第2話 全国大会へ
どこまでも続く一本道。
窓の外には、見渡す限りの乾いた大地が広がっていた。
その道路を、一台の大型車両運搬トラックが走っている。
荷台には白いパジェロ。
ボンネットには、大きな白ウサギのキャラクター。
桜ヶ丘女子高校ラリー部の愛車、『もちもち号』だ。
「せんせー! あと何時間!?」
「あと二時間くらいかな」
「ええーっ! まだそんなに!?」
トラックの助手席で声を上げたのは、高校三年生の高瀬夏帆。
運転席では、顧問の早乙女沙織がハンドルを握っていた。
「夏帆、さっきも聞いたでしょ」
隣に座る橘美緒が呆れた声を出す。
「だって、早く着きたいじゃん!」
「着いたら車両点検だよ。遊びに行くんじゃないんだから」
「分かってるって!」
「本当に?」
「分かってますー!」
早乙女先生が笑った。
「元気だねえ。昨日まで学校で散々準備してたのに」
「だって全国大会ですよ! 全国!」
「三回目でしょ?」
「三回目でも楽しみなものは楽しみなの!」
夏帆が胸を張る。
全国女子高生オフロード選手権。
全国各地の予選を勝ち抜いた女子高校が集まり、優勝を争う年に一度の大イベント。
今年の開催地は、広大な砂丘と岩山が広がるセリオ砂漠。
大会期間中は全国から観客が集まり、テレビ中継も行われる。
そして桜ヶ丘女子高校は、二年連続準優勝。
今年も優勝候補の一角として注目されていた。
「ねえ先生」
「ん?」
「今年こそ優勝できると思う?」
夏帆が聞くと、早乙女先生は少し考えてから答えた。
「さあねえ」
「えーっ!」
「先生に分かるわけないでしょ。全国には速い子がいっぱいいるんだから」
「そこは『絶対できる!』って言ってよ!」
「じゃあ、絶対できる!」
「適当すぎる!」
車内に笑い声が響いた。
そのときだった。
「あっ!」
美緒が窓の外を指さした。
「夏帆、あれ!」
「ん?」
隣の車線を、一台の車両運搬トラックが走っていた。
荷台には黄色いジムニー。
ボンネットには、プリンを頭に載せたヒヨコのキャラクターが描かれている。
「あーっ! ぷりん号だ!」
「去年も出てた学校だよね」
「うん! あの小さい車で岩場をすいすい走るところ!」
夏帆が窓越しに手を振った。
すると、向こうのトラックの助手席からも、女子高生が手を振り返してきた。
「あっ! 気づいた!」
「夏帆、窓から身を乗り出さない!」
「はーい!」
早乙女先生が笑いながら言った。
「みんな考えることは同じだね。今日は全国から、ああやって車を運んでるんだよ」
夏帆は窓の外を見つめた。
黄色いジムニーを載せたトラックが、少しずつ遠ざかっていく。
「……なんか、始まるって感じがするね」
「うん」
美緒も頷いた。
◇
二時間後。
「見えたーっ!!」
夏帆が叫んだ。
道路の向こうに、巨大な砂丘が姿を現した。
その手前には、色とりどりの旗。
さらに、数え切れないほどの大型トラックやトレーラーハウスが並んでいる。
大きな仮設観客席。
中継用の鉄塔。
空には試験飛行中のヘリコプターまで見えた。
「すごーい!」
「去年より会場、大きくない?」
「今年は観客席が増えたらしいよ」
早乙女先生が答える。
「ほら、あそこが選手村」
先生が指さした先には、大きな整備エリアが広がっていた。
学校ごとに区画が分けられ、整備用のテントやトレーラーハウスが並んでいる。
そして、そのあちこちに――。
「あっ! 赤いパジェロ!」
「向こうはランドクルーザーだね」
「うわっ! あのジムニー、タイヤでっか!」
夏帆が次々と指をさす。
赤、青、黄色、緑。
全国から集まったオフロード車たち。
そのボンネットには、それぞれの学校が大切にしているキャラクターが描かれていた。
猫。
犬。
クマ。
ペンギン。
なかには、どう見ても手描きのタヌキらしきものまでいる。
「美緒! 見て! あのタヌキ!」
「……あれ、キツネじゃない?」
