第九十三話 十五分の真実
迎賓館の会談室には、十五分を計る砂時計が置かれた。
長机の向こうには、ドミニク公を含む三人の南方使節。
こちらには俺たちと、カサンドラの父親が座る。
「始めろ」
砂が落ち始めた。
カサンドラは立ち上がり、三通の書類を並べる。
「最初に申し上げます。こちらの署名は、すべてわたくしのものです」
「やはり自白ではないか!」
若い使節が机を叩く。
「最後まで聞け」
ドミニク公が止めた。
「紫睡蓮の涙を購入した目的は、毒殺事件の研究です。研究機関の受領証もございます」
ヴィオレッタが原本を差し出す。
「三使節を予備会談から外したのも事実。ただし、従者の一部に賄賂の疑いがあったためです」
「我々を侮辱したことに変わりはない」
「はい。証拠を示さず、一方的に排除した点は、わたくしの誤りです」
カサンドラは頭を下げた。
「その件につきましては、謝罪いたします」
使節たちが顔を見合わせる。
言い訳を続けると思っていたのだろう。
「だが、お前が暗殺を企てていない証明にはならん」
「その通りでございます」
「では、何を信じろというのだ?」
カサンドラは扇子を閉じたまま答えた。
「わたくしを、すぐに信じていただく必要はございません」
「何?」
「ですが、わたくしを疑うのと同じように、その書類も疑ってくださいませ」
彼女は自分の手首をさらす。
紫色の契約文字が、皮膚の上で脈打っていた。
「署名は本物でも、意思まで本物とは限りません」
ユリアナも左手を机へ置いた。
「私の立会署名も利用されました。私はカサンドラが自由意思で毒を用意したとは確認していません」
その瞬間、金文字が腕を駆け上がる。
『立会人は証言せよ』
ユリアナの身体が立ち上がった。
「私は天秤の聖女として証言します。カサンドラ・ヴェルレーヌは、自らの意思で――」
「ユリアナ様」
カサンドラが呼びかけた。
「今のお言葉は、ご自分で選ばれたものですか?」
ユリアナの唇が震える。
「……いいえ」
金文字が強く食い込み、血が流れた。
「では、あなたが実際に見たことだけを、お答えください」
カサンドラは一つずつ尋ねる。
「わたくしが毒を購入する場面を、ご覧になりましたか?」
「いいえ」
「毒瓶を受け取る場面は?」
「見ていません」
「わたくしが暗殺の意思を口にしたことは?」
「一度もありません」
「今、わたくしを罪人だと断定できますか?」
「できません」
金文字がユリアナを締めつける。
それでも、彼女は最後まで言い切った。
「私が証明できるのは、私たち二人が契約に強制されているという事実だけです」
ユリアナが膝をつき、俺は慌てて身体を支えた。
「大丈夫か!?」
「安い男に支えられるほどではありません」
「さっきのまだ引っ張るのかよ!」
「ですが……少しだけ、このままで」
声が震えていた。
カサンドラは再び使節たちへ向き直る。
「毒瓶の中身は無力化いたしました。杯に塗られた毒も除去しております。いずれも皆様の検査官へお渡しします」
「王国側の調査結果など信用できん」
「ですから、南方側でお調べください」
カサンドラは毒瓶と、封印された黒薔薇を机の中央へ置いた。
「証拠の管理も、茶会場の警備も、双方で行います。王国だけに任せる必要はございません」
「家の不名誉を、他国へ晒すつもりか?」
ドミニク公の問いに、侯爵が立ち上がった。
「白百合商会との契約へ署名したのは私だ」
「お父様……」
「隠し条項を見抜けず、執事長へ権限を与えた責任も、当主である私にある」
侯爵は娘ではなく、自分の家紋章を机へ置いた。
「ヴェルレーヌ家の交易権を保証として差し出す。調査が終わるまで、南方との新規契約も凍結する」
「その損失が分かっているのか?」
「娘一人へ、我が家すべての責任を負わせるよりは安い」
カサンドラが父親を見つめる。
侯爵は、その視線から逃げなかった。
やがて、砂時計の最後の一粒が落ちた。
ドミニク公が立ち上がる。
「疑いが消えたわけではない」
「承知しております」
「茶会には出席する。我々自身の目で、何が起こるか確かめる」
若い使節が反対しようとしたが、ドミニク公は手で制した。
「ただし、一つでも事実を隠せば、その時点で帰国する」
「お約束いたします」
「契約書にするか?」
試すような問いだった。
カサンドラは、ゆっくり首を横に振る。
「いいえ。今度は、言葉を信じていただけるよう努めます」
使節たちは、帰国用の荷を馬車から降ろし始めた。
戦争へ向かおうとしていた車輪が、ひとまず止まる。
毒の茶会まで、残り二時間。
次に向き合うのは、国中が見守る公の席だった。




