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第八十八話 値札をつけられた少女

「ベルナールの部屋を調べます」


 カサンドラは、迷わず執事長の私室へ向かった。


「王宮へ急がなくていいのか?」


「あの方は捕まるような場所に、証拠を持っては行きません」


「なぜ分かる?」


「ベルナールは、わたくしに交渉のすべてを教えた人ですから」


 自分とよく似た人間だから分かる。


 そう言っているように聞こえた。


 ユリアナは王宮へ魔法伝書を送り、ベルナールの拘束こうそくを要請した。


 俺たちは侯爵とともに、執事長の部屋へ入る。


 室内には、家具すらほとんどなかった。


「何もないな」


「いいえ」


 カサンドラは本棚の前へ立ち、三冊目の帳簿ちょうぼだけを抜いた。


「ベルナールは、価値のない空白を嫌います」


 本が抜けた奥に、小さな鍵穴が隠されていた。


 侯爵から借りた鍵を差し込むと、壁の一部が開く。


 中には、紫色の革表紙が何十冊も並んでいた。


「これは……」


 カサンドラが最も古い一冊を開く。


 表紙には、こう書かれていた。


『カサンドラ・ヴェルレーヌ育成記録』


 最初の日付は、彼女が五歳の頃だった。


『笑顔の訓練――銀貨十枚』


『感情抑制教育――金貨一枚』


『友人候補の身辺調査――銀貨二十枚』


 ページをめくるたび、カサンドラの幼い頃が金額へ変えられていく。


『令嬢エマとの交友を終了。利益なし』


『負傷した侍女を解雇。情による判断を矯正』


「違います……」


 カサンドラの声が震えた。


「その侍女は、実家で療養りょうようさせるために、お金を渡して帰しただけです」


 だが、社交界には「怪我をした侍女を冷酷に捨てた」と広められていた。


 次の帳簿には、噂を流した者への支払いが記されている。


『紫扇侯女の呼称、定着』


『毒物収集の噂、拡散完了』


『孤立状態、良好』


「全部、わざとだったのか……」


 未来でカサンドラが毒を使ったと信じられたのも、この噂があったからだ。


「ベルナールが、わたくしを守ってくださっていると思っておりました」


 カサンドラは笑った。


「親しく近づく者は財産を狙っている。優しい言葉には必ず裏がある。だから、誰も信じてはならないと――」


「笑うなよ」


「アルト様?」


「悲しいなら、悲しい顔をしろよ」


「これくらいで傷つくようでは、ヴェルレーヌ家の――」


「五歳からずっと騙されてたんだぞ。傷ついて当たり前だろ!」


 扇子を握る指から血がにじむ。


 俺はそっと、その扇子を取り上げた。


 今度は、カサンドラも抵抗しなかった。


「わたくしは……本当に、嫌われることもしてまいりました」


「じゃあ、それは謝ればいい」


「それでも、そばにいると?」


「してないことまで、お前の罪にする必要はないだろ」


「もし、わたくしが皆様の思うような優しい人間でなかったら?」


「悪いやつは、追い出した侍女が今も薬を買えてるかなんて調べない」


 帳簿の余白には、カサンドラ自身の筆跡で、侍女へ送った薬代が記されていた。


「お前、自分でずっと送ってたんだろ」


「……どうして、それを」


「さっき逆さまに持ったとき見えた」


「偶然ではありませんか!」


「そうだけど」


 レティシアが小さく頷く。


「アルトだから仕方ない」


「どういう意味だよ!」


 ヴィオレッタが呆れながらも、カサンドラの血がにじむ手へ布を巻いた。


 ユリアナは帳簿を閉じ、深く頭を下げる。


「私も、あなたの噂を事実だと思っていました。確かめようともせずに」


「天秤の聖女が、悪女へ謝罪なさるのですか?」


「肩書ではなく、あなたへ謝罪しています」


 カサンドラの瞳から、一粒だけ涙が落ちた。


 彼女自身が、誰より驚いていた。


 最後の帳簿には、今日の日付が記されている。


『育成完了』


『最終価値――南方同盟崩壊のためのにえ


『引渡場所――王宮玻璃温室はりおんしつ


     ◇


 俺たちはすぐに王宮へ戻った。


 玻璃温室の前には、ユリアナが送ったはずの衛兵たちが倒れている。


 扉の向こう。


 太陽紋の杯を磨きながら、老執事が穏やかに笑っていた。


「お待ちしておりました、カサンドラお嬢様」


 カサンドラに笑顔を教えた男は。


 彼女が泣いているのを見ても、値踏みするように目を細めただけだった。

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