Scene12: 冬の大三角
「トイレ休憩行ってもいいですか……?」
「却下」
「煙草を一本――」
「正座!」
ベッドに腰掛けた私が声を張ると、ごねていたナオヤがビクッと姿勢を正した。
始発の新幹線に乗っかって、せっかくの日曜休みを潰してまで、仙台から一ノ関までわざわざ足を運んできた理由は、なにもポルノ小説『僕と姉』をただ単にこの世から抹消させにきただけではない。それが取り急ぎの目的でもあり、達成させたわけだけれど、まだ『僕と姉』について訊きたいことが残っているのだ。
登場人物〝ハツキ〟のホクロの位置。
それが私にとって最大級の不可解さと気持ち悪さを抱かさせている。
「……悪いと思ってるよ」と、ナオヤがこうべを垂れる。「姉ちゃんが気にしてる〝夏の大三角〟まで取り入れたのは。右頬にデネブ、左頬にアルタイル、額にベガで、〝顔の大三角〟という二つ名を付けられてからかわれていたことまで暴露したことは」
「絞め殺すよ?」
私に〝顔の大三角〟というアダ名が付いていたのは事実だ。
小中学校のときには馬鹿な男子どもから事あるごとに言われていて憤慨していた。高校のときにも、とある歌が流行った影響で、友達からある日突然『あれがデネブ、アルタイル、ベガ』と茶化されるようになった。
しかし自分の目で見ても位置関係が〝夏の大三角〟なのでどうしようもない。定規で線を引いて角度を測れば、あの二等辺三角形の収縮版かと思うくらいに一致していることだろう。かつてナオヤが理科の教科書と定規・分度器を手にして「測定してみよう!」と私の部屋にきたときには、おもいっきりぶん殴っていたけれど。
フラッシュバックしてくる忌まわしき過去を、いけないいけない、と頭を振って払いのける。ナオヤのやつはわざと私の頭に血をのぼらせ、また話を脱線させる気なのだ。今問題にしようとしているのは、〝夏の大三角〟ではない。
私は視線を鉄のように尖らせて睨み下ろす。
「あんたどうして〝冬の大三角〟のほうまで知っていたの?」
ギュッと目をつぶったナオヤが、顔を横にそむけつつうつむき伏せる。
「……〝冬の大三角〟? 知らないなぁ、そんなものは」
言動不一致なんだよ。
私は追撃の手を強める。
「アソコにあるホクロまで、なんで知ってるかって訊いてるのよ」
「あそこ? って、どこ? 指示語使われてもピンとこないなぁ……」
「じゃあハッキリ言うけど。マンコだよ、マ・ン・コ」
「マンコって……姉ちゃん、その単語選択はどうかなぁ……? ああ、けどさ、なんでチンコとかチンチンは口に出しやすいのに、マンコとかマンマンは出しづらいんだろうね? 一度は思ったことない? テレビとかじゃチンコやチンチンはふつうに使ってるのに、マンコやマンマンって聞いたことある? あれって女性差別だよね? もっとマンコやマンマンも平等に扱うべきだよ。いや待てよ、むしろ男性差別ってことなのか……? どっちだと思う?」
ガンッ!、と、私は足裏でテーブルを激しく蹴り押す。正座するナオヤのストマックを猛打させ、グイグイ押しつけて座椅子との間に挟み込み、無駄口に封をした。
「どうして一介のしがない弟にすぎないナオヤが、私のマンコに付いてる三つのホクロの位置を、正確に把握しているんですか?」
私の体にはホクロが多い。顔にある三つのホクロをはじめ、手の甲、二の腕、太もも、ふくらはぎ、といった比較的に日常生活で見えやすい部分。それから、腋の下、肩甲骨、ヘソの近くなど、夏場にならないと日常生活では見えにくい部分。
そして、日常から外れた性生活でもなければ他人にはぜったいお目見えしないはずの、陰部にも三つのホクロがある。下着姿になっても隠れている場所。包み隠さずいってしまえば、性器についている。
三つあるうちの二つは、尿道口の左右に並ぶように。毛が生えているときには見えないけれど、剃ると、肌が周りより浅黒くなっている大陰唇上にぽつぽつ付いているのが現れる。三つ目は、大学生になったときまで私自身も気づかないところにあった。知るきっかけとなったのが、その性生活。後背位中に彼から「こんなところにもあるんだね」と指でさわられた場所が、肛門と膣口の間だったのだ。
性器上の三つの点を線で結べば正三角形。
――「顔にあるのがデネブ、アルタイル、ベガの〝夏の大三角〟なら、オマンコにあるのはプロキオン、ペテルギウス、シリウスの〝冬の大三角〟だね!」
と、言った初カレはその直後にフッた。
その〝冬の大三角〟が、どういうわけなのか、ナオヤが書いたポルノ小説『僕と姉』の登場人物である〝ハツキ〟にも存在していたのだ。作品内で描写されていた位置関係もそっくりそのまま。偶然の一致とは考えられない。
