第9話 渡しそびれた買い物袋
白雪を待っている間に、買い物を全部終えてしまった。
九月の日曜、夕方五時。商店街のベンチで、俺は足元の買い物袋を見下ろした。鶏肉、玉ねぎ、じゃがいも。忘れたものはない。牛乳は最後に買ったから、まだ冷えている。
白雪がバイトから出てくるまで、あと十分だった。
月に一度の昼飯は、いつの間にか月に二度になることもあった。土曜が合わなければ日曜に会う。昼に用事があれば、今日みたいに夕飯の材料を一緒に買う。
返済は九月で十一回目。残り七万円になっていた。月初めに記録を確かめると、白雪はすぐ鞄にしまうようになった。そのあとは学校の話や、うまくできた料理の写真の話をする。
今日も、買い物のあとに新しい課題の話を聞く約束だった。
スマホには、昼過ぎに白雪から届いたメッセージがある。
『今日は少し疲れました。お店、混んでます』
俺が早めに買い物を済ませようと思ったのは、それを読んだからだ。
夕飯はうちの分と白雪の家の分で、シチューにすると話していた。材料も一緒に数えてある。あとは買うだけだったので、俺一人でも迷わなかった。
五時を少し過ぎて、白雪が店から出てきた。制服ではなく、薄いシャツに黒いズボン。髪をほどきながら俺を見つけ、足を速めた。
「お待たせしました」
「お疲れ。今日は大変だった?」
「はい。お客さんが一度に来たので。ごはん、何回炊いたか分からないです」
白雪は店の明かりを振り返った。それから、俺の足元にある袋を見た。
「それ、買い物ですか」
「うん。もう全部ある。今日は帰ってすぐ作れるよ」
袋を片方持ち上げて見せた。白雪は受け取ろうとしていた手を止めた。
「……全部?」
「言ってた材料。玉ねぎ、安かった」
「そうですか」
彼女は俺の隣に座った。いつもなら、袋の中をのぞいて献立の続きを話し出すところだ。今日は膝に鞄を置いて、髪を結んでいたゴムを指にはめた。
「足りなかった?」
「いえ。たぶん、足りてます」
「じゃあ、重いほう、俺持つから」
俺が立つと、白雪は少し遅れて立った。袋を持って歩き出そうとしたところで、彼女がスーパーの入口を見た。
「まだ、買うものある?」
「……今日、あそこも見たかったんです」
入口の脇に、小さいきのこの売り場ができていた。箱の上に何種類も並んでいる。白雪は昼、売り場に秋のものが増えてきたから見たい、とも送っていた。
疲れたという文のすぐ下にあったのに、読み落としていた。
「きのこなら、買ってくればよかったな」
言った直後に、白雪の顔を見て、また違うことを言ったと分かった。
「買ってもらうだけなら、帰りに自分で取れます」
白雪は袋の持ち手から手を離した。
「今日は汐瀬くんと、何を入れようか話しながら見たかったので」
スーパーへ入る人の流れを避け、俺たちはベンチの脇へ戻った。俺は冷たい牛乳の入った袋を足元に置いた。
「疲れたって来たから、先に終わらせたら楽だと思った」
「はい。助かるのは、本当です」
「でも、頼まれたわけじゃなかったな」
「今日のバイトは、忙しくても、終わったら買い物できると思ってたので」
白雪は店のほうを見ずに、きのこの売り場を見ていた。
俺は年明けにここへ来た日を思い出した。早く終えようとして、彼女の食べたいものも聞かなかった。今日は材料を覚えているから大丈夫だと思っていた。
「ごめん。袋、渡す前に聞けばよかった」
「私も、今日はゆっくり見たいって、もう一回言えばよかったです」
白雪はベンチの背に少し体を預け、息を吐いた。
「シチュー、やめる?」
俺が聞くと、彼女が振り向いた。
「やめたら、じゃがいもが困ります」
「冷蔵庫に置いとけるけど」
