第八話 閉ざされた井戸
「ヴィオレッタ」
先を歩く彼女を追いかける。
「さっきのこと、気にするなよ」
「気にしていません」
「でも、傷ついただろ」
ヴィオレッタの足が止まった。
「……なぜ、そう思うのです?」
「俺だったら傷つくから」
それ以外に理由はない。
悪いことをしていないのに恐れられ、差し出した手まで拒まれたら、誰だってつらい。
「あなたと一緒にしないでください」
そう言って歩き出したが、先ほどより少しだけ歩調が遅くなった。
俺が隣へ追いつくのを、待っていたようにも見えた。
◇
街の中央には、大きな共同井戸があった。
周囲には水をくみに来た住民たちが並んでいる。
「ずいぶん混んでるな」
「この辺りには、井戸が一つしかないのでしょうか」
ヴィオレッタが地図を確認する。
「記録では、三か所あるはずです」
「東側の井戸は、ひと月前から濁って使えません」
近くにいた老人が答えた。
「南側も、変な臭いがするようになりまして……今使えるのは、ここだけです」
「管理者へ報告は?」
「何度もしました。ですが、調査には金がかかると……」
ヴィオレッタの表情が険しくなる。
「井戸の管理費は、毎月徴収されているはずです」
「それは払っています。払わなければ、水を止めると言われますので」
「管理費を受け取りながら、修理をしていない……?」
ヴィオレッタは手帳を取り出し、老人の話を書き始めた。
そのときだった。
「お母さん、水くんできたよ!」
小さな男の子が、井戸から離れていく。
両手で抱えた木の器には、くんだばかりの水が入っていた。
男の子は母親のもとへ向かう途中で、器に口をつける。
一口飲んだ直後、その体がふらついた。
「うっ……」
器が地面に落ちる。
俺より先に、ヴィオレッタが駆け出していた。
「危ない!」
倒れかけた男の子を抱き止める。
ヴィオレッタは汚れることも気にせず、その場に膝をついた。
「息が浅い。誰か、医師を呼んでください!」
だが、住民たちは動かなかった。
ヴィオレッタに抱かれた子供を、恐れるように見ている。
「何してる! 早く医者を呼んでくれ!」
俺が叫ぶと、ようやく一人の男性が走り出した。
「アルト。この子の体を横向きにしてください」
「分かった」
男の子を受け取る。
ヴィオレッタは立ち上がると、地面にこぼれた水を指先ですくった。
「飲むなよ!」
「分かっています」
指についた水の臭いを確かめ、今度は胸元から銀色の飾り針を抜いた。
水へ触れさせた瞬間、銀色だった針が黒く変わる。
「やはり……毒が混じっています」
その言葉に、住民たちが騒ぎ始めた。
「毒だって?」
「俺たちは毎日、この水を飲んでいたんだぞ!」
「今すぐ井戸を閉鎖してください」
ヴィオレッタが護衛へ命じる。
「公女様、ですが、ここを閉じれば住民の水がなくなります」
「ローゼンベルク家の備蓄水を運ばせます。安全が確認されるまで、代金は必要ありません」
「ただちに手配いたします!」
護衛の一人が走り出した。
しかし、住民たちの不安は消えない。
「急に水を止めるなんて……」
「俺たちを追い出すつもりじゃないのか?」
「黒薔薇公女が、どうして市民を助けるんだ」
ヴィオレッタは何も言い返さなかった。
井戸の縁へ近づき、浄化装置を調べ始める。
「魔石が割られています」
「古くなって壊れたのか?」
「いいえ」
ヴィオレッタが、ひび割れた石を取り外す。
「自然に割れたのなら、亀裂は外側から入ります。これは内側の術式を壊されている」
「誰かが、わざと?」
「その可能性があります」
魔石の裏側を確認したヴィオレッタの顔が、固まった。
そこには、小さな紋章が彫られていた。
何重にも重なる、黒い薔薇。
ヴィオレッタが乗ってきた馬車と、同じ紋章だった。
「ローゼンベルク家の紋章……」
誰かがつぶやいた。
住民たちの疑うような視線が、一斉にヴィオレッタへ向けられた。




