第1話 白ウサギは砂煙を上げる
ドゴォォォン!!
乾いた大地に爆発音が響き渡った。
砂煙の向こうから、一台の白いパジェロが飛び出してくる。
大きなオフロードタイヤ。泥で汚れた車体。激しく上下するサスペンション。
そして、ボンネットには大きな白ウサギのキャラクターが描かれていた。
その名も――『もちもち号』。
『さあ、第三チェックポイントを通過した先頭集団! ここで順位に動きがありました!』
上空を飛ぶ中継ヘリコプターから、興奮した実況の声が響く。
『桜ヶ丘女子高校のもちもち号が、二台を一気に抜き去って現在第三位! 素晴らしい走りです!』
『相変わらず大胆ですねえ、高瀬選手は』
『そうなんです! ドライバーは高瀬夏帆、ナビゲーターは橘美緒! 全国大会二年連続準優勝という、誰もが知る実力派コンビです!』
『今年は二人とも三年生ですからね。最後の全国大会に向けて、まずはこの地区予選を勝ち抜きたいところでしょう』
ヘリコプターが白いパジェロを追いかける。
その車内では、二人の女子高生が真剣な表情で前方を見つめていた。
「美緒! 次の分岐は!?」
「三百メートル先! 右は岩場、左は砂地!」
「どっちが速い!?」
「左! でも砂が深いから気をつけて!」
「了解!」
高瀬夏帆。
短い茶色の髪をヘルメットに収めた、桜ヶ丘女子高校の三年生。
普段は明るく、よく笑い、少々お調子者。
しかしハンドルを握った瞬間、その表情は別人のように変わる。
助手席には橘美緒。
長い黒髪をまとめた、同じく三年生。
夏帆とは一年生の頃からコンビを組んでいる。
膝の上には大会専用の地図表示端末。ダッシュボードには、魔法の使用回数を示す小さな表示盤が取り付けられていた。
「前の車まで百メートル!」
「見えてる!」
「向こう、加速魔法を残してるはずだから!」
「じゃあ先に使わせちゃおう!」
「え?」
夏帆がアクセルを踏み込む。
エンジンが唸り、もちもち号が加速した。
「ちょっと夏帆! 砂が深いって言ったでしょ!」
「大丈夫! このくらいなら行ける!」
「去年もそう言ってスタックした!」
「去年の話はしないで!」
白いパジェロが砂丘の斜面を駆け上がる。
頂上が近づいた、その瞬間。
「夏帆、ジャンプする!」
「分かってる!」
車体が宙に浮いた。
ほんの一瞬。
四つのタイヤが大地を離れ、白いウサギが青空へ向かって跳ね上がる。
ドンッ!!
激しい衝撃とともに着地。
砂煙を巻き上げながら、もちもち号は走り続けた。
『跳んだーっ!! もちもち号、豪快なジャンプです!』
『見事な着地でしたね。あの速度で姿勢を崩さないのは、さすが高瀬選手です』
『ボンネットのウサギも喜んでいることでしょう!』
『それは分かりませんが』
実況席に笑い声が響いた。
◇
全国女子高生オフロード選手権。
全国の女子高校が参加する、人気のモータースポーツ競技である。
一台の車に乗るのは、ドライバーとナビゲーターの二名。
各学校はオフロード車を用意し、険しい地形に設けられたチェックポイントを通過しながら、ゴールへの到着順位を競う。
ただし、普通のレースとは少々違う。
『おっと! ここで第二位、朝霧女子高校のまめたろう号が攻撃態勢に入りました!』
緑色のランドクルーザー。
そのボンネットには、小さな手足の生えた枝豆のキャラクターが描かれている。
『魔法弾、発射ーっ!!』
車体後部の魔法発射器が青白く輝いた。
次の瞬間、一発の光弾が後方へ放たれる。
「夏帆! 来た!」
「見えてる!」
夏帆がハンドルを切った。
しかし、光弾は車体を追いかけてくる。
「追尾型! 防御使うよ!」
「お願い!」
美緒がダッシュボードの魔法操作盤に手をかざす。
「防御結界、展開!」
淡い青色の光がもちもち号を包み込んだ。
直後。
ドゴォォォン!!