「今日はシチューでいいです。今ある分で」
そこで白雪が、入口の売り場を指した。
「来週の分、考えませんか」
俺もそちらを見た。
「来週って、まだ何食べるか決めてないよ」
「だから、考えるんです」
白雪の声が、少しだけいつもに戻った。
俺たちは重い袋を持ったまま、入口の棚の前へ行った。しめじも、舞茸も、似ているのにずいぶん形が違う。白雪は片方の箱を持ち上げ、香りを確かめようとして、パックに入っていたことに気づいた。
「ここでは分からないですね」
「買ってみる?」
「今日は買いません。来週、一緒に買います」
俺はうなずいた。
店の中へは入らず、献立だけを決めた。焼いたきのこを載せた丼。卵も使う。白雪が具の量を話し、俺がごはんは多めにと言う。二人の家で何人食べるかは、その日になって決めようということになった。
来週は最初から、駅で待ち合わせる。先にスーパーへ行かない、と俺が言うと、白雪は笑った。
「駅で、買い物を始めないでくださいね」
「売ってないだろ、きのこ」
「駅のお土産売り場に、乾燥したのなら」
「じゃあ、その前では待たない」
白雪は軽いほうの袋を取った。今度は受け取る前に中を見て、牛乳を自分の袋へ移す。
「それ、結局重くない?」
「持てます。帰ったら冷蔵庫に入れたいので、私が忘れないように」
帰り道は、さっきよりゆっくり歩いた。昼に送ってくれた文の続きを、俺はようやく聞けた。
店では新しく入った人に仕事を教える日だった。注文が重なり、自分でやったほうが早いことまで説明したので、時間が倍かかったらしい。
「全部自分でやりたくなりませんでした?」
白雪が聞いた。
「俺なら、なりそう」
「なりました。手を出しかけたら、店長に、今やったら次も困るよって」
白雪が指先で、作業台を指すような仕草をした。
「私、人に教えるの、まだ下手です」
「教わる側は?」
「汐瀬くんのほうが、最近は上手です。すぐ聞きますから」
「分からないことばかりだからな」
「この前は、湯を沸かす前に、何人分か聞いてました」
「それは大事だろ」
「はい。大事です」
家に着いてから、俺は鍋を出す前に、白雪のほうを見た。
「今日はどうやる? 二軒分、ここで作って分ける?」
「はい。大きい鍋、ありますか」
「ある。でも、洗うの大変かも」
「じゃあ、帰る前に二人で洗いましょう」
白雪は勝手に台所へ回らず、俺が鍋を出すのを待った。俺も、じゃがいもの皮むきを全部やろうとはしなかった。自分が二つ、白雪が二つ。向かい合わせに座って剥く。
芽の取り方を聞くと、白雪が自分のじゃがいもをこちらへ向けた。俺は手元を見ながら、自分のじゃがいもの芽を取った。
できたシチューを小さな器に取り、二人で味見した。舌をやけどしないように冷ます間、白雪が俺の買った玉ねぎを一切れ見つけた。
「甘いですね」
「安かったけど、ちゃんとうまいな」
「玉ねぎは、値段を知りませんから」
変な返事に笑ったら、白雪も笑った。
帰り際、鍋を洗っていると母が帰ってきた。台所の二人を見て、シチューの匂いを嗅ぐ。
「私の分もある?」
「あるよ。温めるだけ」
「じゃあ、先にお風呂入るね」
母はそれだけ言って、廊下へ行った。白雪は少し驚いた顔をしてから、小さい声で笑った。
「自分の分を先に聞くの、似てますね」
「それ、大事なんだろ」
「はい」
白雪は拭いた鍋を俺に渡した。
玄関へ運ぶ袋には、材料ではなく、持ち帰り用の容器が入っている。
靴を履いた白雪が、スマホの予定を見せた。
「来週、十一時。駅で」
「うん。一緒に買おう」
俺は自分の予定表にも、同じ時刻を入れた。買うものの欄には何も書かず、来週の彼女と決めることにした。