「えっ!?」
早乙女先生が吹き出した。
「どっちでもいいから、まず受付に行くよ」
「はーい!」
トラックは桜ヶ丘女子高校に割り当てられた区画へ入っていった。
◇
「先輩たちーっ!」
トラックが止まると、元気な声が飛んできた。
振り向けば、二人の女子高生が駆け寄ってくる。
桜ヶ丘女子高校ラリー部の二年生、三好結衣と青山菜月だ。
二人は大会の送迎バスで、一足先に到着していた。
「お疲れさまです!」
「おー! 結衣! 菜月!」
夏帆が手を振る。
「もう荷物は運んだ?」
「はい! トレーラーハウスも確認しました!」
「整備スペースの準備もできてます!」
「優秀優秀!」
夏帆が二人の頭をぽんぽんと撫でる。
「先輩、子供扱いしないでください!」
「えへへ!」
その間に早乙女先生と美緒が車両の固定具を外し、荷台のスロープを下ろしていた。
「夏帆ー! もちもち降ろすよ!」
「はーい!」
夏帆は急いで運転席へ向かった。
エンジンをかける。
低い音が響き、白いパジェロがゆっくりと動き出した。
早乙女先生の誘導に従い、スロープを慎重に下っていく。
そして、もちもち号は全国大会の大地へ四つのタイヤを下ろした。
「到着ーっ!」
夏帆が窓から顔を出す。
「もちもち! 今年も全国に来たよ!」
美緒が助手席に乗り込む。
「はいはい。まずは整備スペースまで移動」
「はーい!」
パジェロがゆっくりと走り出す。
桜ヶ丘女子高校の区画には、白いトレーラーハウスが一台用意されていた。
その横には大きな日除けが張られ、整備用の工具箱や作業台が並んでいる。
大会期間中、ここが彼女たちの拠点になる。
「よーし! まずはタイヤから!」
夏帆が車を降りる。
「結衣、空気圧お願い!」
「はい!」
「菜月は工具の確認!」
「了解です!」
「美緒は……」
「私は先生と車体の下回りを見るから」
「おっけー!」
四人の女子高生が、さっそく作業を始めた。
セーラー服の上から作業用のつなぎを羽織り、車の周りを忙しく動き回る。
タイヤ。
サスペンション。
エンジン。
ブレーキ。
何度も確認してきた場所を、もう一度丁寧に点検する。
そして最後に。
「あっ!」
菜月がボンネットを覗き込んだ。
「先輩! もちもちの耳、直ってますね!」
「そうなの!」
夏帆が嬉しそうに答える。
「地区予選で傷ついちゃったから、美緒と塗り直したんだ!」
「かわいいです!」
「でしょー!」
美緒が横から口を挟んだ。
「ちょっと耳が大きくなっちゃったけどね」
「やっぱり大きくなってるんじゃん!」
「……気のせい」
「今、自分で言ったよね!?」
四人が笑った。
◇
「あれー? 見覚えのある白ウサギがいると思ったら!」
突然、背後から声がした。
夏帆が振り向く。
そこには、黒いランドクルーザーの前で腕を組んでいる女子高生がいた。
黒百合女学院の三年生。
黒瀬凛。
昨年の全国大会で優勝したドライバーだ。
「あーっ! 凛!!」
夏帆が駆け寄る。
「久しぶりー!」
「久しぶり! 今年も来たねえ!」
「当たり前でしょ!」
凛がにやりと笑った。
「また二位を取りに来たの?」
「違うわよーっ!!」
夏帆が叫ぶ。
「今年こそ優勝するんだから!」
「あはは! 去年も同じこと言ってた!」
「今年は違うもん!」
「一昨年も言ってたんじゃない?」
「うるさーい!」
二人が笑い合う。
そこへ美緒も歩いてきた。
「凛、久しぶり」
「あっ、美緒! 元気だった?」
「うん。そっちは?」
「元気元気!」
凛が親指を立てる。
すると、黒いランドクルーザーの助手席から、もう一人の女子高生が顔を出した。
「凛ー! 何してるの?」
「桜ヶ丘の二人が来てる!」
「あっ! 美緒!」
黒百合女学院のナビゲーター、倉橋梓だった。
「梓! 久しぶり!」
美緒が手を振る。
梓は駆け寄ると、嬉しそうに笑った。
「今年も会えたね!」
「うん!」
