新たな可能性への道
十年。
サイキョウがこの世界で初めて目を開けてから、それだけの年月が流れた。
その間に、多くのことが変わった。
文字を読めるようになった。
剣もまともに扱えるようになった。
自分の身体にもすっかり慣れ、前世の身体と比べることもほとんどなくなった。
身体能力は、とうに十歳の子供の範疇を外れている。
一族の子供たちを相手にするなら、まず遅れを取ることはない。
屋敷の大人たちの中には、サイキョウから「ちょっとだけ力比べしない?」と誘われると、さりげなく断る者まで現れ始めた。
サイキョウとしては、実に残念なことだった。
だが、それらはすべて、すでに知っているものを伸ばしてきた結果にすぎない。
力。
速さ。
持久力。
技術。
反応速度。
どれも毎年、確実に伸びていた。
そして伸びれば伸びるほど、次の一歩に必要な時間も増えていった。
だが今日。
ついに、まったく新しいものが加わる。
サイキョウはベッドの端に座り、自分の掌を見つめた。
「魔力」
口元が勝手に緩んでいく。
慌てて手で口を覆った。
それでも指の隙間から、鋭い三角形の歯が一本だけ覗いている。
今日で十歳。
つまり――魔力を受け入れる儀式を受けられる日だ。
十年間の待ち時間が、ようやく終わる。
コンコン。
サイキョウは即座に顔を上げた。
「開いてる」
扉が少しだけ開く。
入ってきたのは、サイキョウとそう変わらない背丈の黒髪の少女だった。
いつものように、白い襟のついた濃色の服をきっちりと着ている。
朝早いというのに、どこにも乱れがない。
サイキョウは彼女を見る。
「おはよう」
「おはよう、お兄ちゃん」
少女が近づいてくる。
サイキョウは手を伸ばし、いつものように妹の頭に置いた。
妹はすぐに気持ちよさそうに目を細める。
八年経っても、ここだけは変わっていない。
――いや。
ほとんど変わっていない。
昔は歩くことすらままならず、散歩中の追加負荷として非常に優秀だった。
今では、兄が自分との散歩を筋力トレーニングに変えようとすると、自力で母親に告げ口できる。
非常に困った進歩だった。
「今日、出かけるの?」
サイキョウは妹の頭を撫でながら答える。
「昼に」
「いつ帰ってくる?」
「儀式が終わったら」
妹が下から見上げる。
「アダムは四日かかったよ」
サイキョウの手が止まった。
「四日?」
「うん」
数秒、黙り込む。
本当なら「すぐ帰ってくる」と答えるつもりだった。
だが、一人でも四日かかった例があるのなら、儀式に必要な時間には個人差があるということだ。
しかも、何によって時間が変わるのかすらまだ知らない。
「じゃあ、分からない」
妹が少し眉をひそめた。
「分からないの?」
「初めて受ける儀式だから。条件も分からないのに時間を約束するのは変だろ」
妹は黙って兄を見る。
サイキョウは少し考えた。
「でも、終わったらすぐ帰る」
妹の表情が少しだけ和らぐ。
「うん」
サイキョウは再び頭を撫でた。
「一緒に行く?」
妹が瞬きをする。
「いいの?」
「儀式そのものには入れないと思う。待つことになるけど」
「いい」
「まだ話し終わってない」
「行く」
サイキョウは数秒、妹を見る。
「……分かった」
妹は満足そうに頷いた。
そこでようやく、サイキョウは自分が一分近く妹の頭を撫で続けていることに気づいた。
手を離す。
妹が彼を見る。
離れた手を見る。
また兄を見る。
「何?」
「何でもない」
サイキョウは訝しげに目を細めた。
妹は帰らない。
「……まだ?」
妹は無言で頭を傾けた。
サイキョウは深いため息をつき、再びその頭に手を置いた。
どうやら、この習慣は一方通行ではなかったらしい。
⸻
朝食までは、まだ少し時間があった。
十分だ。
サイキョウは数冊の本とノート、着替えを手早くまとめた。
最後に、一冊の魔法書を一番上へ置く。
この本は、意図的に読むのを後回しにしていた。