光弾が結界に激突し、激しい爆発が起こる。
白いパジェロが砂煙の中から飛び出してきた。
「よし! 無事!」
「防御残りゼロだからね!」
「分かってる!」
「本当に分かってる!?」
「分かってるってば!」
『もちもち号、防御成功! しかし、これで車両防御魔法を使い切りました!』
『ここからが腕の見せどころですね』
『ちなみに、ご存じない方のために説明しておきましょう! 本大会では、出場選手全員に強力な身体保護結界が施されています!』
『選手本人を守るもので、競技中の衝突や爆発によって負傷することはありません』
『つまり、どれだけ激しいクラッシュが起きても選手は無事! ですが、車両は別です!』
『ええ。車が走行不能になれば、当然リタイアです』
『選手たちは安全! しかし愛車は守らなければならない! それがこの競技の特徴でもあります!』
その説明が終わった直後だった。
少し離れた砂丘の向こうで、赤い車両が横転した。
『ああっと! 桃花女子高校のいちごちゃん号が横転ーっ!!』
赤いパジェロが横向きに滑り、勢いよく転がる。
一回転。
二回転。
そして、タイヤを空へ向けた状態で停止した。
『これは厳しい! いちごちゃん号、ここでリタイアです!』
中継カメラが車両を映す。
しばらくすると、助手席のドアが開いた。
ピンク色のヘルメットをかぶった女子高生が、車から這い出してくる。
続いてドライバーも姿を見せた。
二人とも無傷だった。
しかし、ひっくり返った愛車を見た瞬間。
「いちごちゃあああん!!」
ドライバーが頭を抱えた。
その隣で、ナビゲーターが両手を腰に当てて何かを怒鳴っている。
『お二人とも元気そうですね!』
『ええ。ただ、車両の修理は大変そうです』
『いちごちゃん号、無念のリタイア! 救援車両の到着を待ちます!』
◇
「うわあ……いちごちゃん、ひっくり返っちゃった」
美緒が後方の砂煙をちらりと見る。
「大丈夫かな?」
「二人は大丈夫でしょ。でも車は大変そう」
「うちも気をつけないとね」
「分かってるって!」
夏帆がアクセルを踏み直す。
前方には、まめたろう号。
さらにその先を走る、黒いジープ。
現在の順位は第三位。
残るチェックポイントはひとつ。
そして、ゴールまで約八キロメートル。
「美緒、残りは?」
「ミサイル一発。加速魔法一回。防御ゼロ」
「十分!」
「何が十分なのよ」
「二台抜くには十分!」
夏帆が笑った。
美緒は呆れたようにため息をつく。
だが、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。
「……じゃあ、作戦変更」
「おっ?」
「前のまめたろう号、右側の岩場を抜けるはず。あの車は直線が速いけど、小回りはそんなに得意じゃない」
「つまり?」
「左の細いルートを使う」
「いいね!」
「ただし、途中に急な下り坂がある」
「問題なし!」
「そのあと九十度の右カーブ」
「いける!」
「最後に大きな段差」
「余裕!」
「……本当に聞いてる?」
「全部聞いてる!」
美緒は地図を拡大した。
「なら、最後の段差だけは絶対に飛ばないで。飛んだら着地で時間を失う」
「了解!」
夏帆は即答した。
美緒は少しだけ不安になった。
何しろ、このドライバーはジャンプが大好きなのだ。
◇
『さあ、先頭集団が最終チェックポイントへ接近!』
