剣と旅
テーブルの上には、二通の封筒が置かれていた。
一通は、ギルド『サクリス』からの補償金について。
もう一通は、勧誘状だった。
サイキョウは最後まで読み終えると、裏に何かもっと面白いことでも書いていないかとでもいうように紙をひっくり返し、それから元の場所へ戻した。
「いらない」
向かいに座っていた父は、驚きもしなかった。
「少しは考えたのか?」
「最後まで読んだ。それで十分だろ」
「十分ではない」
サイキョウはもう一度、手紙を手に取った。
ギルドが提示しているのは、訓練環境、専用施設の利用権、人脈、費用の一部負担、そして将来有望な戦士としての待遇。
覚醒した六腕の戦士との一件を受けて、どうやら簡単に手放す気はなくなったらしい。
サイキョウは最後の段落にもう一度目を通した。
「やっぱりいらない」
「なぜだ?」
肩をすくめる。
「やっと自由に世界を旅できるようになったのに、その直後から一つのギルドに縛られるのか?」
手紙を再びテーブルへ置く。
「俺、まだ領地の外に何があるのかすらほとんど知らないんだぞ」
父は数秒黙っていた。
「つまり、やはり決めたのだな」
サイキョウは満面の笑みを浮かべた。
「ああ」
「昨日お前がやらかしたことを考えれば、十五になるまで屋敷に閉じ込めておくべきなんだがな」
「それは不公平だろ」
「なぜだ?」
「勝ったんだから」
父はゆっくり目を閉じた。
「勝ったからといって、やったことがまともになるわけではない」
「でも結果は良くなった」
「サイキョウ」
「はいはい」
椅子の背もたれに身体を預ける。
「俺、旅に出たい」
今度は、父もすぐには答えなかった。
サイキョウは続ける。
「学院に入るまで、あと五年ある。ここで過ごすこともできるけど」
窓の外を見る。
庭。
訓練場。
屋敷を囲む壁。
全部知っている。
知りすぎている。
「それじゃ、同じ場所で、同じ人間を見て、同じ戦い方ばっかり見ることになる」
「お前は十歳だぞ」
「だからだよ。五年もある」
サイキョウは身を乗り出した。
「他の場所じゃ、どんな戦い方をしてるのか。どんな魔物がいるのか。どんな剣術があるのか。王都の外じゃ魔法をどう使ってるのか。他にどんな方法で強くなれるのか」
笑みを浮かべる。
「やっと世界に出られるようになったのに、家でじっとしてるなんて無理だろ」
父は深いため息をついた。
「旅は遊びではない。それは分かっているな?」
「ああ」
「盗賊もいる」
「いいね」
「利点として言ったんじゃない」
「分かってる」
「魔物もいる」
「もっといい」
父がじっとこちらを見る。
「病気。悪路。飢え。お前を伯爵家の息子として扱ってくれない人間。そして、お前が負けても手を止めてくれない敵」
最後の言葉を聞いて、サイキョウの笑みがほんの少しだけ深くなった。
「だから行きたいんだよ」
父は指先でテーブルを叩いた。
「私が許さなかったら?」
サイキョウは考える。
「待つ」
父が眉を上げた。
「本当に?」
「まあ……しばらくは」
「サイキョウ」
「正直に答えただろ」
数秒間、二人は黙って見つめ合った。
やがて父が小さく笑った。
「どうせ、いつかは出ていくつもりなんだろう」
「ああ」
「今ここで禁止すれば、自分で出ていく方法を探し始める」
「かもな」
「だからせめて、どこへ向かっているのか把握できる状態で送り出した方がましだ」
サイキョウはすぐに姿勢を正した。
「じゃあ、いいのか?」
「いくつか条件がある」
「言って」
「一つ。定期的に家へ手紙を送ること」
「簡単」
「二つ。自分より二階級以上も格上の相手には、自分から戦いを挑まないこと」
サイキョウが口を開く。