まったく読んでいなかったわけではない。
基礎はとっくに読んだ。
魔法の歴史も。
一般的な属性、知られている利用法、魔物と人間の違い――その程度ならすでに頭に入っている。
だが、内容が専門的になるほど、実際には確認できない話ばかりになっていった。
『流れを感じ取る』
『魔力を導く』
『魔力を維持する』
実に役立つ説明だ。
まだ魔力すら持っていない人間には、特に。
今までは、深く読めば読むほど、実践できない知識だけが溜まっていった。
だが今日からは違う。
サイキョウは本を鞄に入れた。
もう一度それを見る。
また口元が緩んだ。
「サイキョウ様」
振り返る。
扉のところに執事が立っていた。
「朝食の準備が整っております」
「今行く」
執事は背を向けた。
二歩進む。
止まる。
振り返った。
「……サイキョウ様?」
「何?」
「いえ、何でもございません」
サイキョウは眉をひそめる。
執事はそのまま歩いていった。
そこで偶然、鏡に映った自分の顔が目に入った。
黒髪はもう肩に届きそうなほど伸びている。
そして確かに、いつもより笑みが広い。
歯のせいで、余計に。
サイキョウは口を閉じた。
「なるほど」
⸻
朝食には、家族のほとんどが揃っていた。
サイキョウはいつもの席に座る。
今日は普段より豪華な料理が並んでいたが、本人の関心は他の家族ほど高くない。
重要なのは、中身だった。
肉。
卵。
パン。
野菜。
果物。
十年も経てば、家族も慣れている。
サイキョウが初めて見る料理を前にして最初に聞くのは、
「美味しい?」
ではなく、
「何が入ってる?」
だった。
今日は聞く必要もなかった。
向かい側から、父がこちらを見ている。
「緊張してるか?」
「うん」
カエルがわずかに眉を上げた。
どうやら、その答えは予想外だったらしい。
「平気なふりもしないのか?」
「なんで?」
サイキョウは肉を一切れ口へ運ぶ。
「十年待ったんだぞ」
母が微笑んだ。
「たまには普通のことも言うのね」
サイキョウの咀嚼が止まった。
「今のどこが普通だったの?」
「ほら」
母がフォークで彼を指した。
「もう台無し」
フノが吹き出した。
サイキョウはフノを見て、それから母を見る。
結局、何がおかしいのか分からなかった。
隣の妹だけは、何事もなかったように食事を続けている。
しばらくして、父が食器を置いた。
「もう一度言っておく。儀式では神官の指示に従え」
「理にかなってるなら」
カエルが目を閉じた。
「サイキョウ」
「従う」
「実験は禁止だ」
サイキョウは考え込んだ。
「どこからが実験?」
カエルは妻を見る。
妻はカップに夢中なふりをした。
「勝手に何も変えるな」
「結果を良くできそうな方法を見つけたら?」
「先に聞け」
「分かった」
父はまだ息子を見ている。
「何?」
「それで十分か考えてる」
「たぶん」
「その答えが一番怖いんだ」
⸻
正午。
馬車の準備が整った。
サイキョウは母とフノに別れを告げる。
母には抱きしめられ、フノには肩を叩かれた。
父は最後にもう一度念を押した。
「神官の言うことを聞けよ」
「うん」
「それと、初日から古代の儀式を改良しようとするな」
サイキョウは父を見る。
「そんなこと一言も言ってないけど」
カエルは数秒黙った。
「だから余計に怖いんだ」
妹はすでに馬車の中で待っていた。
サイキョウも乗り込む。
同行するのは騎士団の副隊長と数人の騎士。
御者台には白髪交じりの老人が座っている。
馬車が動き出した。
サイキョウはしばらく後ろを眺めていた。
屋敷が少しずつ小さくなっていく。
やがて木々に隠れ、完全に見えなくなった。
十年間で、これほど遠くまで一族の領地を離れるのは初めてだった。
妙な感覚だった。
周辺の地形なら地図で知っている。
村の名前も。
主要な街道の位置も。
王都までおおよそどれくらいかかるのかも。
