表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
4/5

聖女の祈り

「ニコライ君、綴り方は次の本に移れるでしょう。算術はもう一度足し算から復習しませんか? それから、君は少し魔力があるので、後で鑑定の宝珠を試してみましょう。簡単な魔法なら、私が教えられます」

「魔法ですか!? ぜひ使ってみたいです!」

 年長の孤児であるニコライ少年は頬を紅潮させた。

 昨日の食事の時から意識はしていたが、子供たちの名前と顔を頭に叩き込みながら、一人一人の教育方針を組み上げてゆく。

 聖者として教会で執務をしていた頃は、毎日たくさんの人に会い、その顔と名前、肩書きを記憶することは当たり前に要求されていた。

 六人の子供たちの情報を石版に石筆で整理すると、ヘンリックは子供たちに訊ねた。

「トーマス・ハンセン君とバムセと親しい子はいますか?」

 するときゃあきゃあ騒ぎながら全員が手を挙げた。

「トーマス、バムセを撫でさせてくれるから、すき……」

「バムセはいい子なの。バムセをなおしてくれて、ありがとう!」

 子供たちは男の子も女の子もトーマスとバムセが大好きなようだ。ダニエルとラウラも、子供たちを見ながらニコニコしている。

「今日、私とラウラ殿、ダニエル殿で、トーマス君のお家を訪問します。安全になったら、皆さんでまた遊びに行けますよ」

 子供たちはわいわい騒ぎながら喜んだ。


「ここがハンセンのお宅ですか」

「畑には出てないね……」

 ラウラがキョロキョロと周囲を見回す。トーマス少年とバムセが暮らすハンセン家は、村の最も北西に位置していた。畑の北側と西側は防風林に縁取られている。

「これは……」

 ヘンリックの表情が厳しくなった。

「ヘンリックさん、どうしたんだい?」

「畑のあちこちから黒や紫のもやが立ちのぼっているのが見えます。土壌が穢れているのです」

 ラウラの表情が強張り、ダニエルが息を呑んだ。

「まずはお宅を訪問してみましょう」


「聖者様だ! 聖者様、ラウラ、昨日はありがとう!」

「わうっ! わうっ!」

 ドアが開いた瞬間、ヘンリックはトーマス少年に勢いよく抱きつかれた。バムセも千切れんばかりに尻尾を振っている。テーブルで内職をしていた両親も、すぐに立ち上がった。

「これはラウラさんに聖者様……! 大切な息子と犬を救ってくださり、本当にありがとうございました!」

 両親は何度も何度も頭を下げる。

「当然のことをしたまでです。私はヘンリック・リンドベルグ。王都からこの地に派遣されて来た者です」

 言いながら、ヘンリックはさり気なく家の中を観察した。

(穢れはご両親の衣服と頭髪に少しばかり。幸いまだ病は得ていない……)

 木造家屋の部屋の中にもぼんやりと穢れが見えるが、健康に影響を与えそうな瘴気濃度ではなかった。掃除が行き届いた家だからかも知れない。

「聖者様は王都からいらしたのですよね。なんと尊いことでしょう。私はスヴェン・ハンセン、トーマスの父です。こちらは妻のバーバラです。聖者様、こんな村の外れまで……どのようなご用件でしょうか?」

「そうですね……話すべきことが多過ぎますが、一番大切なことを申し上げます。お宅の畑には、穢れがついています」

 夫婦は息を呑んだ。バーバラ・ハンセンは口を覆う。

「ちょ、ちょっとヘンリックさん、あんまりいきなり過ぎじゃないかい!?」

 ラウラが焦るが、賽は投げられてしまった。バーバラが涙を浮かべて言った。

「畑が穢れているですって……! ここまで流れ着いて、ようやく実りも得られるようになったのに。新しい土地を買ったり、土を入れ替えたりする余裕など、もうどこにもないですよ!」