「地区予選どうだった?」
「一応一位だったよ」
「さすが!」
四人が楽しそうに話し始めた。
全国大会の常連校同士。
一年生の頃から何度も顔を合わせ、一緒に大会を戦ってきた仲間たちでもある。
競技中は一歩も譲らないライバル。
しかし、レースが終われば普通の女子高生。
互いの学校の話をしたり、車の整備を手伝ったり、ときには大会の夜に一緒にお菓子を食べたりもする。
「そういえば!」
夏帆が黒いランドクルーザーを見上げる。
「くろまる、今年もピカピカだね!」
ボンネットには、丸い顔をした黒猫のキャラクターが描かれていた。
車体は黒。
そこに赤いラインが入った、迫力のあるランドクルーザー。
愛称は『くろまる号』。
「でしょ? 今年はちょっと塗装も変えたんだ!」
「かっこいいー!」
「もちもちも相変わらずかわいいじゃん!」
「えへへ!」
夏帆が嬉しそうに笑う。
すると凛は、少しだけ真面目な顔になった。
「……でもさ、夏帆」
「ん?」
「今年も負けないからね」
夏帆は一瞬きょとんとした。
そして、にやりと笑った。
「こっちの台詞!」
「へえ?」
「今年こそ、くろまるを抜いてやる!」
「できるかなー?」
「絶対できる!」
凛が拳を差し出した。
夏帆も拳を合わせる。
「決勝で会おうね!」
「もちろん!」
その横で、美緒と梓が顔を見合わせた。
「……二人とも変わらないね」
「ほんと。去年とまったく同じこと言ってる」
「一昨年もね」
二人は笑った。
◇
「おや、早乙女さんじゃないですか!」
整備エリアの向こうから、年配の男性が歩いてきた。
大会の運営スタッフらしい。
「あら、お久しぶりです!」
早乙女先生が笑顔で挨拶する。
「今年も教え子たちを連れてきました」
「いやあ、桜ヶ丘は毎年強いですねえ。二年連続準優勝でしょう?」
「生徒たちが頑張ってくれていますから」
「ははは! 早乙女さんが現役だった頃を思い出しますよ!」
「もう、昔の話ですよ」
その会話を、夏帆が聞き逃すはずもなかった。
「先生!」
「ん?」
「現役って何!?」
「何って……」
「現役レーサーだったの!?」
早乙女先生は少し困ったように笑った。
「言ってなかったっけ?」
「聞いてない!」
「私も初耳です」
美緒も驚いていた。
「先生も昔、ラリー部だったんですか?」
「そうだよ。高校生の頃ね」
「えええーっ!!」
夏帆が大声を上げる。
「じゃあ全国大会にも出たの!?」
「出たよ」
「何位だった!?」
「さあ、何位だったかなあ」
「絶対覚えてるでしょ!」
「さあねえ」
早乙女先生は楽しそうに笑った。
「ほらほら、そんなことより車両点検。明日から予選なんだから」
「えーっ! 教えてよー!」
「優勝できたら教えてあげようかな」
「ずるい!」
美緒が笑った。
「夏帆、先生の昔話は大会が終わってから聞こうよ」
「むう……」
夏帆は不満そうに頬を膨らませた。
だが、すぐに顔を上げた。
「よーし! じゃあ優勝して聞き出してやる!」
「そこが目的じゃないでしょ!」
また笑い声が響いた。
◇
夕方。
車両の最終点検を終えた桜ヶ丘女子高校の部員たちは、トレーラーハウスの外で夕食を取っていた。
折りたたみ式のテーブルには、サンドイッチや飲み物が並んでいる。
「うん! おいしい!」
夏帆がサンドイッチを頬張る。
「夏帆先輩、食べるの早すぎません?」
結衣が笑う。
「だってお腹すいたんだもん!」
「まだいっぱいありますから」
「やった!」
そんなやり取りの横で、美緒は大会のコース図を広げていた。
「先生、今年の予選コース、去年と全然違いますね」
「そうだね。砂丘だけじゃなくて、岩場も多いみたい」
「この辺り、かなり狭そうです」
「もちもちなら通れると思うよ。ただ、通り方は考えないとね」
早乙女先生が地図を覗き込む。
夏帆もサンドイッチを片手に顔を近づけた。
「んー? こっちのルートの方が短くない?」
