16.『一年よ』
『ねえ、まだあ~?』
ティファニスは飽きたようで、私の首に絡めている足を動かす。肩車の格好だ。重さはなく、私の体に負担はない。時間はそうすぎていないのだけど、ティファニスは飽きたようだ。私はティファニスの言葉に無言で頷く。
『うう! しゃべってよお! 話してくれないとつまらないよお!』
そう言われても、今委員長の前で話すのは変だ。ティファニスとなにか話さないで遊べること、遊べること……。あ。
私はそっとティファニスの白い足に指で文字を書く。ティファニスに読めるかわからないけど。文字はキャンディーだ。
『きゃあ! こしょこしょする!』
ティファニスはきゃあ、と楽しそうにし,私も指で文字を書こうとした瞬間。白かった進学科校舎が、私の視界が、真暗になった。
「って、え!?」
急に暗くなったことに私はどこを歩けばいいのかわからなくなる。とりあえず横の壁に手をつけようと伸ばすも届かず。
『わ、わわわ! 大丈夫!?』
何が大丈夫なの? ティファニスにそうきこうとして、私の足がもう片方の足にひっかかり私は横に倒れた。バランス感覚はいいほうなのに運が悪いのか。
「紫藤さん大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……」
委員長の驚いた声にすぐに立ち上がり、反射的にこたえた。床と直撃した半身が痛い。とっさに頭を守ることはできたけど、痛いものは痛い。
『痛いの痛いのとんでけー! わあああん! 怪我はない? 痛いの痛いのとんでけー!』
「怪我はないから……、なにかあったらあとで保健室行ってくるよ」
私はできるだけ明るい声で言った。痛がる姿を見られるのは恥ずかしい。痛みをこらえて、何もない、転んでなんかいないよう、普通です! といつものように保つ。
それから会話はなかった。話すこともなく、恥ずかしくて話す気分にもなれなかった。進学科の生徒と顔を合わすことなく先に進み廊下を歩く。代わり映えのない廊下を歩いてしばらく、正面の壁に扉が一つだけある。
「つきました」
委員長はそう言うと、ゆっくりと扉をあけた。
*
『……真っ白だね』
「……」
真っ先に視界に入ったのは白だった。壁も床も天井も白い部屋。窓はない。私は一歩部屋へと踏み入れた。
「失礼します」
『おじゃましまーす!』
白い部屋の隅に、大きな椅子があり、女の子が腰を深く腰掛けていた。
お待ちしていました、と彼女が扉の前に立つ私にお辞儀をする。さらさらとした彼女の黒髪が揺れた。
切れ長の瞳の、美女というべきか。大人っぽい。ほんとうに高校生といっていいのか。私は自分の顔を思い出し、ため息をついた。
委員長が、廊下から扉を閉めた。部屋の中には私とティファニスと、彼女だけが残った。
彼女は椅子から立ち上がり、頬を持ち上げると、優しそうに笑みを作る。ティファニスとはちがう柔らかい笑顔だ。
初対面の人と話すときは笑顔を心がけましょう。そうすれば相手は好感を持つでしょう、と本に書いてあったのを思い出す。
「はじめまして」
私もそれにならい口角を上げる。こんな綺麗な女の子と仲良くできるのはいいことかもしれない。
『はじめまして! 好きな食べ物はキャンディーです! あとあと! クッキー!』
はいはい! とティファニスが手を上げてしゃべりだす。彼女は笑みを保ったままだ。私はティファニスに静かにしようね、と小さく呟いた。
『はーい!』
ティファニスは返事をすると私の横に並び空中にわずかに浮かんでいる。
「はじめまして、こんな姿で悪いけど……」
そう、申し訳なさそうに眉を寄せた彼女は白いワンピースにカーディガンを羽織っている格好だ。生徒ではないということなのか。たまたま制服が汚れてワンピースを着ることになったのか。
「別に気にしてないですよ」
彼女の制服姿も可愛らしくて、見たくなるけど。
「そう、ありがとう。 よければ座って? お菓子とお茶を用意するわ」
『わーい! お菓子!』
と、彼女が椅子のほうを指で示す。その辺りをこらしてみると白いテーブルに、白いソファがあった。ティファニスはお菓子の単語がでるとすぐに天井上まで上がり、ぱあっと顔を輝かせるけど
「寮の晩御飯が入らなくなるかもしれないので、せっかくのお誘いですが遠慮します」
あなたとお茶はいやではないんですけど寮の晩御飯が……と恥ずかしそうに困ったかんじでいう。
『そんなああああああっ! お菓子だよ!』
いやいや、ティファニスは食べれないから。ティファニスが見えない人からするとお菓子が独りでに浮いて少しずつ減っていけば驚いてしまう。それに、私は初対面の人とお茶してお話するのは緊張していやだ。
「そう?」
「はい、お茶は次回があればそのときにご一緒したいです」
『うわああああん!』
ティファニスに肩をぽかぽかと叩かれているけど、私の肩から下へと通り抜けていく。
「それで、なんの用ですか?」
私は無視してティファニスから彼女に視線を戻した。彼女は笑んだまま、目を細めた。
「昨夜、後輩が迷惑をかけてしまったわ。その謝罪が一つ目。先輩の私が代わって謝るわ。すみませんでした」
「はあ」
昨夜、昨夜。思い出すと現実味がない。
進学科つながりで、そうなることも予想をしていたけど、こう、なんというかすぐにくるとは思わなかった。あとは私がすぐに本題を頼んだからか。あ、それならティファニスが見えるからお菓子も食べてよかったのか。
『ぶうううう!』