『ここから先は複数のルートを選べる区間になりますね』
『おっと! もちもち号が左へ進路を変更しました!』
『あちらは距離が短い反面、かなり狭い道です。車幅のあるパジェロには難しいルートですよ』
『これは勝負に出ました! 高瀬選手、ここで一気に順位を上げるつもりです!』
狭い岩場。
左右には大きな岩が並び、道幅は車体より少し広い程度しかない。
夏帆はアクセルを緩めた。
「右、あと五十センチ!」
「はい!」
「左に切って!」
「はい!」
「次、まっすぐ!」
「はい!」
「……なんで急にいい返事なの?」
「美緒先生の言う通りにしてるから!」
「普段からそうしてよ!」
もちもち号が岩場を抜ける。
続いて急な下り坂。
夏帆は速度を落とし、タイヤの接地感を確かめながら慎重に下った。
「ここから右カーブ!」
「了解!」
「その先、段差!」
「見えてる!」
夏帆がハンドルを切る。
車体が大きく傾いた。
だが、もちもち号は姿勢を崩さない。
そのまま段差の手前で減速し、四輪を地面につけたまま慎重に乗り越えた。
「よし!」
「ほら! 飛ばなくても速いでしょ!」
「美緒先生、さすが!」
「だから先生じゃないって!」
岩場の出口が見えた。
そして、広い砂地へ飛び出した瞬間。
二人の視界に、黒いジープが現れた。
「いた!」
「先頭車両!」
夏帆が叫ぶ。
いつの間にか、まめたろう号を追い抜いていた。
『なんとーっ!! もちもち号がショートカットルートを突破! 一気に第二位へ浮上しました!』
『あの狭い区間をほとんど減速せずに抜けましたね。高瀬選手の操縦も素晴らしいですが、橘選手のナビゲートも見事です』
『さあ、残るは一台!』
黒いジープの後ろに、白いパジェロが迫る。
ゴールまで、あと三キロメートル。
◇
「美緒、加速魔法!」
「まだ!」
「えーっ!」
「ここで使っても最後まで持たない!」
「じゃあいつ!?」
「ゴール前の直線!」
夏帆は舌を出した。
「分かりましたよー」
前を走る黒いジープも、簡単には抜かせてくれない。
左右に進路を変え、夏帆の追い越しを阻む。
さらに、後部の魔法発射器がこちらを向いた。
「ミサイル来る!」
「防御ないよ!」
「分かってる!」
発射。
光弾がもちもち号へ向かって飛んできた。
夏帆はハンドルを右へ切る。
続けて左。
タイヤが砂地を蹴り、車体が大きく横滑りした。
光弾が後方を通り過ぎる。
そして――
ドゴォォン!!
背後の岩場で爆発した。
『避けたーっ!! もちもち号、魔法弾を見事に回避!』
『これは素晴らしい! 車両防御魔法を使い切った状態で、よく避けましたね!』
『まさに二年連続準優勝コンビの実力です!』
車内。
「やった!」
「まだ終わってない!」
「分かってる!」
夏帆はアクセルを踏み続ける。
ゴールまで、あと一キロメートル。
黒いジープとの距離は、約二十メートル。
美緒が表示盤を確認した。
「夏帆!」
「何!?」
「最後の直線に入ったら使うよ!」
「待ってました!」
前方の地形が開けてくる。
長い直線。
その先には、ゴールゲートが小さく見えていた。
「三!」
美緒が数え始める。
「二!」
夏帆はハンドルをしっかりと握り直した。
「一!」
美緒が魔法操作盤に手をかざす。
「加速魔法、発動!」
車体を青白い光が包み込んだ。
次の瞬間。
グンッ!!