「これは『一発だけ殴ってから逃げる』という意味ではないぞ」
口を閉じた。
「何も言ってないだろ」
「十年間お前を育ててきたんだ」
サイキョウは目を逸らした。
「……分かった」
「三つ。危険だと思ったら逃げろ」
「それ、基準が曖昧すぎない?」
「お前以外の子供なら、それで十分なんだ」
「俺でも十分だって」
「駄目だ」
「分かった。努力する」
父は小さな金属製の護符を差し出した。
サイキョウは受け取る。
「何これ?」
「私の魔力の一部が封じてある。自力ではどうにもならない状況に陥ったら、壊せ」
サイキョウはすぐに護符をあちこちから眺め始めた。
「どうなる?」
「防御結界が展開される」
「どれくらい強い?」
「サイキョウ」
「聞いただけだって」
「逃げる時間を稼ぐには十分な強度だ」
「じゃあ攻撃するときに使えば――」
「逃げろ」
「分かった」
護符を首に掛ける。
しばらく、サイキョウは何も言わなかった。
それから。
「ありがとう、父さん」
父が少しだけ意外そうにこちらを見る。
「珍しいな」
「何が?」
父は首を横に振った。
だが、笑っていた。
◆
次の一週間は、不思議なくらい穏やかに過ぎていった。
サイキョウは訓練した。
当然だ。
旅に出る直前だからといって、完全に訓練をやめる理由はない。
ただ、長い間で初めて、空いている時間のすべてに何か役立つことを詰め込もうとはしなかった。
家族と一緒に朝食を食べた。
妹と遊んだ。
何度か腕を枕にして眠られたせいで、腕が痺れた。
妹は相変わらず、言葉にせず頭を撫でろと要求してくる。
ただ近づいてくる。
見る。
そして待つ。
「お前、いつになったらちゃんと口で頼むようになるんだ?」
妹は黙って頭を差し出した。
サイキョウはため息をつく。
撫でた。
「だから覚えないんだよ」
妹は笑った。
前の人生では、こんな夜は滅多になかった。
サイキョウは、あまり考えないようにした。
特に今は。
一週間後には、どうせ旅立つ。
せめてこの一週間くらいは。
このままでいい。
◆
「できたぞ」
グレンが武器をテーブルの上に置いた。
サイキョウは固まった。
「おおお……」
「涎を垂らすな」
「垂らしてない」
「今のところはな」
最初に置かれていたのは剣だった。
サイキョウが最初に描いたものとは違う。
遥かに良い。
無駄な重量は削られている。
刀身の形状も、より無駄のないものになっていた。
柄は短く。
重心は手元に近い。
サイキョウは剣を手に取った。
数秒、ただ握って感触を確かめる。
そして短く振った。
刃は、狙った位置でぴたりと止まった。
余計な勢いに腕を持っていかれることもない。
自然と笑みが浮かぶ。
「これだよ」
「工房の中で振るな」
「一回だけ」
「もう振っただろうが」
「じゃあもう振らない」
柄を通して、少量の魔力を流す。
金属はほとんど即座に反応した。
細い黄色の火花が刀身を駆ける。
サイキョウは動きを止めた。
「お」
さらに少し。
雷が金属の上を均一に走った。
一箇所に偏ることもない。
刀身が不自然に震えることもない。
「おおお……」
グレンは特に表情を変えなかった。
「お前の属性に合わせて、魔力の通りを調整してある。初日に壊したら叩き出すぞ」
隣には斧が置かれていた。
サイキョウはそちらも手に取る。
重い。
だが、これも元の図面とはまるで違う。
「ほとんど作り直してるじゃん」
「ほとんど駄目だったからな」
「でも全部じゃない?」
グレンは黙った。
サイキョウの笑みがさらに深くなる。
「全部じゃないんだ」
「調子に乗るな。固定方法の案が一つ、使えそうだっただけだ」
「使えそう?」
「十歳が考えたにしては、かなり良い」
「そっちの方がいいな」
グレンは鼻を鳴らした。