だが地図には、実際の道がどれだけ馬車を揺らすのかまでは書いていない。
畑からどんな匂いが流れてくるのかも。
街道沿いで、実際に何人の人間が働いているのかも。
サイキョウは窓の外を見る。
畑。
村。
橋。
また畑。
本で覚えた情報と、目の前の景色を照らし合わせていく。
地図では一つの曲がり角の位置が少しずれていた。
想像していたより大きな村もあった。
逆に、二つの地点の距離は思っていたより短い。
しばらくして、副隊長がその視線に気づいた。
「領地の外を実際に見るのは初めてですか?」
「うん」
「どうです?」
サイキョウは考える。
「地図が思ったより雑だった」
男は数秒黙った。
「別の答えを期待していました」
「例えば?」
「『綺麗だ』とか」
サイキョウはもう一度外を見る。
「綺麗」
「もう遅いです」
サイキョウは肩をすくめ、本を取り出した。
隣では妹が楽な姿勢を探し、やがて兄の肩に頭を乗せる。
サイキョウは邪魔にならないよう、本を少しずらした。
「若様」
顔を上げる。
「何?」
「王都まではまだ時間がかかります。少し眠っておかれては?」
サイキョウは本を見せた。
「今忙しい」
副隊長が小さく笑う。
「でしょうね」
サイキョウは再び本へ視線を落とした。
今日は、同じ文章でも感じ方が違った。
今まで「いつか使う知識」でしかなかった魔力の流れや貯蔵、性質についての記述。
あと数時間もすれば、その一部を自分で確かめられる。
ページをめくる。
もう一枚。
さらに一枚。
「ゴブリンが三体」
副隊長が言い終わるより先に、本が閉じられた。
馬車の中が静まり返る。
「どこ?」
副隊長がサイキョウを見る。
「前方、およそ二百メートルです」
騎士の一人がすでに武器へ手を伸ばしていた。
「私が処理します」
サイキョウは眠っている妹を見る。
慎重に頭をクッションへ移した。
「見に行っていい?」
「駄目です」
即答だった。
サイキョウは副隊長を見る。
「なんで?」
「魔物だからです」
「だから見たいんだけど」
「若様」
「戦うつもりはない」
男が目を細める。
「見るだけですか?」
「安全な距離から」
「私の指示には従いますね?」
「危なくなったらすぐに」
副隊長はしばらく黙った。
おそらく、サイキョウに魔物への興味を持たせた何かを、心の底から恨み始めている。
「……分かりました」
サイキョウは即座に扉へ向かった。
「ただし!」
止まる。
「私のそばから離れない。魔物に近づかない。戻れと言ったら戻る」
「分かった」
「返事が早すぎませんか?」
「見たいから」
「それはもう十分伝わっています」
数人の騎士が馬車に残り、妹と御者を守る。
残りが前へ進んだ。
⸻
最初のゴブリンは、木々の間にいた。
サイキョウは足を止める。
緑色。
長い耳。
小柄。
丸い腹。
手には石造りの武器。
二体目が姿を現す。
続いて三体目。
サイキョウは数秒、ただ見つめていた。
本物だ。
挿絵じゃない。
本の説明でもない。
騎士から聞いた話でもない。
魔物。
頬が少し熱くなる。
サイキョウは口元を手で覆った。
副隊長が横から見る。
「大丈夫ですか?」
サイキョウは頷く。
まだ手は口元にある。
「うん」
「では、なぜ……」
「大丈夫」
男が怪訝そうに指の隙間を見る。
そこから鋭い三角形の歯が覗いていた。
「若様」
「何?」
副隊長はしばらくサイキョウの顔を見つめた。
「……喜び方が、ほとんど人前で見せられないレベルです」
サイキョウは自分の顔に触れた。
「そんなに?」
「はい」
サイキョウは再びゴブリンを見る。
「初めて本物の魔物を見たから」
「人を食べますよ」
「知ってる」
「なぜでしょう。まったく安心できません」
副隊長はため息をつき、片手を上げた。
騎士たちが散開する。
「始めろ」
サイキョウの笑みが瞬時に消えた。
意識のすべてが彼らへ向く。
最初の騎士が地面を蹴った。