ティファニスはその言葉で私の肩をぽかぽかと叩くのをやめて、頬をふくらましだすと私の肩から頭だけをだし、彼女をじっと見ている。
「二つ目。こちらは質問ね」
「なんですか?」
顔全体、彼女は柔らかく微笑みを浮かべているけど、柔らかかった視線が今は鋭い。おそらく、これが本題で私を観察対象……いや、値踏みしているような。
「紫藤さん、この時期にどうして悪魔召喚をしたの?」
「はい? ……あ、召喚」
進学科の生徒とオカルト研究部は悪魔が見えるのだろうか。寮の人たちは見えていなかったのに。いや、それでも寮生には進学科の生徒もいるのか。彼女の視線は私を捉えたままだ。なにかのつながりで彼女もティファニスを見えるのだろうか。
「……」
「……」
私にはわからなくて、どうしてきたの? と目でティファニスに尋ねるが、ティファニスは私に気付かないでぶううう、と威嚇し続けている。そもそも召喚の時期は決まっている? いや、そうじゃなくてどうして召喚したのか? どいしてこの時期に? と二つの質問にこたえないと。
「召喚はしようとは思ったことなくて、そもそも悪魔なんて本の世界だけだと思ってましたし、それで本に触っただけででてくるとはだれも……時期については、赤坂先輩に博物館につれていかれて」
私はそこでいうのを止める。何も知らないから、何も言えないのだ。あとは察してください、と困ったように。
「……」
私が口を閉じ黙ると、彼女はそのままつぎに進めた。
「三つ目。 紫藤さん、どうであれあなたは無断で召喚を行ってしまったわ」
「召喚するとなにかあるんですか?」
とりあえず召喚はしたことにして、ティファニスを召喚するとなにかあるんだろうか。ティファニスじゃなく悪魔だから悪いのか。いや、無断で召喚したことに関してなのか。
「質問はあとで受け付けるわ」
「はあ」
「そのため、異変を感じた後輩があなたを襲撃しちゃったのよ」
「それで……」
本についてと悪魔についてきかれた、であっているんだろうか。そもそもどうして召喚したってわかったんですか? 質問のときまでに覚えておかないといけない。
「現在、後輩の田所は罰則をうけてるわ。そして、その原因であるあなたは無許可で悪魔を召喚し契約をしたから、天使保護課では悪魔と契約者のあなたを罰します」
「え」
「話は他の人に聞くといいわ」
いきなりよくわからない。そしてみんな勘違いしているんじゃないだろうか。だから契約ってなに。天使ってことはティファニスは悪魔だから関係ないんじゃ……そう思ったとこで、彼女のまとう空気が変わった。
「話は終わったみたいね」
柔らかく微笑んでいた彼女が、僅かな微笑みを湛えながら私とティファニスを見つめていた。笑みが減っている、ということは怒っている? 彼女の視線が嫌な感じがする。話は終わったみたいね、って他人ごとのような。
『この人さっきの人じゃないよ!』
ティファニスの言葉の次の瞬間、背筋が凍りついた。どういう意味? なんて尋ねる暇がなかった。
「ということで、私はあなたを罰するみたいね」
「っ!?」
私とティファニスに向かってなにかがきたのだ。速すぎて見えない。
「え」
私が何かをいう間もなく、素早い何かはきていた。よける暇なんてなく、ついでガコンっと床と何かがぶつかる音がした。慌てて見返る。
『おお! やっぱりキミすごいの!!』
ティファニスが嬉しそうに歓声をあげた。私はなにがすごいのかわからなくて、落ちたそれを見ているしかできない。
「……た、たらい?」
一つは銀だらいだった。そして、もうひとつは……
「あなたの能力は自動防御型? 田所からは罠型ってきいてたんだけど」
彼女の掌から、何もない空から現れたそれを彼女は強く握った。
「な、なんですか。それ……?」
「さあ?」
実のところ私はなににたいしてきいたのか自分でもわからない。彼女は不敵に笑うと、握った何かを私たちへ放った。そして銀だらいが、ガコンと音をたてながら落ちてくる。
「ああ、それとね。私、あなたに言いたいことがあるのよ」
「なんですか?」
私はじっと彼女へと顔をあげた。なにも口にしていないのに喉をごくりと鳴らしてしまう。その後ろでティファニスが私の肩を掴んだ。
「……一年よ」
一年よ、それだけではわからない。その言葉の続きを急かすように私は返事をする。
「はい」
「一年間。あなたが赤坂の部活に入部してから、ずっと私はあなたを視ていたの」
と彼女はいった。いきなりの告白に、私の体温は上昇し赤面し、そしてまた瞬時に上がったものが急激に下がっていく。おちつかない気持ちがして、この感情を分析しようと試みるとき
「私の一年間無駄になったのよ!」
横で風がひゅっと音をたて、背後の扉がガツリと削られた。
「どういうことですか」
私はぎこちなくいった。
「きたるべく召喚の前に、無断でするようなことがあれば阻止するようにとね」
「はい」
「なのに、あなたは召喚に付随するものには一切興味なんて見せなかったくせに……監視対象から外されて、すぐに……金曜日の放課後っ無断で! 私が監視してたの気づいてたんでしょう! それで一切隙なんてみせ」
私は彼女が言い終えないうちに首をふった。なにそれこわい。それに誤解している。
「ちがう、ちがいます」
『……っ』
私の頭の中でかちっと音がなった、と同時に耳元にとどいた小さな悲鳴が震えた。私の両肩が揺れ、痛む。相手と話すとき、否定の言葉からはじめてはいけません。どこかの本の一文が頭に流れていた。どうしてかわからなかった。




