第4話 雨の日の洗濯ばさみ
白雪がうちのタオルを両手に抱えている。
十二月の日曜、模試の帰りだった。降り出した雨に追いかけられ、家の角を曲がったところで、軒下に干した洗濯物が目に入った。
「俺、取り込んでくる。白雪は玄関で待ってて」
そう言ったのに、一枚目を取るより先に、白雪が脇から手を伸ばした。
「こっち持ちます。落ちそうなので」
物干し竿の端で、バスタオルが片方の洗濯ばさみだけにぶら下がっていた。白雪が下から支え、俺が留め具を外す。一枚取ったら、その奥に重なった分も濡れていた。
朝は晴れていた。天気予報を見た母が出勤前に、昼から降るかもしれないよと言っていたことは、雨が降ってから思い出した。
籠を抱えて玄関に戻ったとき、白雪の制服の袖から水が落ちた。
「ごめん。手伝わせて」
「この量だと、一人じゃ間に合わなかったですね」
「結局濡れたけどな」
靴を脱いだ白雪は、籠の上のタオルを指でつまんだ。乾いている場所を探しているようだったが、すぐに諦めた。
「洗い直しましょうか。これ、端が地面についてました」
「俺がやるよ。先に袖、拭いて」
洗面所の棚から乾いたタオルを出すと、白雪は一度籠を置いて受け取った。腕を伸ばして袖を押さえる。それで初めて、指先も赤くなっているのが見えた。
学校からここまで、傘を差して歩いてきた。途中で降り始めたので、二人とも折り畳み傘だった。うちに着く少し前から風が強くなり、俺は白雪の傘が飛ばされないかばかり見ていた。
「温かいの淹れるから。上がってて」
「汐瀬くんも、肩が濡れてますよ」
「着替えはここにある」
「それは、そうですね」
白雪は鞄を抱えて食卓へ向かった。今日は模試の答え合わせをする約束だった。先月片づけた机は、今もノート二冊ぶんなら開ける。俺が朝、余計なものを寄せたからだ。
着替えて戻ると、白雪が鞄から筆箱を出していた。髪の先も少し濡れている。タオルは膝に載っていて、借りたものだから遠慮しているのかと思った。
「髪にも使っていいよ、それ」
「はい。……これ、いい匂いですね」
「いつもの洗剤だと思うけど」
「そうですか」
白雪がタオルを髪に当てた。俺は湯を沸かし、籠のタオルだけを洗濯機に入れた。母の服と俺のシャツを入れた籠は、洗面所の隅に置いた。白雪が取り込んだのは、いちばん外側のタオルだけだった。
洗濯機の前で洗剤の容器を持つと、後ろから白雪が顔を出した。
「その目盛りで合ってますか」
「多くない?」
「汐瀬くんが入れようとしてるんです」
水の量と容器の裏を見比べて、少し減らした。
「洗濯、普段しないんですか」
「干すのと取り込むのはやる。回すのは母さんが多い」
「じゃあ、今日は回すところもですね」
白雪は俺の手から洗剤を取らなかった。横で水の量を見て、俺がふたを閉めるまで待った。
開始を押すと、残り四十二分と出た。
「終わったら、どこに干します?」
「雨だし、居間かな。畳むやつがある」
「物干し、広げるの手伝っていいですか」
「うん。そっち、持ってくれる?」
二人で折り畳みの物干しを広げたら、食卓の横を通れなくなった。俺がソファ側へ引き、白雪が椅子をずらす。窓に寄せすぎるとカーテンに触れるので、少し戻した。
「家の中って、こんなに狭かったかな」
「今、大きいものが一つ増えましたからね」
「白雪のことじゃないよ」
「分かってます」
白雪の返事に笑いが混じった。二人で動かしたせいか、いつもより広く開いた気がして、俺は物干しの幅を一段縮めた。
ようやく茶を淹れて食卓に戻ると、白雪はすでに模試の問題冊子を広げていた。
「問四、何にしました?」
「それ、最初に聞く?」
