連れて来てくれと頼まれたのだ」
と、ナッシュガルが言った。
気のせいか、負傷者の数がだんだん増えているような気がした。少しでも開いている空間にシーツに包まれた負傷者が一人、二人と現れてくるのだ。
「あら、来ていたの?」
と、声がした。それは、リイル・フィアナ提督の声だった。
振り返ると、リイル・フィアナ提督が医者の制服を着て立っていた。彼女は戦闘が終わったので海賊たちはフェリスグレイブに預けて、自分は医者たちの仕事を助けに来ていたのだ。
「待っていたのよ」
と、ディポックに近付くなりフィアナは言った。
「私をですか?ですが、私は医者ではないのですが……」
「そんなこと、知っているわ。さあ、こちらに来てくれるかしら?」
と、フィアナはディポックを混雑した医務室の中の一室へ案内した。
そこは、診察室のひとつのようだった。ただ、そこに置かれていた寝台や機械を取り除き、何か大きな椅子のようなものが置かれていた。
「これは、なんですか?」
と、ディポックが聞いた。
「私の旗艦から運ばせたの。これは最新式の治癒の増幅装置なの」
「治癒の増幅装置?」
「ふふん。これを使えるのは、ディポック提督あなたしかいないの。これをお願いしたくて、ここに呼んだのよ」
「私が使うのですか?」
それは、どう見ても大きな椅子のようにしか見えない。
「ちょっと待て、これはディポック提督でしか使えないというのは、どういうことか?」
と、クルム少佐が聞いた。
「それは、彼が治癒について稀有な能力を持っているからだわ」
「治癒の能力を持っている?本当なのか?」
と、クルム少佐がディポックに聞いた。
「いや、私はそんな力はない。持っているはずがない」
「まあまあ、ともかくそこに座ってくれないかしら?治癒の力があるかないかは、座ればわかるわ。何しろ、助けなければならない負傷者がたくさんいるのよ。要塞の艦隊だけではなくて、銀河帝国の艦隊の人達も助けたから、医務室はそれこそ負傷者だらけなの……」
ディポックは胡散臭そうに椅子を見た。それに座ったら何が起きるのだろうか。まさか、鎖が出て来て椅子に縛り付けられるのではないかと警戒した。
「そんなことはないわ」
と、まるでディポックの心の内を呼んだようにリイル・フィアナ提督が言った。
「それはただの座り心地のよい椅子というだけよ。あなたには他の機械の助けなどはいらないから、何も繋がっていないわ」
「しかし、座って何をしたらいいのかわからない」
「そうね。座ったら、この医務室にいる負傷者が皆元気になるように、祈ること。それが大事だわ」
「それだけなのかい?」
「そう。それだけ……」
ディポックは戸惑いながら、そっと椅子に近付いて座ってみた。
「どう?」
「別に何も感じないけれど……」
「それでいいのよ。ともかく、今この医務室に来ている負傷者が元気になるように祈って見て。そうね、彼らが元気になった姿を思い描いてもいいのよ」
「やってみよう」
と、ディポック提督は言った。
「これはどういうことだ!」
と、エルシン・ディゴ政治代表が怒鳴った。
司令室との要塞内通信がやっと通じたのだった。つまり、政治代表一行がやっとそのいるべき部屋に戻ったのだ。そして、これまでのいきさつを聞き、詳しい説明を聞くためにファグル司令官を自分の執務室に呼び出したのだ。
「何がですか?」
と、ファグル司令官は聞いた。
「なぜ、帝国軍の連中を助けたのかと聞いているのだ!」
「我々は、帝国軍と戦ったのではありません。未知のどこのものとも知れぬ艦隊と戦ったのです。帝国軍はその未知の艦隊に敗れ、救助を求めてきたのです」
「だから、なぜ、私の許可を得ずにそうしたのかと聞いている!」
「何度も連絡したのですが、通じなかったのです。それこそ、代表はどこにおられたのですか?」