「似た仕組みを、他の依頼でも使うかもしれん」
サイキョウが振り向く。
「で?」
「使ったら取り分をやる」
沈黙。
「いくら?」
「こういう時だけは、本当に貴族の息子だな」
「効率の問題だよ」
「そうかよ」
サイキョウはもう一度、剣へ目を落とした。
グレンは腕を組む。
「ここ最近じゃ、なかなか面白い仕事だった」
サイキョウが顔を上げる。
「本当?」
「二度言わせるな」
「言わせない」
もう一度、鞘を指でなぞる。
「ありがとう」
グレンは顔を背けた。
「失くすなよ」
「失くさない」
「壊すな」
サイキョウは少し考えた。
「そっちは約束できない」
グレンがゆっくりこちらを向いた。
「なら、せめて破片は持って帰ってこい」
「分かった」
◆
王都を出る直前。
サイキョウは小さな店の前で足を止めた。
元々は普通の旅用鞄を買うつもりだった。
だが今は、金属製の台座の上に浮かぶ奇妙な青い板を、もう何分も眺めている。
見た瞬間、足が止まった。
(……欲しい)
値段を見る前から、ほとんど買う気になっていた。
「これ何?」
店主は顔すら上げなかった。
「空間パネル」
「パネルなのは見れば分かる。何ができる?」
店主はため息をついた。
「所有者認証を済ませれば、内部空間を使えるようになる」
サイキョウは身を乗り出した。
横に置かれた小さな札には、こう書かれている。
《浮遊 III》
《空間拡張 I》
《所有者認証》
その下。
価格:金貨五十枚
サイキョウは数秒黙った。
「五十……」
店主がようやく顔を上げる。
「高いだろ」
「安い」
「は?」
「何でもない」
サイキョウはもう一度、札に並んだ術式へ目を向ける。
第三段階。
大半の付与術師が安定して扱えるのは第一段階。
腕の良い者でも第二段階。
第三段階というだけで、すでに十分珍しい。
しかも、これには空間拡張まで付いている。
所有者の後を自動で追従し、他人の目から姿を隠し、見た目からは想像できない量の荷物を内部へ収納できる。
サイキョウは笑った。
「買う」
「値段聞いてたか?」
「ああ」
「金貨五十枚だぞ」
「数くらい分かる」
自由に使える金の、ほとんどすべて。
自分の金だ。
『サクリス』からの補償金。
これまでの貯金。
何年かの間にもらった祝い金。
ほぼ全部。
店主は十歳の少年を数秒見つめた。
「お前、そんな金どこで手に入れた?」
サイキョウは金の入った袋をカウンターへ置いた。
「いい質問だな」
「答えになってない」
「でも金は本物だろ」
◆
王都の門が背後へ遠ざかっていく。
サイキョウは道の途中で立ち止まった。
腰には剣。
斧は空間パネルの中。
旅費。
地図。
食料。
父からもらった護符。
準備はできている。
道は丘の間を抜け、その先へと続いていた。
その向こうには、別の街。
別の土地。
まだ見たことのない魔物。
自分より強い人間。
まだ知らない魔力の使い方。
五年。
学院に入るまで、あと五年。
サイキョウは自分の手を見る。
鉄級。
ここから先は、通常の昇格手順になる。
十二の魔力環。
そしてその先には、青銅級以上の生物。
普通の青銅級でも条件は満たせる。
サイキョウは口元を吊り上げた。
だが教会であの話を聞いた後で、「十分」な相手を選ぶなんて馬鹿らしい。
相手が強ければ強いほど、より高い魔力密度を得られる可能性がある。
一歩、前へ進む。
教師の話では、順調に進んだとしても、銀級へ到達するまでに数年かかる者は珍しくないらしい。
サイキョウは立ち止まった。
「数年……」
眉をひそめる。
「長いな」
そしてまた歩き出す。
数秒後、その顔には笑みが浮かんでいた。
なら、もっと早くする方法を考えればいい。