「ずっと気になってたんです。試験中から」
俺が選んだ番号を言うと、彼女は天井を見た。窓に細かい雨が当たる。洗濯機が水を回し始めた。
答えが違うことより、その音の中で白雪がうちの茶を飲んでいることのほうが、俺には気になった。
いつもの朝なら、弁当を受け取って数分で別れる。休日に勉強するときは、解かないといけない問題がある。今日はまだ洗濯が終わらないから、と言えば、それだけでしばらくいてもらえる。
「どうして、その答えにしたんですか」
白雪が俺の問題冊子を引き寄せた。余白には、一度書いて消した線が残っていた。
「最初は白雪と同じだった。でも最後に変えた」
「私は逆です」
二人で黙った。
答え合わせ用のページを開くと、二人とも違っていた。
「争う相手、間違えてたな」
「最初から二人とも負けてましたね」
白雪が笑う拍子に、髪が頬にかかった。指で耳にかける。濡れたところはもう乾いていた。
白雪は問四のページの端に、小さく印をつけた。
「これ、学校へ持っていって聞きます。明日、先生いたら」
「俺も行っていい? このあとのやつも分からない」
「はい。放課後、職員室の前で」
俺は自分の冊子にも同じ印をつけた。
茶のおかわりを尋ねると、彼女はうなずいた。俺は自分の分も足して、少しぬるくなった急須を台所へ戻した。
そのとき、洗濯機が鳴った。
戻ってみると、タオルが一つの塊になっていた。籠に移して居間へ運ぶと、白雪が二枚の端を探している。
「引っ張っていいですか」
「うん。俺、こっち」
引いたら同時にほどけて、俺の手に小さいタオルだけが残った。白雪のほうには大きいのが三枚ある。
「そっち、当たりすぎじゃない?」
「もう一枚どうぞ」
渡される途中で、白雪の指が俺の指に当たった。朝の弁当の受け渡しと違って、間に布が一枚しかない。
俺が先に手を引いたせいで、タオルの端が床につきかけた。
「落としたら、もう一回ですよ」
「今のは危なかった」
白雪は何事もなかったように両端を揃えて干した。俺は洗濯ばさみを二つ取った。
全部干し終わると、物干しが白い壁みたいになった。向こう側のソファが見えない。試しに一本ずらしてみたら、タオルの間から白雪の顔が出た。
「何してるんですか」
「風が通るように」
「そっちの窓、閉まってます」
言い訳の行き先がなくなったので、俺は洗濯ばさみの袋を片づけた。
時計は四時に近かった。白雪は五時から弁当屋だと言っていた。ここから一度家に帰るなら、そろそろ出ないと間に合わない。
「雨、弱くなりましたね」
白雪がカーテンの隙間をのぞいた。俺も窓へ顔を向けた。雨粒の音がいつの間にか小さくなっていた。
もう少しいて、という言葉が、喉まで来た。けれど洗濯は済んだし、答え合わせも一通り終わった。呼び止める用事を探すうちに、白雪は問題冊子を鞄にしまった。
「このタオル、持って帰ってもいいですか。洗って返します」
「それ、うちで洗うから置いてっていいよ」
「でも、髪まで拭いたので」
「使ってもらうために出したんだから。置いてって」
白雪は膝の上のタオルを見た。
「……じゃあ、お願いします」
俺が手を出すと、彼女は丁寧に畳んでから渡した。
玄関で傘を開く前に、白雪が制服の袖を触った。ほとんど乾いていた。俺も鞄を持って靴を履く。
「どこか行くんですか」
「コンビニ。明日のパン、買ってないから」
「じゃあ、途中までですね」
白雪がドアを押さえて待ってくれた。
鍵をかけて振り返ると、彼女は傘を開かずに立っていた。
「もう止んでるな」
「はい」
二人で歩き出した。洗濯は終わっていたけれど、商店街の角までは、まだ隣にいられた。