もちもち号が猛烈な勢いで加速した。
『出たーっ!! もちもち号、最後の加速魔法です!』
『これは絶妙なタイミング! ゴールまでの距離を計算していましたね!』
黒いジープとの距離が縮まる。
十五メートル。
十メートル。
五メートル。
そして。
「夏帆! 左から!」
「了解!」
白いパジェロが黒いジープの左側へ並ぶ。
二台がほぼ同時にゴールゲートへ迫った。
『並んだ! 並んだーっ!!』
『これは分かりません!』
「いっけえええええ!!」
夏帆が叫ぶ。
そして――。
二台がゴールラインを通過した。
『ゴォォォォール!!』
砂煙が舞い上がる。
白と黒の車両が並んだまま、ゆっくりと減速していった。
『さあ、どちらが先だったのか!? 非常に僅かな差です!』
中継ヘリコプターのカメラが、ゴール判定装置の表示を映し出す。
一瞬の沈黙。
そして。
『決まりましたぁぁぁ!!』
実況の声が響き渡った。
『第一位! 桜ヶ丘女子高校! もちもち号です!!』
観客席から歓声が上がる。
『高瀬夏帆! 橘美緒! 今年も素晴らしい走りを見せてくれました!』
『最後の加速魔法もそうですが、それまでの岩場での追い抜きが勝因でしたね』
『これで桜ヶ丘女子高校、全国大会への出場を決めました!』
◇
「やったああああ!!」
夏帆は車を停止させると、両手を上げた。
「勝った! 美緒! 勝ったよ!」
「ちょっと! まだシートベルト外してないでしょ!」
「えへへ!」
美緒も笑っていた。
そのまま二人は顔を見合わせる。
そして、同時に笑い出した。
「やったね!」
「うん!」
ヘルメットを外し、車から降りる。
春の青空の下、たくさんの観客の拍手が聞こえてきた。
夏帆はもちもち号の前へ回った。
砂と泥にまみれたボンネット。
その中央には、大きな白ウサギ。
ただし、右耳のあたりに小さな傷ができていた。
「あっ!」
「どうしたの?」
「もちもちの耳が!」
夏帆がボンネットを指さす。
美緒が覗き込んだ。
「あー……どこかで石が当たったのかな」
「うわああ、かわいそう!」
「このくらいなら直せるよ」
「ほんと!?」
「帰ったら塗り直そう」
「うん!」
夏帆は嬉しそうにウサギの絵を撫でた。
このキャラクターは、一年生の春に二人で描いたものだった。
最初はただの白いパジェロだった。
何か名前をつけようと言い出したのは夏帆。
ウサギの絵を描いたのは美緒。
名前を決めるのに、二人で一時間もかかった。
それから三年。
何度も泥だらけになった。
何度も修理した。
そして、全国大会で二度、準優勝した。
夏帆がぽつりと言った。
「ねえ、美緒」
「ん?」
「今年こそ、優勝しようね」
美緒は白いウサギを見つめた。
二年連続準優勝。
それは立派な成績だった。
学校でも祝福された。
新聞にも載った。
テレビにも出演した。
それでも。
二人が欲しかったのは、銀色のメダルではなかった。
「……うん」
美緒が頷く。
「今年こそ、全国一になろう」
「もちもちと一緒に!」
「もちろん」
夏帆は満面の笑みを浮かべた。
そのとき。
「桜ヶ丘女子高校の皆さーん!」
大会スタッフが駆け寄ってきた。
「表彰式が始まりますので、準備をお願いしまーす!」
「はーい!」
二人は元気よく返事をした。
そして夏帆は、もう一度だけもちもち号を振り返る。
「もちもち! 今年もよろしくね!」
ボンネットに描かれた白いウサギは、いつものように笑っていた。
◇
その日の夕方。
桜ヶ丘女子高校のレーシング部ガレージ。
「夏帆ー! そこ、もっと白く塗って!」
「えー? これでよくない?」
「よくない! 耳の形が変わってる!」
「じゃあ美緒がやってよー!」
「貸して!」
二人は、もちもち号のボンネットを挟んで絵筆を動かしていた。
レースで傷ついた白ウサギの耳。
その修復作業である。
夏帆が隣から覗き込む。
「……美緒」
「何?」
「なんか、前より耳が大きくなってない?」
「気のせい」
「絶対大きくなってるって!」
「気のせい!」
ガレージに笑い声が響く。
全国大会まで、あと三か月。
女子高生たちの最後の夏が、少しずつ近づいていた。
そして今年もまた、全国各地から、ボンネットにかわいいキャラクターを描いたオフロード車たちが集まってくる。
目指すものは、ただひとつ。
歴代優勝校の名が刻まれた、大きな優勝杯。
そこに、自分たちの学校の名前を残すために。
第1話 完