その脚に、一瞬だけ淡い青色の光が走る。
速い。
ゴブリンが武器を上げる暇もない。
一撃。
身体が地面へ崩れ落ちた。
二人目の騎士は違った。
短い閃光が刃を走る。
通常の斬撃ではあり得ないほど深く刃が入った。
三体目のゴブリンは逃げ出した。
数秒後には追いつかれた。
サイキョウは血を見ていなかった。
――ほとんど。
興味があったのは、別のものだ。
「待って」
副隊長が振り返る。
「何でしょう?」
サイキョウは最初の騎士を指差した。
「さっき脚に出てたの」
「強化です」
今度は二人目を指す。
「剣の方は?」
「それも強化です。使い方が違います」
サイキョウは二人を見比べる。
「同じ魔力を使ってる?」
「基本的には」
「じゃあ、なんで見え方が違った?」
副隊長が口を開く。
そして閉じた。
「それは、儀式を終えてから説明した方がいいでしょう」
サイキョウは目を細めた。
まったく気に入らない答えだった。
だが、今まで本でしか知らなかったものを、初めて自分の目で確認できた。
魔力は、ただ派手な現象を起こすためだけのものではない。
動きそのものに組み込まれている。
脚。
武器。
身体。
つまり――
この十年間、自分が鍛えてきたものすべてに。
魔力を組み合わせられる。
また口元が緩んでいく。
副隊長が気づいた。
「その顔、嫌な予感しかしません」
「なんで?」
「あなたが何かとんでもないことを思いついた時、何度か同じ顔を見ています」
「それで?」
「はぁぁ……何でもありません」
騎士たちは周辺の森を手早く確認した。
街道から少し離れた場所で、さらに数体のゴブリンが見つかった。
サイキョウは副隊長のそばに残り、安全な距離から観察する。
今度は魔物そのものをほとんど見ていなかった。
人間だけを見る。
魔力がどこへ流れるか。
いつ現れるか。
どれほど維持されるか。
それによって動きがどう変わるか。
一人は踏み込む直前だけ脚を強化した。
別の騎士は、武器への強化をより長く維持している。
三人目は重い一撃の直前、腕と肩を一瞬だけ光で覆った。
使い方が違う。
持続時間も違う。
結果も違う。
すべてが情報だった。
戦いが終わると、サイキョウは無言で馬車へ戻った。
妹はまだ眠っている。
隣に座る。
魔法書を膝に置き、開いた。
ページを見る。
『魔力操作の基礎――』
数秒読む。
そして本を閉じた。
白紙を取り出す。
副隊長がそれに気づいた。
「もう飽きましたか?」
「違う」
サイキョウは書き始める。
「では、何を?」
「この本、細かいところが足りない」
「まだ二ページしか読んでいませんよ」
「今ので、それ以上見た」
ペン先が止まる。
紙にはすでに何行か書かれていた。
なぜ脚の強化は踏み込みの直後に消えた?
なぜ剣の魔力はそれより長く維持されていた?
身体と武器を同時に強化できるのか?
それぞれの魔力消費量は?
動く瞬間だけ強化すれば、消費を減らせるのか?
副隊長は紙を見る。
サイキョウを見る。
もう一度、紙を見る。
「若様は、まだ魔力すら目覚めていませんよ」
「だから今書いてる」
「なぜ?」
サイキョウは、その質問自体が不思議だと言わんばかりの顔で男を見る。
「あとで時間を無駄にしないため」
副隊長は重いため息をつき、窓の外へ顔を向けた。
数分後。
サイキョウはまだ書いていた。
質問は九個になった。
十二個。
十五個。
やがて遠くに、王都の城壁が見え始める。
サイキョウは紙の向こうにそれを見た。
ペンを置く。
あそこに教会がある。
そして、自分が背中を預けることになる装置も。
神の魔力。
貯蔵器官。
前世には存在しなかった力へ、初めて直接触れる瞬間。
また口元が上がり始める。
妹が目を覚ました。
兄を見る。
「お兄ちゃん」
「何?」
「……怖い」
サイキョウは口を閉じた。
「ごめん」
馬車はそのまま、王都へと進んでいった。