と、逆にファグル司令官は聞いた。
「そ、それは、……」
「要塞の隔壁が降りていて、戻るまでに時間が掛かったのです」
と、フランブ・リンジが言い訳をした。
「ともかく、代表と連絡が取れないので、仕方なく私の独断で救援したのです。それがいけないと言うのなら、どうぞ、私を解任する成り何なり、好きになさって結構です」
と、ファグル司令官は怒りを抑えて言った。
すると、エルシン・ディゴ政治代表は黙ってしまった。そこまで言われてしまうと、何も言えないのだった。何しろ、危険を感じてバルザス提督の宿舎に逃げていたなどと言う訳にもいかない。それが原因で連絡ができなかったということは、言いたくなかったのだ。
「それでは、これで私は失礼します」
ファグル司令官はまだやることがたくさんあるのだった。こんな連中に呼ばれて、ここで時間を無駄にする気はなかった。それでなくても、この要塞では彼の理解できないことが起き過ぎるのだ。
宇宙艇の侵入から要塞を守ったフェリスグレイブ要塞防御指揮官は、司令官室で戦闘後の報告を次のように語った。
「今回の戦闘では、グーザ帝国の機動兵器二体とジル星団の海賊がいなかったら、とても敵の侵入は防ぎきれませんでした」
「そうか。で、そのグーザ帝国の機動兵器は聞くところによると、要塞の通路が移動不可能な大きさと聞いたが、どうやって移動させたのか?」
ファグル司令官はそれが聞きたかったのだ。副官のブレイス少佐にグーザ帝国の機動兵器について聞いた時にそのサイズでは要塞内では移動不可能だと思ったのだ。
「それは、ジャナ少佐のペットの子猫に頼みました」
と、フェリスグレイブは当たり前のように言った。
「ね、猫だと?」
「失礼しました。つまり、その猫はただの猫ではなくて、ジル星団では暗黒星雲の種族として知られている者なのです。単に今は猫の姿になっているだけです」
暗黒星雲の種族については、ディポック提督に少し聞いたことがあるだけのファグル司令官は、
「その暗黒星雲の種族の猫がどうやって移動したのか?」
と、仕方なく聞いた。
「おそらく、瞬間移動だと思います。司令官も魔法使いが突然現れたりするのをご覧になったと思います。それと同じやり方だと思います」
「と言うことは、その猫は魔法使いなのか?」
「いえ、暗黒星雲の種族は魔法使いではなく、もっと危険な連中だと聞いています。ただ、ジャナ少佐の子猫については、我々に好意的でかつ協力してくれると言うことです」
「魔法使いではなくても、そうした瞬間移動などということができるのか?」
「ジル星団には魔法使いの他に特殊能力者がいます。そうした類の能力です」
と、副官のブレイス少佐が言った。
これだけではない。フェリスグレイブが言うところの海賊とは、これまで要塞内の公園の池で鳥だった連中なのだ。この鳥は、何でもリドス連邦王国の第三王女が来られた時に無礼なことをしたために、鳥にされたというのだ。その鳥になった海賊を、今回の戦闘で味方になると言う契約で元に戻したのだと言う。
いったいジル星団というのは、どんなところなのか。こんな報告など、あの政治代表たちに伝えることもできない。彼らに言ったら、信じられないと言うに決まっている。
今のヘイダール要塞は、かつての銀河帝国と新世紀共和国が戦った時とは、かなり様子が違うのだ。
そして何よりも不安なのは、要塞に近付いて来て、ハイレン連邦の艦隊や妙な三角錐の艦隊にやられた銀河帝国の残存艦隊の件だった。あの連中は負傷した仲間を見捨てて、帰還したようなのだ。彼らがどんな報告を帝国にしたのか、ファグル司令官は想像に難くないと考えていた。あのドブール提督というのは、何やら胡散臭く単に事実だけを報告するとは思えないのだ。