 夫のスヴェンは言葉もないようで、バーバラの手をしっかり握っている。

「大丈夫です。我々には聖女様がいらっしゃいます。ここにいるラウラ殿です」

「ラウラさんが……!?」

 夫婦は目を丸くした。

「そうだよ! ラウラは聖女様なんだよ! 昨日、バムセと僕を治してくれたもん! 言ったじゃないか!」

「トーマス君の言う通りです。ラウラ殿ならきっと、畑の浄化もできるはず。ここはとにかく、やってみましょう」

「ちょっ、ちょっと待った! 本当にいきなりだね!!!」

 ハンセン夫妻は縋るような目でラウラを見ている。ラウラはますます焦り顔になった。

「あたしは畑を清めるなんてやったこともないんだよ! 失敗したらどうするんだい!」

 ヘンリックは笑顔でラウラの手首をがっしりと掴んだ。

「まあまあ、失敗しても畑がそのまま残るだけ。まずはやってみましょう!」

 そして強引に外に出ようとする。

「ヘンリックさん! アンタそんな性格だったかい!?」


 今日は青空が広がり、風は強くない。ヘンリックは慎重に畑に近づくと、防風林を見上げた。

「……これは樅の木ですね。教会では聖樹とされています」

「そうなのですか!? でも、現に畑には穢れがついてしまったではないですか!」

「こちらに来て何年ですか?」

「二度、夏至を迎えました」

 ヘンリックが頷いた。

「闇の森が遠く見えるほどのこの土地で、二年を超えて耕作ができたのは、防風林が穢れを防いでいたのでしょう。現にこれらの木には、ほとんど穢れがついていません」

「なんと……!」

 スヴェンは驚きの表情で、青々とした樅を見上げた。ヘンリックは手を伸ばし、樅の枝を四本折り取った。

「聖女様、この聖樹を畑の四隅に立ててください。トーマス君はバムセが畑に入らぬよう、気を付けておいてくださいね」

「わ、わかったよ!」

「はいっ、聖者様!」

 トーマス少年はバムセの引き綱を短く持ち、緊張した面持ちだ。ラウラも似たような顔で枝を持っているのが微笑ましい。

「ラウラ殿、あなたは神への祈り方を自然と習得されています。少し、手助けをいたしましょう。ルーンで『ベルカノ』と唱えると、再生の言葉になります。難しい言葉は要りません。自由に祈ってください。浄化はきっと上手くいきます」

 ラウラは頷き、樅をひと枝、畑の隅に立てた。じっと俯き、集中している。すると彼女の周囲に、微かに清らかな光が見えた。光は徐々に強くなる。ヘンリックの目にしか見えない神聖力だ。

「ベルカノ。もしも神様がおわすなら……どうかバーバラと家族を安心させてやっておくれ。どうか、豊かな畑を取り戻しておくれ……」

 祈るラウラは毛皮を纏っていても、神々しいほどの光を放っていた。彼女が畑の隅に進み出て祈るたびに、皆は固唾を飲んで見守った。最後の隅に聖樹を刺し、祈ると、ヘンリックの目には畑全体が輝きを放ち、その光が空に向かって消えてゆくのが見えた。

「さあ、ヘンリックさん! 四隅に枝を捧げたよ! それで、どうやって畑の穢れを祓うんだい?」

 振り返ったラウラを見て、ヘンリックは笑った。笑ったつもりだった。だが、熱い涙が頬をとめどなく濡らす。

「ヘンリックさん!?」

「……終わりました。畑は既に、完璧に浄化されています。見事な技でした、聖女様」


 ハンセン家に引き留められ、皆は一緒に昼食をとることになった。最果ての教会では、食事は朝晩の二回とされている。昼食をとるのは、特別なことだ。食卓には、黒パンとハーブの茶が出された。固くなった昨夜の黒パンを、お茶に浸して食べるのだ。

「バムセは私らにとっては家族同然なんです。魔物に襲われて住む場所を失った後も、何度も危険を知らせてくれました」

「バムセは勇敢なのですね。これからも大切にしてあげてください」

「うん!」

 黒パンを頬ばるトーマスの顔は幸せそうだ。

「バムセは畑を手伝っていて、穢れにやられちゃったのかい?」

 ラウラが穏やかに訊ねると、トーマスは首を傾げた。

「たぶんそう! バムセは畑の野菜を取るウサギやネズミを追い払うのが仕事なの。昨日もウサギを食べた後、様子がおかしくなっちゃって……」

「なるほど。穢れの影響を受けた野菜を食べ、ウサギも病気になってしまったのでしょう。それを食べれば、バムセも穢れてしまいます」

「恐ろしいですね、穢れというものは……ラウラさんがいてくれて本当に良かったが、自分は無力だと痛感します……」

「バーバラ殿、それは違いますよ。無力な人間にも、穢れに対してできることはあります」

 ヘンリックの言葉に、皆が目を瞠った。

「北や西から風の吹いている日は、なるべく家の中で過ごしてください。また、外に長くいた日は、衣服を洗うのも効果的です。服を脱ぐだけで、ほとんどの穢れは落ちるのです」

「なんと……!」

「洗濯も、衣服を二着用意するのも大変ですが、効果も大きいので、頭の隅にでもお留め置きください」

「聖者様、ありがとうございます! 幸い衣服には替えがありますので、まめに洗濯することにいたしましょう」

 ヘンリックは頷いた。生活に苦労はしているが、ハンセン家の人たちには賢さがある。

「これはあまり知られていないのですが、穢れは人から人に感染するものではないのです。穢れから病気になってしまっても、清潔な服を着せれば大丈夫です。もしもの時には、安心して看病してあげてください」

 夫婦は大きく頷いている。ヘンリックは丸太を組んで作られた家の天井を見上げた。

「もしかして、この家は聖樹で作られたのかも知れませんね。よく掃除されているのは、良いことです。穢れを減らす方法は、破邪の力の他にもたくさんあるのですよ。何せ聖人は一国一世代に一人だけ。たった一人の聖女様に、全ての国民が頼ることはできないのです」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