「短いけど、急斜面がある」
「いけるいける!」
「まだ何も見てないでしょ!」
「だって、もちもちなら大丈夫だもん!」
美緒はため息をついた。
「……明日、ちゃんと現地の地形を確認してから決めるからね」
「はーい!」
早乙女先生が笑う。
「まあ、二人で決めなさい。先生は車の準備を手伝うだけだから」
「はい!」
二人が同時に返事をした。
大会が始まれば、ハンドルを握るのは夏帆。
進む道を判断するのは美緒。
顧問も後輩も、レース中は二人の判断を信じて見守るしかない。
それが、この競技だった。
◇
夜。
広い選手村には、まだあちこちに明かりが灯っていた。
整備を続けている学校もあれば、翌日の作戦会議をしている学校もある。
遠くからは女子高生たちの笑い声が聞こえてきた。
夏帆は一人、もちもち号の前に立っていた。
月明かりに照らされた白いボンネット。
そこには、いつものウサギが笑っている。
「……また来たね、もちもち」
夏帆が小さく呟いた。
一年生の夏。
初めての全国大会。
何もかもが新鮮で、ただ走るのが楽しかった。
結果は準優勝。
二年生の夏。
今度こそ優勝できると思っていた。
でも、また準優勝だった。
そして、三年生。
これが最後の全国大会。
「今年こそ、勝とうね」
夏帆がボンネットをそっと撫でた。
「……誰と話してるの?」
背後から声がした。
美緒だった。
「もちもち!」
「知ってる」
美緒が隣に並ぶ。
二人で白いパジェロを見つめた。
「ねえ、美緒」
「ん?」
「三年間、早かったね」
「……そうだね」
「最初さ、二人でこのウサギ描いたじゃん」
「うん」
「美緒、絵が下手だったよね!」
「夏帆よりは上手だったでしょ!」
「あはは!」
夏帆が笑う。
美緒もつられて笑った。
「……でも、よく走ったよね。この子」
「うん」
夏帆が頷いた。
「何回も壊しちゃったし」
「何回も直したね」
「今年も壊すかも!」
「壊さないでよ!」
「あはは!」
しばらく二人は笑っていた。
やがて、美緒がぽつりと言った。
「……今年で最後なんだね」
夏帆は空を見上げた。
砂漠の夜空には、無数の星が輝いている。
「うん」
少しだけ沈黙が流れた。
けれど夏帆は、すぐにいつもの笑顔に戻った。
「まっ! 最後なんだから思いっきり走ろう!」
「そうだね」
「絶対、優勝するよ!」
「うん!」
二人は顔を見合わせて笑った。
そのとき。
「夏帆先輩ー! 美緒先輩ー!」
トレーラーハウスから菜月の声が響いた。
「先生が、もう寝なさいって言ってますー!」
「はーい!」
夏帆が大きく手を振る。
そして、もう一度もちもち号を振り返った。
「じゃあね、もちもち!」
白いウサギは、いつものように笑っていた。
◇
翌朝。
セリオ砂漠に、最初のエンジン音が響いた。
続いて、二台、三台。
全国から集まったオフロード車たちが、次々と目を覚ましていく。
赤いパジェロ。
黄色いジムニー。
黒いランドクルーザー。
そして、白いパジェロ。
それぞれのボンネットには、かわいいキャラクターたち。
しかし、その車を操る女子高生たちの眼差しは真剣だった。
『おはようございます! 全国の皆さん!』
会場の大型スピーカーから、聞き覚えのある実況の声が響き渡る。
『いよいよ今年も始まります!』
『全国女子高生オフロード選手権!』
『歴代優勝校の名が刻まれた、あの大きな優勝杯を手にするのは、果たしてどの学校なのか!』
中継ヘリコプターが、ゆっくりと空へ舞い上がった。
夏帆はもちもち号の運転席に座り、ヘルメットをかぶった。
隣では美緒がシートベルトを締めている。
「準備いい?」
「いつでも!」
「よーし!」
夏帆がハンドルを握る。
「今年も行くよ! もちもち!」
白いパジェロのエンジンが、力強く唸った。
全国大会。
三年生、最後の夏。
そして、三度目の挑戦が始まる。
第2話 完