私にとってはエロ小説ではなくホラー小説である。
「……寝ているときにこっそりパンツを脱がしたりしたことがあったの?」
「あるわけないだろう!?」
「隠しカメラで風呂場とかトイレ撮ってた?」
「するかよ、そんなこと!」
「じゃあ、なんで知ってるのよ!」
「だからぁ……」察しが悪くて困るとばかりに、ナオヤがテーブルの上にぐでぇっと伸び広がる。「小さい頃いっしょに風呂入ってたろ? そのときに見えるもんじゃんか」
「見えるもん……か?」
と、私は首をひねる。自分の裸の立ち姿や座り姿を想像しても、お風呂に入っているくらいでは容易に目につくようには思えない。特に、肛門近くのホクロは、どう考えてもお尻を至近距離で突き出されるようなかたちでなければ、わからないのではないだろうか。
「見えるんだよ! 髪洗ってるときに!」
「……髪を洗ってるとき?」
説明を求める前に、ナオヤは自ずから立ち上がって、身振り手振りを開始する。
「いい? 風呂場だと思ってよ。奥の壁に流し台があって、そのすぐ隣は浴槽。ふつう髪はイスに腰掛けて流し台の鏡に向き合って洗うだろう? でも冬場の寒いときなんかにさ、姉ちゃん、かけ湯するくらいで浴槽に入って来てたろう。で、髪洗うときは、浴槽で足だけお湯の中に入れて、側面に寄りかかって立って、床のほうにこうやってグッと体を折り曲げて洗う」
浴槽内からの立ち洗いは、今でもたしかにしているな、と思う。
「するとさ、お尻を突き出してる格好だし、僕が浴槽内に座っていれば、普段見えないところまで見えてしまうよね? シャンプーやリンスを取ったりすれば、お尻の向きも変わるし。それにだいいち! 僕が洗面台側に座ってる居るときだって、姉ちゃん、構わずこっちに来て同じようにして洗ってたんだから……そうすると、目と鼻の先にはお尻でしょ?」
「小さい時に見たのをまだ覚えてるってことだよね? ……最悪。キモッ!」
「見せつけてきておいてキモいとかいうなよ! 小さい時っていっても僕が小5までいっしょに入ってたじゃないか。そのくらいになれば記憶だってしっかりするよ」
たしかにナオヤが小5で、私が中2くらいまではいっしょにお風呂に入っていた。昔々に親と入っていた時代からワンセットでの入浴が習慣で、その後は、私がナオヤの面倒を見つつ入るというかたちになっていたのだ。
陰毛が生えてきたあたりで恥ずかしさを覚えていっしょに入らなくなるのがふつうなのだろうが、たぶん私はこれといって何も感じなかったので中学時代まで続いていたのだろう。ナオヤの体の発育が遅かったのもあるのかもしれない。165㎝の私の背を抜くことはなかったくらいなので、小学校高学年になってもチビで幼く、女としての本能的にも無害と捉えていたのだろう。それが――
「一生の不覚だったわね。じつはジロジロいやらしい目で見てたんだ」
「いやらしい目で見てるわけないって! 性知識ないときなんだからさ!」
「ジロジロは否定しないの?」
「そこは、ほら……どうなってるんだろう?、みたいな好奇心では見てたんだと思うよ? 僕に付いてるモノが付いてないわけで、代わりにハムサンドイッチみたいになってるんだし。なんで股にもおっぱいみたいなのがあるんだろう、とか、ここからおしっこが出てるんだな、と思ってたら実はそこは――」
「やめろぉ~……もう十分! 聞きたくないぃ~……」
私はベッドに突っ伏して枕で頭を覆う。
なにゆえ、弟から十数年越しで感想を伝えられねばならないのか。
記憶をさかのぼっていたためか、ふと、気になる当時の光景が脳裏に浮かんだ。
「あんたさ……お風呂に入ってたときのアレ、私の裸見て興奮してたんじゃないの?」
「アレ?」
私は小指で象の鼻の動きを真似てみせる。
「ちっちゃい子供チンチン、よく勃たせてたじゃない。『わからないけど大きくなる』みたいなこと言ってたからさ、なんとなく興奮してるってわけじゃないんだろうな、と思って私もただ面白がって見てたけど」
「だからそれは生理現象だよっ。子供のときは肌が敏感だし、お湯が熱かったりして刺激されてそうなってたっていうだけだからな!」
「どうだかねぇ」
「どうせ僕の話なんて誰も信じちゃくれないんだ」
ナオヤがすくっと立ち上がった。だらだらとゾンビのようにシェルフまで歩いていき、アメスピ・メンソールとライターをつかまえ、箱から一本取り出して口に加える。火を点けようとしたときに、私が口からひったくり、指で折り曲げて捨てた。
「話はまだ終わってないの。そもそもの理由を訊いてないよね?」
「……そもそもって?」




