第八十一話 天秤の聖女の偽証
「カサンドラ・ヴェルレーヌ。王族毒殺未遂の容疑で、あなたを拘束します」
ユリアナが告げると、衛兵たちが一斉に踏み込んできた。
「待ってくれ!」
俺はカサンドラの前に立った。
「そいつは自分で毒を盗んだんじゃない。契約に動かされてるんだ!」
「退きなさい。市民枠の学生が口を挟んでよい状況ではありません」
「身分の話ならあとでいくらでも怒られる! 今はこいつの手を見てくれ!」
カサンドラの右手には、紫色の文字が浮かんでいた。
『毒薬受領――未完了』
指先は床の小瓶へ向かおうと震え続けている。
ユリアナの青い瞳が細められた。
「カサンドラ。これは何ですか?」
「わたくしが、とても恐ろしい悪女だという証拠では?」
扇子の奥で、カサンドラが笑う。
だが、その唇から赤い血が落ちた。
「もう聞くな!」
「私は事実を確認しているだけです」
「答えたら、こいつの心臓が止まるんだよ!」
その言葉に、ユリアナの表情が初めて揺れた。
彼女はすぐに片手を上げ、衛兵を止める。
「……契約術による発言封鎖の可能性を認めます。ただし、それだけで無実とは断定できません」
「まだ疑うのか?」
「疑うことと、罪人だと決めつけることは違います」
冷たい言い方だった。
けれど、衛兵たちにカサンドラを捕らえさせなかった。
ヴィオレッタが一歩進み出る。
「管理記録には、原本の受取人としてあなたの名があったわ。説明してくださる?」
「私は立会人として封印を確認しただけです。内容に不備がないことを誓約し、その後、原本は王宮儀礼官が誓約法廷へ運びました」
「隠された文字には気づかなかったのですか?」
レティシアの問いに、ユリアナは首を横に振った。
「私の前では、一文字も存在しませんでした」
その瞬間だった。
床の毒瓶が紫色に明滅した。
同時に、ユリアナの左手首へ金色の文字が浮かび上がる。
『立会人は、毒薬が署名者の所有物であると認定する』
「な……」
ユリアナが息を呑む。
さらに文字が続いた。
『署名者が自由意思で犯行に及んだと証言せよ』
「そんな誓約はしていません!」
否定した途端、金色の文字が手首へ食い込んだ。
ユリアナの身体が勝手に衛兵たちへ向き直る。
「私、ユリアナ・アストレアは、立会人として証言します。カサンドラ・ヴェルレーヌが――」
「言うな!」
俺が叫ぶと、ユリアナは歯を食いしばった。
それでも唇が動こうとする。
カサンドラは苦痛に震えながら、扇子を閉じた。
「おやめくださいませ、天秤の聖女様」
「あなたに……心配される理由はありません」
「ええ。ありませんわ。ですから、これは取引ではございません」
カサンドラは笑わなかった。
「あなたが嘘を口にすれば、きっとご自分を許せなくなるでしょう?」
ユリアナの目が見開かれる。
金色の文字がさらに輝く。
それでも彼女は、自分の胸に手を当てて言い切った。
「私は――確認していないことを、真実とは認めません」
金の文字に亀裂が走った。
ユリアナは膝をついたが、偽りの証言は完成しなかった。
「全員、武器を下げなさい」
荒い息のまま、彼女は衛兵へ命じる。
「夜明けまで拘束は保留。私自身が、この契約を調査します」
「信じるのか?」と俺が聞く。
「いいえ。まだ誰も信じません」
ユリアナはカサンドラをまっすぐ見た。
「だからこそ、調べます。真実を決めつけないために」
紫と金、二つの契約文字が同時に脈打つ。
そして、新たな一文が浮かび上がった。
『立会人証言の完了まで――残り十二時間』
狙われていたのは、カサンドラだけではない。
悪女を罪人にするために、聖女の正しさまで利用されていた。




