第八十話 真夜中の茶会準備室
深夜十一時。
王太子の誕生茶会が開かれる、王族用の大広間へ忍び込んだ。
正確には、ヴィオレッタが公爵家の権限で外門を開かせた。
「これ、忍び込んだって言うのか?」
「許可を取れば、侵入ではないわ」
「茶会準備室へ入る許可までは取っていない」
レティシアが指摘する。
「細かいことはいいのよ」
「俺が言ったら怒るくせに」
カサンドラが扇子の奥で笑う。
「皆様、意外と規則を気にされないのですね」
「王太子が死ぬよりはましでしょう」
準備室の前には、石でできた人形が立っていた。
胸元に『誓約守』と刻まれている。
「質問へ嘘を答えると、警報が鳴ります」
カサンドラが小声で説明した。
「では、私が答えるわ」
ヴィオレッタが人形の前へ立つ。
『王家の財産を奪う目的で来たか』
「いいえ」
『王太子へ危害を加える目的か』
「いいえ」
『王太子を脅威から守る意思があるか』
「ええ」
人形の目から光が消え、扉が開いた。
「入れるのか?」
「嘘は一つも言っていないもの」
「許可の有無を聞かれなかった」
レティシアが言う。
「契約とは、書かれている言葉がすべてです」
カサンドラの笑みが、一瞬だけ苦くなる。
「書かれていない善意まで、守ってはくれません」
◇
準備室には、茶器や座席表、給仕の手順書が並んでいた。
「式次第の原本は、黒い保管箱です」
カサンドラが奥の棚を示す。
箱には彼女の署名と、王家の封印。
ヴィオレッタが封印を調べ、レティシアが周囲の罠を確認する。
「開けるわよ」
箱の中から、一冊の式次第が出てきた。
カサンドラが頁をめくる。
「これです」
最後の頁には、彼女の署名。
けれど、手首へ刻まれている毒殺の条項は書かれていない。
「隠されてるだけじゃないのか?」
「いいえ。この紙からは契約魔力を感じません」
「偽物?」
「保管されているのは写しです」
カサンドラの顔色が変わる。
「署名した原本が、別の場所へ移されています」
ヴィオレッタが箱の底から、管理記録を見つけた。
『原本受領者――ユリアナ・アストレア』
「誰だ?」
「茶会の儀礼責任者です」
カサンドラが答える。
「司法を担うアストレア侯爵家の令嬢。そして、七人の聖女の一人」
「天秤の聖女か」
レティシアも知っているらしい。
「嘘を何より嫌う女だ」
「私とは、最も相性が悪い方ですわ」
そのとき、準備室の時計が鳴った。
午前零時。
カサンドラの右腕に刻まれた文字が輝く。
「何が起きた?」
「身体が……!」
彼女の意思に反して、右手が棚へ伸びる。
何もなかったはずの壁から、小さな扉が現れた。
中には、紫色の小瓶。
「紫睡蓮の涙です!」
カサンドラの指が瓶をつかもうとする。
俺は反射的に、その手首を止めた。
「離してください! 契約に逆らえば――」
紫色の文字が腕を締めつける。
カサンドラの口元から血が流れた。
「なら、瓶だけ取る!」
彼女の手と瓶の間へ、自分の袖を挟む。
直接触れずに小瓶を床へ落とし、レティシアが靴で押さえた。
だが、契約の文字は消えない。
『毒薬受領――未完了』
カサンドラの右手が、何度も瓶へ伸びようとする。
「割ればいいのか?」
「駄目よ。気化しても毒になるわ!」
ヴィオレッタが黒薔薇で小瓶を包む。
その瞬間、準備室の扉が開いた。
「そこで何をしているのですか?」
白と金の制服を着た少女が立っていた。
真っ直ぐな金髪。
澄んだ青い瞳。
胸元には、銀色の天秤の飾り。
「ユリアナ……」
カサンドラが、再び扇子で口元を隠した。
ユリアナ・アストレア。
入学式で称賛されていた七人の聖女の一人。
その後ろには、王族警護の衛兵たちが並んでいる。
「王族の準備室へ無断で侵入し、盗まれた毒薬を所持」
ユリアナが冷たい目で俺たちを見る。
「言い逃れのできない状況ですね、カサンドラ」
「まあ。私が王太子を毒殺しようとしている、と?」
「違うのですか?」
カサンドラは答えられない。
契約が、真実を話すことを禁じている。
毒薬を受け取らされる右手。
血の流れる口元。
それでも彼女は、いつもの笑みを浮かべた。
「どちらだと思われます?」
原本を持つかもしれない聖女は、その笑顔を犯人のものだと判断した。




